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教会学校リーダーの皆さんへ 「東京教区こどものミサのお知らせ」

2012年08月15日

教会学校リーダーの皆さんへ
「東京教区こどものミサのお知らせ」

 

2012.8.15
東京教区教会学校委員会
※10/3 音源を追加しました。

 

2012年度東京教区「こどものミサ」

 

【日時】  2012年10月14日(日) 午後2時半~5時
【場所】  東京カテドラル関口教会「聖マリア大聖堂」&前庭
【テーマ】 「祈りを教えてください」(ルカ11・1) - 「父よ」・イエスさまのまなざし-
⇒ミサで歌う曲、参加申込みハガキの控え

 

 今年も東京教区主催の「こどものミサ」が、10月14日(日)午後2時半から、東京カテドラルにておこなわれます。「こどものミサ」では、毎年参加される小教区ごとに、テーマに基づいた奉納物を準備していただき、当日のミサで奉納するという形をとっています。

そこで、今年のテーマについて、テーマに関するカテケージス(教え)、奉納物など、教会学校リーダーの皆さんに、当日までに子どもたちと共に準備していただきたい事についてお知らせします。

 

 

=お知らせの内容=

1.テーマについて
テーマとなっている聖書の箇所についての説明です。子どもたちとより豊かな準備が出来る様に、リーダーの皆さんもテーマとなっている聖書の箇所を深く味わってみてください。

2.カテケージス(教え)
「1.テーマについて」および「2.当日までに行なっていただきたいカテケージス(教え)」を参考にしながら、当日までに子どもたちにカテケージス(教え)を行ってください。

 3.奉納物の説明
製作していただく奉納物についての説明と注意点、製作時のヒントなどをまとめました。製作した奉納物は、こどものミサ当日に持参してください。 ミサ中に奉納して頂きます。


1.テーマについて
「祈りを教えてください」(ルカ11・1)
 -「父よ」・イエスさまのまなざし-

 

今年のテーマとなっている聖書の言葉は、弟子の一人がイエスさまに向かって言った言葉です。イエスさまがある所で祈っておられた時、祈りが終わると、弟子の一人がイエスさまにお願いして言ったのです。その時にイエスさまが教えられた祈りが、わたしたちが最も大切にしている「主の祈り」です。ルカ11章1~4節を一度お読みいただきたいと思います。

イエスさまはある所で祈っておられました。

祈りが終わると、弟子の一人がイエスさまに、「主よ、ヨハネが弟子たちに教えたように、わたしたちにも祈りを教えてください」と言いました。

そこで、イエスさまは言われました。

「祈るときには、こう言いなさい。

 

『父よ、

御名が崇められますように。

御国が来ますように。

わたしたちに必要な糧を毎日与えてください。

わたしたちの罪を赦してください、

わたしたちも自分に負い目のある人を皆赦しますから。

わたしたちを誘惑に遭わせないでください。』」

(ルカ11章1~4節参照)

この箇所は「祈るときには」という小見出しがついているところで、ルカ版の「主の祈り」(通常祈られる「主の祈り」はマタイ版のものです)が教えられる個所です。イエスさまはここで、祈りの言葉と共に、祈るとはどういうことなのか、を教えておられます。

今回の「こどものミサ」では、テーマとして「祈りを教えてください」という弟子たちの言葉を選び、また、サブテーマとして-「父よ」・イエスさまのまなざし-という言葉をもうけました。

わたしたちは日々祈り、願い、求めつつ生きておりますが、本当に願い求めるべきものは、父である神さまとの一致だと思います。イエスさまこそ、父である神さまとの一致そのもの。イエスさまは「父である神さまが、ご自分にすべてをくださっている」(ルカ15・31参照)という神秘をいつも見て、いつも出会っておられました。イエスさまはおん父のまなざしに、いつもご自分のまなざしを向けておられたのだと思います。

イエスさまこそ、父である神さまとの一致そのもの。イエスさまはわたしたちをも、ご自分のまなざしのなかに入れようとして「主の祈り」を教えられたのだと思います。

キリスト者が最も大切にしている「主の祈り」を祈ることを通して、「父よ」と呼ぶ、イエスさまのまなざしに加わり、おん父への一致に向かう者となりますようにと、今年のテーマを設定しました。

ここでは福音書の言葉に解説を加えながら、テーマについて説明したいと思います。

 

「わたしたちにも祈りを教えてください」

イエスさまはある所で祈っておられました。ルカの福音書の中には、一人で祈るイエスさまの姿が、何回も登場します。それはまさに、おん父神さまとの特別な一致の時だったのでしょう。祈りが終わると弟子の一人がイエスさまに「主よ、ヨハネが弟子たちに教えたように、わたしたちにも祈りを教えてください」と頼みました。イエスさまがおん父と一致して祈るのを見て、「自分たちもそのように祈りたい」と思ったのかもしれません。 

 

「祈るときには、こう言いなさい」

弟子の願いに対して、イエスさまは言われました。

 

「祈るときには、こう言いなさい」

 

何をどう祈ればよいのか、また、祈りとは何かもよく分からない弟子たち、わたしたちのために、イエスさまは「祈るときには、こう言いなさい」と言われました。

お母さんが小さい子どもに「人から何か頂いたら、『どうもありがとう』を言いなさい」と教えるように、そして頭を「ぐい」と下げさせるように、イエスさまも弟子たちに「祈るときには、こう言いなさい」といって、言うべき言葉を教えてくださったのです。そして、言うべき言葉だけでなく、神さまとの関係も教えてくださったのです。「父よ」と呼べとおっしゃる。「おとうさん」と言いなさいと言って、その関係をお教えになられたのだと思います。

 

「父よ、御名が崇められますように」

イエスさまが「父よ」と呼びかけなさいと教えた、「御名が崇められますように」と教えた、天の父である神さまとは、どのようなお方なのでしょうか。

福音書の中で、イエスさまはいろいろな言い方で、父である神さまのことを紹介しておられます。

 

「(あなたがたの天の)父は悪人にも善人にも太陽を昇らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降らせてくださる」(マタイ5・45)

「子よ、お前はいつもわたしと一緒にいる。わたしのものは全部お前のものだ」(ルカ15・31)

 

イエスさまは、「父である神さまは、悪人にも善人にも、正しい者にも正しくない者にも、太陽を昇らせ、雨を降らせてくださる」お方なのだとおっしゃいます。しかし、それはただ太陽や雨だけのことを言っているのではありません。「わたしのものは全部お前のものだ」と言われるように、父である神さまは、善人にも、悪人にも、ご自分のすべてをお与えになっておられるお方なのです。

ご自分のすべてとは、ご自分のいのちそのもののことです。

ご自分のいのちそのものを、太陽や雨のように、善人にも悪人にも注いでくださっているのです。それが、天の父である神さま。その、父である神さまの「御名が崇められますように」と祈りなさいと、イエスさまはおっしゃるのです。

「御名」とは、父である神さまの存在そのものを指します。日本語でも「名は体をあらわす」という言い方があるように、「御名」とは父である神さまそのもののことです。

ですから、「父よ、御名が崇められますように」とは、善人にも悪人にも、ご自分のいのちのすべてを注いでお与えになっておられる神さまのその真実が、真実として崇められますように、という祈りなのだと思います。

「御名があがめられますように」とは、すべての人の内にお住まいになっておられる、神の真実を、わたしたちが受け取らせていただくことを通して実現していくことではないでしょうか。

 

「御国が来ますように」

「御国」=神の国、とは、神の支配、という意味です。神さまのみ手の業が、神さまのみ手の業として受け取られ、出会っている世界。それが御国=神の国です。

神さまがご自分のいのちそのものを、太陽や雨のように、善人にも悪人にも注いでくださっている、その真実を、真実として受取り、出会っている世界。それが御国=神の国です。

神さまはもう、注いでくださっているのです。しかし、わたしたち人間がその愛を受け取らなければ、出会わなければ、実らないままになってしまいます。

神さまの愛に出会って、実っている関係、「御国」=神の国が来ますように。

これはわたしたち人間にかかっています。

すべての人の内に、すでにいてくださる神さまの真実に、わたしたちが出会っていくことを通して、神の国が実現していくからです。

神さまは待っておられるのです。

 

「わたしたちに必要な糧を毎日与えてください。」

必要な糧。生きるために糧が必要です。しかし「人はパンだけで生きるものではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きる」(マタイ4・4)とあります。聖書の理解では、「パンだけで生きる命」は「死」(ルカ15・32参照)です。神の口から出る言葉=「永遠」によって養われる時、始めて「生きる」ものとなります。

その糧を、毎日与えてください。

 

「わたしたちの罪を赦してください、わたしたちも自分に負い目のある人を皆赦しますから。」

神の赦しと人間の赦しは、ギブ&テイクのような、等価交換のようなものではありません。

「神の赦し」と、「人間のする赦し」は違います。

「神の赦し」とは、悪人にも善人にも、ご自分のいのちのすべてを注いでおられること、共にいていただく資格などないわたしたちに、共にいてくださるということだと思います。神さまは先にわたしたちを愛されたのです。赦されたのです。

「人間のする赦し」とは、悪人にも善人にも神が共にいてくださるということを「認める」ことだと思います。認めるだけです。神の赦し、神の愛を「認める」だけです。

「神の赦し」はある意味で、もう完了しています。もうすでに共にいてくださるからです。でも、その「神の赦し」をわたしたちが認めない限り実らない。だから、「わたしたちも自分に負い目のある人を皆赦しますから」というのだと思います。

自分に悪を行ってくる相手にも、自分が嫌いな人にも、「神が共におられる」と認める。これが、人間のする赦しだと思います。そしてその時、「神の赦し」つまり、こんなわたしにも神が共にいてくださる、という神秘に出会わせていただくのです。そのことを「わたしたちの罪を赦してください」と言っているのだと思います。

もうすでに完了している「神の赦し」に出会わせていただくために、「人間のする赦し」が必要です。それは繰り返しになりますが、「神が共におられる」、という神秘を認めるだけです。

赦したような気持ちになることでもなく、赦せない気持ちがなくなることでもなく、相手の方に、神が共にいてくださると認めることだと思います。そしてその「認める」という業は、実は自分と共にいてくださる神さまの業なのだと思います。

 

「わたしたちを誘惑に遭わせないでください」

この言葉は、誘惑が来ないように祈るというのではなく、誘惑が来ても、それに陥って負けないように祈ることなのだと思います。

ゲッセマネの園で、イエスさまは弟子たちに、

「なぜ眠っているのか。誘惑に陥らぬよう、起きて祈っていなさい」(ルカ22・46)と言われたのです。

 

-再び-「わたしたちにも祈りを教えてください」

「主の祈り」は、主イエスの受難に深く結びついた祈りだと言われています。

洗礼の時、「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」(ルカ3・22)という天の父のお声を聞いたイエスさまは、この言葉とまなざしがご自分だけでなく、すべての人に注がれていることに出会って生きたお方だと思います。そしておん父のまなざしの中で人々と共に生きる生涯を送られたお方だと思います。

十字架の上でも

「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです」と祈られました。

イエスさまは自分を殺そうとする者の中にも、神さまが共にいて、神さまがご自分の似姿を刻んでいてくださる(創世記1・27参照)その神秘を見てくださったのだと思います。

「主よ、わたしたちにも祈りを教えてください」

教えていただく祈りとは、イエスさまのまなざしそのものではないでしょうか。そしてイエスさまのまなざしとは、「悪人にも善人にも太陽を昇らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降らせてくださる」おん父のまなざしと一つなのだと思います。

「父よ」と呼ぶイエスさまのまなざしに、わたしたちも加えていただいて、出会う人の内に、「神さまが共におられる」と「認め、祈る、赦し」を行う者とされますように、テーマを選び、共に祈りたいと考えました。

 

 

2.当日までに行なっていただきたいカテケージス(教え)

今年のテーマ「祈りを教えてください」(ルカ11・1)を受けて、当日のミサの福音の箇所はルカ11・1~4としました。事前に福音の内容に親しんでおいていただくために、リーダーのみなさんに子どもたちといっしょにやっていただきたいことがあります。簡単に以下のようにまとめてみました。

 

1.当日の福音 ルカ11・1~4を子どもたちに読んで聞かせる。

イエスさまが弟子たちに祈りを教える個所です。教えられた祈りは、わたしたちがいつも祈っている「主の祈り」。リーダーのみなさんが、一度子どもたちの前で声を出して、読んで聞かせてほしいと思います。

 

2.言葉の説明をする。(必要に応じて内容を調整なさってください)

  「イエスはある所で祈っておられた。祈りが終わると、弟子の一人がイエスに、『主よ、ヨハネが弟子たちに教えたように、わたしたちにも祈りを教えてください』と言った。」

  →イエスさまは祈りの中で、天の父である神さまと、深く一致しておられたのです。弟子たちは、(自分たちも、あのように祈りたいなあ)と思ったのかもしれませんね。※ここに出てくるヨハネとは、洗礼者ヨハネのことです。使徒ヨハネではありません。

  「祈る時には、こう言いなさい」

  →“初めてのお使い”に行く子どもに、お母さんが「お店の人に、こう言いなさい」と言うように、イエスさまは、本当の初心者に教えるように、「祈る時には、こう言いなさい」と言われたのです。わたしたちは、神さまというお方に、どのように呼びかけたらよいのかさえ、知らないからです。

  「父よ」

  →イエスさまは、わたしたちに、神さまに向かって「父よ」と呼びかけなさいと言われました。「おとうさん」と言いなさいと言われたのです。そして父である神さまは、

  「(あなたがたの天の)父は悪人にも善人にも太陽を昇らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降らせてくださる」(マタイ5・45)お方。また、だれにでも一緒にいてくださるお方なのだということをお伝えください。

  「御名が崇められますように。御国が来ますように」

  →神さまのことを、わたしたちが大切にしますように、神さまのことを大切にする世界になりますように、そのような意味です。

  「わたしたちに必要な糧を毎日与えてください」

  →わたしたちは、体も心も魂も満たしていただく必要があります。「いのちあるすべてのものに、食物を恵まれる」神さまに信頼して、そう祈ります。

  「わたしたちの罪を赦してください、わたしたちも自分に負い目のある人を皆赦しますから」

  →神さまは、わたしたちがよい事をしている時も、悪いことをしている時も、一緒にいてくださる方です。それを神の赦しと言います。だから、わたしたちも、自分によくないことをする人にも、「神さまが一緒にいてくださる」と認めます。「自分に負い目のある人を皆赦します」とは、そういう意味です。相手の方に、「神さまが一緒にいてくださる」と認めない時、自分に神さまが一緒にいてくださることも、分からなくなってしまうのです。

 

3.こどもたちに質問する。

イエスさまは弟子たちに「わたしたちに、祈りを教えてください」と言われた時、「祈るときには、こう言いなさい」と言って、

  「『父よ』と言いなさい」と言われました。

  「イエスさまは、どうして神さまに向かって『父よ』と言いなさいと、おっしゃったのでしょうか?」

   →神さまはわたしたちのお父さんだから。

   →神さまは、わたしたちのお父さんなんだよって、教えたかったから。

  この問いは、問うまでもないような問いに感じられるかもしれませんが、大切な問いだと思います。

こどもたちはすぐ、上のような答えをするかもしれませんし、全くわからない・・かもしれません。

いつものことですが、無理に答えを出そうとしなくてよいと思います。

どんな意見も「そうかもしれないね」と、答えてくれたことを大切していただいたらいいと思います。

 

4.リーダーの考えを言う。

「神さまはみんなのお父さんだからだと思う」

「神さまはわたしたちのお父さんだから」、イエスさまはわたしたちに、『父よ』、『お父さん』、と呼びかけるんだよ、と教えたと思う」

 

「リーダーはこうではないかと思う」という言い方で、お考えを伝えてあげてください。リーダーのみなさんがこの福音の箇所を読まれて、お感じになった表現で伝えてくださったらいいと思います。

「テーマについて」の中に書きましたが、天の父である神さまは、「悪人にも善人にも太陽を昇らせ、正しい人にも正しくない人にも雨を降らせてくださる」そういうお方です。わたしたちが正しくても、正しくなくても、いつもわたしたちと共にいてくださるお父さんなのです。

イエスさまご自身、神さまに向かって「アッバ、父よ、」(マルコ14・36:アッバとは「お父ちゃん」というニュアンスの呼び方)と呼びかけておられます。

神さまは、イエスさまのお父さんだからです。

そして、わたしたち人間にも、「そのように呼びかけるのだよ」と教えています。それは、神さまがわたしたちのお父さんだからです。

わたしたちには、そのことがよく分かりません。でもイエスさまは、神さまがわたしたちのお父さんであることを、よくわかっていました。だから、

「父よ」「お父さん」と呼びかけなさいと教えたのです。

わたしたちは神さまの子どもです。神さまはわたしたちのことを「子よ」(ルカ15・31)と呼ばれるのです。だからわたしたちも「父よ」、「お父さん」、と呼びかけるのです。

「父よ」と呼びかけることを通して、少しずつ神さまとの関係が、深まっていくのです。

 

そして最後に

「神さまは、わたしたちのお父さん。だから、わたしたちがよい子である時も、よい子でない時も、いつも一緒にいてくださる方」だから、「お友だちが、よい子である時も、よい子でない時も、神さまがいつも一緒にいてくださることを認めなくてはならないのではないかな」

と投げかけてほしいと思います。それが、

「わたしたちの罪を赦してください、わたしたちも自分に負い目のある人を皆赦しますから。」ということの意味だと思います。

 

5.イエスさまに(神さまに)手紙を書く

「イエスさまに(神さまに)、お手紙を書こう」

前項の結びの投げかけを受けて、子どもたちに手紙を書かせていただきたいと思います。子どもたちは「どんな時でも一緒にいてくださる神さま」「父である神さま」そしてイエスさま、に向けて書くことになりますが、テーマだけに限定せず、自由に書かせていただいていいと思います。

手紙の内容は、神さま、イエスさまへの感謝、質問、疑問、お願い、お祈り、など、さまざまだと思います。

その時、できればリーダーも一緒に書いていただくと、子どもたちもより一生懸命に取り組むと思います。子どもたちが書いた手紙は、奉納する物(後述)と一まとめにして、一緒に奉納できるようにしてほしいと思います。

 

 

3.当日持参していただきたいもの(奉納物の製作)の説明

今回の奉納は、小教区(聖堂共同体)ごとに、1.「祈り(赦し)の花束」(後で詳述します)2.「神さま(イエスさま)への手紙」を奉納していただきます。1と2は、ひとつにまとめて、一人の子どもが運べるようにしていただきます。(いずれも当日持ってきてください)

製作していただく奉納物については、当日のスムーズな進行のため、ある程度の制約をこちらで決めさせていただきました。ご協力のほどよろしくお願いします。

 

1.「祈り(赦し)の花束」
今回は、イエスさまが教えてくださった祈りを、一人ひとりが目に見える形に表して奉納したいと考えました。一人一本ずつ、紙などで「祈り(赦し)」を込めた花を作っていただき、それを花束にして奉納していただきたいと思います。
以下の要領で、各小教区で「祈り(赦し)の花束」を作ってください。
◇個数:小教区毎に1個
◇機能:「祈り(赦し)の花束」カテドラルの祭壇の前の階段に置きます。ただ、その際、普通の花束のように、横に寝かせて置くと、人が亡くなられた場所に捧げられた花束のようなイメージになってしまい、それは避けたいので、花束が自立するような形(花かごに近い?)にしていただきたいと思います。そしてその際、その中に「神さま(イエスさま)への手紙」(後述)が一緒に入るようにしていただきたいと思います。
◇大きさ:高さ30センチ以上(あまり小さいと会衆席から見えないため)台座の奥行き38センチ以下(祭壇の前の階段に置くため:38センチは階段の幅です)でお作りください。(ただし子ども一人で持って奉納できる大きさ・重さ以下(厳守))
◇材質:可燃物でお願いします。(とくに、当日持ち帰りを希望されない教会の奉納物は、教会学校委員会で適切に後処理を行いますので、金属、粘土などではないもので作って頂きますようお願いします。)

作り方について
◇出来るかぎり、子どもたちが一人一本作れるようにしてほしいと思います。
特に決まった作り方はありませんが、
【一例として】
1.手芸品店に売っている少し太めの「モール」や、折れ曲がる「ストロー」などを茎に見立てて、
2.色画用紙などで、葉っぱや花びらを作り、3.花びらを重ねるように並べてセロテープでまとめ、4.ストロー(等)の先に巻き付け、5.葉っぱをつけて完成。などが考えられます。

 

※一番大切なことは、作った後で、花びら1枚1枚、葉っぱ1枚1枚に、お祈りを込めてほしいということです。「これはお父さんの葉っぱ、これはお母さんの葉っぱ」、「これは○○ちゃんの花びら、これは□□くんの花びら・・・」などと決めて、その葉っぱや、花びらをつまんで、その1枚ずつに「神さまがお父さんと共におられます」、「神さまが○○ちゃんと共におられます」とお祈りをしていってほしいのです。自分の苦手なお友だちにも、特に祈ってほしいのです。ミサ当日、みんなのお祈りのこもった花が祭壇に捧げられることになります。

◇花(花束)が自立するように、入れ物等をご工夫ください。
子どもたちが作った、祈りの花束を入れる、箱や籠などをご用意ください。祭壇の前に置くことのできるかたちにしてください。

◇奉納物(花束)の中に、一緒に、「神さま(イエスさま)への手紙」(後述)を入れてください。

3.「イエスさま(神さま)への手紙」
◇子どもたち(一人ひとり)からイエスさまへお手紙を書いてください。

・ 手紙の紙質,大きさや色などについて、特にきまりはありません。
・・ わたしたちの父である神さま、「父よ」と呼びなさいと教えてくださったイエスさま、への手紙を、書いてもらいます。(手紙の内容については、「2.ミサまでに行なっていただきたいカテケージス(教え)」を参照してください)

奉納物&手紙の奉納
◇「奉納物(花束)&手紙」はミサの中で奉納します。
・ 各教会1名の代表者(厳守)が、中央通路を通り、祭壇まで進みます。そして大司教様に手渡します。その後、係が奉納物を並べていきます。(※例年奉納の行列が長くなってしまうので、代表者は必ず1名でお願いします。)
・ 「奉納物」を持ち帰りたい教会は、ミサ当日に会場の受付で申し出て下さい。ミサ後お返しいたします。(手紙はこちらで預かり適切に処理をさせていただきます。)

 

以上、説明が大変長くなりましたが、よろしくお願いいたします。
ご質問等ございましたら、下記お問い合わせ先までご連絡ください.

問い合わせ先:
東京教区 教会学校委員会 担当司祭
稲川圭三神父(カトリック麻布教会 主任司祭)
電話:  03-3408-1500
fax: 03-3408-2575
e-mail: keizo.ina@nifty.com

 

*今年ミサの中で歌われる曲は次の通りです。

ミサの曲 
【入祭】    「神さまといつもいっしょ」
【答唱詩篇】 「イエズス教えてください」 *
【アレルヤ唱】「アレルヤ心をひらき」
【奉納】    *「主の祈り」(雨宮神父)「マリアの賛歌」
【感謝の賛歌】上村幸一郎作曲(例年こどものミサで歌っているものです)
【平和の賛歌】「キリストの平和」
【拝領】     「五つのパン」*「あなたに愛されて」*「With Christ」
【閉祭】     「アーメンハレルヤ」
*印の曲については、小教区への郵便物に楽譜を同封しました。

*印の4曲を聞くことができます。再生ボタンを押してください。

「主の祈り」

「イエズス教えてください」

「With Christ」

「あなたに愛されて」

 

「クレド」

google chromeをお使いの方は初期設定のままでは自動再生されてしまいます。
一度それぞれの曲を停止してから再生ボタンを押してください。
 

 
*参加確認ハガキの内容の覚えです。ご確認下さい。

 

 

 


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