教区の歴史

教区の歴史

召命祈願合同ミサ説教

2007年11月11日

2007年11月11日 東京カテドラル聖マリア大聖堂にて

 

第1朗読 エレミヤ1.4-8
第2朗読 一ペトロ2.3-6,9-10
福音朗読 ヨハネ15.12-17

 

教会とは神に呼び集められた民であり、わたしたち一人ひとりが、教会全体が、神の呼びかけを受けています。召命とは神の召し、呼びかけであります。すでに旧約聖書の時代から神はいろいろな人を呼び出され、任務をお与えになりました。第1朗読は有名な預言者エレミヤの召命の場面であります。神の召しを受けた「若者」であるエレミヤが感じたのは恐れということでありました。自分の無力を思い、任務の難しさを思い、彼は召しに応じることに非常な恐れを覚えたのです。エレミヤでなくとも、神から任務を授かるときに誰しも感じるのは自己の無力、弱さであります。そのエレミヤに対して神は言われました。

「彼らを恐れるな。わたしがあなたと共にいて必ず救い出す」(1.8) 

神はご自分が召し出した者といつも共におられ、彼を守り導き言葉を授けると聖書はいろいろな箇所で教えます。教会全体が神の召命を受けているのであり、その教会の使命とはイエス・キリストの使命であり、復活されたキリストの光を現し伝えることです。第2朗読でペトロは言います。

「あなたがたは、選ばれた民、王の系統を引く祭司、聖なる国民、神のものとなった民です。それは、あなたがたを暗闇の中から驚くべき光の中へと招き入れてくださった方の力ある業を、あなたがたが広く伝えるためなのです。」(2.9)

わたしたちキリストの教会は旧約聖書で預言されていた新約の「選ばれた民、王の系統を引く祭司、聖なる国民、神のものとなった民」(出19.6など)となりました。わたしたちは暗闇の中に置かれ、迷い、道を踏み外す者でしたが、いまやキリストの光の中を歩む者となりました。教会の使命はキリストの光を輝かせることです。 

召命とは神から来ます。今日の福音でイエスははっきり言います。

「あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだ。」(ヨハネ15.16)

弟子たちを召し出したイエスはさらに「わたしの名によって父に願うことは、何でもかなえてあげよう」(ヨハネ14.13,15.7,16)と言います。

キリストの名前で願うということはキリスト自身が父に願うということになります。キリストの切なる願い、それは互いに愛し合うということです。「わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい。これがわたしの掟である」(ヨハネ15.12)ということです。 

東京教区の召命促進のために祈り、献金し、働いてくださっている一粒会の皆様をはじめ、すべての皆様に感謝します。また11月、死者の月を迎え、帰天された一粒会の会員も方々の永遠の安息をお祈りいたします。特に東京教区で補佐司教として神学生養成・召命促進のために尽くされた濱尾文郎枢機卿様、また運営委員長として奉仕された前川清さんの永遠の安息を願ってこのミサをお捧げいたしましょう。