教区の歴史
主の降誕(夜半のミサ)説教
2005年12月25日
2005年12月24日午後10時、東京カテドラル聖マリア大聖堂にて
羊飼い達に現れた天使は言いました。「わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである」
イエス・キリストの誕生の知らせはすべての人にとって大きな喜びの知らせ、福音であります。
今日、全世界でイエス・キリストの誕生が祝われます。救い主の誕生の喜びはすべての人の誕生といのちの喜びであります。わたしたちは今日共に、自分の誕生といのちを喜び祝うのです。
しかしわたしたちが生きているこの世界の現実には厳しいものがあります。この世界にはわたしたちから喜びを奪い妨げる深刻な悪が存在します。例えば、戦争、紛争、殺戮、差別と虐待、テロなどの暴力、貧困と飢餓などの悲惨な現実です。それは決してあってはならないことです。このあってはならないことが現に人間のいのちを脅かし損ない傷つけ奪い去っているのです。そしてこのような悪を行っている、あるいは加担しているのはほかならぬわたしたち人間であります。例えば、戦争や差別は人間の行う悪です。そしてこのような悪に引き込まれてしま うわたしたちの心の弱さと罪が存在します。戦争や差別などが起こる原因には、人間の心の恐怖、憎悪、貪欲が深くかかわっています。
ところで今日、わたくしはさらに人間の心に存在する、孤独と不安ということについて話したいのです。この孤独、不安がわたしたちから生きる喜びを奪いあるいは生きる力を妨げている、ということを指摘したいのです。
日本では実に年間、およそ3万5千人もの人が自らのいのちを絶っています。未遂に終わった人の数はその10倍、それ以上と推定されます。人が自分のいのちを絶つには深刻な理由、事情がおありでしょう。わたしたちは厳粛な気持ちでこの事実を受け止めたいと思います。
先日、うつ病で自殺を図った人々の治療に当たられた医師の話を聞きました。彼らの心の底には深い孤独感と絶望がある、とその医師は言います。人との温かいかかわりの欠如、そして明日への希望の喪失。これは現代人がしばしば襲われる誘惑であります。自分の生、存在を肯定し喜び祝うことができない状態なのです。
また最近、次のようなことが報道されています。2005年に生まれた子どもの数が死亡者数を1万人下回り、日本の人口の減少が始まった、とのことです。子どもが減っていくその背景には、経済的負担ということがありますがさらに、将来への不安などから子どもを 産めない、ということもあるようです。いま人々は明日への不安、漠然としているかもしれないが、展望が開けないという不安を感じています。明日に希望するということが難しいという時代に生きているのか、とも思われます。
しかし今日わたしは言います。イエス・キリストの誕生と生涯、特に復活は、人類に連帯と希望をもたらしました。キリスト者はその証人です。
わたし達人間は、日々の小さな行為、わたしたち自身の存在によって、互いに生きる支え、喜びとなることができるのです。そして人となられた神イエス・キリストを信じるわたしたちは、その信仰を生きることによって、人類の未来、明るい未来への希望のしるしとなっているのです。
きょうのこの集い、まさにクリスマス、すなわちキリストのミサに集い祈っているすべての皆さんに、このミサは互いに支え励まし合い、明日への希望をより確かで明るいものとする素晴らしい恵みのときなのです。この喜びをより多くの人々、とくに孤独と不安に苦しむ悩む人々と分かち合うことがきますよう、切に祈りましょう。