教区の歴史

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日本カトリック医療施設協会全国大会中のミサ説教

2008年07月18日

2008年7月18日 東京都千代田区内のホテルにて

 

聖書朗読 知恵の書11.23-26
福音朗読 ルカによる福音10.25-37

 

今日の聖書朗読は旧約聖書第二正典(旧約聖書続編)『知恵の書』から取られています。個人的に大変好きな箇所です。今日の集まり、「日本カトリック医療施設協会第44回全国大会」のためにふさわしい箇所でもあると思いました。 

人は時々思い考えるのです。人はなぜ、何のために存在しているのか?この世界は何のためにあるのか?どうして存在しているのか?など...難しい問いです。知恵の書は旧約聖書のなかでも後期の作品で、紀元前1世紀頃の成立と言われています。人生のこの根本問題について『知恵の書』は明快に説明します。世界に存在するすべて物、すべての人は神の創造の作品であり、神のお望みによって存在している、と。

「あなたは存在するものすべてを愛し、お造りになったものを何一つ嫌われない。憎んでおられるのなら、造られなかったはずだ。あなたがお望みにならないのに存続し、あなたが呼び出されないのに存在するものが果たしてあるだろうか。命を愛される主よ、すべてはあなたのもの、あなたはすべてをいとおしまれる。」(11.24-26) 

神は存在するものすべてを愛し慈しまれます。あなたが存在するのは神のお望みであり神はあなたを大切に思っているのです。そして人間ばかりではなく実は被造物すべてを神は愛しておられるのです。この世界には混乱、不調和、悪というべき状態が存在します。神は被造物も悪への隷属から解放されると使徒パウロが教えています。

「被造物は、神の子たちの現れるのを切に待ち望んでいます。被造物は虚無に服していますが、それは、自分の意志によるものではなく、服従させた方の意志によるものであり、同時に希望も持っています。 つまり、被造物も、いつか滅びへの隷属から解放されて、神の子供たちの栄光に輝く自由にあずかれるからです。」(ローマの信徒への手紙8.19-21) 

さて今日の福音は有名な「善いサマリア人」のたとえ話です。ユダヤ人とサマリア人の間には大きな溝、隔ての壁がありました。それは北の王国イスラエルを征服したアッシリア王がサマリアにアッシリア人を入植させたことに由来すると言われています。それはともかく、このサマリア人は、半殺しにされて倒れている旅人を見て「憐れに思い」、苦しんでいる人への強い共感、同情をもったのです。「隣人であれば助けるがそうでなければしない。果たしてこの旅人は隣人であるのか」などという論議にサマリア人は無縁でした。ただ彼は苦しむ人に出会って、自発的に、思わず知らずに、自分にできる助けを提供したのです。このサマリア人の心には神の愛の反映が見られます。この好意はまさしく神の愛、すべての人を慈しまれる神の愛の実践であります。 

今日のミサの共同祈願をあらかじめ見ますと、そのなかに「厳しい医療行政の下、知恵と勇気を出し合って、経営改善と医療技術の向上に努めながら、命の尊厳を大切にするカトリック病院としての使命を果たしていく」という言葉を見つけます。これは神の愛の実践という課題です。皆さんの困難な課題はかなり理解しているつもりです。神の霊、聖霊の助けが豊かにありますよう祈ります。病む人の心は非常に敏感であります。その病気の人に仕え助けるには非常に微妙な心遣いを要します。皆さんの使命は、神の愛を現し伝えるという使命でありますから、そのために心の中に神の愛、喜び、平和、寛容、親切、善意などの聖霊の恵みが必要です。その恵みを心から祈り求めましょう。