教区の歴史
聖ペトロ・聖パウロ使徒の祭日説教
2008年06月29日
2008年6月29日10:00~ 東京カテドラル聖マリア大聖堂にて
聖ペトロ・聖パウロ使徒の祭日を迎えました。白柳誠一枢機卿様始めペトロとパウロの霊名の皆様に心からお祝い申し上げます。わたくしの洗礼名もペトロであります。日頃の皆様のお祈りとご支援にこの場をお借りして感謝いたします。
さて、東京教区は東京都と千葉県から成り立っており、東京には人口が集中しています。この大都市で暮らしている人々の生活はどのようなものであるのでしょうか?現代という時代の大都市での生活はどのようなものでしょうか?わたしたちはそれを日々体験しているわけです。田舎と比べれば便利で快適です。しかし、ここには厳しい競争と管理があります。人々は孤独に苦しんでいます。都会では人とのつながりが薄いし弱いです。心の問題に悩む人もおります。この都会の特色はわたしたちの教会の中にも侵入しています。教会に行っても寂しい、つまらないと感じる人は少なくはありません。
21年前、1987年、第1回福音宣教推進全国会議(NICE-1)が開催され、「開かれた教会づくり」が論じられました。その背景には、教会の交わりの薄さ、弱さ、閉鎖性がありました。NICE-1では「分かち合い」が提案され、当初かなりのアレルギー反応がありましたが、徐々にこの「分かち合い」は浸透してきたと思います。それでもまだまだ「分かち合い」は難しいと思います。何をどう分かち合うのか?最近は「聖書の分かち合い」がかなり普及しています。これはうれしいことです。きちんとした申し合わせとよい世話人がいればうまくいくと思います。
教会も社会ですから、困難があります。人は人に助けられますが、他方では人によって傷つけられることもあります。教会で酷い目にあって二度と行きたくないという声も聞かないわけではありません。ただ分かち合うのではなく、信仰を分かち合うのが教会です。信仰とは個人で育つのではなく、信者の交わりのなかで成長するのです。
さて今日記念する聖ペトロと聖パウロは教会の基礎を築いた使徒であり殉教者です。今日の聖書朗読「使徒たちの宣教」「使徒パウロのテモテへの手紙」「マタイによる福音」にはそれぞれ両使徒の活躍の様子が出てきます。二人をとおして神の力が働きました。実にすばらしい活躍をしています。眩しいような、近付き難いような立派な方々です。
もちろん、わたしたちは二人の弱さを知っています。聖書の魅力は教会の礎となったこの二人の言行、失敗、過ちなどを率直に記していることです。ペトロは三度イエスを否んだ人でした...。
昨日から「パウロ年」が始まりました。この一年、特にパウロに学びたいと思います。パウロは実に力強い人でした。しかし、そのパウロにも弱点がありました。パウロはその問題を「とげ」と呼んでいます (二コリント12.7)。そのとげとは何であったのか諸説があるようですが、彼はそのとげを取り除いてくださるよう三度主に祈ります。しかし、主の返事は次のようなことばでした。「わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ」(12.9)。そこで彼は言います。「だから、キリストの力がわたしの内に宿るように、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう。それゆえ、わたしは弱さ、侮辱、窮乏、迫害、そして行き詰まりの状態にあっても、キリストのために満足しています。なぜなら、わたしは弱いときにこそ強いからです」(12.9-10)。
すごい信仰だと感嘆します。「わたしは弱いときにこそ強い。弱さを誇ろう。」
そのように言えたらいいなと思います。自分の弱さを認め、それを委ねる。神の恵みと導きに信頼して生きる。教会ではお互いそのような人として受け入れ合い励まし合う。自分にできる小さなことを誠実に行う。少しだけでいいから勇気を出して人に心を開く。神と共に歩みながら、信仰のうちに心を開く。教会でのミサ、祈り、集まりがそのための良い機会となりますよう祈りましょう。