教区の歴史
高円寺教会堅信式説教
2008年07月20日
2008年7月20日 年間第16主日 高円寺教会にて
高円寺教会の皆さん、今日の福音は毒麦のたとえです。イエスご自身がこのたとえの意味を説明しています。この話でいつも心に強く響く箇所があります。それは「毒麦を集めるとき、麦まで一緒に抜くかもしれない。刈り入れまで、両方とも育つままにしておきなさい」(マタイ13.29-30)というイエスのことばです。
この世には悪が存在します。「悪い者の子ら」と言われていますが、悪いことをする者がいます。こういう人を早く取り除きたい、そうして欲しいとわたしたちは考えます。しかし、神様はすぐにはそうなさいません。別なお考えのようです。待ちなさい。「毒麦を集めるとき、麦まで一緒に抜くかもしれない。刈り入れまで、両方とも育つままにしておきなさい」とイエスはおっしゃいます。神様の忍耐、愛が示されています。
麦と毒麦が一緒に生え育っているのはまさにわたしたちの状態ではないでしょうか。人は100パーセント善ではないし、100パーセント悪でもありません。良いところもあれば悪いところもあります。良い子であるときも悪い子であるときもあります。よく「魔が差す」と言いますね。言い得て妙です!自分自身がそうなのですから、もし今、自分が引っこ抜かれてしまうとすれば、どうしようもありません。悪いところを取り除こうとすると全体をだめにしてしまいます。何しろ、同じ人間の中で善と悪の部分を区別するのが難しいのですから。神は忍耐してわたしたちの回心と成長を待っておられます。実際、わたしたちの神は「万物を支配することによって、すべてをいとおしむ方」(知恵12.16)です。
2008年6月28日、「パウロ年」が始まりました。この一年、特にパウロの教えを学びましょう。今日の第二朗読は先週の第二朗読と同じ、ローマの教会への手紙の8章、非常に重要な箇所だと思います。パウロはここで聖霊の働きを説明します。肉の法則と霊の法則を対比させています。わたしたちは聖霊を受けて霊に従って歩む者とされたのです。忍耐して回心と実りを待っておられる神から聖霊を受けて、罪のゆるしはもちろん、神の子として、愛、喜び、平和、寛容...のうちに歩む者とされているのです。今日の堅信式はこの信仰をより堅固なものにする秘跡であります。
さて、今年はパウロ年であると共に列福の年です。この度『列福を控え、ともに祈る7週間』という冊子がカトリック中央行議会から発行されました。是非、お読みください。殉教者とは証人です。何を証しした人かと言えば、神の愛を証しした人です。神が存在すること、神は愛であることを命をかけて証ししました。188人の殉教者の中で東京教区で殉教した方はペトロ岐部とヨハネ原主水です。ペトロ岐部は浅草のあたりで処刑されたそうです。原主水は「札の辻」の交差点のあたりで火あぶりの刑を受けました。
冊子の中から特に心に残る言葉を引用します。
「信じぬくこと、希望すること、そして愛すること。殉教者が命をかけて示したこのメッセージは、現代世界にかざされた光です。...最後まで御父への信頼を失わず、極刑のもとで味わう人間としての苦痛、神からさえ見捨てられたかのような苦悩を味わう中でイエスが徹底的に示したものは、信仰と希望、そして愛でした。」(『列副を控え、ともに祈る7週間』11ページ)