教区の歴史
第12回インターナショナル・デイにおける国際ミサの説教
2002年04月21日
2002年4月21日、東京カテドラルにて
イエス・キリストによって結ばれた親愛なる友へ。
本日私たちは、『私を平和の道具としてください』というテーマのもと、2002年・第12回インターナショナル・デイを祝っています。
アシジの聖フランシスコのものとして知られているこの祈りを私たちは良く知っています。
さて、この祈りの言葉を思い出し、この崇高な祈りについて少し考えてみましょう。
主よ、私を平和の道具にしてください。
憎しみのあるところに愛を
争いのあるところに和解を
分裂には一致を
疑いには信仰を
誤りには真理を
絶望には希望を
悲しみには喜びを
闇には光をもたらすことができますように。
聖なる主よ、私たちがあれこれ求めることをやめ
かえって慰められようとするよりも慰めることを
理解されようとするよりも理解することを
愛されようとするよりも愛することを
望ませてください。
恵みのうちに恵みを受け
許しのうちに許され
死のうちに永遠に生きるのだから。
平和のために働くということはキリスト教徒にとって基本的な義務です。私たちの主であるイエス・キリストは言っておられます、『平和を実現する人々は幸いである。その人たちは神の子と呼ばれる』(マタイ5・9)
主の全生涯は人々に平和をもたらすために捧げられました。主はすべての民族の救済と平和のために自らを十字架に捧げられました。
聖フランシスコはイエスの平和の教えを最も良く理解し且つ実践した者のひとりでした。この祈りは聖フランシスコ自身の人生から生まれたのかもしれません。
憎しみと復讐の心は、誰もが平和の実現者になるべきであるというキリストの教えと一致しません。使徒パウロが『ローマの信徒への手紙』の中で言っています。(ローマ12・17~21)
だれに対しても悪に悪を返さず、すべての人の前で善を行うように心がけなさい。
できれば、せめてあなたがたは、すべての人と平和に暮らしなさい。
愛する人たち、自分で復讐せず、神の怒りに任せなさい。「『復讐はわたしのすること、わたしが報復する』と主は言われる」と書いてあります。
「あなたの敵が飢えていたら食べさせ、渇いていたら飲ませよ。そうすれば、燃える炭火を彼の頭に積むことになる。」
悪に負けることなく、善をもって悪に勝ちなさい。
親愛なる友よ。私たちは、我々人類が非常に困難な状況にあることを認めなくてはなりません。平和は絶えずおびやかされています。私たちはいつどこにあっても平和を築き、平和のために働き続けなくてはなりません。
皆さまが本日の祝祭を、国と文化の差異を越えての出会いと相互理解のすばらしい機会としてのみならず、平和のために働くための、そして平和への献身の心を強めるための大切な機会とされることを願っております。
主が聖霊を通じて私たちに勇気と力を授けてくださいますようお祈りしましょう。アーメン。