教区の歴史

教区の歴史

聖パウロ修道会司祭叙階式説教

2008年04月29日

2008年4月29日 麹町教会にて

 

受階者
シエナのベルナルディーノ 吉田圭介

  

朗読箇所
第1朗読  エレミヤ書 1章4節-9節
第2朗読  ガラテヤの信徒への手紙 2章15節-20節
福音朗読 ヨハネ 15章9節-17節

 

 

特別聖年の「パウロ年」の開始が2ヶ月後に迫ってきた本日、パウロの名をいただく聖パウロ修道会の会員である吉田圭介さんが司祭叙階をお受けになるのはまことに意義深いことであります。吉田さんには聖パウロの精神を受け継いで力強く福音宣教の使命を遂行していただきたいと心から望んでおります。 

使徒聖パウロは劇的な回心を体験した人であります。その次第を使徒言行録は三回にわたって語っています。パウロは熱心なファリサイ派のユダヤ教徒であり、キリスト教徒を激しく迫害した人であります。

「わたしは、徹底的に神の教会を迫害し、滅ぼそうとしていました。また、先祖からの伝承を守るのに人一倍熱心で、同胞の間では同じ年ごろの多くの者よりもユダヤ教に徹しようとしていました。」(ガラテヤ1・13-14)

パウロはガラテヤの信徒への手紙でそのように語っています。その彼がいわば180度の回心を遂げ、ユダヤ教徒からキリスト教徒になり、イエス・キリストの福音を宣べ伝え、最後には信仰のために命を捧げて殉教しました。パウロ年にあたり、このパウロの信仰と教えをよく学びたいと思います。 

パウロは自分の召命を「異邦人への使徒」と自覚していました。その召命は自分が母の胎内にいたときから始まっていたと彼は理解していました(ガラテヤ1・15参照)。彼の自覚には預言者エレミヤの召命に通じるところがあります。主はエレミヤに言われました。

「わたしはあなたを母の胎内に造る前から

あなたを知っていた。

母の胎から生まれる前に

わたしはあなたを聖別し

諸国民の預言者として立てた。」(エレミヤ1・5)

パウロ、エレミヤだけではなく、誰しも神から召命を受けています。誰の生涯も神の召命であり、それはこの世に生を受けたときに始まり、この世を去るときに完成します。それがそれぞれの人の生涯であり人生であります。 

使徒パウロは異邦人へ福音を宣べ伝えることに命を捧げました。そのパウロが伝えた福音の中心は

「人は律法の実行ではなく、ただイエス・キリストへの信仰によって義とされる」(ガラテヤ2・16)

という教えです。

「わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい。」(ヨハネ14・12)

これは今日の福音、主イエスのことばであり、非常に有名であります。イエスは「互いに愛し合いなさい」と言いましたが、その前に「わたしがあなたがたを愛したように」と言われました。イエス・キリストを信じるとは、このイエスの愛を信じることです。イエスが弟子たちを愛したその愛でわたしたちを愛してくださる、その愛を信じることであると思います。そしてイエスの愛を信じるとは神の愛を信じることです。

「わたしたちが神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛して、わたしたちの罪を償ういけにえとして、御子をお遣わしになりました。ここに愛があります。」(1ヨハネ4・10) 

今年は日本の教会にとってとくに記念すべき大切な年であります。それは言うまでもなく、本年11月24日、長崎でペトロ岐部と187殉教者の列福式が行われるからです。この殉教者たちは17世紀前半の日本において命をかけて信仰を証しした人たちであり、4人の司祭、1人の修道士、そして183人の信徒です。

この殉教者の時代から400年がたち、状況はすっかり変わりました。しかし、教会は同じ日本の社会に置かれており、派遣されており、日本の社会の中でわたしたち教会は歩んでおります。イエスをとおして示された神の愛をわたしたちはどのように証しできるでしょうか。

エレミヤを召し出した神は「わたしがあなたと共にいて必ず救い出す」とエレミヤに言われ、また「わたしはあなたの口にわたしの言葉を授ける」と言われました。同じことばを2008年の日本の教会にも言ってくださると信じます。わたしたちは何をどう語るか、どうしたらいいでしょうか?どうかそれを教えてください、そうできるよう知恵と勇気を与えてください、と祈り求めたいと思います。

皆さん、殉教者の取次ぎを願いながら祈りましょう。日本の殉教者の取次ぎにより、そしてその強い信仰に励まされ、2008年を歩む日本のカトリック教会が、神の愛、イエスの愛を深く信じ、その証しとしての愛のみ業を日々の生活の中で実行することができますように。