教区の歴史
2008年 キリスト教一致祈祷週間 東京集会・説教
2008年01月20日
2008年1月20日 日本福音ルーテル武蔵野教会にて
イザヤ 55.6-9 「主を尋ね求めよ、見いだしうるときに」
第1テサロニケ 5.(12a),13b-18「絶えず祈りなさい」
ヨハネ福音 17.6-21「すべての人を一つにしてください」
2008年キリスト教一致祈祷週間は、ポール・ワトソン師によって「キリスト教一致祈祷週間」の先駆けとなる「一致のために八日間の祈り」が始められて、ちょうど100周年にあたります(本日の礼拝用冊子より)。また世界教会協議会(WCC)と教皇庁キリスト教一致推進評議会との協力で第一回キリスト教一致祈祷週間が開催されて今年で40周年を迎えます。そこで今年は日本キリスト教協議会とカトリック中央協議会の協働で〈絶えず祈りなさい〉をテーマに八日間の礼拝・祈りを捧げることになりました。本日、日本福音ルーテル武蔵野教会においてキリスト教一致祈祷週間東京集会を開催することができましたことは、わたくしどもの大きな喜びであり励ましであります。
昨年12月、わたくしは教皇庁キリスト教一致推進評議会を訪問する機会をもち、責任者ヴァルター・カスパー枢機卿にお目にかかりました。枢機卿は日本のエキュメニズムに深い関心を寄せられ、励ましの言葉をかけて下さいました。いつからでしょうか、〈祈りの法は信仰の法〉(lex orandi,lex credendi)という金言が教会の歴史なかで伝えられています。それは祈りと信仰は一致していなければならないということです。わたしたちは祈ることを信じているのであり、信じていることを祈るのであります。
イエスはヨハネの福音書17章で父に祈っています。
「わたしがお願いするのは、彼らを世から取り去ることではなく、悪い者から守ってくださることです。」(15)
この世界にはさまざまな問題があり、この世界は悪と罪とに犯され汚された世界です。わたしたちキリスト者はこの世界で神の愛を示し伝えるという使命を受けています。カトリック教会のミサの聖体拝領の前に「主の祈り」を唱えますが、そのあとで司祭は次のように祈ります。
「いつくしみ深い父よ、すべての悪からわたしたちを救い、現代に平和をお与えください。あなたのあわれみに支えられ、罪から解放されて、すべての困難に打ち勝つことができますように」
この祈りは先のイエスの祈りに対応するものであります。
イエスはまた父に向かって祈って言われました。
「父よ、あなたがわたしの内におられ、わたしがあなたの内にいるように、すべての人を一つにしてください。彼らもわたしたちの内にいるようにしてください。そうすれば、世は、あなたがわたしをお遣わしになったことを、信じるようになります。」(21)
一致を妨げているのは人間の弱さであり、わたしたちの罪であり悪であります。悪と罪の克服のためにイエスは祈りました。そしてわたしたちにも祈るよう求めます。人は信じていることを祈り、日々祈ることの実現のために自身を捧げるものです。そして、いつか祈りがかなえられると固く信じています。
なぜならイエスは言われました。
「はっきり言っておく。わたしを信じる者は、わたしが行う業を行い、また、もっと大きな業を行うようになる。わたしが父もとへ行くからである。わたしの名によって願うことは、何でもかなえてあげよう。こうして父は子によって栄光をお受けになる。わたしの名によって何かを願うならば、わたしがかなえてあげよう。」(ヨハネ14.12‐14)
パウロはテサロニケの信徒への手紙ですばらしい言葉を残しました。
「だれも、悪をもって悪に報いることのないように気をつけなさい。お互いの間でも、すべての人に対しても、いつも善を行うように努めなさい。」(一5.15)
悪との戦いはイエスがなさった戦いによらなければなりません。それは常に善を行うことによる戦いです。
すでに旧約の預言者イザヤは言いました。
「雨も雪も、ひとたび天から降れば
むなしく天に戻ることはない。
それは大地を潤し、芽を出させ、生い茂らせ
種蒔く人には種を与え
食べる人には糧を与える。
そのように、わたしの口から出るわたしの言葉も
むなしくは、わたしのもとに戻らない。
それはわたしの望むことを成し遂げ
わたしが与えた使命を必ず果たす。」(55.10‐11)
大変好きな箇所です。カトリック教会では復活徹夜祭の朗読に選ばれています。主なる神のことばは必ずその指し示す内容を現実化するという力強い宣言です。
永遠のロゴス・みことばであるイエスのことばは必ず実現します。わたしたちはそのように固く信じます。神は必ずそのときには「新しい天と新しい地(黙示21.1,ペトロ二3.13,イザヤ65.17,66.22)」を完成してくださいます。
「いつも喜んでいなさい。 絶えず祈りなさい。 どんなことにも感謝しなさい。これこそ、キリスト・イエスにおいて、神があなたがたに望んでおられることです。」(テサロニケ一 5・16-18)
本当にすばらしい勧めです。でも、このようなことが可能でしょうか?パウロの教えをもっと深く学びたいと思います。折りしもカトリック教会では2008年6月28日より1年を「パウロの年」とすると宣言しています(生誕2000年ということで)。
すべてのことを祈りと共に行うならば、このことは実行可能でしょう。日々の行いをすべて神が受け入れてくださるような供え物となりますれば、この勧めは実行可能です。日々そう生きられますよう祈りましょう。