教区の歴史

教区の歴史

着座記念ミサ説教

2008年09月07日

2008年9月7日 東京カテドラル聖マリア大聖堂で

 

 

今日の福音で主イエスは言われます。

「また、はっきり言っておくが、どんな願い事であれ、あなたがたのうち二人が地上で心を一つにして求めるなら、わたしの天の父はそれをかなえてくださる。二人または三人がわたしの名によって集まるところには、わたしもその中にいるのである。」(マタイ18・19-20)

いまわたしたちは、主の名において、ここカテドラルに集まっております。そして心を一つにして祈っております。この祈りは必ず聞き届けていただけるはずです。

それでは今日わたしたちは何を願い求めましょうか? 

大司教に就任して8周年を迎えました。8年前ここで行なわれた着座式でわたくしは申し上げました。 

「わたしたちの教会がすべての人に開かれた共同体、とくに弱い立場におかれている人々、圧迫されている貧しい人々にとって、安らぎ、慰め、励まし、力、希望、救いとなる共同体として成長するよう、力を尽くします。

どうか皆様、この決心を実行できますよう、わたくしを助けてください。

どうか神よ、この決心を祝福してください。絶えずわたしたちを教え、導き、支え、励ましてください。そしてとくにお願いします。わたしたち一人ひとりにこの決心を実行するための勇気をお与えください、主・キリストによって。アーメン。」 

この願いと祈りと共に、この8年間わたくしは教区の責任者を務めてまいりました。2001年には小教区再編成を訴える『新しい一歩』を発表し、それを受けて再編成プロジェクトチームの司祭団は『福音的使命を生きる』という答申を行ない、『宣教協力体』の編成を提案しました。『宣教協力体』は2003年の復活祭に発足しました。また『福音的使命を生きる』の提案を受けてわたくしは三つの優先課題を定めました。

 

1)信徒の養成、2)外国人の司牧とサポート、3)心の問題を持った人のサポート 

ここに挙げた課題は教会が今まで行なってきたことであり、当然なすべきことであり、今もすべての司祭が行なっている務めであります。今、ことさら取り上げる必要があるのかという疑問もあったかもしれません。しかし、教会と社会の現状を見るに、やはり、とくにこの三点に留意し、力を集中しなければならない、とわたくしは考えたのです。

わたくしは着座式の決心の実行はこの三つの課題の実行をとおして行なう所存であり、この三課題をとくに大切に考えてきました。今も同じように考えています。 

そこでわたくしは今日、是非、優先課題について一言でもいいから触れたいと思います。

 

1) ご存じのように今年の11月24日に長崎で、ペトロ岐部と187殉教者の列福式があります。この188人のなかで司祭は4人、修道士は1人で、183人は信徒なのです。400年前に日本の教会は今と同じ40万人くらいの信者数、司祭の数はもっとも多いときで100名くらいと言われています(現在、司祭はおよそ1,500人)。司祭は少なかったのですが、多くの殉教者が生まれるくらい強い信仰を持った信徒が存在していました。2008年の日本の教会、東京の教会の皆さん、いま信徒が力強く信仰をあらわし伝え、生きる時を迎えています。信徒が教会共同体において、もっともっと、より主体的に責任を荷っていただきたい、そうできる、と信じます。

 

2) 聖霊降臨のときに誕生した教会は本来、国際的な団体、多国籍の団体です。教会は民族、文化、言語、国籍、習慣等を越えて、同じキリストの体をつくり、同じ父である神を礼拝する神の民です。

1990年、東京教区は困難な状況に置かれた外国からの移住者、避難民、滞在者を支援するために「東京教区国際司牧センター」を設立しました。同センターは現在「カトリック東京国際センター(CTIC)」として、相談・支援活動を行なっており、2010年には創立20周年を迎えます。現在、歩みを振り返りながら再編成を検討中です。これからはCTICと小教区(聖堂共同体)のつながりをより強いものにしたいと思います。いまや外国籍の信徒は日本の教会人口の半数を占めると推定されます。この課題はすべての信者が荷うべき課題であり、「CTICだけにお任せ」ではありません。東京教区において、国籍と文化を越えて互いの交わりと助け合いがますます進展するよう願っています。

 

3) 心の問題、心の傷をもつ人を支え、助け、癒す。あるいは助け合い、支え合う。これらのことも、本来教会が2000年ずっと行なってきたことでした。主イエスご自身が癒しの人でありました。今この課題をとくに優先課題として取り上げるのは「時のしるし」が見えるからです。多くの人が過重なストレスに苦しみ、心に傷をもち、迷い、悩んでいます。大都会という荒れ野において人は生きる力を殺(そ)がれ、孤立し孤独です。教会こそ荒れ野の泉、オアシスにならなければなりません。人は癒しと支えが必要です。神との語らいである祈り、典礼、そして隣人との誠実で思いやりのある心のふれあい、さらには大自然から力と癒しを受けること、などできることはいろいろ考えられます。日常の小さなことを積み上げていきたいと思います。 

いまわたしたちは「パウロ年」を送っています。パウロはしばしば愛について語っています。今日の箇所はローマの信徒への手紙13章ですが、今日は有名な愛の賛歌、コリントの信徒への手紙(一)13章を思い起こしたいと思います。 

愛は忍耐強い。愛は情け深い。ねたまない。愛は自慢せず、高ぶらない。 礼を失せず、自分の利益を求めず、いらだたず、恨みを抱かない。不義を喜ばず、真実を喜ぶ。すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてに耐える。愛は決して滅びない。(一コリント13・4-8a) 

結局、わたしたちを癒し、救うのはこの愛、神の愛、アガペーであります。

教会の使命は「福音化」ということです。東京教区は優先課題の実行、そして神の愛の証しをとおしてこの使命を遂行します。

わたしたちが神の愛、光を豊かに受け、愛と光を、より多くの人に現し伝えることができますよう、祈りましょう。