教区の歴史
仙台司教叙階式
2006年03月04日
2006年3月4日 仙台白百合学園ステラマリスにて
受階者 マルチノ 平賀 徹夫
主司式 ペトロ 岡田武夫東京大司教
朗読箇所
第1朗読 使徒パウロのエフェソへの教会への手紙4・1-7,11-13
福音朗読 ヨハネによる福音15・9-17
皆様、キリストの弟子であり神の民である教会の中には種々の召命、役割がありますが、主はある人々を司教という任務にお召しになります。昨年12月10日、教皇ベネディクト16世は、仙台教区司祭マルチノ平賀徹夫神父様を仙台教区の司教に任命されました。本日これより平賀神父様は司教に叙階されます。
司教の務めのなかで特に大切なのは福音宣教(福音化)という任務です。福音宣教とは端的に言って、神の愛を伝えることです。平賀神父様、あなたは仙台教区の司教としてこの使命・任務をお受けになります。もちろん、これは教区の民全員の使命であり任務です。あなたは司教として教区の責任者、代表として神の愛を現し伝え証する人となりました。使徒ヨハネは繰り返し、「神は愛である」と説きました。主イエスは本日の福音で言います。「父がわたしを愛したように、わたしもあなたがたを愛してきた。わたしの愛にとどまりなさい」「互いに愛し合いなさい。これがわたしの命令である」
司教であるわたしたちは何をしなければならないのか、どう生きなければならないのか。平賀司教様の叙階という恵みの時にあらためて考え思います。「愛」という言葉は曖昧であり多義的です。この度、教皇ベネディクト16世は初めての回勅『神は愛である』を発表されました。教皇はご自分の教皇職の基本を「愛」に置いておられます。曖昧であり誤解される恐れがありますが、それでもわたくしは教皇に倣い神の愛、キリストの愛を司教職の基本にすえたいと思います。
愛は単なる観念ではありません。愛は主イエスの生涯のなかに示され伝えられました。イエスの心と体全体で示された愛です。わたしたちの日々の生活で、言葉と行い、態度、小さな種々の事柄をとおしてイエスの生涯を示し伝えていかなければなりません。
皆様、今の時代をどう考えたらよいのでしょうか。多くの人は疲れ、悩み、苦しんでいます。孤独、失望、挫折感に悩み苦しんでいます。生きる力と希望を示すことが最も大切な宗教者の使命ではないでしょうか。あなたがあなたとして大切であるということを伝え示していくことが、わたしたち神の愛を信じる者の使命であります。
平賀神父様、どうか、日々神の愛を黙想し神の愛に生かされて、神の愛に促されて祈りと共に司教の職を務め全うしてください。そのように生きるあなたの姿は何よりの福音宣教であり、教区の司祭、信徒、奉献生活者の励まし、導き、希望となります。神父様、司教はしばしば困難な状況に置かれ、適切な判断と決断を迫られます。あなたが賢明にして勇気ある決断を下すことができるよう聖霊の恵みを切に祈ります。
司祭の皆様、司祭は司教の何よりの協力者であり、司祭なしに司教は何もできません。困難な任務を受諾した皆さんの兄弟である平賀神父様を助け支えてください。信徒の皆様、皆様は司教の慰め、励まし、希望です。どうか祈りをもって、言葉と日々の働きをもって司教を助けてください。奉献生活者の皆様、日々の生活の使徒職をもって、神の国の到来をこの東北4県に住む人々に示し、人々の希望となってください。
どうか皆様、よろしくお願いします。