教区の歴史
サレジオ会司祭叙階式訓話
2003年03月01日
2003年3月1日、下井草教会にて
朗読箇所
イザヤ61:1-3,10-11
エフェソ4:1-7,11-13
ヨハネ福音書 15:9-17
ペトロ 関谷 義樹さん
マキシミリアノ・コルベ 田村 寛さん
お二人の司祭叙階式に際して司式司教として申し上げます。
本日の福音のなかで主イエスは言われます。「互いに愛し合いなさい。これがわたしの掟である」(ヨハネ15:12)。また次のようにも言われました。「あなたがたに新しい掟を与える。互いに愛し合いなさい。わたしがあなた方を愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。互いに愛し合うならば、それによってあなたがたがわたしの弟子であることを皆が知るようになる」(ヨハネ13:34-36)。
皆さん、わたしたち教会の使命は福音宣教・福音化ということです。福音化はすべての信者の任務ですが、とくに司教・司祭にとって大切な任務であります。
ところで福音化とは何かと言えば、まず神の愛を伝えることだ、と言いたいと思います。神の愛を生き、伝えることこそ福音化の働きです。
もしわたしたち教会共同体が神の愛を生きていなければどんなに雄弁な説教をすることができたとしてもその言葉は空しく消えてしまい、人々の胸には響きません。それどころか反発、軽蔑をもって報われてしまうことでしょう。
大切なのはわたしたち自身がこのキリストの言葉をどのように生きているのか、ということです。
教会はキリストの愛のしるし、安らぎ、癒し、いたわり、励まし、助け合いの交わりでありネット・ワークでなければなりません。わたしたちはすでにある程度そうなっています。でも決して十分ではないのです。人々はわたしたちを見てそこに救いを感じているでしょうか。自分たちも仲間になりたいと思うでしょうか。
わたしたちの教会は聖なる教会であると共に旅する教会であり、罪人の教会です。わたしたち自身がまずゆるしと癒しを必要としていることを認めなければなりません。
司教・司祭にとってそのことはもっと大切です。わたしたちは人に神の救い・癒しを伝え宣言するものですが、自分自身、生涯にわたって絶えず救われ癒されなければならないものであることを肝に銘じていなければなりません。
関谷さんと田村さん、
あなたがたはサレジオ会の司祭として叙階され、上長より任務に任じられます。修道司祭としての長い道のりが待っていることでしょう。困難に出会うこともあります。その際、上長を信頼し上長に相談することがまず大切です。また信頼できる友人に問題を打ち明けることもよいことだと思います。とくに今日一緒に叙階されるお二人は一生、よき友として助け合い励まし合ってください。
神は人間の弱さのなかに恵みを働かせてくださることを忘れないでください。
いまわたくしが叙階式を司式しています。しかしあなた方がこれからどこの教区で働くようになるのかわかりません。でも、どこで働くにせよ、司祭は司教の協力者です。派遣された教区の司教とのよき連絡と相互理解のもとに司祭職を遂行するようお願いいたします。