教区の歴史
新パイプオルガン計画 ~スケジュール~
2007年05月10日
2000年6月 | カテドラル運営委員会で新オルガンを検討し、イタリアオルガンにすることになる。 | ||
2000年7月
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数社とコンタクトを取り、マショーニ社がすぐ返事し、日本にいたマショーニの技師2人はカテドラルを訪ねる。現オルガンが置かれている3階を壊さないと建設は無理だろうとの判断。 |
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2000年11月 |
丹下事務所、大成建設が調べた結果、3階全部は壊せない、梁を残して間を刳り貫くことは可能。 | ||
2001年1月16日 | マショーニ社は3階の梁の間に突き出るオルガンの計画を送る。 | ||
2001年1月22日 | 責任役員会で導入を決定。 | ||
2001年2月 |
伝統的なイタリアオルガン建設のため(デザイン、ストップの選択など)Lorenzo Ghielmi先生にコンサルタントを頼む。 | ||
河合楽器製作所にオルガンの運搬、設置補助、メインテナンスを依頼。 | |||
2001年3月28日 | マショーニオルガン工房で打合せを行い。設計方針を確定。 | ||
2001年7月30日 | マショーニ社から詳しい設計計画が届く。 | ||
2001年11月29日 | マショーニ社から完成図が届く(模型の写真)。 | ||
2001年12月 | 大成建設は2-3階空間の測量、図面作成、サポート鉄骨フレームの設計。 | ||
2002年12月 | マショーニ社、ギエルミ先生による、ストップリストの最終決定 | ||
2003年1-3月 | マショーニ社、オルガンの詳細設計 | ||
2003年3月~ | マショーニ社、パイプの製作始まる。大成建設、改造空間の詳細設計 | ||
2003年6月~ | マショーニ社、諸部品とケースの製作開始。 | ||
2003年9月~ | マショーニ社にて、オルガンの仮組み立て | ||
2003年12月 | メカニズムのテスト、梱包、発送。 大成建設・河合楽器、架設工事、現オルガンの解体。(クリスマスの直後) |
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2004年1月 | 2-3階の改造工事 (カテドラルの見学は事務所に申し出てから) | ||
2004年2月 | 新オルガン設置工事 (マショーニ社、河合楽器) (カテドラルの見学は事務所に申し出てから) |
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2004年3月 | オルガンの調律 (マショーニ社) (カテドラルの見学はできません) | ||
2004年5月8日(土)の夕方 | 初めのコンサート (ギエルミ先生) | ||
オルガン、チェンバロおよびピアノを学び、バーゼルのスコラ・カントルムでジャン=クロード・ツェンダーに師事。スポレート、インスブルック、フローニンゲンの各国際オルガンコンクールで優勝。現在、ヨーロッパを中心に広くコンサート活動を行っている他、ミラノ 市立音楽院及びドイツのトロッシンゲン音楽大学で教鞭を執り、ミラノのサン・シンプリチアーノ教会のオルガニストも務めている。国際オルガンコンクールの審査委員を務めることも多く、CDも数多くリリースしている。 今回、東京カテドラルのパイプオルガン新設置にあたり、設計コンサルタントと工事監督を依頼。 |