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東京教区ニュース第431号

2026年03月31日

ともに祈る『スカウトのミサ』 2026年B-P祭

17の教会・学校から約470名が参加 ©Naohiko Takasaki
 
東京大司教区内のカトリックボーイスカウトとガールスカウトは、今年もスカウト運動の創始者であるロバート・ベーデン=パウエルと妻オレブの生誕を記念して、「希望」をテーマに、2月11日にカテドラルに集まり、合同ミサで神への感謝をささげ、交流会を行いました。
 
B-P祭の運営には、ここ数年はユーススカウト(高校生・大学生スカウト)が大きく携わっています。今年はさらに踏み込んで、彼らが中心になって「スカウトのミサ」を作り上げていきました。ユーススカウトの活動は、一昨年の「ケルン教区派遣」をきっかけに盛り上がり、全国カトリックスカウト(JCCS)キャンポリー、韓国カトリックスカウトキャンポリー派遣、2025年11月に東京で行われた「世界カトリックスカウト協議会アジア地域(ICCS-APR)カンファレンス」での奉仕、交流、国際会議への参加を経て、カトリックスカウト指導者講習会の機会に、JCCS東京大司教区支部指導司祭の高木健次神父様との対話の中で、「スカウトのミサ」を考えるきっかけをいただきました。
 
B-P祭ミサの参加者の多くは未信者で、ミサへの参加頻度もまちまちです。だからこそ、一年に一度、皆がともに与るミサをスカウトらしいミサにしようと、何度も集まり、高木神父様と相談を重ねてきました。「スカウトらしい元気なミサにする」「小さい子どもたちにとって分かりやすく」「スカウトが能動的に関われるミサにする」。今まで大人の指導者たちが試みてきたことより、より思い切ったアイディアも生まれ、活発な意見交換が行われました。
 
ミサが始まる前には、「ミサはみんなと神様のお話の時間。神様へのコール&レスポンス!」声出しや主の祈りの練習が行われました。ミサ中もユーススカウトによってボードが掲げられ、小さいスカウトたちの元気な「アーメン」「しゅのへいわ」が響き渡りました。
 
コール&レスポンス「またあなたとともに」 ©Naohiko Takasaki
 
菊地功枢機卿様のお説教は、ユーススカウトの質問に答える対話の形をとっていただきました。「失敗や弱さは信仰のなかでどのような意味を持ちますか?」「好きな聖書箇所、落ち込んだ時に勇気づけられた聖書箇所は?」「コンクラーベは?」そして、枢機卿様の“推し”は「イエス様」と教えていただきました。
 
対話形式の説教 ユーススカウトの質問に答えていただく ©Naohiko Takasaki
 
共同祈願では、ICCS-APRカンファレンスの活動を報告し、そこから得た気づきを祈りにしました。また、カブスカウト(ボーイ小学生)からは、自身の体験から、世界の子どもたちの希望を願う祈りがささげられました。ブラウニー(ガール小学生)からは「けんかやあらそい、戦争のない世界になってほしいです」。まっすぐな気持ちが、皆の心にも響きました。まさに「分かち合い」でした。
 
枢機卿様は説教のなかで、使徒パウロの言葉を教えてくださいました。「キリストがわたしを遣わされたのは、洗礼を授けるためではなく、福音を告げ知らせるためであり、しかも、キリストの十字架がむなしいものになってしまわぬように、言葉の知恵によらないで告げ知らせるためだからです」。イエスの福音を自分の行動で証しすることが大切であると。スカウトは、神にまことを尽くすこと、神に対するつとめを行うことを誓い、実践します。カトリックスカウトとしての道に励ましをいただいた思いがしました。そして、ユーススカウトの活躍と小さいスカウトたちが元気にミサに与る姿に「希望」が見えました。「かみにかんしゃ!」
 
キリスト教章授与 ©Naohiko Takasaki

「教会が行う愛の奉仕についての公開学習会」を開催しました

カリタス東京事務局 田所 功

2月23日(月・祝)午後1時30分から、カテドラル構内関口会館ケルンホールにて、「教会が行う愛の奉仕についての公開学習会」を開催しました。団体や小教区の活動グループなどで愛の奉仕に取り組む方々や奉仕活動に関心のある方など約80人が参加しました。プロクラムは、①アンドレア・レンボ司教のお祈りとお話、②活動団体からの報告、③小グループでの分ち合いでした。
 
アンドレア司教のお話は、福音書の「善きサマリア人」の箇所(ルカ10・25-37)を引用して、
 
◆誰が隣人かを決めるのではない。自分がどのように隣人になるかが問われている。
◆教会の愛の奉仕(カリタス)は「教会の心」です。プログラムや制度にとらわれず、人とその人の物語を見てほしい。
◆祭司とレビ人のように「無関心」ではなく、心を動かされる存在となってほしい。
◆サマリア人が宿屋の主人につなげ継続した支援を実現したように、共同体として取り組んでほしい。
◆教会の活動は、一時的ではなく寄り添いいっしょに歩むこと。活動をとおしてイエスの姿を現してほしい。

などと参加者を励ましてくださいました。

 
その後3つの団体から、徳田教会「ぶどうの木とくでん」のフードパントリー活動、田園調布教会「多摩川支援の会TAMAちゃん」のアウトリーチ活動、麹町教会「あしたのいえプロジェクト」のシェルター活動について、現場での取り組みの話を聞きました。そして、8つのグループに分かれて分かち合いを行いました。学習会の内容以外にも日頃の活動の中で感じていることも分かち合われ、実りの多いものとなりました。
 
ちょうど四旬節期間中の行事ということで、改めて「愛の奉仕(カリタス)」について学びながら祈り考える機会となったと思います。今回は初めての取り組みで、生活困窮者支援団体の方々に報告をしていただきましたが、「愛の奉仕」と言っても、障がい者支援、子ども・女性・高齢者支援、外国人支援など様々な分野があります。来年もまた違った分野をテーマとして開催したいと思いますので、ぜひご参加ください。

「役に立たない」ものはたいせつなもの

教区シノドス担当者 瀬田教会主任司祭
小西 広志神父

春を迎えて、若者たちは新たに人生という海へと漕ぎ出した。高校を卒業してさらに学業を続ける青年。勉学の期間を終えて新入社員として仕事に就く若者。出会いと別れを繰り返しつつも、生涯の伴侶を見いだして新しい家庭を築く人。さまざまな人生の場面が彼らを待っている。
 
いつの世もそうだが、悩みと不安、そして希望を胸に抱きながら若い人たちは生きていく。その姿は美しく晴れ晴れとしている。
 
そんな何もかもが新しくなる4月のはじめの日に、かつては「新入社員諸君」と題した新聞広告が掲載されていた。それが「新社会人おめでとう」となって、書き手が山口瞳氏から伊集院静氏へと入れ替わったのが四半世紀前だったろうか。今は三谷幸喜氏が引き継いだらしい。
 
はたして、最近の若者は大人たちからの「お節介な」このメッセージに目を通しているのだろうか。もっとも、洋酒メーカーがスポンサーの新聞広告だから、お酒を飲まなくなった若者たちには見向きもされないかもしれない。毎年、この広告を楽しみにしているのは人生という海を漕ぐのに疲れ果てた我ら「オヤジ」たちだろう。
 
そもそも新聞を読まなくなった。オールドメディアの凋落もあるだろうが、新聞を読む時間と労力が無駄なのだろう。SNSと呼ばれるソーシャル・ネットワーキング・サービスの方が効率よく情報を得られるからだ。必要な情報を苦労せずに得られる。便利な世の中になった。それに加えてAIという人工知能を活用できるようになった。
 
始業時間でありながらも机の上に新聞を広げて、お茶をすすりながら新聞の下段にある広告をしたり顔で眺めている「オヤジ」たちは若者から「役に立たない」老害と呼ばれるだけである。「役に立つ」か「役に立たないか」が価値の基準となった。それも「今」、「役に立つ」ものが求められている。いつか「役に立つ」から取っておきましょうは、はやりの断捨離に反するものなのだ。
 
しかし、「オヤジ」の話も聞いてほしい。「役に立たない」ものにこそ価値があるのではなかろうか。まず、宗教は人生に直接「役に立たない」だろう。順風満帆に歩んでいるときには宗教は必要がない。信仰は生きていく上であまり「役に立たない」かもしれない。能率よく、効率よく、合理的に生きるには「信仰」という価値観は邪魔にこそなれ、益にはならない。教会も社会に対して「役に立たない」存在だろう。なんの利益も生まない教会は社会にあってもなくてもよい存在かもしれない。信仰の共同体は若者の人生にとって「役に立たない」つまずきの石となるだろう。もっとスマートに、もっとおしゃれに生きたいと思う若者にとって信仰の共同体は必要のないものだ。信仰共同体で祝われるミサや典礼は「役に立たない」ものの代表格だろう。休日の朝にミサに時間を奪われるよりは、ゆっくりと自分の時間を過ごしたい。そして、信仰の共同体の中にある人間関係や、ミーティングと称する集まりは時間の無駄遣いの「役に立たない」ものだろう。いつまでたっても結論が出ない。「オヤジ」たちが昔話ばかりをする集いに喜んで参加する若者などいない。
 
若者は自分の時間、自分の手順、自分の価値観で生きていきたいのだ。「コスパ」と「タイパ」は今の時代をよく表している。しかし、最低限の手間と時間で最良の結果を得る生き方は、人間の器を小さくはしないだろうか。「無駄な時間」、「役に立たないもの」こそがその人を豊かにするように思えてならない。
 
しかし、役に立つか否かでものごとを見るような若者たちにしてしまったのは、我らが「オヤジ」たちの責任である。「働いて、働いて」と五回繰り返した宰相のメッセージは働きづめでやってきた「オヤジ」たちの心をくすぐる。若者たちは言うだろう「働いたって、なにもこの社会は変わらなかったじゃないか」。功利的になり、効果を求める生き方を彼らが求めるのは当然の成りゆきだろう。「あんたたちの働き方が悪かったから、こんな社会になったんだ」と若者たちは言いたいだろう。しかし、彼らは賢いから口をつぐむ。
 
我らが「オヤジ」たちが毎年4月に新聞広告を楽しみにしていたのは、説教を垂れる当時の大人たちに従順に振る舞うためではない。あの広告をじっくりと時間をかけて読んで「なに言ってんだ!」と反発するためだった。批評するためだった。その小さな反抗心が新しい年度のやる気につながった。「役に立たない」かのように見える時間とモノにこそ大切ななにかが隠されている。それを見つけて喜びあうのが生きることではなかろうか。
 
「沖に漕ぎ出せ」とイエスさまは仰せになる(ルカ5章4節)。ラテン語を直訳すれば「深いところに向かいなさい」である。足の届かない「深いところ」へとイエスさまは我々を導こうとしている。人生の海へと漕ぎ出す若者は不安定なところへと赴いていく。「役に立つ」かどうかを見極める暇はない。「役に立たない」と考えていたモノが思いもかけずに大切なモノとなりうるだろう。溺れかかり、波にさらわれ、潮に流された経験を繰り返して本当に「役に立つ」ものを見いだしていくのだと思う。
 
シノドスの教会も同じだろう。結論の出ない、だらだらとした能率のよくない道のりかもしれない。「役に立たない」と思えるような体験の繰り返しかもしれない。しかし、おのがままに吹く聖霊は教会を本来のあるべきところへと導いてくれる。そんな時、「家造りの捨てた石が、隅の親石となった」(詩編118編22節、マタイ21章42節)を人は実感するだろう。

交わりのひととき—迎え、そして訪れる—

 
2月10日、駐日クロアチア共和国大使ドラジェン・フラスティッチ氏が東京カテドラルを訪れ、菊地功枢機卿を表敬訪問されました。フラスティッチ氏は2015年から駐日大使を務めておられ、今回2回目のご訪問となります。
 
 
 
菊地功枢機卿は3月17日からコートジボワールで行われるカリタスアフリカの総会に参加するのに先立ち、3月10日、駐日コートジボワール共和国大使館を訪れ、コートジボワール大使イポ・ボリエ・デジレ・ウルフラン氏を表敬訪問いたしました。
 
 
 
3月10日、菊地功枢機卿の生まれ故郷である宮古市長の中村尚道氏が東京カテドラルを訪れ、菊地枢機卿を表敬訪問されました。菊地枢機卿は毎年夏に宮古を訪れていますが、昨年7月の訪問の際、たまたま訪れた景勝地の浄土ヶ浜で、クリーンアップ活動が行われており、そこで中村市長にお目にかかったとのことです。

全国シノドス担当者研修会

 
 
2月24・25日の2日間、福岡教区カテドラル大名町教会にて全国シノドス担当者研修会が開催され、全国の教区から50名を超える司教、司祭、奉献生活者、信徒が集まった。東京教区からは菊地功枢機卿、小西広志神父(瀬田教会主任司祭、全国シノドス特別チームメンバー、東京教区シノドス担当者)、熊坂直樹神父(高幡教会・八王子教会助任司祭)、Sr.岸里実(聖心のウルスラ宣教女修道会)、赤井悠蔵氏(教区本部広報担当職員)の5人が参加した。
 
参加者は、2日間にわたって「霊における会話」を実際に体験し、各教区、各共同体の現状や課題を分かち合った。
 
東京教区では、今回の研修会に参加したメンバーを中心として、教区におけるシノドスの歩みについて話し合いを進めていく予定である。

教区カテキスタを募集します

教区司教から認定され、任命を受けて指定された小教区へ派遣される教区カテキスタの養成プログラムを今秋から開始します。
 
期間は2026年10月から2027年9月、月2回、土曜日の開催を予定しています。
 
現在「募集要項」を作成中で、4月には各小教区の主任司祭宛に送付予定です。
 
プログラムの概要、応募資格、応募方法、応募締切日等は「募集要項」をご覧ください。
 
 

カリタス東京通信 第31回

2026年「世界病者の日ミサ」報告
事務局 田所  功

2月11日(水・祝)の世界病者の日に、午後2時から東京カテドラル聖マリア大聖堂で世界病者の日ミサが行われました。主催はカトリック東京大司教区ですが、運営をカリタス東京が担当しました。主司式は菊地功枢機卿で、約250人が参加しました。
 
ミサは手話通訳と要約筆記に対応し、ロゴス点字図書館に作成してもらった点字版のミサ式次第も用意しました。また、東京教区YouTubeチャンネルでライブ配信も行いました。これは、「病床の人も参加できるように、病者の日ミサこそライブ配信をしてほしい」との声に応え、昨年から実施しています。第一朗読は、福音史家聖ヨハネ布教修道会のシスター桑葉が手話で行ってくださいました。シスターが朗読台で手話による朗読を行い、それを手話通訳者がマイクを通して発信しました。
 
手話で朗読するシスター桑葉
 
手話通訳と要約筆記
 
菊地枢機卿は、説教の中で「教会が病者のために祈るというのは、もちろん第一義的には、イエスご自身がそうされたように、具体的に奇跡的な病気の治癒があるようにと願ってのことですが、同時にもっと広い意味をそこに見いだして、祈りをささげています。それは互いの結びつき、助け合い、思いやりの次元から、主イエスと出会い、ともに歩むためであります」「世界病者の日は、具体的な病気や困難さを抱えている人たちだけを対象にした、特別な人のための特別な日なのではなく、わたしたちすべてが、主の癒しの手に包み込まれ、安らぎと希望を与えられていることに感謝し、自分も同じように生きようと決意する日であります」「わたしたちは、単に主イエスの癒しの手に包まれて安心を得たいだけでなく、主イエスと一致したいと願っています。そうであるならば、自分も助けられ生かされていることを自覚しながら、自分の時間を割いて、困難を抱える人とともに歩む道を選択するしかありません」と呼びかけられました。
 
当日のミサ献金は107,940円が集まり、聖マリア大聖堂の維持管理のために活用されます。

カリタスの家だより 連載 第181回

聴す(ゆるす)
ボランティア開発養成室 酒井 育子

恵みの雨を待ち望む日が続いた2月上旬、命が一つ天に帰りました。生物学、社会学を通じて発言してこられた思想家、最首悟さんです。
 
一昨年の酷暑去りきらぬ秋口、東京カリタスの家のボランティア交流学習会の講師をお受けくださったのですが、ご体調優れず、延期のお申し出がありました。「中止ですか、延期ですか」と伺ったところ、「ぜひ皆さんにお話をしたいので、気候が良くなるまでの延期でお願いします」ということでした。
 
ご自宅に講演のお願いにあがったときは、部屋いっぱいの書物に埋もれるように、にこにこと穏やかな笑顔でお話を聞かせてくださったので、呼吸器の疾患を抱えていらっしゃるとはわかりませんでした。お元気になられる日を楽しみにしていましたのに、誠に残念です。
最首悟さんについては、あの津久井やまゆり園で多くの障害者を殺傷し死刑判決を受けた植松聖青年と文通を重ねておられた方として、皆さまもご記憶かと思います。それ以前にも東大闘争後の潔い身の振り方、水俣病の学術調査団の団長としての活動に注目されていた方もいらっしゃるでしょう。
 
カリタスの家の学習会にお招きしたいと思ったのは、最首さんの次の言葉に強く惹かれたからです。
 
「聴す、と書いてなんと読むかご存知でしょうか。これはゆるすと読みます。聴くという言葉には心を開いて相手の話をきくという意味合いがあるのです」。
 
キリスト教徒ではない最首さんの発言が、カリタスの家の根幹をなす「傾聴」の真髄をずばりと言い当てていることに驚きました。ご著書を数冊読むうちに、能力主義、成果主義、経済成長至上主義がいかにわたくしたちの心を蝕み、他者に心を閉じさせているかを静かに告発する方であると知りました。ご自身も障害あるお身内を持つ最首さんは、やまゆり園の事件には人ごとでない衝撃を受けられたでしょう。それでも最首さんは植松青年を非難する世間の大合唱に加わるのではなく、植松死刑囚と個人の関係を結ぶことで、彼を理解していく道を選んだのです。
 
カリタスの家の相談者さんは、実にさまざまな葛藤を抱えて相談に見えます。お話の中身には受け入れ難いものもあります。それでも聴く側の心が開いていないと、それは必ず語る側に伝わってしまいます。まずは自分の中にあるバイアスから離れて相談者さんの話を聴くことで、徐々に相談者さんの心も開いてくることが多いのです。これが「傾聴」。人と人との間に「聴く=赦す」が成立する道程の一つでしょう。
 
最首さんの主張に「二者性」というのがあります。人の単位は最低二人であって、「人間」(人と人のあいだ)という言葉の示すように、まず「わたし」があるのではなく、「あなた」と関わり、理解しようとする過程において「わたし」ができていくということです。まさに「人が独りでいるのはよくない」のです。多くの人を殺傷した青年であれ、家族の手助けがなければ生きられない障害者であれ、「わたし」にとっての「あなた」であることに変わりはありません。
 
最首さんがこう考えるようになったのは、かなりお年を召してからだということです。最首さんに限らず、他者との交わり、新しい学び、経験、挫折を経て、わたくしたちは若くて思いのままに活動できているときとは違う確信にたどり着きます。その確信もまた揺らぎを免れず、日々更新されねばなりません。わからない、わかりたいと、人の思考は天に帰るその瞬間まで続くのでしょう。神はそこを見ておられると、信じます。最首悟さんの魂の安息をお祈りいたします。。
 
追記 東京カリタスの家のボランティア養成講座は「傾聴」をテーマに5月から開講されます。
 
詳しくは4月以降にホームページをご覧ください。

CTIC カトリック東京国際センター通信 第296号

最後の仕事として
相談員 大迫こずえ

Aさんからの報告
両親が帰国を余儀なくされ、日本に一人残されたAさんの将来について、小教区の方から相談を受けた私たちは、「東京都介護福祉士等修学資金貸付事業」を利用して介護専門学校に進学することを勧めました。「介護福祉士」の国家資格を取得すれば在留資格が安定し、またこの貸付制度は、卒業後に定められた施設で5年間働けば返還が免除されるからです。
 
Aさんは介護の仕事に特別な関心があったわけではなく、専門学校での勉強や実習、介護施設でのアルバイトに追われる日々は決して楽ではなかったと思います。保証人になっていた私は、もし途中で挫折したらどれほどの返済が必要になるのかと案じたこともありました。それでも、幼い頃から通っていた小教区の皆さんに支えられ、励まされながら学び続けたAさんは、「介護福祉士」の国家試験に合格しました。現在は障がい者グループホームで働きながら両親に送金を続けており、まもなく修学資金の返還免除の日を迎えるとの報告が届きました。
Bさんの出発
アフリカの某国から陸上特待生として来日したBさんは、来日直後に足を負傷しました。一時帰国した祖国で内戦に巻き込まれ、再来日したものの元の学校には戻れず、都立定時制高校に進学しました。十六歳で一人暮らしはできないため、受け入れてくださる修道院を探し、支援者の寄付で生活を支えました。友人関係に悩み、体調を崩すこともありましたが、シスター方の根気強い見守りによって高校を卒業することができました。
 
その後、祖国の陸上部の先輩で、カナダに住む男性と再会し、結婚することになりました。祖国の家族と日本の支援者に祝福され、秋に小さな結婚式を挙げ、Bさんは間もなくカナダへ旅立つ予定です。
Cさんの進学
Cさんが小学校五年生の時、家族全員の在留資格が取り消され、祖国へ帰国しなければならなくなりました。祖国の言語を話せないCさんのため、両親は日本で学び続けることを望み、私たちはその方法を模索し、期限ぎりぎりに彼女を受け入れてくれるカトリック中学を見つけることができました。
しかし慣れない場所での寮生活や、長期休暇に知人宅を転々とする生活は大きな負担でした。高校二年の春、Cさんは「どんな犠牲を払っても、両親と暮らしたい」と、両親が移住している国へ向かいました。
日本を離れて三年半、新しい国でも努力を続けたCさんは高校を卒業し、大学の「日本語専門科」に合格しました。誇らしげに校舎の前に立つ写真が送られてきました。
最後の仕事
それぞれが未来へ向かって踏み出した新しい一歩を、相談ファイルに記すことが、定年退職を迎える私の最後の仕事の一つとなりました。これまでともに歩んでくださった多くの方々に、心から感謝申し上げます。長い間、本当にありがとうございました。(完)

福島の地からカリタス南相馬 第50回

福島大学 特任准教授 
高瀬つぎ子

「第2回 見さ来ぅ 南相馬」に参加して

2025年11月22~24日、カリタス南相馬で行われた「第2回見さ来ぅ南相馬」に参加させていただきました。京都から2人、秋田から1人、そして福島県内から1人という小さなアットホームな集まりでしたが、幸田和生司教様はじめ「カリタス南相馬」のスタッフの皆さまの温かなご配慮のなかで、たいへん有意義な時間を過ごさせていただいたことに、心から感謝しております。本当にありがとうございました。
 
東日本大震災と東京電力福島第一原子力発電所の事故から15年を迎え、国のエネルギー政策が「原発再稼働容認」へ大きく舵を切る中で、一般市民が「福島原発事故後の被災地の現状と問題点」について正確な情報を得る機会は、非常に少なくなっています。
 
そんな中、今回の「見さ来ぅ南相馬」では、「東京電力廃炉資料館」「東日本大震災・原子力災害伝承館」や「中間貯蔵事業情報センター」など、国などが主導して運営されている原発事故関連の情報発信施設だけでなく、「請戸小学校遺構」や「俺たちの伝承館」などの地元自治体や民間の方が運営されている施設も見学させていただきました。地元に住んでいらっしゃった皆さまが「巨大地震とそれに伴う津波災害」、そして「原発事故による数年から10年を超える長期間の避難生活」という大変困難な状況の中で生活してこられた道程の一端を、肌で感じることができました。
 
そして、参加者それぞれが今回の集いで体験し、感じた思いを分かち合う中で、「東日本大震災に伴う福島原発事故からの復興は始まったばかり(まだ、ほとんど進んではいない)」という現状をしっかり認識し、福島原発の廃炉や中間貯蔵施設の今後の方向性などに関するさまざまな問題に関心を持ち続けることの大切さを、改めて深く心に刻みました。
 
事前説明を受ける参加者の皆様

編集後記

「春一番」や「木枯らし一号」など
日本には季節の訪れを告げる風がある
 
吹いたときにはそうだと分からない
後になって、「今日、春一番が吹きました」と発表される
 
聖霊は風に例えられる
風ならば、やはり後から気づくのだろう
 
新しい出会いに胸が躍ったとき
親しい人との交わりで心が温められたとき
 
あのとき、聖霊が吹いていたのだと
あの日、イエスが共にいてくださったのだと
 
証拠も確信もない
信じることしかできない
 
信じ続けることが
たった一つの証しなのだ
 
聖霊への信頼の
イエスへの友情の(Y)