教区の歴史
聖ペトロ聖パウロのミサ
2003年06月29日
2003年6月29日、東京カテドラル聖マリア大聖堂にて
「あなたはペトロ。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てる。陰府(よみ)の力もこれに対抗できない」。イエスが使徒ペトロに言われたことばです。わたしたちの教会はペトロという岩の上に建てられました。このペトロがローマで殉教します。ペトロの後継者がローマの司教であり、ローマの司教は使徒たちの後継者である司教たちの中で特別な地位を占めること、すなわち首位権をもっていることをすべてのカトリック信者は信じています。ローマの司教は教皇と呼ばれます。現在の教皇はいうまでもなくヨハネ・パウロ 2世です。264人目のローマ司教で、1978年に就任されましたのでことしで25年の在位、となります。
この25年の間の教皇様の働きは信者だけでなく全世界の人々によく知られています。彼は単にカトリック教会の最高責任者としての任務を果たして来られたばかりでなく、人類の偉大な指導者として、世界の平和と進歩のために力を尽くしてこられました。
教皇のお仕事にはわたしたちには想像もつかないほどの重い責任が伴います。そのご苦労はいかばかりでしょうか。それなのに教皇は驚異すべきすばらしい働きを展開してこられました。この重責を果たすのは人間業ではありません。人間を超える神の力に支えられ導かれて始めてできることです。まさに聖霊の働きによらなければできないことです。わたくしはそのように強く感じています。
とはいえ人間としての彼の歩みは厳しいものでした。1982年には銃撃で瀕死の重傷を負われました。その後も怪我や病気に苦しめられながら今年は83歳の高齢を迎えられます。ご様子をお聞きするにつけても人間としての力の衰えは否定できません。先日、教皇は次のように言われたと報道されています。「どうか皆さん、わたしのために祈ってください。今もそしてなくなった後も」。
もちろんわたしたちは毎日教皇のために祈っています。それでも今日は特別にペトロの後継者のために祈る日です。そして聖ペトロ使徒座献金の日です。わたしたちの心からの祈りと奉納を一つにして主のみ前におささげいたしましょう。
さてペトロと並ぶ教会建設の礎は聖パウロです。彼は異邦人の使徒と呼ばれます。今日の朗読で次のように言っています。「わたしを通して福音があまねく述べ伝えられ、すべての民族がそれを聞くようになるために、主はわたしのそばにいて、力づけてくださいました」。
ユダヤ人の世界で始まったイエスの教会をギリシャ人・ラテン人の間に広め発展させた最大の働き手はパウロであります。
パウロの時代から長い年月がたって、1549年、この極東の島国日本にも福音がもたらされました。そのときから4世紀半が経過しました。日本での福音化の働きはまだまだという感じです。統計の上でも国民の 0.356パーセントでしかない、と報告されています。
とはいえ、いま信者の数の問題よりも、わたしたち自身の在り方を反省してみる必要があるのではないでしょうか。もっともっと力強い証が必要です。
先日聞いたことですが、この450年間に日本の教会が神様にささげた殉教者はおびただしい数に登ります。3万、4万あるいは5万という人もいます。実際驚くほどの数字です。 これは大変なことです。わたしたちの先祖達はいのちをかけて信仰を証したのです。殉教者の際立った模範はその強い信仰と勇気です。この事実はわたしたちに勇気を与えてくれます。彼らはわたしたちと同じ弱い人間でした。その弱い人間のなかに神の恵みが働いたのです。先祖達に下さった同じ恵みをわたしたちに下さらないわけがあるでしょうか。
殉教とは信仰の証です。現代のあかしはキリシタン時代のそれとは異なります。とはいえ今の時代、勇気を持っての証が求められているのではないでしょうか。
東京教区は今年の復活祭を期して新しい在り方、宣教協力体を始めました。神父様方を始め教区の皆様のご理解ご協力にこころから感謝いたします。
これからの教区の歩みの上に主なる神の導きと励ましを切に祈ります。そして今日はこの願いを、とくに日本の聖なる殉教者の取次ぎを通して主の御前におささげいたしましょう。