教区の歴史
神の母聖マリア・世界平和の日 ミサ説教
2006年01月01日
2006年1月1日、東京カテドラル聖マリア大聖堂にて
主の降誕8日目にあたる1月1日は、神の母聖マリアの祭日であり、同時に「世界平和の日」であります。聖母マリアの取次ぎによって、心を合わせて世界の平和のために祈りましょう。
世界の平和のためにすべきことは何であるかと問えば、まず祈ることです。一緒に心を合わせて祈ることです。今日の福音の中で「マリアはこれらの出来事をすべて心に納めて、思い巡らしていた」とあります。わたしたちも、主イエスの生涯の出来事とみことばを心に留めて思い巡らし、真理であるキリストを信じキリストに従って歩んで参りましょう。平和とは真理であるキリストに従って生きることから生まれる実りであります。真理であるキリストに従って生きるとは、キリストにおいて現れた神の愛を信じること、神がわたしたちをかけがえのない大切な人として創造されたこと、そして神の幸福へと導いてくださることを信じて生きることです。罪のゆるしを信じ神の愛を受けて生きることです。平和とは神の愛を信じた結果与えられる恵みです。
ところで、有名な聖アウグスチヌスは「平和とは秩序の静けさ」という、有名な言葉を残しました。ここでいう「秩序」とは神のお望みになる人とこの世界の在り方ではないかと思います。ですから平和は単に個人のレベルにとどまりません。地上に神の望みを実現する努力が求められます。
『地上の平和』という有名な回勅(ヨハネス23世)があります。このなかで次のように言われています。「平和は、真理の土台の上に立ち、正義によって築かれ、愛によって生かされ、完成され、最後に、自由において有効に表現される秩序に基づかないならば、意味のない語に過ぎない。」
今年の「世界平和の日」の教皇ベネディクト16世のメッセージのテーマは「平和は真理のうちに」です。教皇は言われます。「わたしたちには、真理と正義、自由と愛のうちに、人類の歴史を神の秩序にかなうものとするという責任がある。」確かに平和とは神のお定めになり、神のお望みになる真理に従ってこの世界を構築していく働きの成果です。人が真理に従って歩むということは、いかなる偽り、虚偽をも拒否し、良心に従って誠実に歩む、ということであります。これは誰にとっても、どんな宗教にとっても、もっとも基本的なルールであり、人間の信頼関係の基礎の中の基礎であります。聖書によれば、嘘・不誠実は不和と混乱を生み出す憎むべき悪であり、悪魔は最初から巧妙な嘘によってアダムとエバを騙してこの世界に混乱と不和を持ち込んだのでした。
「誠実に」ということは自己の信じる真理を他者に強制する、ということではありません。時々見られる狂信的な原理主義はこの過ちを犯しています。真理は真理自体の持つ価値と輝きによって人の心を優しく征服するものであり、決して暴力によって支配するものではありません。暴力によって信仰あるいは信念を強制することは、人間の尊厳に対する冒涜であります。宗教、民族、信条、宗派、文化などの相違を超えて、共に人間の尊厳を尊重しながら、互いに耳を傾け合い、同時に、祈りのうちにこの世界と人類のうちに存する普遍の法則、秩序を認め合い、その建設のために力を合わせようではありませんか。ことしはとくに「平和」のために、宗教と主義・主張を超えて真理において連携し連帯するべきとき、そして共に祈るべきときである、と信じます。
今年は「平和」のためのモットーとしてとくに「共に、祈りのうちに真理を求め、真理と共に歩み、神と人に対していつも誠実であること」を心に刻みたいと思います。祈り、真理、真実、これは平和の礎です。
皆様の心のうちに、家庭の中に、地域に、世界に主の平和が豊に注がれ、広がり深まっていきますよう祈ります。