教区の歴史

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ルカ荒井金蔵師 通夜の祈り

2014年08月25日

ルカ荒井金蔵師 通夜の祈り
(1918年1月8日〜2014年8月23日)

 

2014年8月25日 東京カテドラル聖マリア大聖堂にて

 

聖書朗読(ヨハネ6・30-40)

〔そのとき、〕イエスは言われた。「わたしが命のパンである。わたしのもとに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者は決して渇くことがない。しかし、前にも言ったように、あなたがたはわたしを見ているのに、信じない。父がわたしにお与えになる人は皆、わたしのところに来る。わたしのもとに来る人を、わたしは決して追い出さない。わたしが天から降って来たのは、自分の意志を行うためではなく、わたしをお遣わしになった方の御心を行うためである。わたしをお遣わしになった方の御心とは、わたしに与えてくださった人を一人も失わないで、終わりの日に復活させることである。わたしの父の御心は、子を見て信じる者が皆永遠の命を得ることであり、わたしがその人を終わりの日に復活させることだからである。」

 

ホミリア 

ルカ荒井金蔵神父は、8月23日(土)午前1時59分、飯田橋の東京逓信病院で96年を超える地上の旅路を終え、神のもとへと旅立って行かれました。

近年はペトロの家で比較的おだやかに過ごしておられましたが、3ヶ月前の5月21日(水)の午前中、急に言葉がしゃべれず、意識も遠のいた状態になり、東京逓信病院に入院することになりました。救急車を待つ間に、病者の塗油の秘跡をお授けしました。ほんとうに危ない状態だと思ったからです。しかし、その後、意識を取り戻し、「今回は死なないと思っていた」とおっしゃったそうです。それから病状はやや落ち着き、一時、病院からペトロの家に戻られたこともあります。ただ、8月3日の日曜日には重篤な状態になり、ペトロの家の浦野神父、ご家族・ご親戚が病室に集まる中で、もう一度病者の塗油の秘跡をお授けしました。それでもさらに3週間、いのちの火を燃やし続けておられました。ご家族ご親戚や逓信病院の緩和ケア病棟のスタッフの皆さん、ペトロの家のスタッフに支えられて最後の日々を過ごされました。わたしが最後にお会いしたのは亡くなる2日前でした。浦野神父から、ラテン語の聖歌を歌うと反応されるという話を聞いていたので、枕元でラテン語の聖歌を歌って差し上げましたが、少し反応があったようなご様子でした。 

関口教会の主任司祭やカテドラルの担当司祭を長くお勤めになりました。1999年に引退後もカテドラルの構内にある司祭の家にお住みになり、最後の4年間はペトロの家でお過ごしになられたのですから、たいへん長い間、このカテドラル構内にお住みになったことになります。

この数年、わたしはペトロの家で一緒にミサや食事をさせていただくことになりましたが、たくさんの昔話を聞かせていただきました。 

浅草教会のすぐそばに家があったこと。生まれたとき、非常に弱かったので、生まれたその日に浅草教会の外岡金声神父から洗礼を授けられたこと。外岡神父の名前から一字もらって「金蔵」という名がつけられたこと。5歳のとき体験した関東大震災の記憶。パリ外国宣教会のリサラグ神父の勧めで、暁星中学に行くことになった話。フランス語の世界に驚いた話。若い頃、出会って影響を受けた宣教師や司教のこと。昔のカテドラル構内の桜並木の話や、江戸川橋や飯田橋界隈のこと。軍隊の話。中国に送られて負傷し、召集解除になって日本に帰って来た話。爆撃で亡くなった神学生のことなど。

戦後では、関口教会の主任司祭の時代に建てられた東京カテドラル聖マリア大聖堂のこと、そしてその後、教会での結婚式がブームのようになって、カテドラルで年間500組も結婚式があったという話。本当に昔のことをよく覚えておられて、話し始めると止まらないのです。

一つ質問すると、それに答えて何十分でも話し続ける。その話からいつも感じさせられたのは、荒井神父の東京教区の教会に対する愛でした。愛を込めて、とても楽しそうに話されるのです。ですからさえぎるのが辛かったです。こちらに時間の余裕がないときには、うっかり聞けませんでした。でも本当に東京教区の教会の歴史の生き証人のような方ですので、もっともっとお話を聞いておけばよかったと思っています。 

あまり聖書の話をした記憶はないのですが、2010年1月の『東京教区ニュース』のインタビューに答えて、好きな聖書の言葉として上げておられたのが、先ほど朗読した箇所の結びの言葉です。

「わたしをお遣わしになった方の御心とは、わたしに与えてくださった人を一人も失わないで、終わりの日に復活させることである。わたしの父の御心は、子を見て信じる者が皆永遠の命を得ることであり、わたしがその人を終わりの日に復活させることだからである。」

神はいのちの与え主、その神の恵みによってわたしたちは日々生かされている。そのいのちは地上の生活で終わってしまうものではなく、神のもとに至り、最終的に神のもとで永遠の神のいのちにあずかることになる。荒井神父は長い人生、長い司祭生活をその神の約束に信頼しながら生き抜きました。忠実に司祭として歩みとおしました。

もういろいろなお話が聞けないと思うと残念で、淋しい思いがします。でも今日、わたしたちは荒井神父を偲んで一つに集まり、祈ります。神が荒井神父の至らなかった点をゆるし、みもとで永遠のいのちの喜びに与らせてくださいますように、と。そして、残されたわたしたちも日々、神の恵みといのちに支えられ、感謝をもって、神に忠実に生きることができるよう、心を込めて祈りたいと思います。