教区の歴史

教区の歴史

碑文谷教会 堅信式

2003年10月12日

2003年10月12日、碑文谷教会にて

 

「行って持っているものを売り払い、貧しい人々に施しなさい。そうすれば、天に富を積むことになる」。イエスからそのような答えを受けた「富める青年」は「悲しみながら立ち去った。沢山の財産を持っていたからである」、とマルコ福音書は告げています。

この青年は誠実でまじめな人でした。ですからイエスにこのような質問、「永遠の生命を受け継ぐには、何をすればよいのでしょうか」という質問をしたのだと思います。この青年にイエスはとても無理なことを言います。財産を全部処分するというのはすぐにはできないことです。それなのにイエスはさらに「金持ちが神の国に入るよりも、らくだが針の穴を通るほうがまだ易しい」とさえいうのです。

そんなことは無理だと弟子達も考えたでしょう。

それでは金持ちは神の国に入れないのか。弟子達は驚きます。そのときイエスはきっぱりと宣言します。「人間にはできることではないが、神にはできる。神には何でもできるからだ」。

この青年の立場にわたしたちはある程度同情します。同じような気持ちがわたしたちのなかにあるのではないでしょうか。イエスのことばに驚く弟子達の反応もわたしたちの反応です。そんなことは無理だ、という気持ちになります。

わたしたちはこのイエスの教えをどのように受け取ったらよいでしょうか。個人として、教会として、聖堂共同体(小教区)として、宣教共同体として、また教区として、日本のカトリック教会としてこの勧めをどのように実行することができるでしょうか。

大きな課題です。

東京教区の教区司祭の間で何度も司祭の収入の問題を話し合ってきました。これから司祭給与についてさらに考えていこうとしています。

教区としても財政の在り方の見直しを図っています。10月4日には各教会の財務担当者にお集まりいただき、本部献金の改定について説明しご理解くださるようお願いしました。教会にとって「お金」の問題は微妙であり難しい問題ですが非常に大切なことです。教会がこの世の財産に対してどのような態度をとるのか、どのように用いるのか、ということはイエスにどのように従うのか、ということにつながることです。富んでおられたのにわたしたちのために貧しくなられたイエス・キリストに倣い、貧しい人とともに歩むことが教会の道であると考えます。

東京教区がおかれている現実の中で貧しい人とはいったい誰でしょうか。貧しい人に施すとはどうすることでしょうか。

東京教区はいま3つの優先課題への取り組みによってこのイエスの呼びかけに応えようとしています。優先課題の一つは難民・移住者・移動者の司牧です。CTIC(カトリック東京国際センター)を中心にこの課題に取り組んでいます。外国から来られた方々は多くの困難・問題に遭遇しています。この人々を生活の面からも信仰の面から支え助けなければなりません。これは実に教会にとって本質的な重要な使命です。

このたび、教皇庁・難民移住移動者司牧評議会議長の濱尾大司教様が枢機卿に任命されたことを皆様ご存知でしょう。この任命によって教皇様が課題を重視しておられることが示されました。これは日本の教会にとっても大きな喜びです。

もうひとつは「心のケア」という課題です。

現代において貧しい人とは寄留者でありまた心の問題で悩み苦しむ人々であると思います。

東京教区では財団法人「東京カリタスの家」で家族の問題などの相談を担当してきました。

いま「東京カリタスの家」の活動の評価を行いながら教区としての今後の取り組みを検討しています。

「行って持っているものを売る払い、貧しい人に施しなさい」とはどういうことか。いまこのことばがわたしたちに向けられているのです。わたしたちは自分の時間、体力、財産、金銭を貧しい人々のために用いるよう求められています。

「人間にはできることではないが、神にはできる。神には何でもできるからだ」。

このイエスの言葉に励まされてこの課題に取り組んでまいりましょう。

今日堅信を受けられる皆さん、皆さんはご自分の何をどのように、貧しい人のために使いますか。このことをしっかり考え祈り求めてください。豊かな聖霊の賜物が与えられますように。