教区の歴史
クリスマス・新年メッセージ
2003年12月08日
2003年12月8日
東京教区の信者の皆様
主の降誕と新年おめでとうございます。 新しい年のはじめにあたり、 世界の平和と皆様のご健康・ご多幸を心からお祈りいたします。
今年は敗戦後59年、 来年はちょうど60年になります。 わたしたち日本人はこの60年の間に、 廃墟と貧困のなかから立ち上がり、 国際社会のなかで経済の発展に活路を求め、 必死の努力を重ねてまいりました。 その結果が高度経済成長です。 日本は未曾有の経済発展を遂げました。 しかし、 そのために払った犠牲は決して小さなものではありませんでした。 経済の発展は90年代に入ってまもなく挫折し、 以来今日まで経済不況という暗雲が日本社会を覆っています。 高度経済成長、 その後の挫折と行き詰まりという体験はいま、 日本人の心に暗い影を落としています。
高度経済成長政策は、 何よりも経済価値を優先しました。 その結果 「カネがすべて」 という風潮が人々の心をとらえました。 お金がなければ何もできない、 お金さえあれば何でもできる、 という考えが人々の間に蔓延しました。 人々は多くの所得をめざし、 そのために家庭の団欒も地域での暖かい交流も犠牲にしなければなりませんでした。 その結果が都市への人口集中、 地縁社会と家庭の弱体化、 人と人との暖かいふれあいの減少、 社会における競争の激化と管理の強化、 経済至上主義と消費主義などの現象です。
そのような現実のなかで多くの人が将来に不安を抱え、 孤独に苦しんでいます。 日本人の平均寿命はいまや世界一となりましたが、 年間の自殺者数も増え続け、 ここ数年は毎年3万人を超えるようになりました。 少なからぬ人々がさまざまな心の問題、 障害、 依存症、 うつ病、 家庭内暴力などに悩んでいます。 まさに現代日本社会は 「病める社会」 です。
「旅する教会」 であるわたしたちもこの悪しき影響を免れることはできませんでした。 物より心を大切にし、 隣人を自分のように愛さなければならないキリスト者も、 経済優先の傾向に流され打ち負かされ、 自分たちの豊かで安定した生活を追い求め、 結果的にもっと大切なことを見逃してしまうことになったことを、 いまわたしたちは心から反省したいと思います。
イエスは言われました。 「富は天に積みなさい」 「あなたがたは、 神と富とに仕えることはできない」 (マタイ6・20、 24)。 わたしたちは日々祈っています。 「み国が来ますように。 」わたしたちは自分の心を富に支配させてはならないのです。 富を神の支配のもとに置かなければならないのです。
イエスはまた言われました。 「ただで受けたのだからただで与えなさない」(マタイ10・8)。
わたしたち教会は地上の財貨を委ねられています。 その財貨を使って何をしたか、 どのように神の期待に応えたか、 キリストの生き方に従って歩んだか、 ということが問われます。 第二バチカン公会議は告白しました。 「現代においても、 教会の説く教えと福音を託された者の人間的弱さとの間に、 大きな隔たりがあることを教会は知っている」 だからこそわたしたち教会はその隔たりをなくすために努力し戦わなければなりません。 (現代世界憲章43参照)。
わたしたちは個人としても教会としても、 司教も司祭も修道者も含めて全信者が、 それぞれ自分に委ねられている財貨をどのように活かしているのか、 よく調べ、 さらにこれからどうしたら主のみこころに適うのか、 祈りのうちに真剣に探し求めるべきです。 その際、 次の聖書の教えをしっかりと心に刻みつけたいと思います。
「各自、 不承不承ではなく、 強制されてでもなく、 こうしようと心に決めたとおりにしなさい。 喜んで与える人を神は愛してくださるからです」 (コリントの信徒への手紙二 9・7)。
主なる神が、 聖霊の派遣を通して、 「旅する教会」であるわたしたちを絶えず清め新たにし、 日々、 古い人から新しい人へと生まれ変わらせてくださいますよう、 祈りましょう。
主イエス・キリストの恵み、 神の愛、 聖霊の交わりが皆さんと共にありますように。
2003年12月8日 (無原罪の聖マリアの祝日)