お知らせ

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東京教区ニュース第415号

2024年08月02日

カトリックスカウト・ケルン教区派遣報告会

アルテンベルクの光を受けとる菊地大司教

6月22日、関口会館ケルンホールにて、カトリックスカウト・ケルン教区派遣の報告会を行いました。この派遣は、東京・ケルン大司教区の友好70周年を記念して、ケルン教区より、ドイツ最大のカトリックの青年たちによる平和の集い「アルテンベルクの光」への招待を受けたものです。

当日は、この派遣に多大な支援と霊的指導をしてくださり、送りだしてくださった東京教区の菊地功大司教様、ケルン教区交流窓口・古市匡史神父様、日本カトリックスカウト協議会東京支部指導司祭・高木健次神父様、この度の交流を企画してくだったドイツ語共同体担当司祭のミルコ・クイント神父様、スカウトに繋げてくださったエミリオ・マルティネス神父様にお越しいただきました。そして、個人サポーター、スカウト関係者ほか、支えてくださった皆様に、感謝をもって報告することができました。

派遣隊スカウトたちは、スライドを投影しながら、現地での活動の様子を詳細に発表しました。4月28日から5月5日まで、アルテンベルク、デュッセルドルフ、ケルンにて、ケルン教区の全面的な支援を受け、教区・スカウト関係者の綿密に計画された手厚いおもてなしにより、さまざまな貴重な経験をしてきたことが、彼らの言葉に感動のままに表現されていました。「アルテンベルクの光」の徹夜祭、出発のミサでは、その象徴である「光」を運ぶお役目、「マリアさまのこころ」を歌う機会も頂き、そこに集う若者と一体となりました。平和と祈りの「光」は、東京教区にしっかりと持ち帰りました。日本文化を紹介するワークショップや、ともに祈り、歌い、ハイキングや料理を通じて行われた現地スカウトとのさまざまな交流により、お互いを知ること、理解し合うことの実体験をしてきました。別れがたいほどの絆を得たようです。

報告会後半は、現地での交換グッズや記念の品を並べ、心ばかりのお土産であるグミやチョコレートを頂きながら、和やかな歓談の時を過ごしました。こんなに祈った日々、こんなに「マリアさまのこころ」を歌ったのは初めてだった、と、若者らしい言葉も聞こえてきました。
派遣隊スカウトの多くは、既に、それぞれの教会や学校でも報告会を実施しており、この経験を仲間や後輩たちに、繋げたい、広げたいという気持ち、カトリックスカウト・信徒として、これから自分たちに何ができるであろう、という思いに溢れていました。大司教様からは、両教区の繋がりが100周年を迎える頃にも皆さんの活躍を期待したいというお言葉を頂きました。

「マリアさまのこころ」を歌う

多くの皆様に支えられ準備してきたこの派遣は、この報告会で一区切りを迎えました。改めてお礼申し上げます。ここからまた新たに始まっていく、未来への希望が感じられる一日となりました。

※派遣隊作成の活動報告の動画はこちらからご覧になれます。

ようこそ、ヨハネス清水拓朗神父!

清水拓郎神父(左)と菊地大司教

わたしたちの姉妹教会であるケルン教区では、今年の6月7日に3名の助祭が司祭叙階の恵みを受けた。日系ドイツ人であるヨハネス清水拓朗新司祭もその一人である。東京教区ニュースでは、叙階直後の休暇で父の母国である日本を訪れ、菊地功大司教を表敬訪問してくださった清水神父にお話を伺うことができた。

「日本には何度も来ているが東京は初めて」という清水神父は、「ドイツに住んでからもずっと使っていた」という流暢な日本語で、温かく、穏やかにお話をしてくださった。

日独両国にルーツをもつ清水神父の存在が、東京、ケルン両教区の友情をいっそう強固なものにしてくださることを祈っている。皆様も、歩み始めたばかりの清水神父の司祭生活のために、ぜひお祈りをよろしくお願いいたします。

─自己紹介をお願いします。
清水神父 日本の三重県生まれで現在29歳です。父が日本人で母がドイツ人です。6歳まで日本で生活し、その後家族でドイツに移り住みました。自分の文化を大切にしてほしいという両親の教育方針もあって、家では日本語を使って育ちました。家の外でも、母と秘密の会話をする時は日本語になります。

─洗礼は幼児洗礼ですか?
清水神父 いいえ、家族にカトリック信者はおらず、洗礼を受けたのは16歳の時です。ドイツの学校にはキリスト教の授業があり、友達と一緒にその授業に出席するようになり、カトリック信者の友達もできました。
そこで、ミサや聖体訪問に与るようになり、「これはすごいなあ」と感じました。そして、司祭からミサやキリスト教について学ぶようになり、2011年に洗礼を受けました。洗礼を受けてからはいつもカトリックのことを考えるようになり、2017年に神学校に入学し、今年の6月7日に司祭叙階の恵みを頂きました。ヨーロッパの教区司祭では、初の日系人司祭かもしれません。

清水神父の叙階記念カード

─ご両親に反対はされませんでしたか?
清水神父 洗礼も堅信も全く反対はされませんでした。父の実家は福岡県なのですが、夏休みに福岡に行くたびに、神社にお参りに行っていました。「空の上にいるのは誰なのだろう?」と、ずっと神様を探していました。祖母がいつも仏壇や神棚に祈っている姿を見ていましたし、ドイツでも色々な教会に通っていたので、子どもの頃から信仰に関心があったのだと思います。今も両親はカトリック信者ではありませんが、ドイツのイエスのカリタス会のシスターたちと交流を持っています。

─「ヨハネス」はミドルネームなのですか?
清水神父 いいえ、洗礼名なので、生まれた時からの名前ではありません。私の名字は「清水」なので、そこから「清い水」を思い浮かべ、水で洗礼を授けていた洗礼者ヨハネを洗礼名に選びました。

─菊地大司教一行や、東京のカトリックスカウトがケルンを訪問したときに出会っているとのことですが。
清水神父 はい。当時はまだ助祭でしたがお目にかかることができました。特に、カトリックスカウトたちがアルテンベルクの光のミサに参加した時のことをよく覚えています。その時、日本語で朗読できる人を探していたので、私が朗読をすることになりました。

平和旬間2024 平和を実現する人々は幸い

日本のカトリック教会は、毎年8月6日から15日までの10日間を「日本カトリック平和旬間」と定めている。ここでは、平和旬間の間に東京教区で行われるミサと講演会をご紹介する。今年は教区主催の行事だけでなく、宣教協力体主催の行事も行われる。是非足を運んで、平和を考える機会としていただきたい。

8月3日(土)14:00~16:00

講演会:「日本国憲法と東アジアの平和」
講師:斉藤小百合さん(恵泉女学園大学教授)
場所:麴町教会 ヨセフホール

1947年5月3日に施行された日本国憲法を私たちは、どのくらい知っているでしょうか?国民主権・平和主義・基本的人権の尊重を三原則とした世界に誇る憲法が担う「平和」を今一度考えてみませんか?

問合せ:カトリック東京正義と平和の会 齊木(090-4543-7082)

8月10日(土)14:30~16:15

講演会:「創り直されるミャンマー クーデター下の弾圧と人々の抵抗、そして祈り」
講師:根本 敬さん(上智大学名誉教授)
場所:関口会館 ケルンホール

ミャンマーで進む国軍による「破壊」と、それに命がけで抵抗する人々による民主国家の「創り直し」の両方を紹介し、このような困難に至った歴史的背景に触れたうえで、私たちにできる支援は何かについて考えます。

8月10日(土)17:00~

平和を願うミサ
主司式:小池亮太神父(カリタス東京常任委員長)
場所:東京カテドラル聖マリア大聖堂

*ミサ中の献金ならびに各イベント会場での献金箱で集まった献金は、ミャンマーの支援のために東京教区ミャンマー委員会に寄付されます。8月10日、ミャンマー支援先の写真パネル展示をカテドラル大聖堂エントランスにて開催します。

武蔵野南宣教協力体企画

8月11日(日)

10:00~ 
ミサ

11:00~
講演会:「“平和の使徒”戸田帯刀神父殉教を通して考える」
講師:佐々木 宏人さん(荻窪教会所属 元毎日新聞経済部長)
場所:カトリック荻窪教会
問合せ:カトリック荻窪教会
    Fax: 03-3334-8261
    E-mail(佐々木まで)

世田谷南宣教協力体企画

8月18日(日)14:00~16:00

講演会
ルワンダに生きる日本人義肢装具士 NGOムリンディ/ジャパン・ワンラブ・プロジェクト
「ルダシングワ真美さんとガテラ・ルダシングワ・エマニュエルさんの講演」
場所:カトリック碑文谷教会 司祭館2階
問合せ:カトリック碑文谷教会(03-3713-7624)

世田谷南地区宣教協力体(田園調布教会・上野毛教会・碑文谷教会)は、8月6日午前8時15分、8月9日11時2分、8月15日正午に各教会で平和のための鐘を鳴らします。

 

平和旬間行事に関するお問い合わせ 
カリタス東京事務局 田所・小池 
TEL:03-6420-0606、080-8259-0993 
E-mail:info@caritastokyo.jp

ミャンマーの教会に想いを寄せて

今号では、ミャンマー東部のロイコー教区で働くM神父のインタビューをご紹介する。M神父は現在56歳で、1995年に司祭叙階を受けた。これまで、ロイコー教区での司牧の他、ペルーで宣教師としても働いてきた。現在、M神父は国内避難民キャンプがある地域の小教区を担当しており、そこで暮らす人々、特に子どもたちの様子を中心にお話をうかがった。

─神父様が働いている地域はどのような状況ですか?
M神父 私の小教区は、現在4つの国内避難民キャンプで構成されており、約4千人が暮らしています。以前は戦闘が始まると、住民は村を離れ、安全な山の中に移動していました。しかし、現在は戦闘が主に都市部に移っているので、戦闘機が夜間飛行することはありますが、かなり落ち着いています。

─電気や水道の状態はどうですか?
M神父 電気は通っていません。携帯電話の充電に使うディーゼル発電機があるだけです。4つのキャンプはすべて同じ渓流から水を引いて使っています。

─人々がそこに住み始めてどのくらいになりますか?
M神父 戦闘が本格化したのは2021年末頃なので、約2年半になります。ここは基地や幹線道路から離れているので、村に帰れるようになった人もいます。また、昼間に自分の畑に戻って米や野菜を植え、夜になると戻ってくる人もいます。もちろん、村の家に戻ることが不可能な人もいます。

─子どもたちの教育はどうですか?
M神父 私がこの地域に来る前から、親たちが集まって小中学校を立ち上げ、同じ難民である教師たちの助けを借りていました。また、大学を卒業した人たちが3カ月ほど研修を受け、私たちの学校に派遣されています。4つのキャンプにはそれぞれ小学校があり、地域全体では2つの中学校があります。

小中学生に話すM神父

─この1年、教育支援プロジェクトで何が変わりましたか?
M神父 小学生、中学生用の学用品をより入手することができました。大きな変化は、未就学児のためのプレスクールを始めたことです。現在、6つのプレスクールがあり、それぞれ約40人の子どもたちが通っています。

プレスクールの様子

─子どもたちの様子はどうですか?
M神父 戦闘が近くにあった頃、子どもたちは「静かにしていなさい」、「騒いではいけません」、「一緒に遊んではいけません」と言われ続けていました。今は自由に動き回り、歌を歌い、外でスポーツをし、犬や鶏のようなペットを飼うこともできます。たとえ明日何が起こるか分からなくても、子どもたちは心が明るくなり、ずっと自由になりました。

─親たちはどのように過ごしていますか?
M神父 90%の親たちは米、トウモロコシ、野菜などの畑仕事をしており、雨季の今はとても忙しいです。オートバイを使って故郷の近くの畑まで通う人もいます。また、近隣の畑を開墾している人もいます。

─教育に関するこれからの計画はありますか?
M神父 最初の校舎は、竹とビニールシートで作られた仮設校舎でした。私たちは、木材と亜鉛の屋根を使って、雨風に耐えられる校舎にしたいと考えています。そうすれば、子どもたちが勉強しやすくなります。これらの材料があれば、いつでも解体して新しい場所に作り直せるのもいい点です。もうひとつの懸念は、高学年の子どもたちが勉強するための夜間の照明が不足していることです。そこで、照明のためのミニ・ソーラーパネルの設置も検討しています。

改修中の校舎。木材による骨組みだけの状態

改修中の校舎。壁が取り付けられている

─東京の支援者に一言お願いします。
M神父 まず、教育プログラムへの継続的な支援に感謝します。このような状況が長く続いているため、地元からの支援は減少しており、皆さんのご厚意が頼りです。プレスクールの子どもたちは、「いつ家に帰れるの?」と私たちに聞いてきます。しかし、どんんなに故郷の村が恋しくても、彼らは希望と光に満ちています。

※このインタビューは、レオ・シューマカ神父(ミャンマー委員会担当司祭)によって、インターネット電話を通じて行われた。

霊における会話 その4 その目的

教区シノドス担当者 瀬田教会主任司祭
小西 広志神父

数回にわたって「霊における会話」について解説してきました。シノドス的教会を作りあげるために「霊における会話」という手法は役に立つと思います。と言いますのも、「霊における会話」を通じて「共同体」が生まれ、成熟します。そして、ともにみ言葉を聞き、分かち合うことを通じて、ともに担う「共同責任」が生まれます。さらには、聖霊の導きを願いながら「共同識別」がともに祈ることを通じて生まれるからです。「共同体」(集い)、「共同責任」、「共同識別」がシノドス的なともに歩む教会の特徴となります。

さて、「霊における会話」の目的とは何でしょうか。今回はこの点についてお話ししましょう。

何を目指して「霊における会話」がなされるかと考えてみると、信仰の共同体である小教区共同体のパストラル・プラン(司牧計画)のためであることが分かります。どの小教区共同体でもプラン(計画)があります。プランを作るときにともに担い、ともに祈り、考えることは必要です。共同体は人の集まりですから生きています。状況に応じて柔軟に共同体の姿も変えていくことが求められています。ただし、神さまの望みに応じて変わっていかなければなりません。神さまの望みはどこにあって、聖霊はどこへと共同体を導くのかに気づく必要があるのです。

日本語ではすべて「計画」となってしまいますが、厳密に考えると計画を表す三つの言葉があります。一つは「デザイン」です。救いの計画、神のはからいなどと表現します。これは神さまの領域です。神さまは一つひとつの被造物に、そして被造物全体に対して救いのためのデザインを持っておられるのです。このデザインは歴史の歩みのなかでつまびらかになります。聖書全体は神の救いのデザインを表しています。次に「プラン」です。これは神さまのおこころにあったデザインを人間が受けとめ、考え、表現するものです。プランは大きな紙を広げてみんなであれこれと考えて書き込むようなイメージです。教区宣教司牧方針や小教区年間行事計画などはプランとなるでしょう。最後に「プロジェクト」があります。これは具体的な行動計画です。実行するために前のめりに進めていく計画のことです。小教区共同体でしたらクリスマスや聖週間の準備などが当てはまるでしょう。

小教区ではデザインとプランとプロジェクトが混乱しているように思います。大切なのは神さまのデザインを祈りのなかで感じて、皆で一緒にプランを作りあげていくことです。

クリスマスのミサが終わってヤレヤレとしているときに「神父さま、聖週間の歌のことですが」と聖歌隊の人が聞いてきます。復活祭のミサが終わってホッとしているときに「神父さま、今年の初聖体の件ですが」と教会委員長が尋ねてきます。責任感にもとづく発言だと思いますが、「とりあえず今日はクリスマスの喜びを味わいましょう」、「復活祭の喜びを皆で一緒に感じましょう」と言いたくなります。小教区共同体はいつも前のめりです。クリスマス、四旬節、復活祭、初聖体、堅信式、サマーキャンプ、といった具合に行事に追いつめられていきます。

これでは小教区共同体に笑顔がなくなります。必死になって典礼や行事をそつなく、きれいに行うことが目的となります。

「霊における会話」には共同体を笑顔にする力が秘められています。あることについて、一緒に祈って、分かち合って、決断する過程で、神さまが自分たちの共同体に対してデザインを描いてくれていることに気がつきます。それを「信仰のセンス」のおかげで具体的にプランに書き起こすことができるのは貴重な体験です。「今までしてきたから」という消極的な動機づけではなく、新しい動機づけで典礼や行事を計画し、実行することが可能となります。こうして、小教区共同体が喜びにつつまれていくのだと思います。

パストラル・プランを作りあげるのはとても必要です。もちろん時間もかかりますし、まどろっこしい作業も必要です。しかし、ともに祈り、考え、実行することは神さまのおこころに秘められている救いのデザインに則ったものとなるでしょう。こうして、信仰の共同体である小教区共同体は神さまの想いに従う霊的な共同体となるのです。

教区司祭納骨式

3人の司祭の遺影

7月6日午前、カトリック府中墓地内教区司祭の墓前にて、菊地功大司教の司式でパドアのアントニオ 泉 富士男神父(2024年2月13日帰天)、使徒ヨハネ 澤田 和夫神父(2024年4月11日帰天)使徒ヨハネ 小宇佐 敬二神父(2024年5月20日帰天)の納骨式が行われ、3人の司祭を慕う約30人の信徒が参列した。

説教で菊地大司教は「それぞれ皆さんご存知のように、3人とも普通の司祭であるだけではなくて、それぞれに与えられたカリスマに従ってさまざまな活動に取り組み、その中で多くの方々と出会ってこられ、また多くの方々に深い記憶を心に残した活躍をされた司祭であったと思います。今の時代を生きているわたしたち後輩の司祭から見ると、本当になかなかそこまで到達できないような、そういうカリスマを頂いている 3人の司祭であったと思います」と述べ、3人の司祭の功績を称えた。

菊地大司教による説教

式の最後には、参列者全員で、小宇佐神父作詞の「シャローム」が歌われ、教会音楽を愛した小宇佐神父を偲んだ。

司祭叙階節目の年を迎えられた神父様方、おめでとうございます!

花束を贈られた叙階節目の年の司祭たち。菊地大司教とアンドレア司教を囲んで

東京教区では、原則、毎月末の月曜に小教区で働く司祭のための「司祭月例集会」が行われている。1年の折り返しである6月には、「聖職者の集い」と題して、小教区に限らず教区内で働く司祭に対象を広げ、大司教の司式の下、共同司式でミサを行うとともに、司祭叙階の節目の年を迎えた司祭を祝い、感謝を捧げている。

今年の「聖職者の集い」ミサは6月24日に行われ、菊地功大司教とアンドレア・レンボ補佐司教をはじめ、東京教区で働く司祭のうち約70人がともにミサを捧げた。今年、司祭叙階節目の年を迎えられた司祭は右記の15人。おめでとうございます!

集まった司祭団

ダイヤヤモンド祝(叙階60年)

洗礼者ヨハネ 安藤 勇師(イエズス会)
ハビエル・ガラルダ師(イエズス会)

金祝(叙階50年)

ヨセフ 小林 祥二師(東京教区)
ミカエル 酒井 俊雄師(東京教区)
マルコ・アントニオ・マルティネス師(グアダルペ宣教会)
パウロ 長谷川 潤師(フランシスコ会)
ニカジオ 中谷 功師(フランシスコ会)
チェレスチノ 松田 清四朗師(コンベンツアル聖フランシスコ修道会)
ヨハネ・ボスコ 鈴木 茂師(サレジオ会)

銀祝(叙階25年)

パウロ 井之上 強師(フランシスコ会)
アントニオ・カマチョ師(グアダルペ宣教会)
ヴィンセンシオ・ア・パウロ 飯田 徹師(サレジオ会)
使徒ヨハネ 石脇 秀俊師(東京教区)
ミカエル 永富 久雄師(聖パウロ修道会)
フランシスコ・アシジ 濱崎 敦師(サレジオ会)

築地教会150周年記念ミサ

14名の司祭団

6月30日、菊地功大司教の司式による築地教会150周年記念ミサが行われた。築地でのカトリックの宣教活動はパリ外国宣教会によって1871年(明治4年)に始まり、1874年(明治7年)11月22日に築地の居留地内に、東京最初のカトリック教会として築地教会が開かれた。明治政府がキリスト教禁教の高札を撤去したのはその前年、1873年(明治6年)のことである。なお、1877年(明治10年)から1920年(大正9年)までは、築地教会が東京教区の司教座聖堂(カテドラル)であった。

笑顔で挨拶する主任司祭のレオ神父

150周年ミサには、築地教会信徒の他、同教会で定期的にミサを行っているフランス語共同体とミャンマー共同体の信徒も集い、聖堂は座席に座れない人がいるほどの超満員となった。

共同司式司祭は、築地教会主任司祭のレオ・シューマカ神父をはじめ、築地教会を開いたパリ外国宣教会からピエール・ペラール神父、ルカ・ベンゾ神父、フランス語共同体に関わるジェローム・ドゥジャン・ドゥ・ラ・バティ神父(フランス語共同体担当司祭)、ファブリス・リヴェ神父(教皇庁大使館参事官)、レミ・オード神父(聖ペトロ・パウロ労働宣教会)が参加した。

教皇からのお祝いを読み上げるリヴェ参事官

さらに、元・築地教会主任司祭の川口薫神父(カトリック中央協議会事務局長)、築地教会が属する中央・千代田宣教協力体から髙祖敏明神父(麹町教会主任司祭)、立花昌和神父(神田教会主任司祭)、築地教会出身の古川利雅神父(カルメル修道会)、明治時代から築地教会にゆかりのあるマリア会から髙田裕和神父、そして、真境名良和神父(潮見教会助任司祭)、小田武直神父(教区本部事務局次長)という、菊地大司教も含め14名の司祭団でのミサとなった。

ミサの説教で菊地大司教は「築地教会が誕生した時代、主にフランスから来られた宣教師の数は限定的でした。多くの宣教師が超人的な働きをされたと思います。しかし同時に、宣教師だけの働きでは、教会は大きく育っていくことはなかったと思います。宣教師たちと共になって福音をあかしし、人々を神の救いに与らせるために招いた多くの信仰の先達の働きに心から感謝します。それから150年です」と先人たちの働きに敬意を表し、「150年後のいま問われているのは、大きく変革した社会の状況の中で、当時の宣教師たちの熱意と教会共同体の熱意を、いま同じように生きるためには何が必要なのかを、改めて自分に問いかけることであろうと思います。東京教区にとってパイオニアともいうべき築地教会の存在の第一の意義は、その歴史的体験に基づいて、他の教会に、宣教の熱意を見せつけ、皆の範となろうとすることであろうと思います」と、改めて激励の言葉を述べた。

記念誌と記念グッズのマグネット

CTIC カトリック東京国際センター通信 第280号

ドミニコ会司祭 佐藤 了

私自身の自立のためにも
新参スタッフより

「きょうは食糧をもらいに来たんじゃないんです。もう支援は要らなくなったので、その報告と、今まで助けてもらったお礼に」フランス語でそう言いながら、私に向かい合って座る青年は、北アフリカの母国を出て、他の国で働いていた。

日本に来てからは都内の飲食店の掃除で日銭を得ていたが、最近自転車を買うことができて、それで外食の配達をはじめたところ、調子がよくて、自力で生活できる見通しが立ったと言う。静かに語る若者の顔は微笑み、安堵しているよう。彼の状況が前進したことはもちろん、何より律儀に礼を言いに来てくれたことがうれしい。赤いバラ一輪を感謝のしるしに。

困窮している外国人への食糧支援と言っても、いわゆる「難民」にまつわることばかりではない。この青年のように「普通に働きたくて」日本に来た外国人が自活できるまでのサポートも含め、ケースはさまざま。原則は、諸方面からのCTICへの寄付で支援物資をまかなうこと。もちろん、彼のように順調に「卒業」していくケースばかりではない。むしろ、相手の状況を客観的に鑑みて、スタッフ側から支援を打ち切るべき場合も少なくない。それでも、目の前の誰かが「飢えているなら食べさせよ、渇いているなら飲ませよ」という基本姿勢は変わらない。判断は容易でないとしても。

そして、支援を求めてくる圧倒的多数は、カトリック信者でない人々。「普遍的な教会」の機関だからこそ、すべての人に開かれているのは当然と言えば当然だが、私個人に葛藤がないわけではない。ただでさえわずかな私の力量、せめて教会の直接的な奉仕に集中すべきでないか。日本人のカトリック信者・求道者のための司牧・説教に、自分の時間とエネルギーを注ぐべきではないのか。それが小さな私の受けた召し出しではないのか……。しかし、組織の内側でしか働かないなら、その働きは必ず行き詰まる。「外なるもの」と接しない制度は、間違いなく腐敗する。それは宗教も国も、そして個人も同じ。

週一回のお手伝いをしているに過ぎないが、私のCTICでの体験は、日本人信徒を対象にした奉仕にも、厚みを与えてくれるだろう。同時にとても大切なのは、ここのスタッフである信徒、修道者、司祭らと、兄弟姉妹としてともに遣わされているのを認識すること。そしてさらに、それを通して、カトリック教会関係者が陥りがちな、独善的な「社会的取り組み」に対して、より現実の地に足のついた意見を持つようにすること。

「あのバラ、うちの修道院の聖堂で、なかなか枯れずにまだきれいに咲いてますよ。」そう言ったシスターの笑顔に、生きたやりがいが顕わされているように感じた。

カリタスの家だより 連載 第165回

子どもたちとともに

家族福祉相談室
都立北療育センター担当

障がいを持って生まれた子どもたちの療育の時間に、弟妹である赤ちゃんを見守るボランティアが始まったのは、30年ほど前になります。多摩療育園というカリタスの家からは遠い場所にある施設でした。「親子療育」ですから、お母さまも保育室に入って療育に参加します。0歳児から保育園入園までの赤ちゃんとともに数時間を過ごします。赤ちゃんたちの可愛らしさに魅せられたボランティアたちが多く集まりました。この頃は狭いスペースに、赤ちゃん、ボランティア、夏休みともなると療育児の兄姉と、そのための学生ボランティアでぎゅうぎゅう詰めのガヤガヤ状態となりました。それでも赤ちゃんたちはたくましく、お昼寝から目覚めることは滅多にありませんでした。この時代の担当者は、

「赤ちゃんが可愛いのはもちろんだけれど、療育に入るお兄さんお姉さんも、言葉は出なくてもちゃんとコミュニケーションができて、それはそれは素敵な笑顔を見せてくれるのよ、楽しいボランティアでした」

と語って懐かしんでいます。

時は移り、世紀も元号も変わり、今、多摩療育園は新しくできた府中療育センターの一角に入っています。ピカピカの建物、広々した駐車場、専用の待機児童室になりましたが、職員さんたちの穏やかな眼差しは多摩療育園時代と変わりません。素人であるカリタスの家のボランティアを暖かく迎え、わからないことがあれば丁寧に教えてくださいます。お母さま方からも、身に余る感謝の言葉を頂くこともあります。東京カリタスの家のボランティア原則は、自発的であること、無償であること、連帯を求めることの3つですが、責任の重い仕事をこなす職員さんや日々大変な子育てをしているご両親と連帯できていると肌で感じることのできるボランティア活動です。

さて、この度東京都立北療育センターからのご依頼で、大田区池上線の洗足池駅からほど近い療育に通うお子さんの兄姉と共に、夏休みの数時間を過ごすボランティア活動をお受けしました。1年ほど前に府中療育センターの職員さんの推薦でカリタスの家のボランティアを知ったとのこと。信頼に応えるべく、この間、準備を進めてきました。

東京教区ニュースの読者の皆さま。夏休みの数日を療育センターで子どもたちと過ごすボランティアをしてくださる方はいらっしゃいませんか?専業主婦が絶滅しつつある現在、東京カリタスの家のボランティアもウィークデーは仕事で活動できない方が多くなっているため、平日昼間のホランティアの確保がやや難しくなっています。

府中の赤ちゃん見守りボランティアでは、時にはぐずる赤ちゃんを抱っこして過ごすこともあり、それなりに体力が要りますが、この北療育では小学生の見守りですから、年齢、体力にかかわりなく、子ども好きの方ならどなたでも活動していただけます。若い方はもちろん、おじいさま・おばあさま世代のボランティアさんも歓迎です。

8月の月曜から金曜、10時から13時までの活動で、夏休みの宿題を一緒にやったり、折り紙や塗り絵、ゲームをしたりの楽しいひと時になるでしょう。活動日はご事情次第でカリタスの家が調整いたします。車での通園も可能です。
興味を持ってくださった方は東京カリタスの家にお電話をください。詳しくご説明いたします。

福島の地からカリタス南相馬 第34回

特定非営利活動法人 さぽーとセンターぴあ 施設長 郡 信子

夢が実現する今

私たちは、南相馬市で障害のある方の日中活動を支援しているNPO法人です。東日本大震災を機にカリタス様には大変お力添えを頂いています。感謝申し上げます。

前身の無認可時代も含めると30年近い活動を行っています。常に、障害のある本人、そして家族の声を聴き、寄り添うことを心がけて活動してきました。現在、就労支援2カ所、カフェ、生活介護1カ所、相談事業1カ所を運営し、必要に応じて事業展開をしてきました。

ここは、東日本大震災によって地震・津波・原発事故の被害を大きく受けた土地です。特に原発事故で、7万人の人口が、一時期1万人まで減りました。障害者団体(JDF=日本障害フォーラム)が半年ほどかけて調査活動をしたことがありました。主に、九州・関西の支援者が調査を行いました。この時、全国で初めて南相馬市は障害者の個人情報を出しました。その1139人全ての調査が行われました。

結果、普段問題なく生活していた障害者が誰とも繋がれず孤立していることが分かりました。2割の弱者が避難困難者となり残っていました。

この調査や支援活動に関わり、「人の命を守ること」「声の出しにくい人の声を拾い関わっていくこと」「福祉とか制度とか、そのような枠にとどまらない事があること」等々、「人として」「人だから」ということを次々に考えざるを得ない出来事がたくさん明らかになりました。
法人内の障害のある人たち、そして、震災後に私たちが繋がった人たちの支援や活動をしていくうちに、日中事業だけでは支えきれない事態が続出し、職員が「グループホームやショートステイが欲しい」と泣いて訴えてくるようになりました。家族の高齢化、病気、死亡に加え、障害者本人の障害程度の重度化、高齢化、介護者不在も増えてきました。「生まれた地域で自分らしく生活をしたい」と、本人や家族からも要望が出ました。

数年前から話し合いを続け、国に補助金を申請してきましたが、3年目にやっと採択になりました。この間も、障害のある仲間が亡くなり、親御さんも亡くなったり入院したり。一刻も待てない状況は今も続いています。

「どんなに重い障害があっても暮らせるグループホーム・ショートステイえんじゅ」が今建設中です。来年1月にはスタート予定です。資金的なことも大きな課題ですが、彼らを支えるスタッフが揃うかが最大の課題です。障害が重くても、自分の気持ちを伝え、理解してもらえ、安心の「家、生活、人生」を届けられたらと、その責任の重さをひしひし感じている昨今です。

編集後記

日の光は、青空の下にだけ輝いているのではない
曇りの日も、雨の日も、日の光は私たちを照らしている
その光は、部屋の灯りよりもずっとずっと明るいのだ

神の愛もいつも私たちを照らしている
私たちが暗いと嘆く時でさえ、この世界は愛の光が満ちあふれている(Y)