教区の歴史
朗読奉仕者・祭壇奉仕者選任式ミサ説教
2006年03月19日
2006年3月19日、東京カテドラル・地下聖堂にて
朗読奉仕者選任
フランシスコ・ザビエル 萩原 善幸 (レデンプトール会)
アウグスチノ 鈴木 康由 (聖アウグスチノ修道会)
ヨセフ 染野 治雄 (御受難会)
祭壇奉仕者選任
マキシミリアヌス・コルベ 小暮 康久 (イエズス会)
D’SOUZA Arun Prakash (ド ソーザ アルン プラカシュ) (イエズス会)
聖書朗読
申命記8,2-3,14b-16a
ヨハネの福音7,14-18
朗読奉仕者に選任される皆さん。
皆さんは「神のことばを告げ知らせるもの」として選ばれ、教会の宣教に協力するという使命を受けようとしています。そのために特別な役割が与えられます。皆さんは、典礼集会で神のことばを朗読し、教理を教え、救いの教えを告げ知らます。そこで皆さんに要請される事は、まず神のことばである聖書を信じて受け入れる、ということです。わたしたちは「神のことばと教え、キリストのことばと教え」を宣べ伝えるのです。その場合、自分の表現で説明し宣言するのですが、あくまでも、神の教え、キリストの教えを述べるのであって、自分の教えを伝えるのではない、ということに注意しなければなりません。神のことばを宣べ伝えているつもりでも、いつの間にか自分の考えになってしまっていないか、絶えず検証することが求められています。
皆さんは神のことばを信仰のうちに受け入れ、味わうよう努めなければなりません。そのためにこそ、いま皆さんは祈りのうちに神学や聖書学などを履修しているのです。皆さんは単なる知識を伝えるのではなく、信仰を教会が信じていることを証言するのです。心から信じていなければその人の言葉は人の心に響きません。生涯かかって自分の信仰を確かめ霊的に成長するよう努めてください。
そしてさらに心がけるべき大切なことがあります。それは、皆さんは信じたことを教え、教えたことを実行し、そして信じているように生きる、ということです。これは実に何度も繰り返し、叙階式のなかで司教が説き起こしていることです。わたしたちは信じたことを伝え、伝えたことを実行し、生きるのです。すでに司祭であるわたしたちも、絶えず信仰を深め、信じたことを伝え教え、そして実行し、その信仰を生きて行かなければならないのです。わたくしは叙階式のたびにこの言葉を自分自身に向けて話しています。どうか、自分が告げ知らせる神のことばを信じ、信じたことを教え、教えたとおりに生きるよう努めてください。「人はパンだけで生きるのではなく、人は主の口から出るすべてのことばによって生きる」という真理を、生涯をかけて実践するよう心がけてください。
祭壇奉仕者に選任される皆さん。
皆さんの使命は、司祭の司式するミサ聖祭において司祭や助祭の仕事に協力し、また病人を含めて信者に聖体を授ける務めが託されます。どうか、日々、聖体の秘跡に深く結ばれ、キリストをとおして自分自身を父である神に捧げるよう務めてください。ミサ聖祭においては主イエス・キリストの御体が、血を流さない形であがないの奉献・いけにえとして父なる神に捧げられます。わたしたちは主の体に合わせて自分自身の生活と奉仕、喜びと悲しみ、楽しみと苦しみ、祈りと犠牲をお捧げするのです。
さて、皆さんはやがて自分の所属する教区や修道会において助祭、そして司祭に叙階され、あるいは終生誓願を立てることが期待されています。司祭になること、誓願を立てるということは自分の教区・修道会の正式のメンバーとなり、教区や修道会の主要な役務者、責任を担う主要な奉仕者になるということ、そして責任を果たすということは、それに伴う苦しみを共に担う、ということです。皆さんが所属する教区、修道会、宣教会にはすでに多くの問題・課題が存在しています。旅する教会の公的な奉仕の職に就くということは、所属する教区・修道会の課題・問題を自分のこととして引き受けることを意味します。わたしたちは数々の素晴らしい教会の遺産・宝を受け継ぎました。ですからマイナスの遺産、いわば負債である問題・課題も自分のものとして引き継がなければならないのです。
あなたがたのうちによい業を始めてくださった神ご自身が、それを完成してくださいますように。