教区の歴史

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朗読奉仕者・祭壇奉仕者選任式訓話

2008年03月02日

2008年3月2日午後2時 東京カテドラル聖マリア大聖堂にて

 

【朗読奉仕者】
福音記者使徒ヨハネ 秋吉 淳一〈イエズス会〉
使徒ヨハネ 角田 佑一〈イエズス会〉
パウロ 古川 利雅〈カルメル修道会〉
フランシスコ・ザビエル TRAN VAN HOAI〈コンベンツアル聖フランシスコ会〉
トマス 元田 勝哉〈フランシスコ会)

 

【祭壇奉仕者】
アシジのフランシスコ 伊藤 淳〈東京教区〉
アシジのフランシスコ 倉田 厚〈東京教区〉
使徒ヨハネ 田中 昇〈東京教区〉
ヨセフ 李 信 衡〈コンベンツアル聖フランシスコ会〉
インマヌエル  TRAN VAN BINH〈コンベンツアル聖フランシスコ会〉
コルクタのテレジアーノ 松永 敦〈コンベンツアル聖フランシスコ会〉

 

聖書・ 福音朗読 2008年四旬節第4主日

 

朗読奉仕者となることを望まれる皆さん、

朗読奉仕者は神の言葉を告げる人です。教会の宣教に協力することがその任務であり、そのために神の民の中で特別な役割を与えられています。したがって皆さんは教会から福音宣教の務めを託されている司牧者の指導、監督のもとで、典礼集会においての神の言葉を朗読し、また子供や大人に教理を教えて秘跡に与る準備をさせ、またキリストの教えを知らない人に救いの教えを知らせます。このような働きによって、多くの人が父である神と御子イエス・キリストをよりよく知るようになり、永遠のいのちに与るようになるでしょう。

今日の福音は生まれつき目の見えない人がイエスによって目を開けていただき見えるようにしていただいたという話です。ヨハネの福音の9章の中でイエスは不思議なことを言われます。「わたしがこの世に来たのは、裁くためである。見えないものは見えるようになり、見えるものは見えないようになる。」(9・39)生まれつき目の見えなかったこの人は見えるようになりイエスを信じました。イエスに出会いイエスをメシアと信じました。宣教とは人々をイエスに出会うように、イエスを信じるように助ける働きです。他方、ファリサイ派の人は見えると言っている、わかっていると自負しているが実は見えていない、見えない人です。自分が見えると思い込めばもう真実を見ようとはしないでしょう。

多くの人が暗闇の中にいます。そして、そのなかに、暗闇にいることを自覚している人と、自覚していない人がいるのではないでしょうか。暗闇には光が必要です。教会とはキリストの光を掲げる神の民であります。この教会の使命をよく果たすことができますよう、そのために心を絶えずキリストの光で照らしてくださるよう、祈りましょう。 

祭壇奉仕者に選任される皆さん、

皆さんは教会の奉仕の務めの中で特別な役割を受け持つことになります。

神の民である教会は感謝の祭儀・ミサ聖祭を頂点として集まり、そこにいのちの源を見出します。あなた方は、教会の司牧責任者の指導、監督のもとで、司祭や助祭の仕事に協力し、また奉仕者として、信者に、とくに病者に聖体を授ける務めを託されます。このような尊い務めをゆだねられるあなた方は、聖体の秘跡にいっそう深く結ばれるよう努め、自分の役割の深い霊的な意味を悟るように心がけてください。こうして日々、キリストを通して自分自身を父である神にささげるよう努力してください。

使徒パウロは今日の第2朗読のエフェソの教会への手紙のなかで、「すべてのものは光にさらされて、明らかにされます」といっています。意味深いことばです、あるいは恐ろしい言葉でもあります。光のなかですべてのごまかしは明らかにされてしまうのです。だから後ろ暗い人はイエスを避けます。イエスの前に立つと暗闇が照らされてしまうからです。思い切って自分のすべてを照らしていただけば、暗闇がなくなり、すべての行ないも光のもと、神の子に相応しい行ないになるでしょう。「光の子として歩みなさい」(8・8)は大切な勧めのことばです。そのためには光よりの光であるイエス・キリストをいつも見つめ、キリストに聞き、キリストとともに歩むのでなければなりません。

祭壇奉仕者に選任される皆さん、どうかいつも主キリストの光を受け、キリストの光を現し伝える光の子として歩んでください。