お知らせ

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東京教区ニュース第420号

2025年03月07日

アンドレア補佐司教、司教1年目を語る

吉祥寺教会司牧訪問であいさつ

2023年12月16日、アンドレア・レンボ補佐司教が司教叙階の秘跡を受けてから1年が経過した。東京教区ニュースではアンドレア司教にインタビューを行い、この1年を振り返っていただいた。

─補佐司教叙階から1年が経ちました。率直な感想を聞かせてください。
補佐司教になってから1年が経ちましたが、少しずつ少しずつ慣れてきて、今のところは幸せだと感じています。

司教になって1年間だけで、数え切れないほどの堅信式、初誓願式、終生誓願式、教会の献堂式を司式しました。助祭叙階式も4人、今年はさらに司祭叙階式を司式するお恵みを頂いています。大変は大変ですが、その代わりに喜ばしいこともいっぱいあります。だから、他の司教様たちはわたしのことを羨ましいと思ってるんじゃないですか?

一番喜ばしいのは、支えてくれる方が多いことです。何かと仕事と責任が多いですが、皆さんが支えてくださるので本当に嬉しく思います。それはわたしにとってとても大事なことだと思っています。ありがとうございます。

─司教になってよかったこと、逆に大変なことをそれぞれ教えてください。
よかったことは教会の訪問ですね。小さな共同体も大きな共同体も、すべての共同体が素晴らしいと思います。もちろん問題もありますけれど、そのような問題の解決方法も見つけていけると思っています。大変なのはとにかく会議が多いことですね。

─この1年間の中で、特に心に残っている出来事はありますか?
特定の出来事ではないのですが、悩みを抱えている司祭や、高齢の司祭に寄り添うこと、同伴することですね。いつも心の一番奥で思っていることです。

特に心に残っている出来事は今年の1月にミャンマーに行ったことです。ミャンマーの教会は東京教区と姉妹教会です。実際には日本に派遣される予定の2人の司祭に会うために行ったのですが、ミャンマーに入ってその現場の状況を聞いてすごく感動しました。この恐ろしい残酷な状況の中で、ミャンマーの教会は大きな希望の印になっています。赦し合う印になっています。キリスト教や仏教の別なく、教会やお寺のあるところが恐ろしい状況にあっても、その小さい共同体が希望と赦しの印になっています。それは本当に心に残りました。

ミャンマー訪問で現地の司祭たちと

派遣される予定の司祭は、東京教区にも大きな影響を与えてくださるとわたしは期待しています。残酷な状況にあってもイエス様の優しさ、温かさを伝えている司祭なので、東京教区の司祭も信徒の皆さんも、この2人を大歓迎していただければと思います。

また、去年の4月にアド・リミナでローマを訪問したことも強く心に残っています。日本の司教団全員で教皇様を訪問することによって、司教団としての一致を実感することができました。

アドリミナにて教皇様と

─お忙しい毎日だと思いますが、息抜きやリラックスの方法はありますか?
やはり温泉に入ることが一番ですね。月に2回は温泉に行くようにしています。先日はキム・ピルジュン神父様(西千葉・茂原教会助任司祭)と一緒に日光に行ってきました。ピルジュン神父様は3年前に来日してから、ほとんど日本を観光したことがないというので。温泉に入ったり東照宮を見たり、とてもリラックスできる息抜きの2日間だったと思います。森一弘司教様は「神様は私の心の温泉です」と仰っていました。わたしもこのことばを大切にしていますので、特に疲れている時、心の傷を癒やしてもらうために温泉に入ります。それは神様の経験、神様の体験になるのではないかと思っています。

─司教2年目の目標や抱負はありますか?
なによりも、もっと菊地枢機卿様をサポートすることです。それが一番大事ですね。宣教協力体のあり方の見直しにも力を入れたいと思います。そして先ほど申し上げた通り、高齢の司祭、悩んでいる司祭に、もっと同伴したいと思っています。 ─最後に、信徒の皆様へメッセージをお願いします。 今年の聖年のテーマは「希望の巡礼者」です。巡礼者はさまよう人ではなく目的地があります。希望という対神徳として、一人ではなくみんな一緒にということですね。だから、わたしたちの目的地である神様のところに一緒に歩んでいただければ、本当に「希望の巡礼者」という印になると思っています。

わたしたちの社会、日本の社会は複雑になっています。けれども、わたしたちはキリスト者として、どんなにわたしたちの周りの環境が暗くて難しくても、この希望を宣べ伝えるという使命があります。だから一人だけではなくて、みんな一緒に手を合わせながら歩んでいけば、今年は素晴らしい聖年になると思います。

聖年開幕ミサ

扉をノックする菊地枢機卿

2024年12月24日夜、主の降誕のミサのはじめに、教皇フランシスコは聖ペトロ大聖堂の聖年の扉を開き、12月26日には刑務所を訪れてミサを捧げ、刑務所で聖年の扉を開かれた。そして聖家族の主日に、世界中すべての教区カテドラルで、聖年開幕ミサを司教が捧げるようにと指示をされた。教皇様の招きに従い、東京カテドラル聖マリア大聖堂でも、12月29日、聖家族の主日の午後3時から、菊地功枢機卿の司式によって聖年開幕のミサが行われた。

はじめに、司祭団と会衆はルルドの前に集まり、そこから大聖堂正面扉まで、諸聖人の連願を歌いながら行列した。一同が正面扉に到着すると菊地枢機卿は扉をノックし、それによって扉が開かれてミサが始められた。

ミサの説教で菊地枢機卿は、世界各地の戦争や紛争に触れた後、「いま世界は希望を必要としています。絶望に彩られた世界には、希望が必要です。希望は、どこからか持ってこられるような類いのものではなく、心の中から生み出されるものです。心の中から希望を生み出すための源は、共同体における交わりです。互いに支え合い、ともに歩むことによって生まれる交わりです。少ない中からも、互いに自らが持っているものを分かち合おうとする心こそは、交わりの共同体の中に希望を生み出す力となります。希望の巡礼者こそは、今の時代が必要としている存在です」と述べ、聖年のテーマである「希望の巡礼者」が持つ意味を語った。

2025年B-P祭『祈りつづけよう、灯しつづけよう、平和の光』

2月11日、東京教区内のカトリックボーイスカウト・ガールスカウト約580名がカテドラルに集まり、*B-P祭が開催され、昨年、日本カトリックスカウト協議会(JCCS)の担当司教となられたアンドレア・レンボ司教様の主司式で感謝のミサを捧げました。アンドレア司教様からはお説教のなかで、「イエスというランプからいただく『光』を受け、希望をもって、平和の使者となるように」、また、ご多忙のなか駆けつけてくださった菊地功枢機卿様からは「枢機卿正装の緋色の意味のように、カトリックスカウトの奉仕の精神を持ち続けるよう」励ましのお言葉を頂きました。

昨年のケルン教区派遣、淡路島で行われたJCCS全国キャンポリーでの奉仕を通じて、より結びつきの強くなったユーススカウトたち(高校生・大学生年代)の企画・運営面での活躍により、神さまのお恵みを深く感じる、一体感のある希望の一日となりました。

*B-P祭:ボーイスカウト運動の創始者であるベーデン・パウエル卿と、その妻でありガールスカウト運動を委ねられたオレブの生誕を記念する集い

渋谷教会 ボーイスカウト渋谷第5団 トマス 杉田 雅祥

今年のB-P祭のテーマである『祈りつづけよう、灯しつづけよう、平和の光』にあるように、ミサの中で『アルテンベルクの光』が奉納されました。これは、私たちが昨年参加した、ケルン教区と東京教区の友好70周年を記念して行われたケルン派遣で持ち帰った光です。

ケルン派遣で私たちは、歴史ある青年のつどい『アルテンベルクの光』に参加しました。ケルンのスカウトとの交流や、ミサでの平和の祈りを通じて、私たちカトリックスカウトが平和のために、みんなの幸せのために何ができるかを考えるきっかけとなりました。

ベーデン・パウエル卿は最後のメッセージに「幸福を得るほんとうの道は、ほかの人に幸福を分け与えることにある」と遺しています。

私たちがこの言葉を実践し、周りの人々のために行動していくことで、平和の輪はどんどん広がっていきます。 私たちユース世代が中心となって、この平和の輪を広げていけるように、スカウティングを実践していきたいと思います。

「アルテンベルクの光」を奉納©Naohiko Takasaki


赤羽教会 ボーイスカウト北第3団 櫻井 せあ

午後のプログラムでは、私たちが参加したケルン派遣で、ドイツのスカウトから教わったゲームを皆で楽しみました。

そのゲームは、自己紹介で仲良くなり、平和の光を届けに行こうとすると、闇の帝王が光を奪ってしまうという内容です。スカウトたちは、光を取り戻すため、猫とネズミやニンジャゲーム、クイズなどのミッションをクリアし、闇の帝王を闇から解放して、友達になることができました。

闇の帝王を担当したユースの熱演やお手伝いしてくれたユースの働きもあり、スカウトたちは、とても楽しそうにプログラムに参加してくれました。ケルン派遣隊がドイツのスカウトから教わったゲームを通じて、少しでも平和の輪が広がれば嬉しいです。

今後も、JCCS東京支部のスカウトたちの友情が広まり、深まるようなプログラムを私たちユース世代が中心となり作っていきたいと考えています。

サービスを提供する教会から、体験する教会へ

教区シノドス担当者 瀬田教会主任司祭
小西 広志神父

司教団シノドス特別チームは2月のはじめに香川県高松市で合宿を行いました。2泊3日のスケジュールを目一杯使って、昨年10月に終わったシノドス(世界代表司教会議)第16回通常総会が発表した「最終文書」について学びました。そして、日本のカトリック教会がさらに「シノダリティ」を推進するためにはどのような取り組みをしたらよいかを、「霊における会話」を用いて祈り、話し合い、識別しました。

この合宿で話し合われた内容の一部を、紙面をお借りして皆さんと分かち合いたいと思います。

シノドス特別チームのメンバーは、それぞれにこの1年間「霊における会話」を様々な機会を通じて実施してきました。そこでの気づきや疑問点等を自由に話し合いました。

◉「霊における会話」と霊性
集う、祈る、聞くから成り立つ「霊における会話」はキリスト者の生き方そのものを表していると思います。シンプルなものでありながら、神の恵み、聖霊の促しに気づくよい機会となるのが「霊における会話」だと思います。

◉文脈(状況)に応じての適応
「霊における会話」は三つのステップから成り立ちます。そこでは、「わたし」から「わたしたち」へ、そして聖霊の働きの「識別」へと会話の主体は移行していきます。三つ目のステップである「識別」の部分が一番難しいですが、参加者が自分たちの間に聖霊が働き、聖霊からの促しを感じられるのが大きな恵みです。

シノドス特別チームは、昨年(2024年)に「シノドス・ハンドブック」を発表しました。しかし、「霊における会話」のやり方だけが伝わった感じがするのは否めません。しかし、昨年10月の第2会期でなされたように、文脈や状況に応じて、「霊における会話」のやり方の柔軟な変化はあってもかまわないと思います。

◉ファシリテーターの養成
「霊における会話」が普及していくためにはファシリテーターが必要であるという提案が各地でなされていいます。多くの方々がシノドス的な教会のあり方に興味をもっておられることはうれしい限りです。しかしながら、「霊における会話」は正しく養成された人々によってだけ導かれるものではないでしょう。むしろ、体験を重ねることでファシリテーターの役割の必要性を多くの方々が感じとっていくことを願ってやみません。「霊における会話」は誰にでもできるものなのだという基本的な姿勢をシノドス特別チームのメンバーが持ち続けることは大切だと考えます。

◉「分かち合い」との違い
「霊における会話」のよさを体験しつつも、従来からなされてきた「分かち合い」との相違点はどこにあるのかははっきりとしません。「み言葉」、「祈り」などは「分かち合い」にはない要素であるのは確かです。その一方で「霊における会話」を体験した人々の中には「こころがポカポカしてきた」、「こころがあたたかくなった」という感想が生まれています。この事実は、「霊における会話」の特異性を示しているのではないでしょうか。「何かを決める」、しかも「効率よく決める」を求める現代社会の「集い(会議)」にあって、今、この時に神の働きと恵みに気づかせてくれるのが「霊における会話」なのだと考えます。しかも、それは体験を伴わなければ得られません。この点をシノドス特別チームのメンバー相互で理解し、共有しました。

 

以上が「霊における会話」についての意見交換の様子です。

教会が備えている特性である「シノダリティ」は、「ともに歩む」教会を目指します。わたしたちの教会、わたしたちの教区は「もうすでに、ともに歩む」教会となっています。「しかし、まだ」完全にシノドス的な教会にはなっていません。三位一体の神の促しと、それを感じとって実行していく人間の営みを通じて教会はさらに「ともに歩む」教会へとなっていきます。聖霊はその歩みを照らし、導き、助けてくれます。

2020年から始まったいわゆる「コロナ禍」は、わたしたちの教会の姿を少し変えました。教会での様々な活動が制限されたために、積極的に小教区共同体に参加していく人がずいぶんと減ったように思います。信仰のあり方も少し受け身になったように感じます。日曜日にミサに来て、ご聖体を拝領し、自宅へ帰っていくという信仰の姿勢でよしとするようになりました。

しかし、教会は集いです。神と人、人と人が出会い、交わる場です。豊かな交わりを創りあげるためには、すこし努力が必要でしょう。わたしは、「霊における会話」の体験は、わたしたちを本来の教会の姿へと戻してくれると信じています。体験を通じて、「シノドス的」な教会となりますように。

カリタス東京通信 第21回

東神奈川の現場に立たせていただき
カトリック東京正義と平和の会 九重能利子

カトリック東京正義と平和の会は、旧「東京教区正義と平和委員会」の時から、関東大震災時朝鮮人虐殺の現地を可能なかぎり巡礼し、この悲しい負の歴史と向き合うことを大切にしてきた。名前も出身地も記憶されないまま虐殺されていった多くの朝鮮人犠牲者の歴史を忘れてはならないと、その真相究明と慰霊を目的に各地で教員たちが中心となって、証言集め、研究活動が取り組まれてきている。

1月11日、私たちは約20人で東神奈川を訪ね、「関東大震災時朝鮮人虐殺の事実を知り追悼する神奈川実行委員会」代表山本すみ子さんの案内・解説を頂きながら、現場を巡礼させてもらった。横浜における朝鮮人虐殺犠牲者については、そのほとんどが名前も、どのように殺されたのかも不明である。当時の子どもたちの絵や証言は残されているが、現場等の詳細は分かっていない。しかし、虐殺百年目にして新史料が公開され、神奈川地区の虐殺、横浜の虐殺が公文書の形で明らかになった。これを機に私たちは神奈川の現場を歩かせていただくことになった。その参加者の声を分かちあいたい。

「何故これ程まで朝鮮人が虐げられたのかの原因を考え続けたい」、「今回の関東大震災時虐殺フィールドワークでいちばん分かったのは、神奈川地域では百年前の1923年9月2日に軍隊によって500人以上の朝鮮人が虐殺されたことだった。以前千葉習志野の騎兵隊をフィールドワークで訪れたことがあったが、この騎兵隊によっても神奈川地域で虐殺が行われたことが判明した、また東京湾を通過して横浜港に上陸した海軍によっても虐殺が行われたのも分かった。さらにこの虐殺がほとんど秘密にされていたことも、山本すみ子さん達の手で明らかにされた。新史料によって、関東大震災朝鮮人虐殺が千葉地域と横浜地域で天皇の軍隊によって行われ、繋がっていたと判明したことは、私にとって大きな驚きだった。私たち東京正義と平和の会が、東京教区正義と平和委員会の時から継続して行ってきたこの朝鮮人虐殺フィールドワークは、大きな意義があったと思う」、「貴重な学びに参加できて感謝している。荒川から北では自警団など民衆の虐殺行為が主に語られていたように受け止めていたが、神奈川地区では軍隊の意向が際だっていたように感じた。朝鮮併合、三・一独立運動など、民族的偏見と抵抗への恐怖がそうさせたことが説明を聞いて分かった。歴史をくりかえさないためにこのことをしっかり覚え、伝えていきたい」

歴史の現場に立つことは重要である。自分の問題として身体化させられるものがあるし、また被害者の声が聴こえてくるようである。

枢機卿親任祝賀ミサ

祭壇前で跪いて祈る菊地枢機卿

菊地枢機卿の後に控えるアンドレア司教

2024年2月21日、東京カテドラル聖マリア大聖堂で菊地功大司教の枢機卿親任祝賀ミサが行われた。ミサには日本の司教団のほぼ全員と、引退されている仙台教区の平賀徹夫名誉司教、東京教区司祭団をはじめ、キリスト教諸派・諸宗教関係や在東京外交団の来賓、教区内外の信徒修道者等、約550人が参列した。また、かつて菊地枢機卿が司牧していたガーナからはナナ・アクフォ=アド大統領がお祝いの手紙を寄せてくださった。

司教団と司祭の代表者

ミサに先だって、枢機卿親任後、最初に自分の司教座聖堂に公式入堂する儀式が行われた。菊地枢機卿はアンドレア・レンボ補佐司教に付き添われて、司祭と信徒の代表に迎えられ、十字架に接吻の表敬をし、聖堂内を灌水によって祝福し、その後、中央の祭壇前で、しばらく跪いて祈った。

アンドレア司教の持つ十字架に接吻する菊地枢機卿

ミサの冒頭では、駐日ローマ教皇庁のファブリス・リヴェ参事官が、教皇フランシスコからの信任状をラテン語で朗読した。

ファブリス・リヴェ参事官による信任状の朗読

リヴェ参事官と抱擁を交わす菊地枢機卿

ミサの説教で菊地枢機卿は「人間の人生には自分ではどうしようもないハプニングもつきものです。そのハプニングに、わたしたちキリスト者は、しばしば神のみ手がどこにわたしたちを導こうとしているのか、識別するためのきっかけを見いだそうとします。そして今、わたしは、自分の人生の中で今のところ一番のハプニングであるこの任命に、いったいどのような神様の計画があるのか、識別するためのきっかけを必死になって探しています」と率直な思いを述べ、「世界はハプニングに満ちあふれていますが、その中にこそ、神の望まれる計画への道がしばしば隠されています。共に祈りのうちに神の導きを識別し、互いに支え合いながら、歩みを続けて参りましょう。あらためて多くの皆様のお祈りと励ましの言葉に感謝し、これからわたしが与えられた役割をふさわしく果たしていくことができるように、皆様のより一層のお祈りをお願い申し上げます」と会衆を共同の歩みへと招いた。

ミサの終わりには、司教協議会副会長の梅村昌弘横浜司教をはじめ、男女修道会代表、司祭団代表、信徒代表による祝辞と花束贈呈が行われた。

司教団の拍手の中、信徒の代表による花束贈呈

※枢機卿親任祝賀ミサの動画はこちらからご覧になれます。

2025年ケルンデーミサ

今年のケルンデー(毎年1月の第4日曜日)にあたる1月26日、東京カテドラル聖マリア大聖堂にて、菊地功枢機卿司式によるケルンデーミサが行われた。昨年9月に東京教区、ケルン教区の姉妹関係70周年を記念して柴田潔神父(イエズス会)、冨田聡神父(秋津・清瀬・小平教会助任司祭)、赤井悠蔵氏(教区本部事務局広報)の3人が代表団としてケルン教区を訪問したことを受け、今年のケルンデーミサは柴田神父、冨田神父が共同司式に加わり、冨田神父が説教を行い、柴田神父と赤井氏がミサ後にケルンでの体験を分かち合った。

ミサの説教で冨田神父は、第二次世会大戦終戦直後の、無残に壊れたケルン大聖堂の写真を見て、「自分たちがボロボロの時期に多額の支援を東京教区に送ってくださったのだと思った。常識的に考えてあり得ない話だが、常識的にあり得ない話こそが福音の本質に触れるのだと思う」という感動を述べた。

ミサ後の分かち合いで、柴田神父はケルン教区司教総代理のグイド・アスマン神父のテノール歌手のような歌声に感動し、どこで歌を学んだのかを尋ねたところ「母親から教えてもらいました」と答えられ、子どもの頃から司祭養成を受けていると感じたと述べ、また「いつか両教区の交流の一環として、日本のカトリック学校の合唱隊と一緒にドイツを訪れ、ドイツの聖堂でドイツ語から日本語に訳された聖歌を一緒に歌えたら」という願いを語った。

赤井氏はケルン教区放送局であるDOM RADIOを見学したことに触れ、「ケルン教区全体で働いている信徒の正職員は700人ほどだという。DOM RADIOで働いていたのも司祭や修道者ではなく大勢の信徒職員だった。わたしたちが全く同じことをできるわけではないが、同じ精神を持って信徒使徒職の道を歩むことはできると思う」と述べた。

また、大聖堂の後ろには昨年のケルン教区訪問で撮影された写真のパネル展示が行われ、説教と分かち合いを聞いた信徒たちが写真の前に足を止めていた。

パネル展示の前で。左から柴田神父、冨田神父、赤井氏

※2024年のケルン教区公式訪問に関しては、東京教区ニュース第417号をお読みください。
※2025年ケルンデーミサと分かち合いの動画はこちらからご覧になれます。

本所教会日本二十六聖人殉教者祭

十四歳で殉教した聖トマス小崎の像

2月5日は日本二十六聖人殉教者の記念日だが、日本二十六聖人を保護の聖人とする本所教会では、毎年2月の最初の日曜日に「日本二十六聖人殉教者祭」が行われている。今年も2月2日に菊地功枢機卿司式、豊島治神父(本所教会主任司祭)、小田武直神父(教区本部事務局次長)共同司式による記念ミサが行われた。聖年の巡礼ということもあってか、本所教会だけでなく、様々な小教区の方々が参加した。

ミサの説教で菊地枢機卿は、聖人殉教者の他、今年のアメリカ大統領就任式直後の礼拝で、トランプ大統領を前にして「神の慈しみと神の憐れみと神の愛を忘れないでほしい」と説いた米国聖公会のマリアン・エドガー・バッディ主教に触れ、「インターネット上でありとあらゆ罵詈雑言が彼女に向けられていると思います。『なんていうことを言うんだ』『そんな非現実的なことを言ってどうするんだ』と。非現実的だと思います。非現実的ですけれども、わたしたちの信仰は普通の人から考えたら非現実的であります。そんな信仰のために命を捧げて死んでいく、そんなバカげたことはこのこの社会の常識ではありえないのです。でも、それをわたしたちの信仰の先達ははっきりと示している。これこそがわたしたちの信仰を生きる道なのだ。妥協せず、その場で言いつくろわず、適当なことを言って逃れない。それに命をかけているんだということをはっきりと示してくださったのが、わたしたちの信仰の先達の殉教者たちです」と述べ、「信仰に基づいて曲げることができないこと、信念として捨て去ることができないこと、それにしっかりと勇気を持って生き、語り、証しをする。そういう人生を歩んでいきたいと思います」と、現代を生きる私たちも殉教者の生き様に学ぶことの大切さを伝えた。

菊地枢機卿は、神言修道会の神学生だった頃から、ほぼ毎年、本所教会の日本二十六聖人殉教者祭に参加しているとのこと。ミサ後の挨拶で菊地枢機卿が「これからも可能な限り毎年訪れたい」と述べると、会衆からは喜びの拍手が湧き起こった。

殉教者の聖画像に献香する菊地枢機卿

CTIC カトリック東京国際センター通信 第285号

金さんの帰国(1)誤算
相談員 大迫こずえ

東京都の救急医療を担う病院のメディカルソーシャルワーカーから「韓国籍の高齢のご夫婦(内縁関係)を3週間ほど預ってもらえませんか?」との依頼の電話が入りました。お二人は数日前に山中で睡眠薬と殺鼠剤を飲んで心中を図っていたところを通りかかった人に発見され、救急搬送されたとのことでした。すでに体調も落ち着き、帰国を希望している。オーバーステイなので今後は入管に出頭し、帰国の手続きを行う必要がありますが、それは3週間ほどの手続きなので、「その期間、宿泊場所を提供してほしい」というお話でした。CTICはベタニア修道女会にお願いし、修道院の「離れのような場所」で受け入れていただくことになりました。

金さん(仮名)は81歳男性。日本で生まれ、小学校卒業間近に韓国に帰国。中学校、高等学校を韓国で卒業し、23歳の時に関西で事業を起こしていた父親を手伝うために再来日したものの、その会社が数年で倒産。後始末を父親に任せ、知人を頼って上京。「日本で生まれ育っていたため、日本語の読み書きも会話もできましたし、見た目もこんななので外国人と思われたことはありません。ずっと『日本人のように』暮らしていました。還暦を迎える頃から仕事はパソコンができる若者にとられるようになるし、どこでも身分証を求められるようになるし、どんどん生活が難しくなって」と「日本人と変わらない日本語」で話す金さん。

その後、何度も韓国に帰国しようとしたのですが、若かった時に期限切れのパスポートや外国人登録証を「帰国する時に取り直せばいい」と簡単に考えて捨ててしまっていていたために身分証が何もなくなっており、再発行を求めるにも来日直前に親が本籍地を移転していたので本籍地をはっきりと覚えていないこと、長年家族と音信不通になっていたために家族の助けを借りられないなど、まったく先に進めない状況に陥っていることが分かりました。彼が外国人であることも、韓国籍であることも、金という名であることも証明できない状態では、入管に出頭することも、韓国大使館に助けを求めることも、弁護士と委任契約を結ぶこともできません。どこに行っても「あなたがそのような人であることを証明する書類を何か見つけてから出直してください」と言われたそうです。金さんと日本で知り合った内縁の妻、朴さん(仮名)はそんな彼を見捨てることができず、25年前からオーバーステイとなって一緒に暮らしていました。収入が徐々に減り、借金もかさみ、ホームレス状態になり、「死を選ぶしかないと思った」のだそうです。

話を聞きながら理解したのは、金さんがこれまであちこちに相談してかなわなかった、「彼を証明する戸籍を探し出し、その写しを入手し、パスポートを作り直すこと」を私たちが行わなければ、彼らは「3週間」滞在予定のベタニア修道女会にいつまでも留まることになるということでした。 幸いなことに、先行きが全く見えない中でも、シスターたちのあたたかい声掛けや励ましのおかげで、二人は「助けられた命」を前向きに考え、日ごとに明るくなっていました。(次号に続く)

韓国仁川空港でのパフォーマンス

カリタスの家だより 連載 第170回

東京カリタスに育てられて

数年前、コロナ禍前のことですが、東京カリタスの家から、発達障害のお子さんと遊ぶ機会を頂きました。ご自宅まで迎えに行き、一緒に電車に乗ったり公園に寄ったりして楽しく遊ぶはずが、ひと言も発語がありません。手を繋ぎながら歩いていて、何か興味のありそうなことを話しかけても反応しません。戸惑いましたが、その時一緒にいてくださったスタッフから、「今は自分の世界に入っているのよ」と教わり、ハッとしました。

自閉スペクトラム症を含め発達障害の症状は様々で、その子を理解し、当然のことながら、その子に応じた対応をしなくてはいけないと学びました。 前述の電車に乗って遊んだお子さんとは、その後、夏休みにお隣の聖園幼稚園でビニールプールをお借りして、激しい(笑)水遊びをしました。かと思うと、ジャングルジムまで走って行って登り始めます。私にとってはたまのことなので、ただただ楽しく可愛いのですが、ご両親はさぞかし大変でいらっしゃることと思います。でも、遊んだ後、お子さんをお返しするときには、お母さまのお子さんに対する愛情がひしひしと感じられ、胸が熱くなりました。

コロナ禍が始まる直前に、東京カリタスの家から、非営利団体ウフルでのおやつボランティアのお話を頂きました。ウフルの方たちも東京カリタスの家同様、お子さんたちのことを熟知されていて、学ぶところが多くありました。

大人の方の傾聴もさせていただきました。相手のお話を受け入れること、耳を傾け、同情ではなく共感理解しようとすること。これらは半分理解できて半分実行もできるのですが、いまだに半分にとどまっております。

それぞれの事例で自分の至らなさを痛感し、特別支援教育と心理学一般の勉強をしましたが、単位が取れたから分かるものでもないことは言うまでもなく、まだまだ勉強途上におります。 ボランティア開発養成室が年に数回開催するボランティア交流学習会、放送大学教授で精神科医の石丸昌彦先生をお招きしたときは、勉強の励みとするべく、なんと、教科書にサインまで頂きました! 東京カリタスの家での学びは大きく、いろいろなことを教えていただきましたが、一番印象に残っている大切なことは、ボランティアというのは相手のためだけではなく、自分ためにさせていただいている面があるということです。私でも人の役に立っているかなと思えることはありがたく、大きな喜びです。

最近は仕事を優先させてしまい、あまり活動ができておらず申し訳ないのですが、このような機会を与えてくださった東京カリタスの家に感謝です。

先日、ボランティア交流新年会に参加しました。昨年に続き、グループ「ひまわり」が作る美味しい豚汁をおかわりして身体を温め、スタッフ手作りのケーキや福笑いを楽しんだ一日でした。準備が大変だったでしょうと思います。ありがとうございました。

ボランティア 内田芳華

福島の地からカリタス南相馬 第39回

「伝えていくということ」

2023年7月12日、南相馬市小高区の避難指示解除7年目の日に、駅近くの倉庫に小さな美術館を開設しました。

その名も「おれたちの伝承館」。「おれ」とは地方に行くと性別関係なしの一人称。美術作品を展示する25人のアーティストはもちろん、館を作り上げてくれたたくさんのボランティアスタッフ、そして陰で協力してくださった地元の方々…。たくさんの「おれ」たちの思いで作り上げた小さな美術館です。

展示されているのは絵画、彫刻、写真、映像、造形、そして詩や短歌などの文学作品と様々です。でも、普通の美術館ではありません。館のテーマは東日本大震災や福島原発事故をアートの力で後世に伝えること。被災の実相はもちろん、あの震災や事故が私たちに何を語りかけているのか、見る方々にとって解釈の違うアート作品が溢れる空間を彷徨い、心の扉をそっと開け、イメージし思索する、そのような空間づくりをしています。

あのカタストロフィからの復興という局面では、とかく「こうあるべきだ」という解を求めがちですが、これが正しいという解はそう簡単に見つかるものではありません。大切なのはいつかたどり着くかもしれない解に向けて、イメージと思索を続けることかもしれません。 アート作品はその小さなきっかけになってくれると思っています。

開館から約1年半が過ぎました。おかげさまで地元の方々はもちろん、日本全国から様々な思いを持ったお客さんが訪ねてくださっています。特に今年度は、団体で被災地視察に来られる若い生徒や学生さんにたくさん訪問していただきました。 特に原発事故は真の収束までにあと数十年、彼らが孫を持つ頃までかかるのは紛れもない事実です。何があの事故を引き起こしたのか? それにどう対処して未来を築いていければいいのか? アート作品に触れながら世代を超えて共に考えられればと思っています。

中筋純 (おれたちの伝承館館長) 1966年和歌山県生まれ。大学卒業後出版社勤務の後カメラマンになる。2007年よりチェルノブイリ取材、2012年より福島浜通り地方を取材。2017年より福島原発事故関連のアート展「もやい展」を主催。著書多数。

編集後記

明るさが戻る頃
寒さは一番強くなる

春のしるしたちは
なかなか全てがそろわない

それでも毎年やって来る
柔らかな光と暖かな風のそろう日が

「この冬一番の寒さです」の声が聞こえたら
春はもう、すぐそこに(Y)