教区の歴史
世界病者の日ミサ説教
2008年02月11日
2008年2月11日 東京カテドラル聖マリア大聖堂にて
第1朗読
イザヤの預言52.13-53.12(主の僕の苦難と死)
第2朗読
ローマの信徒への手紙8.18-27(わたしたちも神の子とされることを、
うめきながら待ち望んでいます。聖霊が弱いわたしたちを助けてくださいます。)
福音朗読
マタイ8.5-10,13(百人隊長の僕のいやし)
前教皇ヨハネ・パウロ2世は1993年2月11日の「ルルドの聖母」の記念日を「世界病者の日」と定め、以後毎年2月11日を世界病者の日として、毎年教皇メッセージを発表するようになりました。折しも2008年2月11日は聖母マリアがルルドの洞窟にご出現になられて150周年にあたります。教皇ベネディクト16世はルルドの聖母ご出現150周年にあたり、今年の世界病者の日のメッセージで、わたしたちに聖母マリアの信仰に倣って歩むよう勧めておられます。
聖母マリアの生涯は深く強い信仰によって貫かれておりました。「あなたは聖霊によって身ごもって救い主の母となります」という、理解しがたい天使ガブリエルからのお告げに対して、「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように」(ルカ1.38)と答えて神のみ旨を受け入れました。また、十字架のもとに佇むマリアに向かってイエスは「婦人よ、御覧なさい。あなたの子です」(ヨハネ19.26)と言われました。このとき聖母はどんな気持ちでこの言葉を受け止めたのでしょうか。老預言者シメオンの言葉「あなた自身も剣で心を刺し貫かれます」(ルカ2.35)をしみじみと思い出しておられたことでしょう。原罪の汚れなく宿られた聖母は生涯をとおして不信仰の罪に陥ることなく、神へすべてを委託する信仰を貫き、イエスの復活の栄光に与る被昇天の恵みを受けたのでした。わたしたちも聖母に倣い、イエスの復活に与るという信仰と希望に生かされて歩むことができます。
聖パウロはローマの信徒への手紙の中で次のように言っています。
「被造物がすべて今日まで、共にうめき、共に産みの苦しみを味わっていることを、わたしたちは知っています。 被造物だけでなく、“霊”の初穂をいただいているわたしたちも、神の子とされること、つまり、体の贖われることを、心の中でうめきながら待ち望んでいます。 わたしたちは、このような希望によって救われているのです。見えるものに対する希望は希望ではありません。現に見ているものをだれがなお望むでしょうか。わたしたちは、目に見えないものを望んでいるなら、忍耐して待ち望むのです。」(ローマ8.22-25)
パウロによれば、全被造物は解放とあがないの時を待っているのです。この世界、宇宙も罪の隷属から解放されなければならないのです、あがなわれなければならないのです。そのときは神の国も完成の時、まさに新しい天と新しい地が現れる時であります。そのときわたしたち人間は、キリストの十字架によるあがないにより、罪の隷属から解放されて栄光に輝く自由に与り、体のあがないを受けて完全な癒しを受け、復活のキリストの栄光の体、完全に健康な体に与るものとされるのです。この希望によってわたしたちはすでに救われているのです(教皇ベネディクト16世は「わたしたちは、このような希望によって救われているのです。」から説き起こす回勅『希望について』を昨年11月30日に発表しました)。
今日の第1朗読はイザヤの預言の「主の僕の歌」です。
イザヤは「彼は軽蔑され、人々に見捨てられ、多くの痛みを負い、病を知っている」(53.3)、「彼が担ったのはわたしたちの病、彼が負ったのはわたしたちの痛みであった」(53.4)と言います。
わたしたちはこの主の僕の姿に主イエスの受難を重ねることができます。まことにイエスは全ての人のあがない、救いのために十字架に架けられたのでした。
さて4つの福音書をとおしてイエスの言動の最も目立つ場面は癒しということであると思います。癒しの話が実に多いのです。イエスは多くの人を癒し、悪霊から解放されました。今日の福音はその代表的な例、百人隊長の僕を癒されたという話です。ここでイエスは異邦人である百人隊長の信仰を賞賛しています。
「イエスはこれを聞いて感心し、従っていた人々に言われた。『はっきり言っておく。イスラエルの中でさえ、わたしはこれほどの信仰を見たことがない。』」(マタイ8.10)
ほかにもイエスが信仰をほめたという例が福音書には出てきますが、今日わたしたちは自分たちの信仰を振り返り、信仰を強めてくださるよう祈りたいと思います。まず聖母の信仰に倣い、聖母の受けた恵みに与ることができますよう祈りましょう。また百人隊長の信仰に倣い、主が癒し救ってくださるという信仰を強めてくださるよう祈りましょう。主は必ずわたしたちを癒し救ってくださいます。