お知らせ

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東京教区ニュース第419号

2025年01月07日

大司教司牧書簡「平和のために、ともに希望の旅路を」

東京大司教 枢機卿 菊地 功

主の降誕と新年のお喜びを申し上げます。昨年末の枢機卿親任にあたっては、多くの方からお祝いの言葉とお祈りを頂きましたこと、心より感謝申し上げます。教皇さまから与えられたこの務めを果たすために十分な能力がわたしにあるものでもなく、また霊的な深さを持ち合わせているわけでもありません。求められていることを忠実に果たしていくことができるように、みなさまの変わらぬお祈りによる支えを心からお願い申し上げます。

 さて、昨年10月にはシノドスの第二会期がバチカンで開催され、わたしも日本の司教団を代表して参加してきました。この開催を持って、2021年から続いた世界代表司教会議(シノドス)第16回通常総会は閉幕となりました。

これまでの慣例であれば、総会の最終文書を受け取られた教皇さまは、それに基づいて使徒的勧告を執筆され、教会全体への教えとされます。しかし今回、シノドス総会の最終日に出席された教皇さまは、参加者の投票によって最終文書が採択された直後に、その文書をご自分の文書とされることと、使徒的勧告をあらためて執筆しないことを発表されました。すなわち、今回のシノドスの最終文書は、教皇さまご自身の文書となりました。

その上で教皇さまは、「わたしたちは世界のあらゆる地域から集まっています。その中には、暴力や貧困や無関心がはびこっている地域があります。一緒になって、失望させることのない希望を掲げ、心にある神の愛によって結ばれて、平和を夢見るだけでなく全力を尽くして、平和が実現するよう取り組みましょう。平和は耳を傾け合うこと、対話、そして和解によって実現します。シノドス的教会は、ここで分かち合われた言葉に具体的な行動を付け加えることが必要です。使命を果たしに出かけましょう。これがわたしたちの旅路です」と呼びかけられました。

今回のシノドスは、教会のシノドス性そのものを話し合うシノドスでした。特に第二会期では、「宣教するシノドス的教会」であるために、何が求められているのかを、参加者はともに識別しました。教会がシノドス的であるということの意味は、教皇さまにおいては、すべて神の平和の構築に繋がっており、それこそが教会の使命であることが、この言葉からも明確に識ることができます。平和の構築こそは、教皇フランシスコが考える教会にとっての最優先課題です。

そう考えるとき、今の時代ほどその願いの実現からほど遠い世界はありません。

この数年間、世界は歴史に残るようないのちの危機に直面してきました。暗闇が深まった結果は何でしょうか。それは自分の身を守りたいという欲求に基づく利己主義の蔓延と、先行きが見通せない絶望の広まりであって、絶望は世界から希望を奪い去りました。加えて、ミャンマーのクーデターやウクライナでの戦争、そしてガザでの紛争をはじめとして世界の闇がさらに深まるような暴力的な出来事が続き、絶望が世界を支配しています。あまりにも暴力的な状況が蔓延しているがために、世界には暴力に対抗するためには暴力を用いることが当たり前であるかのような雰囲気さえ漂っています。

いま世界では、様々な形の暴力がわたしたちの命に襲いかかっています。神が与えてくださった賜物である命は、その始まりから終わりまで、例外なく、守られなくてはなりません。命を奪う暴力は、どのような形であれ許されてはなりません。

教皇さまは、「希望の巡礼者」をテーマとする聖年の開催を告知する大勅書「希望は欺かない」に、「すべての人にとって聖年が、救いの門である主イエスとの、生き生きとした個人的な出会いの時となりますように」と記し、その上で、「教会は、主イエスをわたしたちの希望として、いつでも、どこでも、すべての人に宣べ伝える使命を持って」いると指摘されます。

いま世界は希望を必要としています。絶望に彩られた世界には、希望が必要です。

希望は、どこからか持ってこられるような類いのものではなく、心の中から生み出されるものです。心の中から希望を生み出すための触媒は、共同体における交わりです。互いに支え合い、ともに歩むことによって生まれる交わりです。少ない中からも、互いに自らが持っているものを分かち合おうとする心こそは、交わりの共同体の中に希望を生み出す力となります。希望の巡礼者こそは、今の時代が必要としている存在です。

2025年は第二次世界大戦が終わりを告げて80年の節目の年になります。人類の歴史に大きな傷跡を残した戦争を体験してもなお、人類は戦いをやめようとしません。1981年と2019年、お二人の教皇さまが日本を訪れ、広島と長崎から平和を訴えられました。あらためてお二人の教皇さまの呼びかけの言葉を読み返し、2025年を、神が求められる平和の確立を呼びかける年にしたいと思います。聖年は希望を生み出す巡礼者となることをわたしたちに求めます。神の平和の確立こそは、希望を生み出す源です。争いを解決し、神がわたしたちに賜物として与えられた命の尊厳が守られる世界を実現するために、祈りのうちに行動する一年といたしましょう。

 教皇さまの文書となったことで、シノドスの最終文書はイタリア語原文からの英訳などに時間がかかり、12月に入ってからやっと英語公式訳が公開されました。現在これに基づいて日本語訳が進められていますが、この公式訳には、シノドス総会で投票した際には存在しなかった教皇さまご自身のはじめの言葉が付け加えられています。

そこで教皇さまは、「各地方教会……は、教会法と本文書自体に規定されている識別と意思決定のプロセスを通して、文書に含まれている権威ある指摘を、様々な文脈で適用するよう、いま求められています」と記し、さらに、「シノドス第16回通常総会が終了したからといって、シノドスの歩みに終止符が打たれるわけではありません」と述べています。

これからは、わたしたちがこの呼びかけに応える番です。今回のシノドスが求めているのは、いわゆる議会民主制を教会に持ち込むことでは、もちろんありません。司教協議会に例えば教会の教えを決めるような権威を持たせるようなものでもありません。今すぐ教会の伝統的な諸制度を改革しようと呼びかけるものでもありません。それよりも、互いの声に耳を傾けあい、祈りをともにしながら、一緒になって聖霊の導く方向を識別し、その方向に向かってよりふさわしく進む道を見いだすようにと求めているものです。そうすることによって、初めて教会は、宣教するシノドス的な教会になることが可能となります。

東京教区においても、様々なレベルで、シノドス的な識別を取り入れる可能性を探っていかなくてはなりません。そのためには、単に組織構造を変えることが最優先ではありません。まず霊的識別の道を学ぶことが、はじめの一歩となります。そのための研修などを開催することを、現在検討中です。

同時に、今すぐこの道をたどりながら取り組めることがあります。

2020年に東京教区の宣教司牧方針をお示ししました。これはそれに先だって、多くの共同体からの意見をいただいて集約する中でまとめられた方針で、10年をめどとして達成するべき宣教司牧の優先課題を記したものです。同指針には「今後10年を目途に実施のための取り組みを行い、10年後に評価と反省を試みて、教会のさらなる発展に寄与していきたいと考えています」と記しました。

しかし10年はそれなりに長い時間でもあり、教会が置かれた社会の現実にも変化がありますから、中間となる5年目で一度見直しをすることがふさわしいと判断いたしました。 現在、教区の宣教司牧評議会において、その見直し作業に着手していますが、これを教区全体で行いたいと思います。その見直しにあたって、シノドス的な霊的識別の方法をできる限り取り入れて行くようにしたいと思います。

具体的な見直しについては別途お知らせいたしますが、基本的には次のように考えています。 東京大司教区の宣教司牧方針の三つの柱、①「宣教する共同体をめざして」、②「交わりの共同体をめざして」、③「すべてのいのちを大切にする共同体をめざして」は、変更せずに堅持したいと思います。それに付随する具体的な取り組みについて、これまでの取り組みとこれからの可能性、そしていまの社会の現実の中で必要となってきた取り組み課題などについて、できる限り多くの方の声をいただければと思います。

最初に宣教司牧方針を作成したときのように、個人のお考えではなくて、共同体の声を伺います。共同体における声の集約には、霊における会話の手法などを活用して、聖霊がわたしたち東京教区をどのような道に導いているのか、その方向性を見極める作業に取り組んでいただければと思います。

具体的な方法や、霊における会話の方法、さらにその声を集約する方法などについては、復活節中には、みなさまに具体的にお知らせするようにいたします。見直しのための小冊子を用意しますので、それぞれの共同体で祈りのうちに、宣教司牧方針の見直しの作業に取り組んでください。この見直しの作業は、一年程度の期間を見込んでいます。 

教会に宣教するシノドス的な教会であることを求められる教皇フランシスコは、ともに支え合い、助け合いながら、力を合わせて祈り続けることで、聖霊の導きをともに識別し、進むべき方向性を見いだす必要性をしばしば強調されています。教皇様の貧しい人や困難に直面する人への配慮は、単に個人的に優しい人だからという性格の問題ではなくて、教会が神の愛といつくしみを具体的に体現する存在であるからに他なりません。従って、教会がともに歩む教会であるのであれば、それは当然、神の愛といつくしみを具体的に示しながらともに歩む教会であって、そこに排除や差別、そして利己主義や無関心が入り込む余地はありません。広く心の目を開き、教会がいま進むべき方向性を、ともに見極めることができれば幸いです。一緒になって教会を広く大きく育てていきましょう。福音を告げていきましょう。新しい働き手を見いだしていきましょう。ともに祈りを捧げましょう。 

新しい一年、福音をさらに多くの人に伝えることができるように、ともに歩んで参りましょう。みなさまの上に、またみなさまのご家族の上に、神様の豊かな祝福をお祈りいたします。

希望の巡礼者

教区シノドス担当者 瀬田教会主任司祭
小西 広志神父

2025年は聖年です。そのテーマは「希望の巡礼者」となっています。新しい年を迎えるにあたって、わたしたちの人生そのものが旅であり、信仰もまた経巡る絶え間ない歩みであることに深く気がつきましょう。歩みに寄り添ってくださる主イエス・キリストがおられるのです。

人間を規定する言葉がいくつかあります。知恵ある人間を表す「ホモ・サピエンス」、その知恵を使ってモノを造り出すことができる「ホモ・ファーブル」、造りあげたモノを享受し、遊ぶ「ホモ・ルーデンス」。知恵ある人間は、様々なモノを編みだし、そしてそれを楽しく使う存在なのです。この人間を規定する三つの定義に加えて、第四の定義があります。それは旅する人間、「ホモ・ヴィアトール」です。人間は移動をします。それは、動物の群れが食物を求めて移動するのとは少し違います。何か別の目的を持って人間は移動します。「通勤・通学」「散歩」「旅行」は、人間にしかできない移動の姿です。なぜなら、戻って来る場所や家があるからです。人は自分の生きている場面や場所から一時的に離れて、何か活動をして、もう一度もといた場所へと戻ってきます。毎日の生活はその繰り返しです。さらに旅する人間は、新たな生活の拠点を求めて移動します。「結婚」はその典型でしょう。「留学」や「移民・移住」もその中に含まれるでしょう。

人間は「ホモ・ヴィアトール」、旅する人間なのです。聖書のなかには旅する人間の姿が多く記されています。アブラムは父親と一緒に故郷を離れ、約束の地へと向かいます。エジプトで苦しい生活を強いられ奴隷として生きてきたイスラエルの民はモーセとともにそこを脱出し、荒野をさまよいながら乳と蜜の流れる土地へと入ります。強いられてバビロンに捕囚された民は、喜びのうちに帰ってきます。マリアはヨセフとの旅のなかで幼子イエスを産みます。そして、新しい家族は迫害を逃れて多くの人々とともにエジプトへと逃れます。神の国の福音を伝えるイエスはガリラヤを経巡ります。そして、決定的な旅路へと向かいます。十字架への歩みです。旅路に生きたイエスを模範とした初代教会もまた救いの福音を宣べ伝えながら、地中海沿岸を旅するのです。

聖書に記されている旅の様子から、人間のあり方を垣間見ることができるでしょう。旅を生きる人間は小さく貧しいものです。いつもいのちの危険にさらされながら歩みます。時には旅の目的地を見失うこともあります。別な道へと迷い込んでしまうこともあります。それでも人間は旅をします。危険と不安定さを抱えながらも、人はどこへと向かって歩むのでしょうか。

人は旅を通して成熟していきます。困難や失敗、迷いやあきらめを経験しながらも一歩一歩、足を進めることで成長するのです。さらに旅の途中で多くのものと出会います。美しい自然、動物、そして人。こういった出会いは人を豊かにします。なぜなら、出会った相手から無償の愛を受けるからです。愛に生きるようになるために人は旅をするのかもしれません。

しかし、旅する人間「ホモ・ヴィアトール」は自ら進んで旅をし、それを享受するとは限りません。現代世界では望まないにもかかわらず、無理やりに旅をさせられる場合があります。住むところを追い出される「難民」。働くところを求める「経済移民」。移動の中で働かなければならず、自分の家には滅多に帰れない「漁民、船員、飛行機の搭乗員」。路上芸人やサーカスの人々もそこには含まれるでしょう。また、政権の変化によって故郷へと帰ることのできない「労働者、留学生」もいます。彼らは故郷に戻るといのちの危険にさらされるのです。このように旅のなかで生き続けるしかない人もいるのです。 それでもなお人は希望を失わずに歩みます。希望は欺くことがありません。希望は裏切ることがありません。希望は神から来るからです。神は人のこころに希望を宿してくださったからです。 

2024年の秋にイタリアを旅した際に、たくさんの移民の人々が空港で入国審査を待っていました。20世紀は難民・移民の世紀だと言われていましたが、今もなお、国を離れて生きていく人々が多くいるのです。厳しい入国審査を待つ彼らの眼は輝いていました。多くの困難がこれから先にも待ちかまえているのは確かでしょう。しかし、彼らは未来への希望を抱いているのです。自分のこころから湧き上がってくる希望に人生を賭けているのです。そんなたくましく生きる姿を見せてもらって、わたしは彼らのために祈りました。「In te, Domine, speravi; non confundar in aeternum」(あなたにかけた希望が、主よ、とこしえにゆるぎませんように)。

西千葉・千葉寺教会統合スタートミサ

2024年12月1日午前、千葉寺教会にて、菊地功枢機卿司式、福島一基神父(西千葉・千葉寺・茂原教会主任司祭)、金泌中(キム・ピルジュン)神父(西千葉・千葉寺・茂原教会助任司祭)、小田武直神父(教区本部事務局次長)協同司式による西千葉・千葉寺教会統合スタートミサが行われた(両教会の統合の経緯に関しては東京教区ニュース第416号を参照)。

ミサの説教で菊地枢機卿は「建物の数が一つ減る。世間の常識ではマイナスのイメージしかないわけですけれども、それよりもキリスト者の集まりがさらに力を持つ、キリストの名のもとに集まっている人たちの共同体がさらに強くなっていく、強い共同体がそこにできる、存在する、ということのほうに光を当て、これから先の教会のあり方を考えていっていただければと思います」と信徒たちを激励した。

さらに午後には同じ意向で英語ミサが捧げられ、両教会の多くの外国人信徒が集まった。英語ミサの説教で菊地枢機卿は、日本語ミサの内容に加え「ミサに与るというだけでなく、皆さんはあらゆる意味で西千葉教会共同体の一部です。言語や活動が分かれていても、一つの教会共同体に所属していることをいつも忘れないでください」と、多国籍共同体の一致を願った。

左から金神父、菊地枢機卿、福島神父

今回の西千葉教会、千葉寺教会統合に関して、主任司祭と西千葉教会、千葉寺教会それぞれの信徒の声を紹介する。一つの共同体として歩み始めた新しい西千葉教会信徒の方々に心を重ねてお祈りいただければ幸いである。

神のみ旨のうちに
西千葉・千葉寺・茂原教会主任司祭 福島 一基 神父

随分前に先輩司祭からこんなことを言われました。「昔の司祭は新しい教会を一つ建てたら一人前だったけど、今の司祭は一つの教会を閉鎖したら一人前なのかもしれない」ちょっと寂しい言葉ですが、これからそのような役割を担う司祭は増えていくことでしょう。だからといって千葉寺教会を閉鎖した自分が一人前になったなどとは微塵も感じていません。教会はすべてキリストによって建てられるものです。今回の千葉寺教会閉鎖と西千葉教会との統合も、キリストの導きのうちに、千葉寺教会信徒の皆さんとともに決断したことです。すべては神さまのわざです。わたしはそれに協力したに過ぎません。

日本の教会は、その多くが海外の教会や修道会などの援助のもとに建てられてきましたが、老朽化が進み、建替や改修などが必要となっています。また少子高齢化の時代を迎え、教会を支える力が弱くなっているのも事実です。そして司祭召命の減少により、司祭が複数の教会を兼任しなければならず、さらに信徒の負担が増えています。そのような中で今回の千葉寺教会の閉鎖と西千葉教会への統合は起こりうるべくして実現したことです。

教会は何よりも神のみ旨のうちにあるものです。千葉寺教会閉鎖・西千葉教会との統合はそのみ旨として受け取っています。ただみ旨のうちに行われたのであれば、それは終わりを全うする恵みを受けたことになるのでしょう。ロザリオの受難の神秘第五連は、イエスさまが十字架の上でその使命を果たし、終わりを全うしたことを黙想しますが、それは安らぎだけでなく、復活への扉でもあります。千葉寺教会を通して示された神さまのわざが、これからの千葉地区の教会をさらに豊かにするものとなるように願います。またわたし自身、統合された新たな西千葉教会の主任司祭としてその使命を全うしていけるよう、必要な恵みを願うところです。

終わりではなく始まり
千葉寺教会 勝山 裕一

カトリック西千葉教会とカトリック千葉寺教会は、2025年1月1日を以って統合し、新たな気持ちで、西千葉教会として歩み始めました。

両教会は、1882年に創立された千葉教会を源流に、1954年に現在の汐見丘の地に西千葉教会が設立され、一方、千葉県の東半分の司牧を委託された聖コロンバン会が1956年に千葉寺に千葉センターハウスと聖堂を設立し千葉寺教会となりました。以後、兄弟教会として一致協力してきました。

千葉中央宣教協力体のあるべき姿として、2011年に4教会の統合検討、その後、西千葉教会と千葉寺教会の統合検討と進めてきましたが、各教会内・教会間の合意形成は極めて難しい状況でした。2018年の大司教からの書簡で述べられたように、「規模や経済的問題から継続が困難と判断されるのであれば、それは統廃合の理由の一つとはなり得ます」を受けて、千葉寺教会では、営繕小委員会を発足させて検討と議論を重ね、聖堂・司祭館の改築・改修は費用的に難しいと結論づけました。また、将来像検討グループを立ち上げて、その他の方策を含めて議論した結果「カトリック共同体としての力を維持強化するために、本教会はカトリック西千葉教会と統合することを東京大司教区に提案する。」という結論に至りました。

2023年9月、大司教より「提案の実現に向けて調整を始めること」という指示が出され、主任司祭と両教会の役員および教区本部事務局長からなる統合準備会議体が結成され、統合に向けた準備を進めました。準備会議では、いろいろな議論はありましたが、千葉寺教会の思いを西千葉教会の方々が理解し協力してくれました。また、統合に向けた合同ミサ・行事も統合後のシミュレーションとして役に立ちました。

統合は、終わりではなく始まりです。統合検討の中で出てきた課題、若者・壮年の教会離れとそれに伴う働き手不足、教会に来ることが難しくなった高齢者への対応、信徒の繋がりの希薄化等、信徒一人ひとりが自分達の問題として、司祭とともに知恵を絞って解決していくことが必要です。 神さまのお恵みが、いつも私たちの上にありますように。


二つの教会の統合に臨んで
西千葉教会委員長 中村 文雄

最初に千葉寺教会と西千葉教会が実際に一つになると聞いた時には内心驚きました。両教会は同じ宣教協力体に含まれ、会議や諸活動を通じて交流がありましたし、主任司祭、助任司祭ともに両教会を兼任されていましたが、統合となるとあまり現実味の無い事柄としか思えませんでしたし、自分がこのことに携わるとは考えていなかったというのが正直なところです。

2011年に千葉中央宣教協力体の小教区統合が提案されてから13年。紆余曲折ありましたが、2023年9月に千葉寺教会と西千葉教会が具体的に統合に向かってスタートしてからはアッという間に月日が経ってしまいました。

その間 前教会委員長から業務を引き継ぎ、実務的な調整もさることながら、両教会の合同ミサや茶話会(交流会)・共同墓参・各地区ベースでの顔合わせ等、様々な形で2つの小教区の信徒の皆様が共に歩んで行くためのお手伝いをさせていただきました。

一方で、私の周りの皆様〈教会委員会・総務財務委員会、各部・各地区、各グループ、そして千葉寺教会を牽引してきた方々、等々〉は、それぞれ歩み寄りの気持ちを持って積極的に統合へ向かって準備されており、それを見て大変心強く感じておりました。

二つの教会活動が実質的に一本化される2024年12月1日、菊地大司教様をお招きして統合記念ミサが行われました。私自身は今やっとこの日を迎えることができて少しだけホッとしたものの、新年1月から実務的に統合された小教区の新たなる出発となるわけで、これからが大変という声が心の隅をよぎることもあり、決して楽観的ではいられません。しかし、これまでの統合準備の過程で司祭・信徒・様々な方々の協力と支え、そして千葉寺教会の方々の献身的な取り組みがあり、この共同体の力を実感した私は、きっとこれから先も上手くいくと考えているのです。

一つになった小教区が今まで以上に発展してゆくことを願い、聖霊の導きにより共に支え合って歩み続けていくことができますようお祈りしたいと思います。 左から金神父、菊地枢機卿、福島神父

枢機卿親任式&感謝ミサフォトギャラリー

2024年12月7日と8日、ローマにて、枢機卿親任式と教皇フランシスコ司式による枢機卿親任感謝ミサがそれぞれ行われた。東京教区公式フォトグラファーが現地で撮影した写真をフルカラーで皆様にご紹介いたします。

親任の時を待つ被選枢機卿たち

教皇の前へ向かう菊地枢機卿

ビレッタ帽の授与

枢機卿の指輪

ショーン・パトリック・オマリー枢機卿(教皇庁未成年者保護委員会委員長、前ボストン大司教)と

ピーター・タークソン枢機卿(前総合的人間開発省長官)と。タークソン枢機卿はかつて菊地枢機卿が働いていたガーナ出身

ローマに駆けつけた加藤英雄神父(清瀬・秋津教会協力司祭、右)と。中央はローマ留学中のタデオ・ラファエル・メヒア神父(グアダルペ宣教会)

アントニオ・タグレ枢機卿(福音宣教省副長官、前国際カリタス総裁)の祝福を受ける菊地枢機卿

フランシスコ会総長マッシモ・フサレッリ神父と。中央は今回の親任式で秘書役を務めた小西広志神父(フランシスコ会)

ラザロ・ユ・フンシク枢機卿(聖職者省長官、前韓国大田司教)と。

教皇司式による感謝ミサ。枢機卿団の中に菊地枢機卿、前田枢機卿の姿も

親任式開始前のサンピエトロ大聖堂

CTIC カトリック東京国際センター通信 第284号

ベトナム人信者によるミサ

昨年に引き続き、今年も「ベトナム人信徒が教区長と共に捧げるミサ」が11月24日にカテドラルで、菊地功枢機卿の司式のもと行われました。今年はアンドレア・レンボ補佐司教も参加され、ベトナム人司牧にかかわる司祭たちも共同司式しました。このミサは近年急激に増加しているベトナム人信者たちに、東京のカテドラルで東京教区の大司教様と共にミサを捧げることを通して、自分たちも教区を構成する一員であると感じてもらうとともに、教区の側でもこの信者たちへの司牧の責任を自覚し、そのための主の導きと助けを祈る機会として始められました。

今年は千人を超えるベトナム人信者が集いました。ミサの基本の部分と説教(通訳あり)は日本語で、聖書朗読、聖歌、共同祈願などはベトナム語で行われました。ミサはベトナムの殉教者である聖アンデレ・ジュン・ラク司祭と同志殉教者を記念して捧げられ、福音では「私について来たい者は、自分を捨て、日々自分の十字架を背負って私に従いなさい」(ルカ・9・23)とのイエスの言葉が朗読されました。説教で、菊地枢機卿は、十字架を背負うとは、苦しみなさいということではなく、キリストの十字架がそうであるように、神の愛といつくしみを具体的な行動で証しするようにということであり、自分自身よりも隣人の心へと思いを向けることであり、これこそが今、教会が取り組んでいるシノドス、共に道を歩くことの意味であり、また間もなく訪れる聖年のテーマである希望も、この共にいることから生まれると説かれました。

民族衣装での奉納

ミサの後には、両司教に青年たちがグループごとに準備した質問をする時間が設けられ、あるグループからは、「ベトナムではミサに参加しないことは大罪だと教えられたが、日本では仕事や勉強でミサに出られず罪悪感がある。生活とミサとどちらを優先すべきか悩んでいる」と、思いが語られました。これに対して菊地枢機卿が、「皆さんがベトナムで習ってきた教えは正しいことです。一方で、日本の生活ではベトナムと同じようにすることは困難であることは承知しているので、それぞれ心配しすぎずに信仰生活を保つように」と励まされました。また、日本の青年とも交流したいという声もありました。これにはアンドレア司教が、皆さんがまず小教区に出かけて、個人的な出会いをしてくださいと鼓舞されました。

千人以上の若者が集まったミサ。これはどこか遠い所の出来事ではなく、東京のカテドラルで起こったことです。来年もこの集まりは計画されるでしょうから、ベトナム人以外の方々もぜひご参加になって、その熱気を体験してみてはいかがでしょうか。

菊地枢機卿は説教の最後にこう呼びかけられました。「一緒に支え合い助け合いながら道を歩む教会になりましょう。そして希望を生み出し、希望を告げる教会になりましょう。」こうした機会がその呼びかけに応えていくための助となることを希望しています。

高木健次 CTIC司祭

カリタスの家だより 連載 第169回

賛助会の生い立ちと切手グループの今

東京カリタスの家には法人の運営と活動を支える賛助会があります。まずは東京カリタスの家の生い立ちについて「東京カリタスの家の歩み」に書かれている小宇佐敬二神父様(2024年6月に帰天、当時常務理事)の記事よりお話させてください。

戦後まもない頃、土井辰雄枢機卿とケルン教区のフリングス枢機卿が出会い、深い友情で結ばれていました。それは同じ敗戦国であり、戦禍の苦難を身に負う共通の痛みがあったからでしょう。そして「ケルン教区が東京教区を支援する」ということによって直接の交流が生まれました。クリスマス献金の全額が東京に送られ、それが東京カテドラル聖マリア大聖堂の原資となりました。その後、ケルンからの援助はカトリックセンターの建設にまで及びました。この援助金には「東京でもカリタスを行ってください」という要望が添えられていました。東京で福祉活動(カリタス)を行うことはケルン教区の意向上《至上命令》だったわけです。

同じ頃、麹町教会にドイツ人のビッター神父がいました。司祭館を訪れる様々な問題を抱える多くの人々の世話をする中で彼は「この仕事は教会の神父だけによらず、多くの人の手によって実践されていく必要がある」と強く思っていました。ビッター神父の思いを受けて、新しくできたカトリックセンターの中に「福祉部門」を設置することとなり、それが「東京カリタスの家」の始まりです。そして1969年に4人のボランティアによって活動がスタートしました。「キリスト教精神に基づいて」「家族福祉の活動」を「ボランティアの手を通して」実践するというカリタスの家の理念の三本柱はその時からのものです。

活動を開始するとやはり「お金」が必要になってきます。そこで「賛助会」という資金捻出グループが発足しました。この活動に賛同する賛助会員を募るために各教会を回りました。バザー、チャリティーコンサートなどのイベントも企画しました。また、古切手を集めて整理して業者に売るという地道な活動もあり、その「切手グループ」の活動は今も続いています。ここに、切手グループの現在の活動を紹介いたします。

 切手グループ活動紹介

日頃「東京カリタスの家」の賛助会活動のひとつである「切手グループ」の使用済み切手と書き損じはがきの収集にご協力いただきありがとうございます。皆様が心を寄せてくださりお届けいただく郵便物は年間300件にのぼります。励ましのお手紙や慰問の品を同封してくださることもあり、メンバー皆が感謝して頂いています。

作業しながら皆それぞれに生活の知恵、旅行後記等々楽しい会話が弾みます。これもコロナ禍が収まり、日常が戻りつつあるお陰です。昼食時のお茶の準備もできるようになりました。作業は、月2回、10時~14時に行っています。切手の周りを5ミリ~8ミリに切り揃えますが、ギザギザは必ず残します。汚れた切手を外し、外国切手は別にします。いずれも台紙を付けることが必要です。切り揃えたものが溜まると段ボール箱にビニール袋を敷き梱包をして、古切手取り扱い業者に発送し買い取ってもらいます。少額ですが活動を支えるために使わせていただいています。

頂く切手の中には素敵な絵柄の切手があります。日本の切手も綺麗なものがありますが、特に外国の切手には大きくて名画、宗教画、聖母子像画、物語性があるものがあります。クリスマス用の絵柄も沢山あるので、それらを利用してクリスマスカードやグリーティングカード、しおり等々の作品を作っています。出来た作品は、いろいろなイベントなどの会場に出向きお買い求めていただいています。この売上金も、活動を支えるために使っていただいています。今後ともよろしくお願いいたします。

切手グループ 浅井恵美子

このように東京カリタスの家の活動が50年以上も継続できているのは、多くの皆様からの温かなご支援のお陰です。感謝申し上げます。詳しい活動や寄付についてはホームページをご覧ください。末永いご支援をよろしくお願い致します。

賛助会会長 鳴海京子

 

福島の地からカリタス南相馬 第38回

カトリック原町教会信徒 武内 秀子
浪江町に移住して

朝、カーテンを開けて目の前に広がる阿武隈山地を眺めます。青く澄み切った日は、山肌もくっきり、灰色の雲に覆われている日は、山も霞んでいます。そんな自然の表情を楽しみながら一日が始まります。昨年11月に埼玉県草加市から浪江町川添に移住しました。これまで千葉、埼玉と人が多い地域で生活をしてきましたので不自由はありませんでした。一方、浪江町はまだ人の数も少なく、不便ですが最低限必要な物は揃っています。景色の良い眺め、澄んだ空気のおいしさ、騒音の無い生活はストレスフリーです。私の思いとは裏腹に、会う人ごとに「何で浪江?」と驚いたように聞かれます。

移住のきっかけは音楽を通した出会いでした。2012年に夫が急逝、当時、二人の子どもはまだ学生でした。私は夫を失い途方に暮れていました。不安に思っているだけではだめだ、とこれまで興味を持っていた音楽療法を学ぶことにし、2017年の卒業と共に音楽療法士Ⅰ種の資格を取得しました。そして、2018年から5年間、南相馬や浪江町でヴァイオリニストの息子・良太朗と復興支援コンサートを行いました。

当時、このボランティアを支えたのが、東京都に住む請戸地区出身の稲川シスター(サレジアン・シスターズ)でした。南相馬市のボランティア団体「カリタス南相馬」を紹介してくださり、カリタス南相馬がコンサートを手配、私達は高齢者施設や復興団地を回り、ヴァイオリンの美しい音色を届けました。透き通る音色に涙を流し聴き入る人もいました。

また、回を重ねるうちにコンサートを楽しみに来ていただけるようになり、こうして地域の人々との交流を重ね、地域の人々の温かい心に触れ、移住を決心いたしました。 また、カリタス南相馬に隣接する原町教会の幸田和生司教様や教会の方々は私たちの活動をずっと応援してくださっています。現在カリタス南相馬所長の根本摩利さんはピアニストとして伴奏を引き受けてくださり、活動を支えてくださっています。そのようなご縁で2023年、司教様から親子で洗礼を授かりました。息子は浪江町への移住を機にイタリアに音楽留学に出かけました。

浪江町の復興はこれからようやく始まります。駅前再開発、産業団地、そして我が家の目の前の「F-REI」(福島国際研究教育機構)など10年位後には完成する予定だといわれています。浪江町のこれからの変わりようを見られるのを楽しみにしたいと思います。

根本さん、武内さん親子の3ショット

カリタス東京通信 第20回

「生活困窮者支援フェスタ」を開催しました
カリタス東京 事務局 田所 功

2017年、教皇フランシスコは11月の年間第33主日(「王であるキリスト」の祭日の前の主日)を「貧しい人のための世界祈願日」と制定されました。その年の教皇メッセージには次のように記されています。「わたしはこの祈願日にあたり、全教会と善意の人々に呼びかけます。助けを求めて叫び声をあげ、連帯を求めて手を伸ばしている人々にしっかり目を向けてください。彼らは天の御父によって造られ、愛されているわたしたちの兄弟姉妹です」。

8年前から、この祈願日に合わせて何かできないかと思っていましたが、新型コロナの影響もあり何もできずにいました。今年に入って、生活困窮者を支援している団体・グループの方々に声をかけたところ、「『フェスタ』と称してやったらどうだろう」「活動団体・グループだけでなく、関心のある人が誰でも参加できるようなイベントにしよう」との意見が出て、とんとん拍子で企画が進みました。そして、11月16日土曜日、東京カテドラル構内を会場として「生活困窮者支援フェスタ」を開催することができました。

まず、午前11時から関口教会の調理室にて炊き出し調理体験。活動団体ほしのいえ、田園調布教会グループ、松戸教会グループ、西千葉教会グループがスタッフとして調理指導しながら、カレーライス、おにぎり、豚汁を作りました。約40人が参加しました。その後、イベント参加者全員で試食会。調理したものを皆で食べました。午後2時からケルンホールで吉水岳彦さん(浄土宗光照院住職)の講演会。テーマは「路上のいのちに向き合う 宗教を超えて」。山谷地域で育った吉水さんの小さい頃の体験、自ら立ち上げた支援活動団体の様子、そして宗教・宗派を超えた連携の重要性などをお話しいただき、約80人が参加しました。午後4時からは、カテドラル地下聖堂で小池亮太神父(カリタス東京常任委員長)の司式で、「貧しい人のための世界祈願日ミサ」を捧げました。また、当日ケルンホールでは活動7団体が出展して活動紹介や物品頒布を行い、合わせて、活動16団体の紹介写真展示も行いました。

教皇フランシスコはこれまで、様々な機会に「『ケアの文化』を創りましょう」と呼びかけておられます。また、10月のシノドス閉会ミサの説教で、「座ったままの教会。まるで気付かないかのように世のことには関わらず、現実から離れたところで引きこもっている教会は、何も見ようとせず、自分の心配事だけを気にするだけになる危険を冒しています」と、具体的な行動を起こすよう呼びかけられました。私たち東京教区の一人ひとりが、窮乏する兄弟姉妹のために祈り、寄り添う人々の輪が広がっていきますようにと祈りたいと思います。

編集後記

一月はまだまだ寒くてまだまだ暗い
初春はちっとも春じゃない

明るくなったからではなく
明るさを求めて歩き出す
始まりとはそんなものかもしれない

一歩ずつでも一歩だけでも光に近づける
そんな一年でありますように(Y)