お知らせ

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東京教区ニュース第429号

2026年01月06日

大司教司牧書簡「希望の灯火を絶やすことのないように」

東京大司教
枢機卿 菊地 功

サン・ジョヴァンニ・レオナルディ教会にて

新しい年の初めにあたり、東京教区のみなさまにご挨拶申し上げます。

一昨年12月、教皇フランシスコから枢機卿への叙任を受けました。その後、昨年2025年春の教皇フランシスコの帰天、教皇選挙への参加、新しい牧者レオ14世の誕生、さらに10月9日のローマでの枢機卿名義教会への着座式と、昨年一年は普段にはない行事への対応で教区を不在にすることが続いてしまいました。その間、多くの方にお祈りと励ましを頂いたことに、心から感謝申し上げます。

着座式のためにローマを訪れた際、ジェズ教会を訪問しました。イエズス会の創立者である聖イグナチオ・デ・ロヨラが葬られているこの聖堂には、聖フランシスコ・ザビエルの右腕が安置されています。わたしはローマを訪れるたびごとにこの教会を訪れ、聖フランシスコ・ザビエルの右腕が安置された祭壇の前で、感謝の祈りを捧げることにしています。

ジェズ教会、聖イグナチオ・デ・ロヨラの墓前にて

 

聖なる宣教師にならって

言うまでもなく、1549年に日本に初めて福音をもたらしてくださった宣教師です。祈りながら心に浮かんだのは、この偉大な宣教師がどれほど大きな不安を抱えて異国の地に足を運ばれたのだろうかということでした。今の時代であれば、宣教師として派遣されるにしても、事前の行き先について情報を集めることが可能です。テクノロジーが進むにつれて、さらにリアルな情報を手にすることも、また行き先の方と事前に打ち合わせをすることも可能でしょう。

しかしその便利さは、逆に、命がけの冒険に歩みを進めていく勇気を現代社会から奪ってしまったような気がしています。十分な知識を持って緻密な計画を立てておかなければ、未知の歩みを始める勇気がないのです。

かつて大海原に乗り出し、遙か彼方のアジアに福音をもたらした聖なる宣教師は、未知の歩みを始める勇気をどこから得ていたのでしょう。それは聖霊の導きにすべてを任せる信仰における勇気であったのだと思います。無計画な蛮勇ではなく、信仰に基づく決断の勇気です。
シノドスの道を歩む教会は、まさしくかつての聖なる宣教師のように、未知の旅路へと歩みを進めるために、聖霊の導きに勇気を持って身を任せる教会です。どうしても緻密な計画を立て、明確な方向性がなければ先に進むことに躊躇してしまう現代社会だからこそ、聖霊に身を任せる勇気が必要です。

聖年の終わりにあたり

「希望の巡礼者」をテーマに掲げた聖年は、各地の教区で昨年末の聖家族の主日に捧げられた閉幕ミサと、ローマにおいては1月6日に聖ペトロ大聖堂の聖年の扉が教皇レオ十四世によって閉じられて閉幕します。

教皇フランシスコは、混迷を極める現代社会において神の民が旅路を歩み続けるために、二つの大切なことを提示されました。その一つは、教会とは一体どういう存在なのかを問いかけるシノドスの歩みであり、もう一つが、25年に一度の聖年の機会を捉えて、神の民が希望を掲げて歩みを続ける巡礼者であり続けようという呼びかけでした。

教皇フランシスコは聖年の開始を告げる大勅書「希望は欺かない」の冒頭に、「すべての人は希望を抱きます。明日は何が起こるか分からないとはいえ、希望はよいものへの願望と期待として、一人ひとりの心の中に宿っています」と記し、この世界を旅するわたしたちの心には、常に希望が宿っていることを指摘されています。同時に教皇フランシスコは、「希望の最初のしるしは、世界の平和と言いうるものです。世界はいままた、戦争という惨劇に沈んでいます。過去の惨事を忘れがちな人類は、おびただしい人々が暴力の蛮行によって虐げられるさまを目の当たりにする、新たな、そして困難な試練にさらされています」と指摘され、この数年間の世界の現実が、いかにその希望を奪い去り、絶望を生み出すものであるのかを強調されました。

新しい牧者として昨年5月に教皇に選出され、サンピエトロ大聖堂のバルコニーに姿を見せた教皇レオ14世の最初の言葉は、「あなた方に平和があるように」でありました。

その上でレオ十四世は、「愛する兄弟姉妹の皆さん。これが、神の民のためにいのちを与えた、よき牧者である、復活したキリストの最初の挨拶です。わたしもこう望みます。この平和の挨拶が皆さんの心に入りますように。……これが復活したキリストの平和です。謙遜で、忍耐強い、武器のない平和、武器を取り除く平和です。この平和は神から来るものです」と呼びかけ、平和の確立こそが現代社会における教会の最優先の課題であることを明確にされました。平和の確立こそが絶望の闇を打ち払い、希望を生み出します。いま世界は希望を必要としています。絶望の暗闇を打ち破る希望を必要としています。

ウクライナ、ミャンマー、ガザなど、混迷を深め絶望をもたらし続ける暴力の嵐は止まるところを知りません。神からの賜物であるいのちは、日々、危機に直面し続けています。

先行きへの不安を抱え、将来への道筋が不透明な世界は、いまや自己保身の利己主義的な価値観に席巻され、異質な存在への排除の力と同調圧力が強まっていると感じます。

いのちは神から与えられた賜物です。神の似姿としての尊厳に満ちあふれています。いのちは暗闇の中に輝く希望の源です。いのちへの暴力は、どのような形であれ許されてはなりません。いのちはその始めから終わりまで、例外なく、人間の尊厳とともに護られなくてはなりません。いのちに対する暴力こそが世界から希望を奪い去り、絶望の闇の支配を許しています。暗闇の中を孤独のうちに歩いているわたしたちには、闇を打ち破る希望と、その希望を生み出してくれる一緒に旅をする仲間の存在が必要です。それだからこそ、わたしたちはともに巡礼者として希望を掲げ、それをあかしする旅路を続けていきたいと思います。

「希望の巡礼者」は聖年の閉幕とともに終わってしまうのではありません。いのちに対する暴力が続く限り、「希望の巡礼者」たちの教会共同体にはこの世の荒波の中で希望のあかしとなる使命があるのです。希望の灯火を絶やすことのないように、それぞれの場で取り組みを続けて参りましょう。

シノドスの歩みは、希望をあかしする道です。聖霊がどこにわたしたちを導いていくのかを、事前に理解することはできません。兄弟姉妹と歩みをともにし、互いに支え合い、ともに祈り合うシノドス的な共同体のあり方は、わたしたちを絶望から解き放ち希望を生み出す道です。
聖なる宣教師が勇気を持って聖霊の導きに身を任せて、未知の冒険とも言うべき旅路に出たように、わたしたちも勇気をもって聖霊の導きに身を任せる教会でありたいと思います。その決断こそが、シノドスの歩みを進めていきます。

シノドスの道

2028年10月の教会総会に向けて、それぞれの小教区や教区で、理解と実践を深めることが求められています。シノドス第二会期の最後に出された「最終文書(シノドス流の教会)」は、教皇文書としてわたしたちに与えられた羅針盤です。

司教団のシノドス特別チームは、先日、2028年10月に向けてのロードマップを公表し、取り組みを呼びかけています。これに従って、東京教区での取り組みも深めていきたいと思います。まずは「シノドス流の教会、交わり、参加、宣教《シノドス最終文書»」をぜひともご一読ください。その上で、聖霊の導きを識別するための実践である「霊における会話」に慣れ親しんでください。「霊における会話」ができるようになることがシノドス性の確立ではありませんが、聖霊の導きを見いだすためには有用な手段です。今後、教区の中で互いに分かち合っていただくテーマなどを、教区のシノドス担当から、提示させていただきます。

「最終文書」に記されていることについて具体的にどのような選択をするのかは、それぞれの共同体が置かれている社会の現状や生きている文脈、背景によって異なっています。しかしわたしたちの教会がどこを向いて歩んでいるのか、どのような困難を抱えているのか、そういうことを共有しながら、ともに歩み、ともに祈り、ともに識別するすべを身につけることは重要であると思います。

宣教協力体の見直しについては歩みが遅くて大変申し訳ありませんが、総代理であるアンドレア・レンボ司教様のリーダーシップで、昨年一年は、第二期(2023年・2024年)宣教司牧評議会での話し合いに基づいて、教区を大きく7つのグループに分け、訪問する形で具体的なそれぞれの事情に耳を傾ける作業を進めました。歴史的な経緯があることと、具体的に運用が成功している協力体とそうではない協力体もあることから、見直し作業は簡単ではありませんが、今年中に何らかの提案ができるかと思います。それに合わせる形で、宣教協力体の存在と密接に関連する宣教司牧方針の中間見直しと宣教司牧評議会のあり方の見直しを進めて参ります。

皆でともに

社会全体の少子高齢化が激しく進み、教会にもその現実が重くのしかかっています。同時に、外国籍信徒の方々も、教区が公式に統計として出している信徒数に匹敵する数の方々が教区内にはおられると想定しています。長期に一緒に暮らす方も、短期の滞在の方もいるとはいえ、公式統計上は9万人から10万人の間の信徒数の東京教区ですが、実際にはその2倍程度には、兄弟姉妹が存在しているものと推定されます。この方々の存在は、東京教区にとって希望の光であるとともに、一緒に教会共同体を育てていく仲間であります。他人ではなく兄弟姉妹です。

そういった中で、教会は秘跡の機会を提供するだけにとどまらず、信仰を同じくする兄弟姉妹による交わりの共同体であることを、改めて意識したいと思います。教会は、司教だけでは成り立ちません。司祭だけでも成り立ちません。修道者だけでも成り立ちません。同じキリストへの信仰に招かれ、同じ洗礼を受け、同じ信仰を告白する兄弟姉妹は、司教であろうと司祭であろうと修道者であろうと信徒であろうと、どの国の出身であろうと、皆同じキリスト者として一緒に教会共同体を作り上げる神の民です。
誰かが育んですべてを準備してくれた教会で霊的サービスを受けるお客様になるのではなく、一緒になって共同体を育てる道に、どうかあなたの力を貸してください。みなさん、お一人お一人の力と助けがなければ、教会は成り立ちません。それがシノドス的教会です。互いを大切

にしてください。誰かに助けてほしいと思っているのはご自分だけでなく、教会に集うすべての兄弟姉妹が、それぞれの形で何らかの助けを必要としています。互いの尊厳を尊重し護りながら、耳を傾け合いましょう。助け合いましょう。祈りをともにしましょう。一緒に教会を育み、豊かにしていきましょう。一緒に歩みましょう。一緒に聖霊の導きに身を任せましょう。

希望の灯火を絶やすことのないように、歩みをともにしてくださるあなたの存在が必要です。一緒に歩んで参りましょう。

東京カテドラル聖マリア大聖堂 パイプオルガンオーバーホール

ミサやオルガンメディテーション等で神聖な音色を奏でております大聖堂のパイプオルガンは、2004年4月に新設されてから今年で22回目の誕生日を迎えました。

オルガンの構造はまるで巨大なカラクリ人形のように複雑な仕組みでできており、とてもデリケートな部品で構成されておりますので、維持・管理のために、定期的なメンテナンスはもちろんですが、約20年ごとにオーバーホールを実施して、傷んだ部品の修理や交換、3,122本もあるパイプに詰まったホコリの除去及び修復等が必要です。

このたび、製造会社のイタリア・マショーニ社とメンテナンスを担当している西岡オルガン両社による調査の結果、オーバーホールが必要と判断されました。

オーバーホールにかかる費用は、約12,300,000円と膨大な額となりますので、東京教区では、この費用に関する献金を信徒の皆様に広く呼びかけたいと思います。

これからもパイプオルガンの神聖な音色とともに祈り続けることができますよう、皆様のご支援をよろしくお願いいたします。

カトリック東京大司教区 大司教
枢機卿  菊地 功

工事の日程は2027年1月11日から30日までを予定しております。工期中はオルガンを使用出来ませんが、工事は2・3階バルコニー内で行いますので、大聖堂での各行事にはなるべく差支えのないようにいたします。

※ミサ典礼時は下のオルガンをご使用ください。
※工期中に大聖堂を使用する場合は、事前にカテドラル事務所までご連絡ください。

◉献金受付口座◉
銀行名:ゆうちょ銀行  金融機関コード:9900 
店 番:019 預金種目:当座
店 名:〇一九店(ゼロイチキュウ店) 
口座番号:0351822
口座名義:カトリック東京大司教区

※専用の郵便局振込用紙もご用意しておりますのでお申し付けください。
お問い合わせ窓口:カテドラル事務所 03-3941-3029

共に歩む!東京教区日曜学校リーダー会

日時=1/25(日)14:00~15:30
場所=関口会館ケルンホール(東京カテドラル構内)

プログラム
①始めのご挨拶、活動や取り組み紹介
 ~この会を企画した経緯について~
②リーダーのための日曜学校(森晃太郎神父/東京教区青少年委員会・イエズス会)
③茶話会(リーダー同士お話ししましょう)
※参加費無料
※当日の会場出入りは自由です。
※今回はリーダーのみの集会とさせていただきます。

活動の情報交換や相談し合う場がほしい、というリーダーの思いからこの会が生まれました。ぜひお気軽にお越しください。
お申込はこちらから

問合せ:E-mail
主 催:東京教区教会学校委員会

目配り、気配り、心配り

教区シノドス担当者 瀬田教会主任司祭
小西 広志神父

わたしが担当する小教区は厳密には分教会なので、信徒の数は少ない。毎週のミサに来られる方は120人ぐらいだろうか。

この信仰共同体は、その始まりから子どもたちのよろこぶ声が絶えることがなかったという。今もお子さん連れでミサに参加する若い家族が何組かおられる。一時期はミサ中に騒がしくする子どもを見て眉をひそめる大人もいたが、今はそのような「厳しい」信徒はほとんどいなくなった。子どもたちに無関心なのか、それともご自分たちの至らなさに気づいておられるのか。後者であってほしい。

子どもたちは、聖堂の中で楽しく過ごしている。しかし、地域の子どもたちを集めた土曜学校は行っているが、信仰を伝えるための日曜学校はしていない。それでも小さい子たちは、年長の子たちと一緒に教会を楽しんでくれている。ありがたい話である。

子どもたちは侍者をやりたがっている。ちょっと大きなお兄さん、お姉さんがたちがする侍者をあこがれのまなざしで見つめている。そこで、思いきって幼稚園の子どもたちから侍者をやってもらうことにした。本当は、侍者ができるのは洗礼を受けて初聖体が終わっている子どもだけである。しかし、初聖体まで待つと、小学校中学年から始まる塾通いのために侍者を経験する時間が極端に短くなる。中学生になったらもう教会には来ない。これは日本の社会のならいだ。信仰の体験、教会の体験、同年代の子たちと交わる体験がないまま大人になる。これでは洗礼を受けて神さまの子にさせていただいたのに、もったいないではないか。

ブカブカの侍者服を着ながら、子どもたちは侍者デビューを果たした。楽しそうにしている。そこで、ふと考えてしまった。この子たちが侍者をするモチベーションをどのように与えたらよいのだろうか。

「侍者をすれば神さまからお恵みいっぱいもらえるからね」と大人たちに言われて、わたしは子どもの頃に侍者をしていた(昔は「ミサこたえ」と呼んだものだ)。神さまからもらえるお恵みがいったい何であったか今にいたるまで分からない。クリスマスの時にもらった「ケーキ」だったのだろうか。目に見えない「お恵み」をエサに、子どもに侍者をさせる動機づけを与えるのはもはや通用しないだろう。

司祭になったばかりの頃に赴任した教会では子どもたちが「お当番だから」侍者をしていた。だから自発的に、こころから望んで侍者はしていなかった。いや、そもそもその教会では「お当番だから」大人たちもまた教会の奉仕をしていた。よろこんで奉仕をしていた大人たちが果たしていたのだろうか。大人も「お当番だから」教会で役割・役目を果たす。だったら子どもも「お当番」で侍者の役割をしなければならないという理屈だった。侍者とは単なる役割なのだろうかと考えさせられた。司祭は役目だからミサをしているわけではない。

そんなモヤモヤした気持ちで侍者をするちびっ子たちのお世話をしていたら、ある信徒の方が「侍者をするのは、その子が目配り、気配り、心配りのできる人間に成長するためですよ」と教えてくれた。なるほどと思った。目配りとは「あちらこちらに目を向けて注意すること」だそうだ。気配りとは「間違いや失敗がないように、細かいところに注意を行き届かせ、しかも相手の言動にいつも注意をはらい、不安感や不快感を抱かせまいと努力する」という意味だそうだ。そして、心配りとは「相手の心情を十分にくみ取って、予想されるいろいろな事態に対処するすること」だという。

教会の典礼で侍者の務めをする人たちに求められているのは、侍者を上手に間違いなくすることでは決してない。司祭に対して、仲間の侍者に対して、そして会衆全体に対して「目配り、気配り、心配り」ができるようになることが最も求められている。一時間あまりのミサを通じて、司祭の所作に目を配り、侍者仲間の様子に気を配り、そして会衆全体の動きに注意をはらいながら心を配る。これが侍者である。ミサの道具がそろっているかを目を配り、仲間と歩調を合わせて歩けるように、動けるように気配りし、ミサ全体がスムーズに進行するように心配りする。侍者の務めはこれである。侍者は司祭のお手伝いだけではない。教会に集う多くの人々のためのお手伝いなのだ。

「目配り、気配り、心配り」と言うと、大人たちが求めるのは「気が利く」子どもたちの存在だ。しかし、侍者の子どもたちに求められているのは「気が利く」ことではない。大人である司祭や信徒に対して「気が利く」、それこそ利発な子が求められているのではない。それは、この世の価値観である。「気が利く」子は、相手の顔色ばかりをうかがうではないか。

「目配り、気配り、心配り」ができる侍者は、神さまと教会に対してまなざしを注ぐ。侍者の務めは、神さまへと向かう奉仕なのだ。

これまで教会はお利口で「気の利く」子どもたちを求めてきた。聖堂では静かにすごし、走り回らずに、椅子にはキチンと腰かける。そんな子どもを求めてきた。まるで小さな大人になるように、子どもをしつけてきた。そんな関わりから、子どもたちが信仰の体験を得ていくことができようか。

「目配り、気配り、心配り」に長けている司祭たちがいる。よくよく話を聞いてみると、子どもの時の、あるいは洗礼を受けた後の信仰の体験として侍者や教会での務めを経験してきている。貴重な体験の積み重ねが、その司祭のあり方を特徴づけている。いや、どの信仰共同体にもおられる信仰の先達たちは、「目配り、気配り、心配り」の特徴を備えている。その最も美しい姿は誰かのために心を砕いて祈ることだ。「お当番だから」という理由で祈る人などいないではないか。

侍者デビューを果たした子どもたちには「目配り、気配り、心配り」ができる人間に成長してほしい。そのためには父なる神が御子イエスさまを通じて、聖霊の働きの中で、一人ひとりに「目配り、気配り、心配り」をしてくださっているという真実に子どもたちが気がついてほしい。それが子どもに必要な信仰の体験である。

より「シノドス的」な教会へとなっていくためには、信者一人ひとりが「気が利く」だけではダメだと思う。なぜなら「気が利く」人は、相手のことを考えず自分の想いだけで行動するからだ。もちろん「役割」、「役目」だけではシノダリティは築けない。「役割」と「役目」に頼る教会は、いつの間にかこの世の集まりになってしまう。教会は「神の民」なのだ。「目配り、気配り、心配り」には他者への関心がある。自分一人で生きているのではないことを悟らせる。その悟りこそが「信仰のセンス」である。「目配り、気配り、心配り」に長けている信者は、いつの間にかキリストの姿をこの世に表す「宣教者」となるのである。

今どきの教会には「目配り、気配り、心配り」のできない大人の信仰者がずいぶんと増えたように思うのはわたしだけだろうか。そんな教会には信仰の成熟は訪れないと思う。


関口教会創立125周年記念感謝ミサ

12月6日(土)午後、東京カテドラル聖マリア大聖堂にて、菊地功枢機卿司式による関口教会創立125周年記念感謝ミサが行われた。丹下健三氏の設計による聖マリア大聖堂は戦後、1964年の完成であるが、小教区共同体としての関口教会は、1900年に認可を受けた、東京大司教区の中でも古い歴史を持つ小教区である。

ミサは菊地枢機卿の他、現主任司祭の小池亮太神父と助任司祭の森田直樹神父、かつて助任司祭を務めた加藤英雄神父(秋津教会協力司祭)、高木健次神父(高円寺教会主任司祭)、真境名良和神父(習志野教会助任司祭)、関口教会出身の宮下良平神父(多摩教会主任司祭)、関口教会と同じく聖マリア大聖堂でミサを捧げている東京韓人教会主任司祭の姜信九神父、そしてサレジオ修道会の並木豊勝神父(下井草教会主任司祭)が共同司式に加わった。

典礼奉仕の青年たちと

ミサの説教で菊地枢機卿は「125年という関口教会の歩みを振り返るとき、まず、長い迫害の時代を経て、日本の地に、そして東京の地に、福音の種を再び蒔くために人生をかけた宣教師達の献身に、感謝を込めて心から敬意を表したいと思います。その決意を生み出した宣教師たちの心は、キリストに対する愛に深く根ざしており、キリストを通じて、すべての人に喜びと希望の福音を伝えたいという使命に燃えていたことだと思います」と再宣教が始まった時代に思いを馳せた。

菊地枢機卿による説教

さらに枢機卿は「その熱意と愛を受けて誕生し、125周年を迎えた今、東京教区のカテドラルとして中心的な役割を担っている関口教会の、現代社会にあって果たしていく使命は一体何でしょうか」と問いかけ「125周年を迎えた今問われているのは、大きく変革した社会の状況の中で、当時の宣教師たちの熱意と教会共同体の熱意を、今同じように生きるためには何が必要なのかを、改めて自分に問いかけることであろうと思います。東京教区の中心であるカテドラル教会の存在の第一の意義は、その歴史的体験に基づいて、他の教会に、宣教の熱意を見せつけ、皆の範となろうとすることであろうと思います。希望の巡礼者としての模範を示す共同体となることです」と関口教会信徒を励ました。

祝賀会にて。小池神父のあいさつ

ミサ後はケルンホールに会場を移し、祝賀会が行われた。会では菊地枢機卿をはじめ、集まった司祭たちからのお祝いのメッセージの他、関口教会聖歌隊による合唱も披露された。

小金井教会創立50周年記念ミサ

11月24日、カトリック小金井教会にて、アンドレア・レンボ補佐司教司式による小金井教会創立50周年記念ミサが行われた。共同司式には、現主任司祭の加藤豊神父をはじめ、先代主任司祭のゴ・クアン・ディン神父(小平教会主任司祭)、かつて助任司祭を務めた豊島治神父(本所教会主任司祭)、真境名良和神父(習志野教会助任司祭)、小金井教会出身の小田武直神父(教区本部事務局次長)、現在定期的に小金井教会で主日のミサ司式に協力している竹内修一神父(イエズス会)、北川大介神父(サレジオ修道会)、そして、12年にわたるミラノ外国宣教会総長の任を終え、再び日本に派遣されたばかりのフェルッチョ・ブランビッラスカ神父が加わった。

右からディン神父、加藤神父、アンドレア司教、真境名神父、豊島神父

ミサの説教でアンドレア司教は小金井の地に桜町病院を建てて医療と宣教活動を始め、小金井教会の礎を築いた戸塚文卿神父の「小金井の地所を見に行き、付近を少し歩き回る。樹木なく勾配なきが何なれど、実に心地良き所なり」という言葉に触れ、「世間の目には何でもないところが神の目には心地よいと映る。まさにそこからこの共同体の歴史が始まりました」と述べた。

また、隣接する桜町病院と、同病院を母体として設立された福音史家聖ヨハネ布教修道会(聖ヨハネ会)と共に歩んできた小金井教会の歴史を「祈りと奉仕の歴史」であると称え、さらにこれからも、小金井教会が「キリストと出会う場、隣人に寄り添う場、希望が生まれる場」であり続けることを祈った。

ミサ後には信徒ホールで懇親会が開かれ、信徒たちは、かつての主任司祭、助任司祭たちとの久しぶりの再会を喜んだ。

ミサ後、ヨハネ会のシスターとの再会を喜ぶ豊島神父

福島の地からカリタス南相馬 第48回

株式会社コヤギファーム 代表取締役 三本松 貴志

感謝

会社勤めの後、2005年から本格的に父の下で酪農業を教わり、2011年1月に代替わりをしましたが、3月の東日本大震災で避難を余儀なくされました。南会津町の避難先から同年10月末に私1人南相馬市に帰還し、古い友人が運営するNPOに雇用してもらうことができました。そこで放射線測定等の仕事に従事し、期間満了とともにふるさと農地復興組合に所属後、小高区の小屋木行政区の田畑の維持管理の作業をする仕事をしました。しかし1年を通してある仕事ではなく、国の省庁が緊急的に用意した仕事なので将来的にはなくなることを常に危惧していました。

2016年、夏に山形県に旅行に行った際、帰りに立ち寄った高畠ワイナリーには活気がありました。同じようなワイン造りの活気を南相馬市に持ってこられないかと考え、福島県内で同様のワイン造りやワイナリーがないか調べた結果、川内村でワイン用ブドウ栽培を始めていると聞きました。2017年3月から川内村役場から許可を得て、仕事の合間ではありましたが、ボランティアの形で約月1回の割合で作業に従事しました。2018年の4月には富岡町にあるとみおか葡萄栽培クラブでもボランティアに参加し、情報共有と作業を行いました。
2018年中に手配できた苗木を2019年3月末に初定植したことが、私がブドウ作りとワイン業界に足を踏み入れるきっかけとなりました。

その後、小高観光協会がボランティア募集をかけて、色々な人がブドウ栽培をお手伝いに来てくださいました。その中にカリタスさんもいて、そこからのつながりが今も続いています。

私が始めた時には前例がなかったため、県や行政はワインではなく、シャインマスカットを作れとか、補助金を申請すればいいとか、この土地ならではの何かを作るということの意義を取り合ってはくれませんでした。しかし、ボランティアを通じて知り合った方々には、貴重な時間を割いてブドウ作りに協力していただいています。

今日に至るまでにコロナ禍等もありました。私1人ではできなかったことですが、ボランティアを通じて知り合った方々の協力によって今の私があり、震災後の土地でのワイン造りがあります。まだ道半ばではありますが感謝をもって締めくくりたいと思います。

カリタス東京通信 第29回

戦争はウソから始まる

カトリック東京正義と平和の会 細渕則子

11月24日、カトリック麹町教会ヨセフホールにおいて「取材現場から見たパレスチナ問題~和平・共存の可能性」の題名のもと、フォトジャーナリスト豊田直巳さんのスライドトークが開催されました。豊田直巳さんは、1983年よりパレスチナなど内戦や紛争の起きている地域で、また、東日本大震災以降は、原発事故被災地取材を続け、写真や著書を通して現地の真の様子を伝えておられます。

「ネットで検索すると『1分でわかるパレスチナ問題』が一番にヒットしますが、パレスチナ問題は決してそんな単純なものではありません」という言葉で講演を始められ、ご自分の体験から、パレスチナの現状と複雑な歴史的背景をわかりやすく示してくださいました。その内容はとても豊富で、小文でお伝えできるものではありませんので、私が特に心に残ったことを分かち合わせていただきます。

一つは、最近イスラエル人の中にパレスチナ人を「人間の顔をした野獣」と見なす人が増え、それがガザ攻撃を含む、パレスチナ人迫害に繋がっているというお話です。動物のような存在と見なすことで、ガザの攻撃のように、パレスチナ人を徹底的に攻撃して排斥することを正当化しているそうです。これを聞いた時、私は関東大震災の時の朝鮮人虐殺を思い出しました。デマを信じた民衆による虐殺でしたが、民衆の朝鮮・韓国の方々への偏見がデマを信じさせる一因であったように思われます。今も外国人への偏見に惑わされながら、自分たちは正しい判断をしていると信じている人がいます。。それは間違っていると考えている私も、真に偏見から自由になっているかと言えば、そうではありません。自分の偏見に気づくことから始めたいと思います。

もう一つは「戦争はウソから始まる」という豊田さんの言葉です。具体例を出しながら、いかに戦争が強者が作りだした「ウソ」によって始まり、マスコミによってそれが「事実」のように広がっていくかを説明してくださいました。それに対して、「『ウソ』を見抜くためにはどうしたらよいのでしょうか」という質問が出ました。豊田さんは、それは難しいことですが、まずその報道の現実をはっきりと見定め、できたら現地で見聞きしている人の話に耳を傾けることではないかと答えておられました。そして、それぞれの人の感性、つまりこれはウソっぽいなという感覚を研ぎすましていくことも大切だということでした。前述の偏見からの解放と同時に、「戦争はウソから始まる」ことから、私は「真理はあなたがたを自由にする。」(ヨハネ8:32)という御言葉を思い出しました。真理であるイエス・キリストによって、世界中が自由になる日が一日も早く来ますように。待降節の今、「主よ早く来てください」と祈ると同時に、主の到来を早めるような行動を善意の人々と力を合わせて、進めていきたいと思っています。

カリタスの家だより 連載 第179回

「宝」をみつけて

児童発達支援 子どもの家エラン 非常勤職員 飯島邦江

子どもの家エランは杉並区荻窪の閑静な住宅地に2017年に開所された、発達支援を必要とする未就学児とそのご家族のための通所施設です。

朝9時を過ぎると送迎バスやご家族の見送りで、子ども達が登園してきます。「今日も元気な笑顔が見られるかな?」と声かけをしてエランの一日がスタートします。私は非常勤であるため、毎日少しずつ積み上げられていく生活の姿を見ることはできないのですが、子どもたちの横顔を見ながら感じたことをご紹介します。

虫の好きなA君は、触ると丸まるダンゴムシがお気に入りで、次々に丸まっていくダンゴムシを感触で楽しみ、その姿を眼で確かめ、飽きることがありません。そのうち花壇を縁取っている石をひっくり返すとダンゴムシの家があり、虫たちはあちこちと動き回っていました。そして、その虫たちを次々に丸めて手のひらに乗せ、ころころさせて遊ぶと「お家にもってかえりたい!」と言いました。

充分遊ぶとそのような気持ちになるのも当然なことかなと思います。そして「箱ちょうだい!」となり、その中に土を入れて、ころころと丸まっている虫たちのおうちを作りました。A君はしばらく箱を大事そうに持って、時々のぞきながら満足そうな顔をしていました。しかし、狭い箱に閉じ込められた虫たちは逃げ出そうとしています。私が「お家に帰りたいのかな?」と声をかけるとA君はちょっと考え、箱から出して元の土に返してあげました。A君の気持ちが動いたようでした!ダンゴムシと一体化して楽しんだ後は、お家に帰してあげたい気持ちになったようでした。

B君は巧技台を組み合わせた小さな滑り台に取り組んでいました。「登りたいけどこわいな!」「どうやってすべるの?」とわき目も振らずのチャレンジが始まりました。まずは坂道登りです。横の壁に手を添えてよいしょよいしょと登り始めました。手を貸そうとしたら、「自分でやりたいから大丈夫!」と言いたいようで、やる気満々です。何度も何度も繰り返して遊んでいます。次にはスロープを下りるチャレンジです。しばらく立ち尽くしていたので座って滑るように促すと、その勢いにびっくりしたようでした。このやり方で上り下りのチャレンジを繰り返し、壁に手を添えずにチャレンジする意気込みと持続力に脱帽です。

B君は自分で登りスロープを滑るという遊びを何回も何回も繰り返し、表情にも「できた!」という充実感が表れていました。それから何か月が過ぎ、彼は園庭にある滑り台を何の補助も無しに、一人で階段を上りスーッと風を切って滑る感触を楽しんでいました。滑り台の楽しさを獲得したようでした。

子どもたちは毎日エランでの療育を受けながら体験を積み重ね学び、自由時間ではお気に入りの遊びを見つけ、ちょっと怖いなと思うことに対して補助を求めながらも自分の力でやり遂げようとしています。逞しい力を持ち、心動かされることに対して優しい気持ちを持っていることを伝えてくれています。

ほんの小さな生活の一コマですが、隠されている「宝」を見逃さずにこれからもみつけていきたいと思います。

CTIC カトリック東京国際センター通信 第294号

高木健次 東京教区司祭 CTIC担当

スペイン語・ポルトガル語での聖年行事

昨年から教区内のスペイン語・ポルトガル語司牧の担当者として、ホルヘ・ラミレス神父(梅田・町屋教会主任司祭)が任命されました。同じくCTICスタッフとして加わったエドムンド・ヴェルガラ神父(エスコラピオス修道会)と2024年からスタッフになっているシスター・ロジー(御聖体の宣教クララ修道会)がCTICのスペイン語・ポルトガル語司牧チームとして、教区内でこの分野で尽力されている司牧者の方々とともに活動していくという体制となりました。

着任早々ホルヘ神父が打ち出した、これからやりたいことの第一は、スペイン語・ポルトガル語での「黙想会の開催」でした。ホルヘ神父自身、以前からスペイン語ミサの司式者として関わっていた経験から、それぞれの小教区のスペイン語・ポルトガル語ミサに集まる人たちから黙想会開催の要望が出されていても、個別の教会ごとでは人数規模が小さかったり、講師を見つけにくかったりなどの困難があり、教区のイニシアティブによる合同企画の必要を感じていたということでした。この合同黙想会に、昨年は聖年ということで「巡礼」と「司教様と共に捧げるミサ」のアイディアも加えられました。そして昨年この三つの計画すべてが実現しました。

スペイン語・ポルトガル語での聖年行事

フィリピン人やベトナム人信者のための小教区の枠を超えての企画はかなりありますが、スペイン語・ポルトガル語話者(主に中南米からの人々)を対象としたものとなると、これらの人々がすでに長年にわたって東京教区内におられたにもかかわらず、教区内では初めてのことと言ってもよいと思います。こうした活動は決して教区内に独自のグループを形成することが目的ではなく、ホルヘ神父の言葉によれば、「目標はみんな小教区に登録すること、しかしまずは自分たちも東京教区所属の信者だということから」ということです。

さて今回の企画のうち、聖年の巡礼は11月22日に千葉県内の巡礼指定教会を回る形で実施され、50人余りが参加しました。黙想会と司教様とのミサは12月7日にカテドラルで行われ、黙想会には約100人、ミサには200人が参加しました。巡礼と黙想会では、講師としてジャン・クラウケンスキ(クラウ)神父(スカラブリニ宣教会、鴨川・木更津・館山教会主任司祭)が活躍してくださいました。これはクラウ神父が霊的に深い方であることはもちろんのこと、スペイン語もポルトガル語も堪能だからです。また、ミサはアンドレア・レンボ司教様がスペイン語でささげられました。説教は司教様が日本語で語られ、ホルヘ神父が通訳しました。私たちはイタリア人のアンドレア司教様にとってスペイン語は簡単なのではと軽く考えていましたが、実際には事前にずいぶん練習してくださったそうです。

ミサに参加した人からは、「日本に来てからずっと働くだけだったけど、教会は自分たちのことを考えてくれたと感じられて嬉しかった」「司教様を初めて近くに感じることができてよかった」との喜びの声が聞かれました。あらためて今回の企画を助けてくださった皆様に感謝いたします。

編集後記

過ぎ去った一年の
感謝の数を数えたい

祈りに託した「ありがとう」が
痛みを癒やしに変えていく

感謝が笑顔を生む
一年となりますように(Y)