お知らせ

東京教区ニュース第423号
2025年06月17日
目次
新教皇レオ十四世選出
2025年5月8日、コンクラーベは第267代教皇として前教皇庁司教省長官のロバート・フランシス・プレヴォスト(Robert Francis Prevost)枢機卿を選出しました。新教皇は「レオ十四世」を名乗られます。
教皇レオ十四世は、1955年9月14日、アメリカ合衆国イリノイ州シカゴ生まれ(69歳)。1977年、聖アウグスチノ修道会入会。1982年司祭叙階。2001年から2013年まで聖アウグスチノ修道会総長を務める。2014年チクラヨ(ペルー)教区使徒座管理者に任命され、同年司教叙階。2015年よりチクラヨ司教。2023年、教皇フランシスコにより教皇庁司教省長官に任命され、同年枢機卿に叙任されました。
教皇選挙を終えて
菊地功枢機卿は自身のブログ『司教の日記』に「教皇選挙を終えて」という題で、コンクラーベ(教皇選挙)に関して語っている。コンクラーベに参加した枢機卿は秘密保持の宣誓をしているので、公にできることには限りがあるが、それでもコンクラーベの空気がリアルに伝わってくる文章である。そこで、本人の承諾の下、同記事を東京教区ニュースでもご紹介する。
多くの皆様のお祈りを頂いた教皇選挙が終わりました。前記事でも所感を記しましたが、これまで12年間にわたり導いてくださった教皇フランシスコに別れを告げ、その直後に今度は新しい牧者としてレオ十四世を選出した枢機卿団の一員として関わらせていただいたのは、多分、生涯に一度のことであろうと思います。このような場に立ち会うことを許してくださった、いのちの与え主である神様に、感謝しかありません。また教皇フランシスコの永遠の安息のため、そして新しい教皇の誕生のため、世界の多くの方が祈りを捧げてくださいました。教皇選挙に参加した133名の枢機卿は、皆、その祈りの力を感じながら、一連の行事に臨みました。皆様に感謝いたします。
さて、教皇選挙の具体的な内容については書き記すことはできません。システィーナ聖堂(礼拝堂)に枢機卿団が選挙のために入堂する映像が、バチカン放送がそこまでは撮影しましたので、それがいろいろなメディアに上がっていますが、最初に、全員が、一人ひとりラテン語で祈りを唱えて誓いを立てます。その中で、選挙に関連した内容や起こったことについて、一切口外しないという誓いを立てます。そのため、内容を具体的にお話しすることはできませんし、写真もありません。
映像によく出てくる、手を置いて一人ひとりが誓う部分は「わたしは、それらを約束し、誓います。いま手を置いている福音と神が助けてくださいますように」と言っているだけで、その前にある様々なことを誓う具体的な内容は、首席枢機卿(代理のピエトロ・パロリン枢機卿)が代表してラテン語で唱えています。映像に写っている部分はまだ秘密とされていない部分で、その後に、教皇儀典室長のディエゴ・ラヴェリ大司教が「エクストラ・オムネス」と宣言して、投票権者以外を聖堂から出して扉を閉めるところから、新しい教皇が、「投票結果を受諾します」と首席枢機卿に応えるまでが、教皇選挙の秘密部分です。ですから、この間はカメラも外へ出されますので、映像もありません。
同時に、大勢の枢機卿がいますから、なんとなく雰囲気的な情報が様々なメディアに漏れ伝わるのでしょう。イタリアメディアを中心に、世界各国のメディアでは、様々な情報が飛び交っています。なかには正確に、誰が何票得たのに、それがそのあとで大きく変わったのは、これこれこういう裏事情があったのだと、かなり断定的に書いているメディアがありましたが、わたしもそれを見ましたけれど、わたしが目の当たりにした事実とはかけ離れた数字だったので、何らかのストーリーを作るための推測の結果なのだろうと思います。
事実は一つしかありません。システィーナ聖堂に集まった133名の枢機卿団は、祈りのうちに投票を繰り返し、主イエス御自身がすでに選ばれているに違いないペトロの後継者を見いだすために投票を続け、プレヴォスト枢機卿が3分の2以上の票を得て、教皇に選出された。それだけです。
枢機卿団は、教皇フランシスコが、第二バチカン公会議から始まって、歴代の教皇が進めてきた教会の改革を、さらに完遂しようとされた方向性を継続し、同時に明確な教えをもって教会の一致を確立する牧者を見いだすことに努めました。それは類い希な才能と霊性を持った教皇フランシスコを引き継ぐ第二のフランシスコの誕生ではなくて、それは不可能なので、主イエスが託された務めを忠実に果たす使徒ペトロの後継者を見いだすことに努めました。その結果です。
『教皇選挙』という映画があります。わたしも、3月にカリタスの所用でローマに来たときに、ANAの飛行機の中で見ました。ストーリーはちょっと荒唐無稽だなと思いますし、明らかに現実的ではないフィクションですし、実際にバチカンで撮影しているのでもないので、いろいろと実際とは異なるところがありますが、よくできた映像だと思います。映画の公開を通じて、日本でも、本当の教皇選挙に注目していただけた部分も多くあろうと思います。
とはいえ、映画にあるように、あからさまな票のとりまとめとか、「これは戦争だ」と意気込んでみたり、いろいろと画策したり、皆の面前で、おまえはもうだめだみたいな指摘をしたりという、生臭い話は、残念ながらフィクションです。ああいったことは全く起こらず、食事の席では、互いに知らない人が多いので、自分の国の教会について互いに教え合うなど、非常に和気あいあいとしていました。この下の写真は、サンタマルタの廊下ですが、楽しくお話をして仲良しになった、レイモンド・バーク枢機卿(米国出身)の後ろ姿です。もちろんこの写真の撮影は、教皇選挙が終わって、スマホが警備から戻ってきてからのことです。
サンタマルタ(聖座で働く聖職者の宿舎であり、コンクラーベの際は枢機卿団の宿舎となる)に皆が到着したのは、選挙の前日です。そこで生活しているバチカンで働く聖職者はすでに他の施設に一時避難して、部屋をすべて教皇選挙投票者のために空けています。特設の入口には、空港と同じ保安検査の台が設置され、携帯電話やパソコンを始め、充電器など、すべての電子製品を没収され、特別な密封封筒に入れられます。皆、空港の検査以上だと驚いていましたが、あれほど時間をかけて完全に検査されるとは思いませんでした。電子的な腕時計をしていた枢機卿も多く、すべて取り上げられましたので、部屋には時計がありませんから、多くの枢機卿から時間が分からないとの声が上がり、サンタマルタの職員の方が、慌てて電池式の目覚まし時計を大量にそろえたほどです。
部屋は、下の写真のように、窓ガラスには布が張られ、外のブラインドは開けないように、バチカン警察の封印がされていました。わたしたちの泊まった部屋も、その前日までにバチカン警察のセキュリティー検査が行われ、わたしたちが入室する直前まで、扉が封印されていました。
窓ガラスに布
すでにスマホは持っていないし、パソコンもないのですが、サンタマルタの全館に特別な装置が設置してあって、携帯電話の電波は一切届かず、館内電話も外線に繋がりません。こうなると、やることがなくなります。厳格な黙想会にいるようなものです。本を読むか、祈りをするかしかありません。サンタマルタには一階に、教皇フランシスコが毎日ミサを捧げていた聖堂がありますが、今回はいつ足を運んでも、何名もの枢機卿さんたちが祈っている姿がありました。スマホやパソコン禁止も、もちろん外部からの情報で左右されないようにという独立性の理由もありますが、現代社会ではそれ以上に、祈る時間をしっかりと持つことにも繋がると実感しました。
バチカンニュースの映像や、日本では日テレのまとめ映像にもシスティーナ聖堂での選挙準備の様子が公開されていますが、各自の指定席の前に、名簿一覧などと併せて、緑色の結構分厚い本が全員の席に置かれています。一度映像をお探しください。この本は、教皇選挙の具体的なやり方や祈りの言葉や所作などをすべて記したもので、左側のページがイタリア語、右側のページがラテン語で、実際にはラテン語ですべて唱えますが、具体的な指示は、イタリア語を読んで行われていました。とにかくこの選挙は長い伝統の上に成り立つ儀式ですから、しっかりと定められたとおりにしないと無効になりますので、皆一生懸命、これを読み込みました。
またシスティーナ聖堂は、数年前に日本の企業のおかげで修復が進みきれいになっていますが、皆が投票する間は、ただひたすら待つだけですので、すべての素晴らしい芸術を、ゆっくりと眺める贅沢な時間を頂きました。
教皇選挙がよりよく行われるようにお祈りくださった多くの方には感謝ですが、それ以上に、投票権者の枢機卿団を外界から隔離して生活を維持させ、不測の事態に備えて待機し、食事を用意し、厳重な警備をし、また諸々の行事を行ってくださるために、枢機卿たちと同じように、バチカンに泊まり込みで働き支えてくださったバチカンの職員の方々には、感謝しかありません。選挙が二日で終わったとき、教会のみなさんもお喜びになられたことでしょうし、枢機卿たちも喜びましたが、一番喜ばれたのは、家庭に戻ることができる職員の方々であったと思います。職員の方々は、あの晩、投票を終えてサンタマルタに戻ってきた枢機卿たちを、玄関ホールに皆で列を作り、拍手で迎えてくださいました。わたしたちの方こそ、職員の方々に感謝しなくてはなりません。
拍手で迎えられる
というわけで、お話しできる内容はこれくらいです。教皇レオ十四世が、これからどのような言葉を語るのか、どのような行いをするのか、どのような方向へ歩もうとするのか、期待のうちに待ちたいと思います。教皇様のために祈り続けましょう。
教皇レオ十四世の誕生にあたって
聖アウグスチノ修道会 柴田 弘之神父
教皇レオ十四世は聖アウグスチノ修道会に所属する修道者であり、アウグスチノ会総長を務めていた時代に来日の経験もある。東京教区ニュースでは、アウグスチノ会会員である柴田弘之神父(葛西教会主任司祭)にレオ十四世のお人柄などを語っていただいた。
5月9日(金)日本時間の午前1時9分にシスティーナ礼拝堂の煙突から白煙が上がり、新しい教皇の選出が全世界に告げられました。史上初めての米国出身者という点で世間を驚かせたわけですが、教会にとっては2代続けて修道会出身者が教皇に選ばれた点も話題となりました。アウグスチノ会員にとってはまさに青天の霹靂と言っても過言ではない歴史に残る日となりました。アウグスチノ会総顧問の会員が米国メディアのインタビューに応え、大きな喜びとともにその驚きを伝えていましたが、この反応は多くの会員たちの心情をよく表していると思います。
ロバート・フランシス・プレヴォスト神父(当時)は米国シカゴ管区の管区長となって2年半後に行われた通常総会の選挙で、しかも自身の誕生日に総長に選出され、2001年からの6年間、さらに再選されて2013年までの計12年にわたってその職務を果たされました。管区を超えて会員たちが集まる機会は総会のほかにも多く、管区・地区責任者会議、諸委員会、研修会、黙想会など諸々あるのですが、プレヴォスト総長はこうした集まりにしばしば来ておられ、会員たちと多くの日々をともに過ごしてこられました。南北ヨーロッパ、アフリカ、南北アメリカ、アジア太平洋とそれぞれの地域に会員たちは散在しており、総長の訪問国は50を越えたと聞いています。
日本への訪問は少なくとも2度ありましたが、最初は2004年1月の公式訪問、2度目は2008年11月に長崎で行われた「ペトロ岐部司祭と一八七殉教者」の列福式でした。野球場(長崎ビッグNスタジアム)でのミサの翌日、最初の日本人アウグスチノ会士としてフィリピンで司祭叙階され、のちに迫害下の日本に戻って殉教したトマス次兵衛神父の列福感謝祭が行われ、プレヴォスト総長および総顧問、アジア地区の管区長たちとそこに集まった信徒たちと皆で感謝の祈りを捧げたことを忘れません。
新教皇はどんなお人柄の方ですかとよく聞かれるのですが、私の印象としては、近づきやすい方、会員一人ひとりによく耳を傾けてくださり、その上でご自分の考えをはっきりと述べ、必要なときにリーダーシップを発揮してくださり、対話とユーモアを絶やさない方です。教皇として今後どのように教会を導いていかれるのかについては未知数です。この時代にあってレオ十四世という名が担う使命を教皇が力強く果たしていかれますよう、そして私たちが信頼と勇気をもってその模範に従っていけますよう、日々聖霊の導きを祈っていきたいと思います。
2008年11月25日、トマス次兵衛神父列福感謝のミサ(長崎)。 中央が(当時)総長のプレヴォスト神父。左から2番目が柴田神父
教皇フランシスコ帰天
教皇フランシスコは、ローマ現地時間4月21日7時35分(日本時間14時35分)、脳卒中と心不全のため、88年にわたる人生の旅路を終え帰天された。 1936年12月にホルヘ・マリオ・ベルゴリオとしてアルゼンチンで誕生された教皇フランシスコは、イエズス会員として、1969年に司祭に叙階され、1973年から6年間は、イエズス会アルゼンチン管区長を務められた。1992年5月20日、教皇ヨハネ・パウロ二世からブエノスアイレス補佐司教に任命され、同年6月27日に司教叙階、1997年6月3日にブエノスアイレス協働大司教となり、1998年2月28日、同教区大司教に着座。2001年2月21日に枢機卿に叙任された。ベネディクト16世の引退を受けて行われたコンクラーベにおいて、2013年3月13日、第266代教皇に選出された。史上初のイエズス会出身の教皇であり、史上初の南アメリカ大陸出身のローマ教皇であった。 2019年11月23日から26日までは、ローマ教皇として38年ぶりに日本を訪れ、広島、長崎、東京を訪問した。
2023年のシノドスにて、菊地大司教と笑顔を交わす教皇フランシスコ
教皇フランシスコ追悼ミサ
4月27日12:00から、東京カテドラル聖マリア大聖堂にて、ローマ教皇庁大使フランシスコ・エスカランテ・モリーナ大司教司式による教皇フランシスコ追悼ミサが行われた。 ミサには、天皇陛下の名代として秋篠宮皇嗣殿下や各国大使、諸宗教代表ら来賓の来賓をはじめ、約1,000人が参列した。
「教皇フランシスコ追悼ミサ」の動画は東京教区YouTubeチャンネルからご覧になれます。
特別インタビュー「泣けるほど関われたお恵み」
2019年の教皇来日の際、東京カテドラル聖マリア大聖堂で行われた「青年との集い」で水色の法被(はっぴ)を着て微笑む教皇フランシスコの姿を覚えている方は多いと思う。東京教区ニュースでは教皇フランシスコ帰天特別インタビューとして、教皇にプレゼントされた法被のデザインを担当し、今は教区カテキスタとしても活躍されている中井美帆さん(関口教会信徒)にお話を伺った。
─来日以前の教皇フランシスコに、何かイメージは持っていましたか?
中井 教皇来日が決まった頃に、真生会館で「教皇フランシスコのことをもっと知ろう」という企画があり、それに参加していました。また、親たちは教皇様が親日家であること、とてもフレンドリーな方であることを話していました。そのようなことから興味を持ち始め、来日が決まったときは、満席でもいいから、ちょっとでも見られたらいいなと、ザアカイのような気持ちでいました
─どのような経緯で法被を作る依頼がきたのですか?
中井 教皇様の来日が決まったとき、真生会館に集まっていた若者の一人が、来日を盛り上げるためにホームページを作りたいと考えていて、何でもいいからホームページのためにデザインしてくれないかと頼まれました。結局そのホームページは作られなかったのですが、そのために描いた絵の一つが、カトリック中央協議会の会議に提出されたんです。誰がどういう経緯で提出したのか、未だに私は分からないままなのですけれど。そうしたら、「まだプレゼント用意してないからこの絵が丁度いいよね」「どうせだから法被にしよう」と決まっていったそうです。菊地功枢機卿様もその会議で賛成していたと、後から聞かされました。
─プレゼントにするつもりで作ったわけではないものがプレゼントになることになってどう思いましたか?
中井 「本当にいいんですか」って3回くらい確認しました。でも「いいんじゃない」と言われて。その寛容さがありがたかったです。
─絵を法被にするにはいろいろご苦労などありましたか?
中井 そうですね。私はデザイン会社に勤めているのですが、やっぱりものすごい激務で、拘束時間も長くて、社会人になってからはカトリックの青年の集まりには全然行けてなかったのですけれど、会社で印刷会社にデータを渡す仕事もしていたので、法被を印刷する流れもすぐに分かりました。そのように会社で培われた技術が役に立って、本当に救われました。「全てに時がある」と言いますけど、辛い仕事を辞めずに働いてきたのが報われたなという感じで。「法被をプレゼントする」と決まってから印刷会社への納期が一週間しかなく、私もその時繁忙期で、法被制作に数時間しか割けなかったので、ヒヤヒヤしながら祈りながら作成したのを今でも思い出します。
─自分の作ったものが教皇様に渡される場面を見てどう感じましたか。
中井 私は本当は画家になりたくて美術大学も油絵科だったんですね。なので、もう本当に画家冥利に尽きるって思って。そして、何より嬉しかったのは、そもそも、パパ様にはその場では法被を着ない予定だったそうなのですが、その場の冗談も交えた和気あいあいとした空気の中で、アドリブでバッと着てくださったんですね。周りの方々や通訳のレンゾ・デ・ルカ神父様も驚いていて、本当にサプライズだったんですね。
そして、法被を作ったと言っても、それは私の力だけではなくて、企画を持ってきてくれた青年、法被に入れるメッセージを翻訳してくれたセルヴィ・エヴァンジェリーの方々や、言語系の勉強をしている友人たち、いろいろな人たちが関わったものだったので、その人たちも「着てくれたんだ、すごーい」と感動していました。やっぱりそういうパパ様なんだなあと。「(法被のデザインに文章で込めた)日本の若者たちの想いをパパ様が着てくださった‼」という感動が一番大きかったです。
─その後、中井さんは教区カテキスタ養成講座を受講して、教区カテキスタとしても活躍されていますが、そのような同世代の人がしないようなことにチャレンジしたことと教皇様との出会いは関係がありますか?
中井 はい。むしろ「あれがなかったら」というくらい関係があります。カテドラルでの青年の集いの後、東京ドームミサに向かっているときに、友人の一人が「パパ様は80代でこんなに飛び回ってるんだから、30代の私たちはもっと頑張らないとね」と言ったんですね。そのときに「本当だよな」と思ったのが、種が蒔かれていたのかもしれないです。私はそのとき30代前半で、自分はもう若者という年でもないなと、責任が生じてくる年だなと思ったんですね。それでカテキスタ養成講座にチャレンジしました。
カテキスタ養成講座は熱心に引っ張ってくれる猪熊太郎神父様がいらっしゃって、「ちゃんと厳しく」て、これ幸いという感じでした。私は幼児洗礼で、それまで教会のことを勉強し直す機会もなかったので、猪熊神父様はじめ、ゲスト講師に来てくださった神父様たちの素晴らしい講座のおかげで、あの養成期間は人生の宝といえる期間だったと思っています。
─カテキスタの勉強をしているときに教皇様との出会いを思い出す瞬間はありましたか?
中井 そうですね。やっぱりコロナ渦だったので、対面の講座が始まるまでに2年ぐらい自宅学習の期間、予習時間がものすごいいっぱいあったんですね。家で聖書のページをめくったり、神父様の講座の動画を見たりする時に「パパ様だって頑張ってるんだから」と考えるようにしていました。
─フランシスコ教皇が帰天なさったという一報を聞いたときはどう思いましたか?
中井 そのときは仕事中で、いろんな人からLINEが来てるなと思ったら、そういうことで。まずは祈りました。そして、悲しみとともにイースターまで働かれたということに、改めて驚きと感動がありました。カトリックの典礼暦の頂点でお役目を終えられるのがすごすぎるなと。
─今天国にいらっしゃる教皇フランシスコに何か一言ありますか。
中井 本当に「ありがとうございました」に尽きます。2023年のワールドユースデーリスボン大会に一緒に参加した友人たちとパパさまのことを話していると、泣いてる子も多いんですけれど、「やっぱり泣けるほど関わったっていうのがお恵みだね」と感じます。私たちもへこんでるだけじゃなくて、これからまだまだ生きないといけない。我々がつないでいかないといけないんだなという自覚があります。本当に、全部に感謝です。
先日、聖年の巡礼のために北町教会に行ったのですが、祭壇のお花が水色とピンクのカーネーションで、「ド派手」って言われたあの法被と同じ色だったんです。そのとき、パパ様が亡くなられて悲しいけれど、これで聖霊に乗っていくらでも来日されるんだって思いました。
法被の原画となった絵
2025年世界召命祈願の日ミサ
一粒会担当司祭 小田 武直
2025年5月11日(日)14時30分より、東京カテドラル聖マリア大聖堂にて、東京大司教区一粒会主催による「世界召命祈願の日ミサ」が行われました。これは復活節第四主日に当たる世界召命祈願の日に合わせて毎年行われているもので、今年は林正人神父(日本カトリック神学院副院長)の司式でミサが捧げられました。他に稲川圭三神父(日本カトリック神学院院長)をはじめ、8人の司祭が共同司式に加わり、東京教区神学生と関口教会の青年たちが侍者を務めました。聖歌奉仕はイエスのカリタス修道女会のスモールクワイアが務めてくださいました。この日は青空と緑のひときわ映える晴天で、約250人の参加者が集まりました。
この日の聖マリア大聖堂の内陣中央には、高さ3メートル80センチもある巨大な十字架と聖母のイコンが置かれていました。この十字架とイコンはワールドユースデーの会期中に開催地に置かれるもので、開会に先立ち世界各地を巡礼した後、来年の開催地である韓国ソウルに届けられます。十字架はローマで第1回ワールドユースデーが開催される前年の1983年にヨハネ・パウロ二世の命によって作製され、青年たちに託されたものです。イコンは「Salus Populi Romani」と呼ばれるイコンの複製で、2000年に行われたローマでのワールドユースデーで初めて掲げられました。ミサの冒頭ではこのワールドユースデーの十字架とイコンへの祈りが捧げられました。
十字架の上には どこまでも青空
私は、一粒会担当司祭としてミサの説教を務めさせていただきましたが、「世界召命祈願の日は、『よい牧者の主日』に合わせて定められています。羊は一匹ではとても弱い存在ですが、そのことをよく知っていて、自分を導いてくれる羊飼いの声をよく聞き分け、従っていくことで命をつないでいます。羊飼いと羊の関係は召命を歩む者の理想です。それは自分の力だけで、自分のためだけに生きる人生とは違い、神の望みによってつくられ、導かれていく人生を受け止めていく歩みです」とお伝えしました。共同祈願では一粒会運営委員が作成した祈りが唱えられ、召命についての一同の願いが捧げられました。また、5月8日に選出された教皇レオ十四世のための祈願も唱えられました。
ミサの後にはケルンホールにて懇親会が開かれ、司祭、修道者、神学生とともに多くの人々が歓談のひとときを過ごしました。さまざまな修道服やスータン姿の神学生、修道者が入り混じって歓談する様子が印象的でした。壇上ではスモールクワイアによる歌が披露され、それに続いて神学生、修道者の紹介が行われました。司祭、修道者の召命の減少を実感させられるところもありましたが、その中で召命の道に希望をもって踏み出している姿には勇気づけられるものがありました。
東京には日本カトリック神学院をはじめ、司祭、修道者をめざす人たちが共に生活する修道院、志願院が数多く存在しています。志をともにする人たちが一堂に会して、多くの人たちと交わる機会はとても貴重なもので、これからも大切に継続していきたいと思っています。
駆け抜ける 青葉若葉の季節かな
ワールドユースデーの十字架に献香する林神父
フランシスコ会司祭叙階式
3月30日午後、田園調布教会にて菊地功枢機卿司式によるルカ小見戸雄太助祭の司祭叙階式が行われました。小見戸神父様、おめでとうございます!
左から桑田拓治神父(フランシスコ会日本管区長)、菊地枢機卿、小見戸神父
二人の教皇
教区シノドス担当者 瀬田教会主任司祭
小西 広志神父
あるところからフランシスコ教皇がなさったこと、目指した教会の姿についてお話くださいというご依頼をいただいて、準備をしている最中にフランシスコ教皇は帰天なさいました。2025年4月21日でした。多くの人々に愛された教皇でした。フランシスコ教皇、すなわち、ホルヘ・マリオ・ベルゴリオはブエノスアイレスの大司教の時代から、貧しい人々、苦しむ人々に寄り添う方でした。その姿勢は教皇に選出されても変わりませんでした。また、カトリック教会の様々な改革に取り組んだ教皇でもありました。12年におよぶ在位期間中66カ国を訪問しました。とりわけキリスト教国ではない国と地域にも積極的に訪れました。訪れた先では必ず貧しい人々、虐げられている人々、移民・難民とお会いになられました。わたしたちの眼に焼きついているのは、子どもたちを大切にし、幼児を高々とかかげ、祝福する優しい姿でしょう。
フランシスコ教皇は、ことばを紡ぎだすのがお得意でした。「野戦病院のような教会」、「出かけていく教会」と、教会のあり方、信仰のあり方を短いことばにまとめてわたしたちに示してくださいました。また、インタビューの名手でもあられました。使徒的訪問と呼ばれる各地への訪問の際には行き帰りの飛行機の中でマスコミの記者へ向かって自由にご自分の意見を表明していました。2019年の日本訪問の折りに帰りの飛行機の中で死刑囚の冤罪について鋭く語っておられました。そして、不思議なことにいわゆる舌禍事件のようなスキャンダルは一度もありませんでした。
あまり一般には知られてはいませんが、フランシスコ教皇は多くの文書を発表しました。特に「シノドス後の使徒的勧告」は、カトリック教会に向けられた文書ですが、内容が非常に濃いものでした。また、「自発教令の形式を取った使徒的書簡」というスタイルの公文書をよく発令しました。これは、教皇庁の内部改革を指示する文書です。その数は56におよびました。 さらに、フランシスコ教皇は短い手紙をよく書かれました。これまでは高位聖職者が教皇の名代で書いた手紙ですら、ご自分でお書きになることが多かったです。さらには特に若手の神学者たち、文学者たちが上梓した著作の「まえがき」や「紹介文」もよく引き受けて書き記しました。
昨年、2024年10月6日、タルチシオ菊地功大司教を含む21名の枢機卿を新たに任命した教皇は、同日付で新枢機卿たちに宛てて書簡を送りました。次のように記されています。
かつてアルゼンチンの詩人(フランシスコ・ルイス・ベルナルデス)が十字架の聖ヨハネを特徴づけた三つ姿勢、すなわち「目を上げ、手を合わせ、裸足でいる」を自ら体現するために、あなたが枢機卿としてあらゆる努力をされることを強く勧めます。
あなたの教会への奉仕は、より遠くを見渡し、より広く、より熱烈に愛に生きるために、遙か彼方へと目を向け、心を大きく開くことを必要とするので、「目を上げ」なくてはなりません。十字架の聖ヨハネと共に、キリストの刺し貫かれた脇腹を仰ぎ見て学ぶためです。
教会が最も必要としているのは、福音を告げ知らせることと共に、キリストに従う群れをよりよく牧するためのあなたの祈りですから、「手を合わせ」なくてはなりません。祈りは、私たちの民に対する神の御旨を求め見いだし、それに従うための識別そのものです。
戦争、差別、迫害、飢餓、さまざまな形態の貧困による痛みや苦しみに打ちひしがれている世界のすべての地域の厳しい現実に触れるため、「裸足でいる」ことが必要です。これらの世界の現実は、あなたの大いなる思いやりといつくしみを必要としています。
実はフランシスコ教皇の文章には文学作品からの引用が非常に多いです。しかも、多くの人々に親しまれている小説や詩からの短い引用を使いながら、ご自分の意見を展開なさいました。これまでの教皇にはない特徴的なものです。すでに就任直後のインタビューの中で好みの文学作品、詩について語られ、「悲劇的な文学作品が好きだ」というコメントもなさいました。文学好きは幼少時の体験に基づくのかもしれません。幼少時、ベルゴリオ家では父親が夕食の後に、いろいろな文学作品を声に出して家族に向けて読んでいたそうです。今で言うところの「読み聞かせ」でしょう。
ブエノスアイレス時代のベルゴリオ大司教の演説や文章の数々を読み返してみると、後の教皇としての発言につながるようなものがあることに気づかされます。つまり、この教皇着座から10数年間にわたって、わたしたちに示してくださった教会の本来あるべき姿は、すでに若き日の牧者としての体験を通じて生まれたものなのでしょう。
フランシスコ教皇の帰天から2週間を経て、新しい教皇が選出されました(2025年5月8日)。ロバート・フランシス・プレヴォスト枢機卿は、教皇レオ十四世として教会全体に仕える「僕(しもべ)のなかの僕(しもべ)」になられたのです。選出から数日後、ジャーナリストたちとの初めての会見で、新教皇は4つの印象的な点を語りました。第1に教皇自身が教皇としてのあり方を学び続けている。第2にしばらくは故国アメリカに戻る計画はない。第3に教皇に選ばれたことで出身地であるシカゴの教会に多くの人が集まるようになった。この事実にとても励まされる。そして第4に今のところは、前教皇のように信者とのセルフィー(自撮り)をするつもりはない。
わたしは、特に第1の点に注目したいです。いわば自分の考えや振る舞いが「すでにできあがった」状態で教皇になられた前任者とは異なり、新教皇は「まだこれからの」道を歩んでいかれるのでしょう。それは、世界の状況に対応しながら、同時に、どうしようもないように見えるこの世界に対して神がどのように働かれるのかを見極めながらおこなう慎重で貴重な歩みなのです。わたしたちも新教皇とともに歩みを進めてまいりましょう。
カリタス東京通信 第24回
チョン・ジンソク枢機卿 宣教後援会援助金
カリタス東京事務局 田所 功
昨年、韓国ソウル大司教区の民間団体「チョン・ジンソク枢機卿宣教後援会」より菊地功枢機卿あてに援助金の申し出がありました。その援助金は、ホームレスや社会の目が行き届いていない困窮者を支援するための意向で、5年間毎年10万ドルを寄付するというものです。
チョン枢機卿は、1998年から2012年までソウル大司教を務められ、2021年に89才で亡くなられましたが、1950年に始まった6・25戦争(朝鮮戦争)の体験から、「隣国である日本から物的・人的資源の助けをかなり受けていた。その恩返しをしなければならないと」言っておられたそうです。チョン・ジンソク枢機卿宣教後援会は、その意思を引き継いでソウル大司教を務めたヨム・スジョン枢機卿の指導の下、「受けた助けに恩を返すことができれば」という趣旨で活動されています。
3年前にカリタス東京が設立されてから、支援の現場からは「資金があれば実施したい取り組みがあるのだが」との声が寄せられていました。それらの声に応える形で援助金を活用する方向性をカリタス東京常任委員会で確認し、2つの分野での取り組みを進めています。
①自立に困難を抱える若者支援
児童養護施設や自立援助ホームなどの卒園者・中途退所者の中には、様々な理由で自立に困難を抱える若者がいます。就職先が見つからないとか、一旦就労したが諸事情によって働けなくなったなどの理由で、親代わりに育てた施設・団体に助けを求めてやって来ます。この分野へは公的資金の援助がなく、施設・団体側でも、持ち出しで支援しているのが実態です。カリタス東京とカトリック系の児童養護施設や自立援助ホームで話し合い、援助金運用規定を定め支援活動を行なっています。
②生活困窮者支援
失業して生活費が底をついた、家賃が払えなくなり住むところを失ったりして支援団体に助けを求めてくる人が後を絶ちません。相談に応じて生活保護などの公的支援につなげていますが、その日泊るところがない方もおられます。短期間寝泊まりできるシェルターも一杯の状況が続いています。山谷地区で活動するカトリック系の生活困窮者支援団体「ほしのいえ」からシェルターを運営したいとの要望を聞いていましたので、援助金を活用してアパートの一室を確保し昨年9月シェルターを開設しました。
CTIC カトリック東京国際センター通信 第288号
フィリピン在外選挙新システムの説明会
昨年の9月28日清瀬教会で聖ロレンソ・ルイスの祝日が祝われた時のこと、集まりに参加されていたフィリピン大使館の方、CTICスタッフに、千葉地区での相談会を行えないかと相談しました。この相談会はパスポートの更新方法や労働問題などで領事館からどのようなサポートを受けることができるかなどについて知ることができる広報の場です。すると大使館の方からは驚くべき情報がもたらされました。ちょうど次の中間選挙(2025年5月12日)から海外在住のフィリピン国民の投票方法が変わるので、お知らせする良い機会だ、というのです。数か月先に迫っていたフィリピン国内での大きな選挙から、海外在住のフィリピン国民の投票方法がペーパーレス化され、在外選挙人名簿登録をパソコンやスマホから行う必要があるというのです。相談会の開催は当初2月ごろにと考えていたのですが、新選挙システムの説明ということになるとまず大使館のスタッフ自身が新システムについて学ばなければならなかったので延期されました。ちなみにフィリピン大使館の担当者の方によると、この種の業務やパスポートの更新や労働問題に対応するスタッフは全部で15人ほどだそうです。
千葉地区でのオンライン投票登録の仕方についての説明会は、成田教会を会場として4月12日にようやく開催にいたりました。残念ながらあまり多くは集まりませんでしたが、成田教会だけではなく、西千葉や習志野教会からの参加者もありました。参加者は在外選挙人名簿登録のやり方を学び、模擬投票をしてみました。実際のオンライン投票は4月13日から始まりましたので本当に直前の説明会でした。大使館の方は参加した人に、知り合いにも新システムについて教えてあげるようにお願いしていました。すでに投票期間が始まろうとしているのにこのような状態であることに、CTICのフィリピン人スタッフたちは同胞の参政権の行使を手助けする必要を痛感し、フィリピン人信徒が多数在籍している教会の協力を得て目黒教会(4月26日)と清瀬教会(4月28日)でも説明会を行うことができました。結果としては、約3万人いるとされる日本の登録選挙人のうち今回の投票は1割程度ということでしたので、制度が浸透するまでにはあまりにも時間が足りなかったと言えるでしょう。とは言え、人々の社会的・政治的な権利を守るために教会として協力したことは意味があることだと考えています。もちろん特定の政治的党派に肩入れするという意味ではありませんが。この場をお借りしてご協力いただいた各教会の皆様に感謝申し上げたいと思います。 (CTIC英語司牧チーム)
食糧支援について
諸物価、特にお米の価格が急騰している中においてもご寄付をしてくださっている皆様に感謝申し上げます。CTICでは、お渡しするお米の量を減らしたり他の物に替えたりしていますので、お米にこだわらず、またご無理のないよう、お考えいただけたら幸いです。いつもありがとうございます。
福島の地からカリタス南相馬 第42回
日本基督教団 浪江伝道所・小高伝道所牧師 飯島 信
キリストの眼差し
昨年暮れ、浪江伝道所で一人の洗礼式が執り行われました。4年前の2021年夏、私がこの伝道所を訪れた時、ここは廃墟でした。門から会堂入り口までの道は背の高さほどの雑草に覆われていました。持っていたカバンで雑草を払い除け、蔦に覆われた入り口を探し当て、中に入ると、玄関の靴箱や会堂の天井、食堂の押し入れには幾つもの穴が開き、小動物が出入りした跡が残っていました。2022年4月に赴任した私は、電気もガスも水道も通っていない中、初めての礼拝をここで捧げました。それから3年たった今、未だ8割が帰還困難区域であるこの町の伝道所で、洗礼式が執り行われるなど一体誰が想像し得たでしょうか。
今年4月、ある記念式が小高伝道所で行われました。「小高教会幼稚園記念館」建設への第一歩としての「小高町(おだかまち)歴史郷土資料室」の開設記念式です。3・11以来休園となり、昨年3月をもって廃園となったこの教会幼稚園は、当初解体され、更地は駐車場になる予定でした。しかし、避難先から帰還した卒園生の幼稚園に対する想いはそれを許しませんでした。
小高を襲ったマグニチュード6弱の地震にも耐え、1939年創設以来の姿を留める教会幼稚園は、小高再生を願う卒園生にとって一つの希望でもあったからです。「もう解体は見たくない」「自分の身体が壊されるようだ」との言葉は、園舎の保存へと向かわせました。そして、東北大学の学生らの手によって資料室が完成したのです。
先の浪江伝道所の洗礼式と言い、小高教会幼稚園の資料室と言い、今改めて神様がイザヤに語った御言葉が私に迫るのを覚えるのです。
「見よ、わたしは新しい事をなす。 やがてそれは起る。 あなたがたはそれを知らないのか。 わたしは荒野に道を設け、 さばくに川を流れさせる。」(イザヤ書43章19節)
3年の任期が終わり、新たに3年の任期が与えられました。浪江で、小高で、独り待ち続けておられたキリストは、想い及ばぬ祝福を与え、喜びを分かち合ってくださっています。その慈しみに満ちた眼差しに捕らえられながら、宣教の道を歩み続けるのです。
カリタスの家だより 連載 第173回
新年度を迎えて
「地域活動支援センターみんなの部屋」は、精神に障害のある方が日中活動先として通所し、生活のリズムを整える施設です。主な活動としてグリーティングカードや手芸作品などの創作を行っています。利用者の主体性が発揮できるように作業のあり方やグループでの取り組みを意識し、ボランティアの方たちの協力も得ながら活動しています。
コロナの影響で思うような活動ができない日々もありましたが、昨年より少しずつ活動の幅を広げています。
午前午後の通しの創作活動、金曜日は交流会、土曜日はオープンスペースとして新たな歩みを進めています。
昨年度後半からは、ボランティアの力添えで成城教会のマルシェへ参加させていただいています。マルシェへの参加は新たな人たちとの出会いや、作品を手に取ってもらい直接お声をいただける貴重な機会となり、私たちにとって嬉しい出来事です。利用者とともにマルシェへの参加を意識しながら作品作りを行っており、それは楽しい時間になっています。このご縁にとても感謝しております。
また、新しい利用者も増え、新たな交流も見られるようになりました。
「気持ちをのびのびと自由に思うままにグリーティングカードのパーツづくりをしたらいつもの生活でも、〞私は自由なんだ、思うままに生きていいんだ。”と気持ちを後押ししてもらい、より自由になりました。パーツづくりは楽しくみんなの部屋に行くのも楽しみです。」
「楽しく通っています。穏やかで居心地が良いです。今は刺繍をしていますが色々な作業にトライしていきたいです。」
「褒めてもらえてうれしい。みんなの部屋を利用しながら生活のリズムを整えていきたい。」
「作業は自分が好きなことをやらせていただいていて楽しいです。今はイースターカード、クリスマスカード、グリーティングカードやマスコット、刺繍布巾などオリジナルのデザインで創作をさせていただいて、考えるのが楽しいです。職員さんたちの明るい雰囲気のおかげで頑張ることができて、おしゃべりもでき、とても居心地がいいです。教会の売店にシマエナガ・コーナーを作っていただき、シマエナガの作品つくりに励んでいます。」
「創作作業の時にスタッフさんが新しく加入したことで仕事の幅が広がり、話しながら自分がやれる範囲でできる作業を提案しながら増やし、最近は安定して通所しています。新しいカードのデザインを発案するのも楽しみながらやっています。」
「通所の日数を増やして継続したい。自分なりにカード作りをデザインからしてみたい。メンバーの人との交流を広げていきたい。」
今まではあまり聞かれなかった「交流をしたい」「新しいことへトライしたい」との前向きな言葉は職員にとって嬉しく、とても励みになっております。 新年度はさらにグループ活動・地域への参加を意識しながら歩みを進めていきたいと思っています。
みんなの部屋職員一同
※シマエナガ 北海道に住む野鳥。つぶらな瞳、冬場はふわふわで真っ白な羽毛に包まれた小さな体で「雪の妖精」と呼ばれる。
編集後記
同じ時代は一つもない
同じ人は一人もいない
今この時この人だから
できることがある
神がこの時代を託された
牧者のために祈りを(Y)