お知らせ

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東京教区ニュース第417号

2024年11月12日

菊地功大司教、枢機卿に任命

東京教区の皆様

†主の平和

教皇フランシスコは、ローマ時間10月6日正午(日本時間午後7時)、バチカン・サンピエトロ広場に集まった巡礼者や訪問者に向けての「お告げの祈り」において、タルチシオ菊地功東京大司教を含む21名を枢機卿に任命することを発表なさいました。

菊地大司教の枢機卿任命は東京教区にとっても大きな喜びであり、誇りです。わたしたちの牧者である菊地枢機卿を、父である神様がこれまで以上にお守りくださるよう、皆様のお祈りをお願いいたします。

東京大司教区 補佐司教
アンドレア・レンボ

※菊地枢機卿が自身のブログ「司教の日記」に記した枢機卿任命に際するメッセージの一部を抜粋してご紹介いたします。

「驚きました。心の底からこれだけ驚いたのは久しぶりなほどに驚きました。そして困惑しました。枢機卿は単なる名誉職ではなく、教皇様の顧問として果たすべき役割が多々あることを考えると、自分の足りなさばかりが浮かんできます。そもそもわたしはイタリア語が初歩の初歩で、やっと日常会話が理解できる程度です。教皇様とのコミュニケーションには、少なくとも英語の通訳が必要です。

12月7日に親任のための枢機卿会が行われるそうです。それまでどんな準備が必要なのか、見当もつきません。せっかくいまローマにいるのに、正式な通知は何もないですから、すべてニュースで聞いているだけです。

一緒に神言会の会員がもう一人枢機卿に任命されました。セルビアのベオグラードのネメット大司教さんです。以前から存じ上げている兄弟会員です。神言会は来年、創立150年をお祝いします。この150年の歴史の中で、これまで枢機卿は、1967年に帰天された北京の大司教であったトマス田(ティエン)枢機卿様お一人だけでした。今回、二人目と三人目の枢機卿が誕生したことは、神言会にとっての名誉になったかと思います。

また同時に、この任命はわたし個人の名誉ではなくて、日本の教会にとって、また特に東京教区にとって大きな名誉です。加えて、現在その総裁を務めさせていただいている国際カリタスにとっても名誉であると思います。

さらには、今回、次期FABC副会長のフィリピンのパブロ・ダビド司教様も枢機卿任命を受けたことで、FABCにとっても大きな意味を持つ名誉ある任命となったかと思います。

たくさんの皆様からお祝いのメッセージやメールをいただきました。心から感謝申し上げます。繰り返しですが、自分の身に余る役目を仰せつかったと思います。自分の足りなさに身が縮む思いをしています。どうかこれからも皆様のお祈りで支えてくださるように、心からお願い申し上げます。」

次期FABC副会長のパブロ・ダビド被選枢機卿(フィリピン、カローカン教区司教)と

昨年に続いてシノドス黙総会の指導を担当したティモシー・ラドクリフ被選枢機卿(ドミニコ会)と

2025年 聖年「希望の巡礼者」

教皇フランシスコは、今年2月11日、新福音化推進評議会議長リノ・フィジケラ大司教に宛てた書簡を発表し、2025年に聖年が開催されることを告知しました。また、5月9日には2025年の聖年を布告する大勅書「希望は欺かない」を発表しました。

教会は、聖年に聖なる巡礼を行うことを勧めています。2025年の聖年開催にあたり、東京教区では以下の教会を巡礼教会と定めました。

秋津・清瀬・小平教会
神田教会
北町教会
五井教会
麹町教会
関口教会
関町教会
高輪教会
調布教会
築地教会
西千葉教会
八王子教会
松戸教会

また、2024 年12 月29 日(日)15:00より、東京カテドラル聖マリア大聖堂にて「聖年のミサ」が行われます。

なお、現在、東京教区では「巡礼ハンドブック」を作成中です。完成次第、各小教区に配布いたします。

※聖年に関する詳細な情報はカトリック中央協議会の「2025 聖年 希望の巡礼者」特設サイトをご覧ください。

ミャンマーの教会に想いを寄せて

今年のミャンマーデー(11月17日)には、昨年に引き続き、ロイコー教区のセルソ・バシュウェ司教が東京教区を訪問する。バシュウェ司教の来訪にあたり、ミラノ外国宣教会によって運営されているカトリックニュースサイト「アジアニュース」に掲載された、ロイコー教区とバシュウェ司教に関する記事の日本語訳を掲載する。

セルソ・バシュウェ司教

大聖堂のない司教

カヤー州のロイコー教区のセルソ・バシュウェ司教は最近、ローマでのインタビューに答えて証言した。60歳の彼は9月、毎年ローマで開催される新任司教の研修コースに参加した。このコースには、東京教区補佐司教アンドレア・レンボ司教も出席した。昨年11月、バシュウェ司教は、軍に接収された王であるキリスト大聖堂から逃げざるを得なかった。現在、彼はカヤー州で国内避難民とともにキャンプで暮らしている。

「ロイコー市にはもう誰も住んでいません」と司教は語った。「特にキリスト教地域の大部分が放火され、破壊されました」。教区の信者は、昨年のデータによると約15万人が避難しており、森の中の200の難民キャンプに散在している。

「避難民は村から遠く離れた、戦闘のない僻地に住んでいます。子どもたちは最悪の状況に直面しています。時には中学生でさえ武装闘争に参加することがあります。コロナと内戦のせいで、5年間も学校に通っていない子どもたちもいます」とバシュウェ司教は語った。 過去1年間、彼は国を再建しなければならない世代を教育するために、避難民の間で小規模の非公式学校を設立するために尽力した。東京教区も「希望の種」プロジェクトで協力している。 司教はキャンプ生活について話すとき、いつも笑顔で、時には笑い声もあげている。「私の勇気の源は人々です。彼らは私に勇気を与えてくれます。今では、ほぼすべてのキャンプに小さな十字架で祈る場所があります。自然の中の教会で、とても美しいです」。

バシュウェ司教は、2週間の包囲の後、2023年11月にロイコー大聖堂を放棄せざるを得なかった。「私は大聖堂のない司教ですが、幸せです。ロイコーから逃げたとき、多くの人から戦闘のない安全な場所に行くように言われました。でも、どうして自分の仲間から離れられるでしょうか。自分の信徒がいる場所に行かなければなりません。

教会はありませんが、祈る場所があります。困難ですが、初期のキリスト教徒の生活を思い起こさせる経験です。『司教様、いつ大聖堂に戻るのですか』と尋ねられますが、教会は建物ではありません、と答えます。人々が一緒にいるとき、愛し合い、分かち合うとき、そこに教会があるのです」。

「教区司祭や修道女たちは今、これまで以上に人々に尽くしています。難民キャンプの中には、カテキスタがいないところもあります。しかし、祈りを導く方法や聖書を読む方法を知っている人は誰でも、新しい伝道者になるのです。何よりも、シスターたちは苦しんでいる人々のそばにいます。ですから、私たちは国際機関が到達できない遠隔地の人々に手を差し伸べることができるのです。たとえ多くの課題や困難があっても、神は私たちを助けてくださっています。私たちが持っているものは十分ではありませんが、少しずつ前進しています」。

※アジアニュースの許可を得て翻訳、掲載しています


「希望の種」の援助で作られた教室で子どもたちと遊ぶバシュウェ司教

「JOC東京働く人の家」50周年記念パーティー

10月13日午後、江東区永代の「働く人の家」にて、「JOC東京働く人の家50周年記念パーティー」が行われ、日本各地のJOCメンバーや協力者、JOCのOB・OGたちが集まった。

15~35歳の働いている、働きたいと思っている若者たちが、互いの労働環境や生活状況について話し合い、改善のためのアクションを起こしていくためのグループである「JOC Jeunesse Ouvriére Chrétienne  (クリスチャンの働く若者)」は、ベルギーのブリュッセルでジョセフ・カルデン神父(後に枢機卿親任)によって始められた働く青年のための活動を母体とし、1925年に教皇ピオ11世から正式な認可を受けた。日本での活動は1949年に北九州の小倉教会から始まった。

式のはじめに、東京JOC協力者のピエール・ペラール神父(パリ外国宣教会)は「(50年の間に)建物は綺麗になったけれど、大切なのは生きた家になったこと。ここで多くの青年が育った。過去だけではなく、今現在生きている活動の拠点なのが素晴らしいこと」と述べた。また、東京働く人の家の創設に大きく関わった大原猛神父(東京教区)は、祝辞の中で、「51年前に、徒弟制のガラス工場などで、寮に住み込みで働く10代半ばから20歳くらいの若者と関わりがあり、50年前に白柳誠一大司教(当時)にお願いして永代に住み始め、東京に最初の働く人の家ができた」と、創立当時の東京JOCを振り返った。

祝賀会の中では、札幌、京都、東京、大阪、広島、高砂(兵庫県)から集まったJOCメンバーからの活動報告が行われた他、アンドレア・レンボ補佐司教司式、ペラール神父、日本JOC全国協力者のレネ・カンデラリア神父(淳心会)共同司式によるミサも捧げられた。

ミサの説教でアンドレア司教は「現在の我々の社会の中には無関心になっている人が多すぎると思う。だからJOCに繋がっている方々は無関心にならないように頑張ってください。苦しそうな人がいえれば声をかけてください。見逃さないでください。そうすれば、私たちもイエス様と同じように生きる喜びを伝えることができると思う」と、若者たちを励ました。

祭壇から語りかけるアンドレア司教(左)とペラール神父

グローバル・サウスの教会とともに

教区シノドス担当者 瀬田教会主任司祭
小西 広志神父

シノドス(世界代表司教会議)第16回通常総会の第2会期がちょうど終わりました。このことについては改めて皆さんにお伝えする機会があるでしょう。

ここでは、すこし大きな視点から「シノドス的」な教会の姿についてお話ししましょう。話題にしたいのは、日本のカトリック教会とグローバル・サウスの各司教協議会、各教区との関わりについてです。グローバル・サウスとは北半球の諸国との対比で南半球に位置する諸地域、諸国のことを指す言葉です。

最初に思い出話をちょっとだけお話しします。新潟教区の教区司教であったフランシスコ・佐藤敬一司教さまは、フランシスコ会のご出身でした。快活な方で、興に乗られるとご自分でアコーディオンを弾かれて歌を披露するような楽しい司教さまでした。1980年代の終わり頃でしょうか、アジアの司教たちの集まりに佐藤司教さまも参加されました。会食の席で例によってアコーディオンを取りだして歌われたそうです。その歌が軍歌でした。そうしたら多くのアジアの司教さま方の失笑を買われたそうです。それどころか不快感を露わにされる司教さまもいらしたそうです。 

その後、日本の司教さまたちはアジア諸地域の司教協議会、教区との友好関係、連携を模索してきました。佐藤司教さまの「失敗」のエピソードがきっかけとなったかどうかは分かりません。しかし、多くの司教さま方はアジア各地のカトリック教会を訪問していきました。

そんな地道な積み重ねが実った出来事が今年の夏の終わりにルクセンブルクでありました。グローバル・サウスの司教たちが集まって、始めて会合を持ったのです。南米、アジア、アフリカなど南半球の司教協議会の代表者らが一堂に会して、話し合うのは初めてのことだと思います。この会合の内容については、菊地功枢機卿がカトリック中央協議会のホームページに掲載してくださいましたのでどうぞ御覧になってください。

実は、グローバル・サウスの各司教協議会、各教区は経済的に北半球のカトリック教会に依存しています。すなわち、ヨーロッパ、北米大陸の教会の援助によって南米、アジア、アフリカの教会は成り立っているところがあります。日本のカトリック教会は、経済的にも自立しています。キリスト教国でないにも関わらず、経済的にほぼ自立している日本のカトリック教会は特異な存在かもしれません。東京教区は、皆さんもご承知でしょうが、ミャンマーのカトリック教会との姉妹教会関係を築いています。必要十分な額にはほど遠いかもしれませんが、経済的に少し援助させていただいています。

北半球のカトリック教会に依存せざるを得ないグローバル・サウスにある司教協議会や教区は、どうしても北半球の教会のあり方に従わざるを得ないでしょう。こうして、独自の文化、独自のあり方をあきらめるしかない。それが実状だと思います。

さらに北半球のカトリック教会、つまり西側先進諸国のカトリック教会は、若者人口の減少と教会の世俗化によって聖職者、奉献生活者の召命が極端に少ないです。いえ、召命はほぼ皆無と言っても差し支えないです。ですから、数多くある小教区の運営を外国からの聖職者に委ねなければならない。つまり、グローバル・サウスのカトリック教会は北半球のカトリック教会に対して聖職者の供給源となっているのです。例えば、イタリアでは若い司祭たちの多くはヨーロッパ以外からやって来た人たちです。 

残念なことですが、このように北半球と南半球、それぞれのカトリック教会の関係は少しいびつなものとなっています。グローバル・サウスのカトリック教会はどちらかというと聖職者の力が強い傾向があります。そのような文化と伝統の中で信仰を育まれた青年たちが聖職者に叙階され、ヨーロッパや北米大陸の各教区、各小教区に派遣されたら、文化と伝統の違いから摩擦が生まれるのは当然です。小さな摩擦がやがてトラブルへと発展しかねないのです。「問題を犯すのはいつもアフリカやアジアから来た司祭たちだ」と吐き捨てるように言い切った友人のイタリア人司祭の言葉がわたしの胸に突き刺さりました。 

昨年のシノドスの第1会期では、最後のステートメント(声明文)を作成する段階になって、英語が堪能なヨーロッパやアメリカの司教たちが活躍したと聞きました。英語が母国語ではないグローバル・サウスからの参加者たちはついていけなかったそうです。すばらしい体験とアイディアを分かち合ったシノドスが、美辞麗句でまとめられるのは、おやさしい教皇さまですらお望みではないでしょう。 

各地域の教会のあり方が尊重される。これがシノダリティの教会のあり方の一つの姿です。ましてや経済的な理由、人的な理由からグローバル・サウスの各司教協議会、各教区が自由を失うのはシノダリティにあまりふさわしくないのです。

ところで、もう一つの思い出話です。白柳誠一枢機卿さまが、先の大戦で日本が多くのオランダの人々を苦しめたことに対して、オランダで公にゆるしを請い、和解のためにミサをささげたのは、確か1997年だったと思います。この勇気ある行動のおかげで、「日本人は戦争の被害者でもあり、同時に加害者でもあるのだ」という意識がわたしの中に芽生えました。このような、ゆるしを請い、和解のために働きかけるのが日本のカトリック教会の姿勢だと思います。かつての佐藤敬一司教さまの「失敗」のエピソードは、このようにして平和への「回心」の実を結んでいったのです。

ともに兄弟姉妹として歩んでいきましょうと呼びかける「シノドス的な教会」でありたいものです。今月、日韓司教交流会が韓国で開催されます。四半世紀以上も続いている「和解の旅路」はこれからも続くでしょう。グローバル・サウスの各司教協議会、各教区が「ともに歩む」ためにも、日本のカトリック教会と東京教区が果たす役割は大きいと思います。

東京大司教区司祭人事(第2次)について

東京教区では、2024年度の司祭の人事異動(第2次)を 以下のように決定しましたので、お知らせします。

小教区人事(修道会)10月1日付け    
新任地 氏 名 現任地
ドミニコ会    
渋谷教会主任司祭 宮本 久雄師 聖ドミニコ修道院
渋谷教会助任司祭 イエジェ ヴィドムスキ師 聖ドミニコ修道院
退任 田中 信明師 渋谷教会主任司祭

 

委員会人事 10月1日付け  
新任(生涯養成委員会委員長)  小西 広志師(フランシスコ会)
退任(生涯養成委員会委員長) 猪熊 太郎師(東京教区)

ケルン教区「公現巡礼祭」公式訪問

夕焼けに染まるケルン大聖堂

ケルン大聖堂には東方の三博士の聖遺物が納められているが、現在の大聖堂にそれが安置されたのは、1332年9月27日のこととである。この出来事にちなみ、ケルン教区では毎年、9月27日を含む4日間を「公現巡礼祭」と定め、ドイツ各地から巡礼者が集う特別な期間となっている。

今年、東京教区とケルン教区は姉妹教会関係70周年を迎え、4月には、菊地功大司教、稲川保明神父(関町・徳田教会主任司祭)、熊坂直樹神父(八王子・高幡教会助任司祭)が代表団としてケルンを公式訪問したが(東京教区ニュース第412号参照)、それに引き続き、今年の公現巡礼祭にも正式な招待を受け、柴田潔神父(麹町教会助任司祭)、冨田聡神父(清瀬・秋津・小平教会助任司祭)、赤井悠蔵氏(大司教秘書・教区広報担当職員)の3人が、9月25日から30日までの6日間、ケルン教区を訪問し、ケルン大聖堂の他、日本人共同体があるデュッセルドルフや、ケルン教区のもう一つのカテドラルがあるアルテンベルク等を訪れた。

ケルン大聖堂内、東方の三博士の聖遺物前にて。左から柴田神父、モンシニョール・アスマン、冨田神父、赤井氏

また、訪問団3人はドイツ滞在中、ケルン教区司教総代理、モンシニョール・グイド・アスマンや東京教区との交流を担当するメンバーたち(その多くは2022年に東京を訪れている)、そして現地のカトリック学校教師たちとミーティングを重ね、両教区の友好関係をさらに深めていくために活発な意見交換が行われた

アルテンベルク大聖堂。この大聖堂は世界的にも珍しい、カトリックとプロテスタントが協同で使用してる教会で、両教派の礼拝が捧げられている。ドイツのキリスト教会の和解の象徴である。


教会の今に寄り添う

清瀬・秋津・小平教会助任司祭
冨田聡神父

今回のケルン訪問の中で、青少年司牧のための施設を訪問する機会を頂きました。現在の欧米圏全体での深刻な青年の教会離れに対して、ケルン教区ではベネディクト16世が当地を訪れたワールド・ユース・デーケルン大会(2005年)以来、創造的な取り組みを始めてきました。アルテンベルクには青年のための巨大な黙想施設があり、祈りだけでなく運動やキャンプにも対応できるものとなっており、取り組みの本気度を感じさせられました。また都市部では、小教区としてはもう使われていない教会を青年のための教会にして、青年の居場所を提供していました。

この教会の中には、バイブルテントという実際のテントが沢山建っていて、モーセが幕屋で神の啓示を受けたことをヒントに、神との出会いの場をテントで表現した学習プログラムがありました。各テントにはそれぞれ、聖書、信仰、希望、愛、創造、詩編、祈り、預言者、イエス、などテーマが設定されており、テントの中にはそのテーマを、五感を通して深めることができるようさまざまな工夫がなされていました。例えば、実際に羽ペンで当時のパピルスにヘブライ語を書いてみることができたり、カラフルなサングラスが置いてあり、どういうレンズで世界を見るかについて体験できたり、また微妙な味つけのマナを実際に食べてみたりできました。どのテントにもQRがあり、そこからガイドを聴いて自分のペースで学びを深めていきます。

若者のための教会「CRUX」。聖堂内にはギターケース風の椅子が置かれ、バイブルテントが設置されている

この全てのテントに共通するのは、五感で感じられるものを通して、見えないものに目を向けていく、シンボリズムの教育が強調されているということです。10代の子どもの堅信の秘跡の準備は、ややもすれば神父の話を一方的に聞いて、通り一遍の告解を済ませて式に臨むだけになってしまうことがあります。しかし、このテントでの学びでは、自分が実際に感じたことから出発して、聞いた教えに照らした上で、自分なりの結論を出すことが求められます。つまり、予め決まった答えを覚えるのではなく、目に見えない何かを指し示すシンボルに触れることで、自分なりに目に見えない方を求めていく楽しさが伝わるような工夫がなされているのです。

バイブルテントの一つ。このテントのテーマは「Liebe(愛)」

この教育法は、目に見えない神の恵みの目に見えるしるしである秘跡を深く味わっていくためにとても参考になるものだと思いました。確かに、青年たちが求めていることは、キリストについての知識ではなく、キリストを実際に体験するということです。それは、約束された聖霊が送られている以上、絶対に可能なことです。体験があればこそ、イエスについてもっと知りたくなり、キリスト者として生きていくことが喜びへと変わっていきます。全ての青年にキリストの復活を体験してもらいたい、その思いは文化や歴史を超えて、キリスト者であれば世界共通です。そうであればこそ、今回ケルン教区は、自分たちのノウハウを惜しみなく私たちに分かち合ってくださったのだと思います。

ケルン教区とのこのような関係に心から感謝します。またこの学びを踏まえて、難しい時代に生きる今の青年たちが、主である方と実際に出会うことができますようさらに励みたいと思います。どうか私たちも教会の今に寄り添うための一歩を踏み出せますように。

ケルン大聖堂に隣接するケルン教区放送局「DOM RADIO」のオフィス(DOMはカテドラルという意味)。
DOM RADIOでは教会だけでなく、スポーツや政治などさまざまなトピックを扱い、24時間休みなくインターネットやラジオ放送を行っている

今年の6月7日に司祭叙階を受け、7月に東京を訪問してくださったヨハネス清水拓朗神父(前列左端)と。
清水神父はケルン近郊のツルピッチという街で司牧の任に就いている。清水神父のインタビューは東京教区ニュース第415号に掲載されている

デュッセルドルフとの縁

麹町教会助任司祭
柴田潔神父

9月28日(土)デュッセルドルフのイエスのカリタス修道女会のシスターを訪問しました。教会の小聖堂でミサを捧げ、冨田神父様が司式をされました。続いて、修道院の食堂で日本食をご馳走になりドイツでの活動のお話を伺いました。今回はすでに日本に帰国されているシスターからのお話を含めてご紹介します。

1980年2月29日、聖心の布教姉妹会の離独に伴い、活動を引き継ぐ形で3人のシスターがケルンに来られました。修道女会の長上から「ケルン教区と東京教区のパートナーシップを目で見える形にするため」に派遣されました。最初に3人のシスターが派遣され3カ月間はドイツ語の勉強、夏に3人が加わり合計6人になりました。デュッセルドルフには商社勤務の若い家族が、子ども連れで多く入国していました。そのため、午後、小学校1~4年生を対象にお勉強、遊び相手をしていました。また、その年の7月1日にケルン教区の支援を受けて幼稚園を設立しました。入園する家族は入園金も免除されていますが、全てケルン教区からの寛大な支援です。シスターたちは、幼稚園の仕事に加え、司祭のお世話、香部屋係を引き受け、大量のアイロン掛けをされ休む間も無く奉仕されました。シスターたちには阿吽の呼吸があり、心が通じ合っていて家族以上の結束があります。体調が悪いシスターには「代わりにやっておくから」と労わり合う心があります。得意分野がかぶらず「私がしたいのに……」ということもありません。みなさん料理がお上手、ドイツの食材を工夫して日本食を作られる。お菓子も2段のケーキを作られました。「とても美味しいケーキですね」と言葉をかけると白かった頬がぽっと赤くなっていました。訪れる人は「行けば心が豊かになる、どんなに忙しくても微笑みがある」と感じました。

イエスのカリタス修道女会デュッセルドルフ共同体のシスターたちと

ケルンでは1986年10月にドイツ人のシスターが運営された大学生の学生寮を引き継ぎ、50人の学生の世話をされます。当初は「日本人だから」ということで反発する学生もいましたが、シスターの姿を見ていつの間にか信頼されるようになり、やがてドイツ人以上に慕われるようになります。

シスターたちは、文句を言いたくなるよう大変な作業でもいつも柔和に微笑みを持って対応されます。難しい内容でも決して険しい顔をなさらない。話をよく聞き寄り添う。

どんなに大変な時もそんなそぶりを見せない。そのお姿で宣教をされました。足のお悪い方、目の不自由な方のためには、国籍を問わずミサの送り迎えをされました。 毎年、1月最後の日曜日はケルン中の教会全ての献金がパートナーシップのために捧げられました。日本人宛の愛の献金は、莫大な支援となって東京教区を助けてくれました。

2011年の東日本大震災の直後、シスターの修道院は一日中電話が鳴り止みませんでした。ケルン教区の司祭たち、シスターたちから「日本にいる兄弟姉妹は大丈夫? 家が流されてなくなったならいつでも家族を引き受けるから」と温かい声を頂き胸が熱くなりました。ケルン大聖堂では特別なミサが行われ、大聖堂は満員になりました。「日本語の歌を歌って欲しい」とリクエストがあり、シスター8人で拝領の歌で「いのち」(カリタスのシスターの作詞作曲)を歌いました。歌詞はドイツ語に訳され、紹介されました。また、長い間ロウソクがともされ「日本のために」のメッセージと献金箱が置かれました。

ケルン教区の教会でミサを受けた時「今日のミサの献金は日本のために」と司祭がおっしゃり、信徒のみなさんから「頑張ってね!」の会釈を頂き励まされました。 シスターたちは「ケルン教区からの莫大な援助の恩返しができないのが苦しかった」と吐露されていましたが、パートナーシップの目で見える最善の奉仕をされたように思います。

「あなたがたは、わたしが種々の試練に遭ったとき、絶えずわたしと一緒に踏みとどまってくれた。」(ルカ22:28) パートナーシップのために尽力されたシスター方にイエス様からのお褒めと労いの言葉がシスター方に掛けられていると感じました。  

 

公現巡礼祭記念の国際ミサを司式するドミニクス・シュワダーラップ補佐司教

40名上の司祭と共に国際ミサの共同司式に加わる柴田神父(右端)と冨田神父(右から2番目)

ジュリア祭継承 55回おたあジュリア巡礼の旅

10月16日、伊豆諸島の神津島村にて「ジュリア祭継承 55回おたあジュリア巡礼の旅」が行われた。おたあジュリアは、豊臣秀吉の朝鮮出兵の際、捕虜として日本に連れてこられた李氏朝鮮の貴族の娘で、後にキリシタン大名小西行長の養女として育てられ、洗礼を受けた。

関ヶ原の戦いで行長が処刑された後は徳川家康の侍女となったが、禁教令の後も信仰を捨てず、伊豆諸島の大島と神津島に流刑となった。その後の消息は不明だが、神津島ではジュリアは神津島で没したと伝えられ、1970年から毎年、ジュリアの遺徳を偲ぶ「ジュリア祭」が行われた。最盛期には、ジュリアの故国である韓国からの巡礼団を含め、参加者100人を超える式典であったが、第50回の2019年で神津島村の実行委員会が中心となってのジュリア祭は終了とし、コロナ禍を経て、現在は小規模の「巡礼の旅」という形で続けられている。

ジュリア祭10周年記念で建てられた十字架

今年は、浦野雄二神父(東京教区事務局長)、大西勇史神父(広島教区司祭)を同行司祭として、東京を中心に日本各地から20数名の参加者が集まった。15日夜に竹芝客船ターミナルを出港した巡礼団は、16日朝に神津島に到着、島内のジュリアゆかりの地を巡り、ミサも行われた。夜には、巡礼団と村の代表者が交流の食卓を囲んだ。17日の帰路も、朝10時30分に神津島を出発し、竹芝着が夜19時という長旅であったが、巡礼団は客船の甲板で、分かち合いの時間を過ごした。 神津島村にカトリック教会があったことは一度もない。教会ではなく地域住民が主体となってキリシタンの慰霊を続けている例は全国的にも稀であろう。社会と教会とをつなぐこの素晴らしい伝統が、今後も続いていくことを願ってやまない。

左から、大西神父、浦野神父、韓昇勳神父(大邱教区)

CTIC カトリック東京国際センター通信 第282号

典礼を核として 元寺小路教会典礼部会に学ぶ

9月29日~30日、仙台教区カテドラルである元寺小路教会で、「難民移住移動者委員会全国研修会」が開催されました。東北大学ダイバーシティ・エクイティ・インクルージョン推進センター講師の李善姫さん、ガクタン・エドガル司教様による講演のほか、「ベトナム共同体」、多国籍・多宗教コーラスグループ「I SING FOR JOY」、「仙台教区移住者司牧センター」など、現場で取り組む方々から、盛り沢山の報告がありました。その中から特に感銘を受けた「典礼部会」の活動についてご紹介したいと思います。

仙台市は、在留する外国人の在留資格の中で、「留学」の資格を持つ人が一番多い街です。そのため、若く、そして、日本語を話すことのできる人が少なくありません。

月に一度の典礼部会には、典礼音楽、祭器室、聖歌奉仕などの奉仕職担当者の他に、マンスリーインターナショナルミサ、英語、スペイン語、ベトナム語、韓国語、タガログ語のミサグループの代表者が必ず参加します。典礼部会というと、私はミサ等に関する内容や役割を決定、確認する部署という曖昧なイメージを持っていたのですが、元寺小路教会の典礼部会はそれとは少し違っていました。

まず、「小教区運営会議」の報告と説明が行われます。7月の部会では、コロナ対策の緩和や、エレベーター工事、防災訓練の予定などが紹介されました。これらの情報は、参加している各言語代表者によってSNSで拡散されるため、言語の壁を越えて、情報が多くの小教区メンバーに行きわたります。「侍者のつどい開催」のお知らせがすべてのメンバーに周知された結果、ソロモン諸島、ベトナム、ペルー、韓国、カナダの子どもたちが参加の機会にめぐまれ、現在はその子たちが日本語ミサの侍者も担当するようになっているという事例が紹介されました。

多言語の方々が集まる場では、日本語を話す人たちから外国語を話す人たちに分かってもらう(分からせる?)ための「情報伝達」になりがちですが、元寺小路教会では、外国語コミュニティーの側からも活動についての報告や発言が行われています。それは、外国語ミサは「外国人のためのミサ」ではなく、「外国語で行われている元寺小路教会のミサ」で、日本語を話す人たちにも開かれたものだという認識に基づいています。聖堂の入口には10月にスペイン語ミサで行われるペルーの伝統行事「エル・セニョール・デ・ロス・ミラグロス」について、日本語で説明されたチラシが置かれていました。

また、「ミサのなかでカンパネラ(鐘)を鳴らすかどうか」の協議では、各国の実施状況を紹介し合い、ああでもない、こうでもないと意見交換が行われ、最終的に「カンパネラを鳴らすこと」を決定したプロセスが紹介されました。 元寺小路教会典礼部会の活動を知り、元寺小路教会の皆さんと2日間活動を共にするなかで、「典礼は教会の活動が目指す頂点であり、同時に教会のあらゆる力が流れ出る源泉」(典礼憲章10)であること、共同体のメンバーが相互に受け入れ合い、協力し合う交わりのプロセスが、それを作り上げるために欠かせないものであることを実感させられました。すばらしい2日間を心から感謝しています。

相談員 大迫こずえ

カリタスの家だより 連載 第167回

みんなの部屋は一年中クリスマス!

ポインセチアカード4種

「公益財団法人東京カリタスの家」内の1施設である、「地域活動支援センターみんなの部屋」は文京区の補助を受け、文京区の保健所等と協働しながら地域活動を行っている施設です。主には精神に障害のある方が日中活動を行うために通所しており、グリーティングカード、クリスマスカード、アクセサリー、小物等の製作を主な活動としております。

利用者の主体性が発揮できるような作業の試みやグループ活動の時間を意識し、ボランティアの方たちの協力も得ながら活動しております。 暑い夏を乗り越え秋の声が聞こえ始める頃、今年もまたクリスマスの作品作りの最盛期がやってきました。でも『みんなの部屋は一年中クリスマス』

今、私たちは素敵なクリスマスを過ごしてもらいたい!とサンタクロースになった気持ちで作品作りをしています。

今回はいつも丁寧に取り組み、明るく優しい利用者たちからのメッセージを紹介させていただきます。

布ツリー製作手元

「クリスマスに向けてポインセチアのカードを作り始めました。カードはいくつかのバリエーションがあり、花びらつくりは大変でしたが慣れてきて沢山作れるようになり出来上がりが嬉しいです。」 

「クリスマスカードを作っています。細かい作業なので肩が凝ったりすることもありますが……リボンのボンド付けには手がかかっています。 素敵なメッセージが伝わればいいなと思っています。」 

「アクリルタワシを編んでいます。花びらを編むのに一目一目長さを調整し工夫をし、色使いも気にかけています。心を込めて編んでいます。」

「毎年少しずつ新しいカードを作っています。 ちなみに今年は消しゴムハンコに挑戦しています。」 

「作品の幅が広がるかなと思い消しゴムハンコにトライしました。今まで作っていなかった作品が出来ていると感じています。」

「鳥のシマエナガをキャラクターとした刺繍布巾、マスコット、カードを作っています。また猫や他の鳥のマスコットも少し作っています。クリスマスに向けてはカードを中心に取り組んでいます。どれも可愛いと思ってもらえる様に可愛くしています。」

「布を使った小物、オーナメントやツリーを作っています。皆様に喜んでいただけるように……華やかな感じをクリスマスにお届けできるように頑張っています。3種類の布の色配分に気をつけております。受け取ってくださった方にhappyな気持ちをお届けしたいです。」

「焼かない陶器のブローチやアクリルタワシの封入をしています。時々、レジンアクセサリーも作っています。クリスマスが近づいてきたので松ぼっくりツリー作り、糸をかけたりビーズを付けたりする作業をしています。楽しいクリスマスを過ごされることを祈っています。」

お立ち寄りの際には、スペースセントポールに置かせていただいている「みんなの部屋」の心のこもった作品にも目をとめていただけると嬉しいです。

みんなの部屋 職員一同

福島の地からカリタス南相馬 第36回

一般社団法人カリタス南相馬代表理事 
東京教区名誉補佐司教 
幸田和生

「カリタス食堂」始めました!

新型コロナ・パンデミックの時期、「子育て応援」という名で困窮世帯とつながることができたころから、「こども食堂」はカリタス南相馬の夢でした。しかし、カリタスの食堂スペースの狭さや、実際の食事作りの大変さを考えて、なかなか実現ができずにいました。

今年になって、働いているひとり親の世帯で、家庭的な食事がなかなかできていない子どもが身近にいることを知り、夏休みの時期に合わせて、思い切って「カリタス食堂」を始めることにしました。同じ南相馬市内で「0円食堂」をやっている方からもいろいろ教えていただき、試しに始めてみました。大々的に「こども食堂」を立ち上げるというほどのことではなく、いつもシスターやボランティアさんたちが一緒に食べているカリタス南相馬の食卓に、月に2回、近隣の皆さんを誰でもお招きする日を設ける、という形です。主にひとり親家庭の親子を想定したため、夕食の時間に開催することにしました。

最初の反応で面白かったのは、「うちの子は家ではトマトを食べないのに、今日は食べていました」という反応でした。ふだん、ひとり親と子どもだけで向き合っているのと違う環境、違う雰囲気の中で子どもたちの違う面を見ることができたようです。

献立作成と調理の責任者はわたくし幸田で、子どもたちが美味しいと言ってくれることが何よりの励みです。「昭和の子どもも令和の子どもも、一番好きなメニューはカレーライス」という話を聞いたので、カレーライスから始めましたが、いつも同じメニューではつまらないと思い、子どもたちのリクエストに応えて、ハンバーグや鶏の唐揚げにも挑戦しています。

最初は50食作ろうと考えましたが、試行錯誤の末、現在は30食限定としています。ほとんどの方が親子連れで来られるのですが、食べ終えてさっさと帰る人は少なくて、多くの方はのんびりしていかれます。子どもだけでなく、親にとってものんびりできる貴重な時間のようです。カリタスの一階では最大30席しか取れないので、これが限界だと思っています。しかし地方の小都市ですから、この人数でも意味はあるのでしょう。ちなみに子どもも大人も無料ですが、余裕のある方のために募金箱も置いています。

極端な過疎高齢化の進むこの地で、高齢者と関わることの多いカリタス南相馬ですが、カリタス食堂を通して、若い世代の親子と出会うことができました。子どもたちと話をしたり、お母さんやお父さんと話をしたり、それは豊かな交わりのチャンスになっています。そして、何よりも子どもたちの笑顔がスタッフやシスター皆にとって大きな喜びです。

カリタス東京通信 第18回

こんにちは。NPO法人葡萄の家です。私たちは、障がい者のグループホームを運営しています。

千葉県柏市で一軒の小さなグループホームが我が家です。この共同体では、障がいのある人を仲間と呼び、支援する人をアシスタントと呼び、共に生活する共同体です。

仲間であるコアメンバーが中心になり、彼らの賜物を大切にしながら、対等な関係で友情を深めることを大切にしています。

マタイの福音25章40節の「わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである。」この聖書の御言葉の通り、仲間といる時間が、神様と共に居ることと思い、日々暮らしています。

今年は、グループホームが出来て15周年になります。普通の住宅に、ひっそりと、「ぶどうのいえ」があります。看板なども無く、知らない人は、ここがホームとは気が付きません。

設立当初は、この住宅街にグループホームができると知ったご近所の人の、「困るなぁ」「無理だよ」「他に行ってくれ」との言葉に、悲しく寂しい思いをしたものです。

誰でも歳を取り、人の手を借りなければ生きていけないのでは、と訴えましたが、当時は理解されませんでした。

毎日、日々素朴な生活、祈りの中で過ごしていれば、いつか必ず、ご近所の人たちと分かり合える日が来ると信じていました。

そんな生活を10年くらい続けていた時のことです。いつもの仲間の食卓での笑い声や、朝、元気に「行ってきます」と道路での大きな声を聞いていたご近所の方々が少しずつ声をかけてくれました。

ある朝、重い生ごみを持ってゴミを捨てようとすると「これは重いから私が捨てるから、あなたは他のを持って来なさいよ。沢山あるんだから。」とゴミを捨ててくれました。

ご近所の方が手伝ってくれたのです。

「ありがとうございます。失礼ですが、お名前は?」と尋ねると、「そんなのいいわよ」と言って角を曲がって去っていきました。

それからしばらくして、玄関のチャイムが鳴り、出てみると、町内会の同じ班の方が「何かボランティアで、できることがありますか?」と声をかけてくれました。「急にホームの中に入り、何かをするのは、抵抗があるけれど他にありますか」と言うのを聞いて、以前にゴミ捨てを手伝ってもらい、とても助かった話をすると、「それなら私にもできる仕事ね」と言って、毎週、汚れ物の紙パンツや生ごみを捨ててくれるようになり、今も続いています。

その方の話を聞いてみると、子どもたちも独立し、夫を亡くされて一人暮らしをしているとのこと。「何かお手伝いすることがあったら」と声をかけてくれました。

お互いに必要な時に助け合い、協力しながら生活し暮らしていくことの大切さに気付かされた出来事でした。

編集後記

人懐こい笑顔を絶やさない人
上でもなく、下でもなく友として相手の前に立つ人
友の喜びを自分の喜びにできる人

そんな人こそが
キリストの香りをまとう人

その人の歩みがこの世界に愛の種をまき
その人との出会いがイエスとの出会いを生む

それは奇跡以上の奇跡
神秘以上の神秘(Y)