教区の歴史
ベタニア修道女会誓願宣立50周年感謝の祭儀説教
2007年10月16日
2007年10月16日 徳田教会にて
誓願50周年
シスター フェリチア 丸山 いしい
シスター ビルジッダ 伊藤 トキ
シスター デヴォタ 土屋 由子
聖書朗読 エフェソの教会への手紙1.13-14
福音朗読 ヨハネの福音15.9-17
三人のシスターの誓願の金祝を心からお祝い申しあげます。
今日の第一朗読はエフェソの教会への手紙ですが、その中に次のような言葉があります。
「こうして、時が満ちるに及んで、救いの業が完成され、あらゆるものが、頭であるキリストのもとに一つにまとめられます。天にあるものも地にあるものもキリストのもとに一つにまとめられるのです。」(1・10)
これは実に壮大な神様の救いの計画です。神の国が完成するとき、一切のものがキリストにおいて一つにまとめられるのです!考えてみればわたしたちが日々いろいろなことをしていますが、それはこの「まとめること」、キリストにおいて一つのまとまりのあるものをつくるということであり、その仕事に与っている、協力しているということではないかと思います。これは大変な仕事です。大きなレベルのことを言わなくとも、自分のことすらまとめられない、自分の部屋さえまとまらない、自分の心、心と体もまとまりがつかないのがわたしたちの現状です。自分のこともまとめられないのに、世界を一つにまとめることは無理ですが、神様にはおできにならないことはありません。わたしたちにできるのは、神様の働きに協力する道具となるということです。
昨日、カテドラルで「子どものミサ」があり、何百人もの子どもたちが参加してくれて感激しました。今年のテーマは「お言葉どおり、この身に成りますように」(ルカ1.38)です。FIATというマリア様の言葉がテーマでした。マリア様はこのFIAT(成りますように)の精神を生き抜いた方です。キリストにおいてすべてのものが一つに集められるという神様のご計画にマリア様はもっともよく従われました。わたしたち信者の模範です。
今日の福音はヨハネ15章です。イエスはまことのぶどうの木です。イエスは繰り返し、わたしにつながっていなさい、わたしに留まりなさい、そうしなければ何の実も結ぶことができないと言われます。マリア様こそイエスにいつもつながっておられた方です。イエスにつながって生きるとはイエスを信じ、イエスに生涯を委ねて歩むことです。弟子たちもそのつもりでしたが挫折してしまいました。ペトロとユダの裏切り、弟子たちの離反を思い出します。道、真理、いのちであるイエスにどこまでもついて行くのが弟子の道です。ペトロもユダもそうはできませんでした。イエスは罪人と一緒に食事をし、その仲間とされ、また罪深いと言われた女性をかばい、さらにサマリア人と交際し、彼らの蒙っていた差別、侮蔑、恥辱を自分のものとしてその身に受けました。
わたしは実はいま「差別」ということを考えています。イエスと差別。イエスは差別されていた人々の仲間となり、同じ差別を受けたのでした。差別の難しさは、差別される人の被害を自分も引き受けることができるのかという点にあります。イエスに従うということは差別されている人々の仲間になり同じ非難、蔑みを受けるということです。わたしたちは、イエスのように、自分の名誉、評判、いのちすら捨てて十字架を担うことができるでしょうか。「お言葉どおり、この身に成りますように」という聖母の言葉に倣って、自分の十字架を荷い、自分の生涯を神様に捧げ切ることができますよう祈りましょう。