お知らせ
東京教区ニュース第133号
1996年06月01日
目次
第6回インターナショナルデー
「恐れるな」をテーマに3000人が集う
4月21日、 第6回インターナショナルデー (実行委員長 レオ・シューマカ神父) が開催され、 カテドラル構内は、 言葉、 皮膚の色、 国籍の違いを越えた3000人以上の人々の笑顔、 歓声に包まれた。
昨年5月に竣工式を行った東京教区関口会館も含め、 3年ぶりにカテドラル全構内をフルに使って、 国際ミサ、 分かち合い、 アトラクション、 国際カラオケ、 学生の集い、 ワールドバザー、 子どもの絵の展示 (文中随所に掲示)、 国際電話コーナーなど盛りだくさんの企画が午前11時から始まった。
国際ミサでの説教の結びで、 白柳誠一枢機卿は 「私たちに神様が託された使命、 神様の愛を隣人に伝えることも恐れてはならない」 と励まされた。 (説教全文は別掲)
30数名のスタッフによる半年以上の準備によって、 今年は随所に新しい試みが取り入れられた。 例えば、 国際カラオケもそのひとつ、 20人以上の順番待ちに、 5時の終了時間を大幅に越えて、 大いに盛り上がった。
☆ ☆
分かち合い/パネルディスカッション
「日本文化の中であなたがショックを受けたことは?」
午前11時から、 ケルンホールで 「日本文化の中であなたがショックを受けたことは?」 をテーマにパネルディスカッションが行われた。 昨年好評だった同時通訳が、 今年も英語、 スペイン語、 日本語で実施された。
参加者は、 7~80人、 パネリストの発言に対して、 会場の参加者たちも積極的に自分の体験、 感想を語り合った。
パネリストの1人、 イギリスから来た Law さんは、 6年前に来日した教師で、 日本人の奥さんと2人の男の子がいる。 公立小学校に通う長男とともに、 子どもを通して日本の子どもたちと出会い、 話し、 遊び、 学んだ積極的な経験を述べた。
母方の祖母が日本人だというインドネシアから来たJ.Matsumoto さんは 「日本に来て驚いたことは、 日本の女性がよく働くことです。 インドネシアでは、 お手伝いがいるので、 朝は好きな時間に起きて、 自分の主人と子どもが出かけるときも起きません。
また日本では、 自転車の前後に一人ずつ子どもを乗せ、 背中にもう一人をおぶっている人もいます。 私にはとてもできません。
日本人と結婚した友達の話しですが、 インドネシアから親たちが訪ねて来たとき、 日本の座敷でどこに座るかわからず、 こたつの上に座ってしまったこと、 また日本式のひざまずいたお辞儀にびっくりしたそうです」 と語った。
もう一人インドネシアから来たイエズス会の Rupi さんが、 日本人の時間感覚について、 「日本人が時間に正確なのは感心する。 駅員が120秒の列車の停車時間をよく守り、 90秒で乗り降りをし、 その後30秒経ったら出発してしまう、 1秒遅れたら乗り遅れてしまう。 時刻表も9時22分、 12時59分などとても面白い、 インドネシアには時刻表はない、 次の電車、 バスはいつ来るかわからない」 と話すと、 会場にいた日本人の女性から一言、 「私は広島から先週出て来ました。 電車は7時5分でなければならず、 7時7分ではいけないとあらためて目の前で人にいわれたことが、 メディアを通して聞くよりも新鮮でした。 時間に追われるのは悪いことのような気がしていましたがほめられてこそばゆい気がします」
ザイールから7年前に来日し、 現在松原教会で司牧をするマタタ神父は、 日本の銭湯での体験を通して日本文化について次のように語った。
「大阪にいた時のことです。 友達から銭湯に行こうと誘われました。 私は銭湯を知らなかったのでびっくりしました。
友達は広間で裸になり湯船に入りました。 私は裸にならずウロウロしていました、 思い切って裸になりお風呂に入りました。 勇気がいりました。
私の国は暑い国、 汗が出たらシャワーを浴びます。 45度のお風呂に20分も入っていることは考えられません。 病人、 年寄り、 赤ちゃんしかこういうことはありません。 裸になって人に見せることはありません。 大変恥ずかしい。
日本人は皆裸で仲よくしています。 風呂 (銭湯) が人間関係を深めるためだと気がつきました。 天気の話など意味のないことを話し、 ふれあっています。
私も知らない人から 『どちらの国からきましたか?』 と聞かれ、 すぐに仲よくなりました。
それは、 同じ温度のお湯に入っているという共通体験をしているからです。 一人ひとりが性別、 年令を越えて人間になっています。
お風呂では緊張は無用です。 どんな季節でも使え、 気持ちがよい。 お風呂はコミュニケーションの場、 家族のきずなを深める場。 お風呂は身体だけではなく心も洗ってくれます。
45度の熱めのお風呂、 36度のぬるめのお風呂、 水風呂。 温度の違いは人間関係を表わします。 ザイールに帰ったときの一番の話題は銭湯です。」
これに対して、 会場の日本人の女性から 「楽しい話をありがとう。 勇気をもってお風呂に入ってくださったことに感謝します。 世界のなかで文化は違っても一つになれるということがわかりました」 という感想が寄せられた。
また、 会場の外国人参加者がそれぞれ次のような体験を語った。
―山梨から来たチリの男性 「5年前に日本に来た、 子ども達は日本の学校で大変な思いをしている」
―同じく山梨から来たチリのもう一人の男性 「病院で日本語がわからなくて混乱した、 尿の検査をするようにとコップを渡されたが、 トイレがわからず、 あちこちウロウロし、 やっとトイレをみつけた、 だれも教えてくれなかった」
―コロンビアから来た女性 「3人兄弟姉妹で工場で働いている。 相手が近づくのを待つよりもこちらから働きかけることが必要だと思うので、”おはよう”と声をかけるようにしたら、 今は向こうから声をかけてくれるようになった」
飛び入りでスペインの男性のギター演奏、 ペルー (北部) の踊りが披露されたり、 会場は和やかな雰囲気に包まれたが、 前回までの分かち合いで語られたような深刻な状態におかれている滞日外国人が少なくないことを考え、 もっと日本人の参加者が増え、 外国人の生の声を聞く機会が増えることが必要だと感じた。
インターナショナルミサ
白柳枢機卿説教
キリストにおける兄弟姉妹の皆さん、 私たちは2週間前、 私たちの信仰の中心であるイースター、 キリストの復活祭を迎えました。
私たちは今もって、 そして1年にわたってその喜びの余韻を味わうのです。
キリストの復活は、 「もしキリストが復活しなかったなら、 私たちの信仰はむなしい」 と聖パウロが述べているほど、 決定的な、 そして中心的な私たちの信仰です。
キリストは十字架の上で亡くなられ、 ご自分であらかじめおっしゃったように3日目によみがえり、 死と罪に打ち勝ち、 キリストに従う人にも復活し、 神の生命に与かるようにしてくださいました。 何と大きな私たちの想像を越える神様の慈しみでしょう。
ところでキリストに従うということは、 何を意味しているのでしょうか。
それは、 私たちがキリストとの個人的な出会いを体験し、 神様の愛を受け入れて、 父と子と聖霊のみ名によって洗礼を受けることです。
洗礼によって私たちは神の子どもとなって、 キリストの復活によって勝ち取られた超自然の恵み、 そして聖霊を受け、 神の生命に与かるようにそして洗礼以前とは次元の異なる世界に属するものとなったのです。
また私たちは洗礼によって、 教会の一員となり、 他の信者の方々と兄弟姉妹となるのです。 たとえ話す言葉は異なり、 皮膚の色が違っても、 また風俗習慣を異にしても、 同じ父を持つ兄弟姉妹となるのです。 私たちは世界でいちばん多くの兄弟姉妹を持つグループに属するものとなるのです。 本当にそれは心強いことです。
今、 私たちはパントマイムで見ましたように、 キリストの復活はいつの時代にも人にとって根本的な問題である 「生命と死」、 人生の問題に解決をもたらします。 人生の目的、 人は何のために生きるのか、 なぜ人は苦しみにあい、 死があるのか、 人は死んだ後どうなるのか、 という私たちの心の底にあるいちばん大きな不安にも明快な回答を与えてくれます。
それだけではなく、 あらゆる私たちの不安、 内的なまた外的な不安をも消してくれます。 少なくとも私たちは、 それを乗り越える力を与えられるのです。
したがって神様は、 今日の朗読を通して、 イザヤの口を借りて、 「私は主、 あなたの神、 あなたの右の手を固く取って言う、 恐れるな、 私はあなたを助ける」、 また福音書も荒れている湖の上を歩くキリストを見ておびえた弟子たちに、 「安心しなさい、 わたしだ、 恐れることはない」 とおっしゃったのです。
そうです、 皆さん復活なさったキリストは、 今もいつまでも世の終わりまで私たちとともにおられ、 一緒に歩んでくださるのです。 ですから、 キリストは私たちに重ねて言います 「恐れるな、 恐れるな」 と。
神の母となるお告げを受けた時、 聖母マリアも恐れました。 しかし天使は、 「恐れてはならない、 神にはおできにならないことはない」 と励まされました。
また、 教皇ヨハネ・パウロ2世も教皇に選ばれたときおおいに恐れたと述べています。 しかし 「恐れるな、 私がともにいる」 というキリストの言葉に信頼したのでした。
私たちの一生には、 たくさんの波、 風があります。 苦しいこと、 悲しいこともたくさんあります。 でも、 恐れることはありません。 私たちのために亡くなり復活してくださった方がともにあるかぎり、 恐れることはないのです。
そして、 私たちに神様が託された使命、 神様の愛を隣人に伝えることも恐れてはなりません。 なぜなら、 私たちの中に現存する聖霊が何を話し、 何をしなければならないかを教えてくれるからです。
私たちとともにおられる神様に感謝、 アーメン。
各会場の声
各会場で出会った参加者達に 「ちょっとひとこと」 感想を聞いた。
≪バザーで≫
●インターナショナルデーは、 いろいろな国の人と会えるので楽しい。 民族衣装はその国の人が着るとやはり美しいですね。 毎年来るようにしていますが、 だんだん国際的になってきていると思います。
(女 30代)
● (アフリカ出店のテント内で、 どうしようかと迷っている人に) 怖がらなくても大丈夫、 おいしいよ、 食べてみて。
(アフリカの女性)
●年々パワフルになっていく、 すてきですね。
(女 20代)
●私がおいしそうに食べているのを見て何人かに 「それどこに売っているの」 と聞かれた。 売上げに協力したみたい (笑い)。 裏方の仕事をよく知っているのでわかるけど、 みんなよくやっていると思う。
(おちゃめな修道女)
●仕事で疲れていたけれど、 キムチ弁当を食べたら、 元気になった。 辛いけどおいしい。 (男 20代)
●いろいろな国の人とゆっくり交流する場所があったらと思う。 テーブルと椅子があってゆっくりできる場がほしい。 テーマを決めた 「分かち合い」 だけでなく、 いろいろな国の料理を食べながら、 いろいろな国の人と仲よくなれるいい機会だと思う。
(女 50代)
●今年はスタッフの準備が整っていたので出店しやすかった。 バザーに来る人々がインターナショナルデーの趣旨をよく理解しているように思った。
ボリビアの倉橋神父様が呼びかけてくださったおかげで思いがけなく遠い教会からもきて協力してくださった。 特に小さいお子さんが自分のおこづかいを献金してくれたことに感激しました。
(ボリビア青少年救援活動を支える会に協力するために出店した女性)
≪国際ミサで≫
●ミサでわからない言葉が出てくると少し緊張する。 きっと滞日外国人もおなじ気持ちを持ちながら生活しているんだと少し理解できた。
(女 40代)
●パントマイムは最初は何を訴えようとしているのかわからなかったが、 見ているうちに仕事に追い立てられている自分をみているようだった。 イエズスの出現で自分も解放されていくようで感動した。
(女 30代)
●すごく計画されていてよかった。 みんながひとつになっている。 全部よかった。
(女 20代)
●まさしく恐れるな!老若男女一つになっている。 自然に溶けこんでいける。 日本の教会も変わったと思う。
(宣教から帰った修道女)
≪国際カラオケで≫
●盛り上がって、 とてもいい雰囲気。 いい試みで成功。
(男 30代)
●まるでプロのような人もいてびっくりしました。 すごいですね。
(男 40代)
●みんなの歌を聞いて自分も歌いたくなって受付に行ったら、 20人くらい後になるようです。
(男 30代)
●神様からの愛はみんな一緒。 私たちは人間で家族、 愛をみんなにあげたい。 キリストがそうしているように。 そういう気持ちで歌った。 みんな歌は大好き。
(フィリピンの女性)
● (歌い終わって) とても緊張した。 この催しは続けてあるといいですね。 外国の人が日本の歌を歌っているのを聞いて、 どういう歌を知っているのかがわかっていいですね。
(女 20代)
●三々五々に来て、 最初は集まらないのではと心配しましたが、 あっというまに満員になってしまって………
リクエストの申込みも多く、 予定の時間を過ぎてしまいますね。
(受付係)
●もうそろそろかと思って聞きに行ったら、 あと13人待つんですって。
(順番を待つ女性)
● 「若い人に負けない」 と私も歌ってきました。 こういうところでは、 非カトリック的な歌は歌ってはいけないんですよね。
(美しい声の70代の女性)
その他にも喜びの顔とともに、 「すばらしかった」 「よく準備されていた」 の声が多かった。 また、 「うちの教会からもっとたくさん来たらよかった」 という声も聞かれた。 バザーでは、 早くから売り切れの店も多く、 長蛇の列に材料を買いに走る店もみられた。
最後に、 インターナショナルデー委員会の委員長を務めたレオ神父 (関口教会) は、 「今年は委員長として2回目です。 大きなイベントを準備するのは大変で、 特に1週間前は大騒ぎ、 心配して緊張しました。 毎日たくさんのスタッフからいろいろ電話がきました。 でも私は、 今年のテーマは 『恐れるな』 だから…と思っていました。
そして当日は、 皆さんの祈りと協力と神様がいい天気を贈ってくれたおかげで、 楽しい1日が過ごせました。
それから、 ごみの処理がトラブルもなくできたのは初めてでした。 (本当に疲れた声で) 皆さんにありがとうと伝えてください」 と話した。
なお、 当日の国際ミサの献金は、 東京教区の姉妹教会であるミャンマーの教会に送られる。
CTIC通信(東京国際センター)
よく 「2度あることは3度ある」 と言われる。 まったく不思議なことだが、 CTICの活動の中でも、 そうしたことが起きている。 (そんな気がする)
「麻薬の密輸入で逮捕され留置・拘留されている。 面会と差し入れをして欲しい」 という依頼が入る。 「麻薬」 関連はごく最近のことだ。 「とんでもない人に頼りにされたもんだ」 と言いながら、 A神父とシスターTが飛び出していく。 警察や拘置所での面会・差し入れを終えて、 事務所のスタッフと 「麻薬のあれこれ」 についてワイワイやっていると、 立て続けに同様の相談と依頼が飛び込んで来るのだ。
「売春」 関連の場合も同じだ。 Mさん、 Lさん、 そしてPさん。 警察、 拘置所、 面会、 差し入れ。 こうなると、 いまや 「面会・差し入れ専門」 になったかのようなA神父とシスターTが大忙しとなる。
また、 ある日、 「妻に逃げられた、 家出された、 どうしたらよいのだろうか」 との相談。 当方もいささか当惑気味。 そうこうしているうちに、 これまた続けて2件目、 3件目。 「覆水盆に返らず」 のたとえが強く生きている世界ではある。
労働問題でも同じようなことがある。 バブルが崩壊して景気の低迷が続く中、 中小零細事務所の倒産が続く。 会社の倒産に伴う賃金不払いの問題が起きてくる。 これは、 厄介だ。 会社倒産ということは、 同時に社長が雲隠れしてしまう、 ということでもある。 製造業などであれば、 まだまだ追いかける方法もあろうというものだが、 スナックやパブなどではもう、 絶望的だ。 いずれの場合も、 社長の自宅はもちろん妻の実家までも追いかけるがほとんどが無駄足となる。 会社が倒産すれば、 そこで働いていた労働者は、 みんなひどい目に遭う。 が、 そこでもまた、 外国人労働者たちは不利な条件に置かれる。 日本人労働者たちには 「雇用保険」 がある。 が、 彼らはダメだ。 最後の手段として 「賃金の支払いの確保等に関する法律 (賃確法)」 の適用を求めての活動が始まる。
最後にもう一つ。 同じように 「3度の続き」 でも、 労働災害に対する保険金が支給され後遺障害認定の段階までいった、 というのは 「不幸中の幸い。 まあまあ、 良かった」 というところか。
きょうは労働災害とその補償について少し…。 年間250件にのぼる相談のなかで、 労災についての相談はそれほど多くはない。 この1年間で10件前後。 外国人労働者たちは労働基準法をはじめとする労働法についての知識が極めて少ない。 小零細事業所の社長や親方の場合には、 労災保険の仕組みについて十分な知識がなかったり、 元請けからの 「労災申請ダメ!」 の圧力が強かったりする。 それやこれやで 「泣き寝入り」 している外国人労働者が多いものと思われる。
オーバースティで不法就労状態にある労働者たちにとってはあれも不利、 これも差別がある。 どうしてこうなるの…。 「オーバースティ」 と片仮名で言うとあまりピンとこないが、 「不法滞在、 不法就労」 と書けばはっきりする。 「その人の存在自体が不法」 という問題を解決しないと答えが出ない。 問題が大きく、 深くなっていくだけだ。 悩みながらの活動が続く。
「2度あることは……」 の 「怪奇」 現象は、 どうやら 「口コミ」 に原因があるらしい。 彼等、 彼女等のネットワークがある、 ということか。
大原神父の口癖 「まっ、 いっか」 やフィリピン語の 「カニャカニャ」 が、 五目御飯みたいに交ぜまぜになりながら毎日が進んでいく。
(CTICスタッフ 渡辺哲郎)
ニコラス神父講演
司祭との関わりにおける信徒の意識革命について(2)
教会は 「私たち」 であります。 教会は 「聖職者プラス協力者」 ではありません。 教会は信徒の皆さんと、 その中に聖職者が入っています。
ですからこの意識の変化が、 大きな 「活気」 の原因になったということが歴史的に言えます。 私はその時、 若い神学生で神学を勉強していました。 神学が面白くなって教会に手伝いに行くのは大きな楽しみになりました。 教会が生きているというダイナミックな時代でした。
そのわりあいに早い時期から 「あいまいさ」 も出てきました。 次に第2のポイントに入ります。
どういうところから 「あいまいさ」 がでてきたのか?
簡単に言いますと、 ひとつは 「司祭の態度」 からきました。 第2バチカン公会議があっても、 司祭がすぐそれに乗ったわけではありません。 ある人はわからなかったり、 ある人はわかったつもりでいても前の習慣とか、 前のイメージが残っていて乗りにくい所があったのです。 ここでは、 司祭がいらっしゃらないのでこの話は短くして第2の 「信徒の考え、 意識、 態度」 からくる 「あいまいさ」 について述べようと思います。
「自分が教会」 であるという意識がなければ、 残念ながら、 今でも時々教会の中に見られるのですが、 「自分はお客さん」 となります。
「私が教会に行けば神父が喜んでくれるので、 教会に行く」 神父のお客さんですね。
「この教会は外国のお金で、 神父が募金して建てた教会で、 自分の教会ではない。 入って礼拝させていただいて心が落ち着いて家に戻る。 ありがたい場所だけれど自分の教会、 家と感じない。 オブザーバーである」
ですから、 そうなってくると、 教会は生き生きしないわけです。 あいまいになってくるのです。
いくら司祭が積極的に歩もうと思っても、 残念ながら反応がないことも少なくありません。 そうなると、 場合によっては教会のことがわからないので、 全部司祭にまかせてしまう、 場合によっては考えることさえしないこともあります。 「教会のことなら、 私はなにもかもわからないから神父様の言われる通りにします」
「感覚的にはどうも違うけど、 神父がそう決めたから仕方がない」
たびたびそういうことを直接的にも間接的にも、 聞きます。 自分が受け身であれば、 司祭に任せるのであれば、 せっかくの聖霊の賜物が生かされていきません。 せっかくの聖霊の恵みが成長しません。 だから教会が成長しないのです。 生き生きしないのです。 教会はどうも受け身になって、 悪い意味でおとなしくなって、 司祭の負担が増えるだけです。 1人で多くの恵みを生かさなければならない、 それは無理なことです。 ですから、 時々私たちの態度を省みなければなりません。
私たちが 「お客さん」 ではなくて、 「私たちが主体である」、 「私たちが教会である」、 「教会を指導する」、 「教会に責任を持つ」 という意識がなければ、 どの動きも、 どの教会のプログラムも 「あいまい」 になってくるのです。
もう一つの 「あいまいさ」 の原因は、 私たちの教会の中の活動から来ると思います。
批判的に聞こえるようなら申しわけありませんが、 私たちの活動の多くは、 小教区を中心にして活動しています。 皆さんにもピンと来ないこともあるでしょうし、 理想的ではないと思います。
教会の目的は福音宣教です、 教会のアイデンティティーは、 「キリストから世界へ」 というダイナミックな働きのなかにあります。 信徒の活動の場が会社である、 学校である、 家庭である、 けれども私たちの教会の多くの活動は小教区の中の活動です。 皆さんはものすごく忙しくて、 また教会に行って別な活動をすることになると、 いつの間にか分別ふんべつがでてきます。 教会に行くのが負担になります。
教会は、 活動がうまくいくようにお互いが支えあう場で、 信仰を深める場です。 活動の場ではありません。 活動の場は日本社会です。 その中に私たちの活動の場があります。 小さな場でもいいから、 神が望んでいらっしゃる 「人間を生かす」 「生命を大事にする」 「正義を生かす」 ことだと思います。
また、 どの教会に行っても教会の中の行事が多すぎるという言葉が信徒から聞かれます。 教会のイメージが 「自分の信仰を深めて元気になって社会に出て働く」 というイメージの代わりに、 「教会は活動クラブ」 「信者が仲良く何かをやっているけれど社会とは関係ない」 というイメージがあります。 また、 いろいろなグループが閉鎖的で、 クラブ的になる傾向があります。 本当の問題を取り扱っていれば閉鎖的になることができないのです。 本当の問題だったら協力がほしいのです。 人が多ければ多いほどいい、 ということになります。
最後の原因は私たちの教会の構造です。
今、 新しい教会の常識では、 教会は 「分かち合いの教会」 「共同責任の教会」 です。 そういう教会は、 構造も 「分かち合いの教会」 であるはずです。 新しい発想法にはそれに伴ういい構造がついていかなければバラバラになってしまいます。
教会は 「心で歩もう」 としているので、 よいアイデアが出て、 よい励ましのことばもありますけれど、 よい構造がないからアイデアだけで終わってしまう危険がないとはいえません。
今の構造は縦の構造が多いし、 信者の声が聞こえる場が少ないため、 反応が入りにくいのです。
このようなことから、 不安とフラストレーションが出てきました。 (次号に続く)
高齢信者に生きがいを
東京教区福祉委員会の高齢者対策小委員会では、 各小教区に対して、 熟・高齢者グループの現状についてアンケート調査を行った。 その結果、 46小教区より回答が寄せられた (回答率58%)。
それによると次のような現状が分かってきた。
1、 熟・高齢者グループがある小教区は15
関口 シニアオールドの集い
麹町 ヤングオールド懇親会
浅草 ヨゼフロザリオ会
豊四季 あけびの会
船橋 銀の会
松戸 恵みの会
松原 アンナ会
高輪 花みずき会
目黒 小布の会
関町 ロザリオ会
調布 分かち合いの会
府中 シルバーの会
八王子 なごみ会
小平 望みの会
木更津 ロザリオ会
この他に、 小教区を越えて福祉委員会が後援している 「夢を語り合う会」 「フランシスコ・ザビエル友々クラブ」 がある。
2、 グループの参加者約500人。
信心を主としたもの、 聖書をともに学ぶもの、 親睦を図るもの、 ボランティア活動を積極的に進めるもの等、 グループの性格も種々異なる。 注目したいことは、 かつては壮年会、 婦人会だったが、 いつの間にか高齢者のグループになったという現象である。 高齢化時代を迎えて、 会員が年を取り、 若い熟年の方が入りにくくなった結果でもある。
ほとんどの教会で 「敬老の集い」 を行ってはいるが、 熟・高齢者が継続的に集まるグループはまだ全体の5分の1の小教区に留まっている。
3、 資料提供と交流の希望
自由に意見・希望を書いて頂いたが、 グループのない教会からも、 今後、 高齢者グループは必要との声が多く、 他ではどんな集いをしているのか資料を提供して欲しいこと、 できれば他のグループとの交流もしたいなどの希望が多く寄せられた。
4、 ビ・モンタントゥ東京支部発足に向かって
アンケート調査の希望・意見を受けて、 教区福祉委員会では、 東京教区内の各小教区および教区全体として熟・高齢者のグループを育成し、 教会への奉仕・社会福祉への参加を推進していくため、 国際的高齢者団体ビ・モンタントゥ (VMI・登り坂の人生・黎明クラブ) 東京支部を発足させることとしている。
VMI東京支部は、 内外の高齢者グループの活動内容などの情報を提供するとともに、 教会活動の支え手としての役割を探し求めていきたい。 更に日本独自な高齢者活動を展開したい。
すでに神田教会内に設けられている 「ザビエル友々クラブ」 では俳句会が10数名を集めて、 定期的に集まっている。 信心・友情・奉仕をモットーとするビ・モンタントゥを日本に適応させながら発足させたいと考えている。
(東京教区福祉委員会高齢者対策小委員会 塚本 伊和男神父)
訃報
下山正義神父(洗礼名アントニオ修道院長・東京教区)
4月24日、帰天した。86歳。1910年、京都府に生まれる。1939年3月21日司祭に叙階され、浅草、神田教会助任、喜多見教会主任を経て、41年神田教会主任、42年大森教会主任を歴任、荏原、蒲田、西小山教会を兼任。1949年4月に本所教会主任に任命されてから1994年3月に引退するまで45年の長きに渡って同教会で司牧にあたり、「おやじ」の愛称で親しまれた。
向井龍太郎さん(元東京大司教区職員)
5月12日帰天 80歳 正式職員として29年8ヶ月カテドラル構内整備のため尽力した。
信徒使徒職研修コースを終了するにあたって
東京教区使徒職研修コースは、1972年開幕した第2回教区大会の後に、信徒再教育のために現代の東京教区にふさわしい研修のあり方を探るグループが発足したことから始まりました。
当時補佐司教であった浜尾司教を中心に信徒使徒職団体の推進者や各種研修会、連政界のスタッフ経験者20数名が約1年間をかけて、10回余りの会合を開き話し合いの末に考え出したコースでした。
特徴としては、
(イ)1年間を通してあるテーマで研修する。
(ロ)司祭、修道者、信徒が3~5名でチームを組み、スタッフとして協力する。
(ハ)1年間同じ場所(教会又は黙想の家)を使って、その周辺の教会の信徒たちの参加を呼びかける。
(ニ)毎週1回昼間2時間のグループ、同じくよる2時間のグループ、そして月1回土、日一泊のグループとおもに3種の形式をとる。
(ホ)グループ名は「東京教区使徒職研修コース第○グループ」と番号で呼ぶ。
(へ)年間は各グループごとに独自に進めるが、各グループの代表が年に2~3回集まって情報交換をし、時々勉強会を行う。
(ト)毎年3月末に全グループが関口教会に集まり終了式を行う。
こうした研修のかたちで始まり、第1年目は3グループ。第2年目から徐々にグループ数が増え、一時は7グループまでになり、20年間続けました。その間、半年ずつ2回の休みが入ったので、1995年度は21年目の研修で2つのグループで行いました。
数年前から、我々研修コースの役割は終わりに来ているのではないかと感じ始めていました。
というのは発足当初は、チーム指導というか、対話を主とする研修のあり方は、大変珍しかったのですが、現在は一般的となり、教区の障害養成委員会も組織的に動き始めたので「市と職研修コース」というひとつの枠付けされた形式は解体したほうがすっきりすると考え、95年度で終わることにしました。
しかし、使徒が使徒職の為に研修をかさねることは、今後益々重要になると思われますので、何らかのグループ研修に、しかもただ講義を開くだけではない形の研修に、多くの信徒が参加されることを願ってやみません。
(川原謙三神父)
巨大な隣国へ学生のスタディツアー
中国の大学と教会を訪れて
カトリック学生センター真正会館主催
〈「法も信号も何もなく突っ走る車と、 それに臆せずに器用に道を渡ってしまう人々の不思議な共存体制」 これが中国だ。 政治、 政策は車のようにビュンビュンと走るが、 民衆はその車の間をすりぬけて生きていく…〉
資本主義と社会主義が共存しているという、 はたから見たら大変不可解なこの国を表す見事な表現は、 3月に中国北東部 (大連、 潘陽、 長春) を訪れ、 「資本主義でも、 社会主義でも発展すればよい」 という言葉に象徴される 「本音とたてまえ」 や、 個人主義と団体ヒエラルキー両方の強さを体感し、 「日本人と日頃の社会秩序、 法秩序の感覚が大きく異なっている」 ことを知った学生の一人が言ったことばである。
他に、 多くの中国人に暖かく受け入れられて11日間を過ごした16人の学生 (引率=シェガレ神父・余語神父) の感想から。
〈優しい人たちに会えてよかった。 友達として話をして、 私と同じ部分や違った部分を見つけて、 あたり前だけど 「同じ人間」 であると実感した。 「百聞は一見にしかず」 というのは本当だった。〉
〈広場で周りに集まってきた人々が、 「日本の過去は忘れないが、 未来を見つめて前向きに生きていこう」 と言っていたことに心を打たれた。〉
筆談を楽しんだり、 大学で習った中国語を試したりする一方、 外国語大学に宿泊して、 何度か中国人学生と交流した時には、 彼らのとても上手な英語や日本語、 フランス語に驚いた。 同時に、 「習得した言葉の国に行けるなんて思っていない」 悲しさや、 言論の自由がなく 「言いたいことを言えない」 辛さを同世代として感じた。
彼らと長くつきあっていきたいと言う学生の耳には、 日本人の友人と8年間つきあい続けている中国人学生のことばが残っている。
〈長く深いつきあいを続けていると、 いろいろな誤解が生じ、 スムーズにつきあえないことも多く出てくる。 本当に仲良くつきあおうと思ったら、 中国人は日本人のことを知らなければならないし、 日本人は中国人のことを知らなければならない。 テーブルマナーひとつを取っても、 それを知らなければ…〉
「急速に発展」 しつつある中国の社会が 「コネとカネの世界」 になっていることを指して、 「コネがないと、 成績トップの学生でも職がないのは本当に残念だ」 と嘆く学生もいた。
余語神父は、 中国社会に伝統的にある 「コネ」 や 「メンツ」 に助けられることもある一方、 1日に何回もの 「カネ」 の支払い交渉のせいで、 同室の学生に 「夢にまで出てきていたらしく、 寝言を言っていましたよ」 と言われていた。
2つの主義の共存と急速に成長する経済によって、 多くの 「問題」 がもたらされたものの、 人々にも町中にも活気があることを学生たちは実感した。
〈中国の人たちは皆、 エネルギーに満ちているなと思った。 靴を磨いている人も、 道を歩いている人でさえも、 一生懸命何か (発展?) に向かっていく姿が印象的だった。〉
他方、 日本の生活への疑問や、 「やがて日本が今抱えている問題をそっくり持つことになるのではないか」 という声も聞かれた。
〈トイレにしろ風呂にしろ使いづらいことは確かだったが、 とりあえず目的を達することはできるものであり、 中国が遅れているというより日本が不必要にぜいたく過ぎるのではないかと思った。〉
また、 朝鮮族や回族 (イスラム教) などの学生、 蒙古族 (ラマ教) の人などに会い、 多民族国家であることを実感したり、 いろいろの講義 (文化大革命、 地域経済、 漢方医学= 「漢方薬や気」 の話や診療体験、 芸術=水墨画の実演、 モンゴル文化、 進出合弁企業など) を受けた時に、 どの分野でもまず長い歴史の説明を聞かされて 「5000年の歴史」 を持つ中国にとって、 今混乱しているように見えることも、 一時のことであり、 たいしたことではないのではと考えることもあった。
愛国 (公認) と地下の2つに分かれている教会を訪問した際には、 文化大革命で教会関係の土地や建物を政府に取り上げられたり、 長い間、 刑務所や労働キャンプに入れられていた司教や司祭と会ったりした。
〈教会関係で出会った人々は、 つらく悲しい思いがあるにもかかわらず、皆、笑顔で優しさを感じた。 信じる心、 強い意志の偉大さを肌で感じた。〉
〈年取った司教に会ったとき、 なぜ、 弾圧やさまざまな迫害を受けながら、 あそこまでキリスト教というものにこだわるのか、 そこまで人を引きつけるキリスト教および宗教とは人間にとっていったいどういう存在なのか、 人間にとって幸福とはどういう状態なのか等、 さまざまなことを考えさせられた。〉
真生会館カトリック学生センターでは、 昨夏好評だった韓国ホームスティ (カトリック学生宅) を、 今年も8月20日から27日の8日間に実施。 申し込み受付中。 次回の中国スタディツアーは来春になるが、 中国の大学で日本語を教えようという信徒 (学生でなくて可。 資格か実績があることが望ましい) も探している。 学生センターについての問い合わせは、 余語久則神父まで。
〒160新宿区信濃町33 真生会館
TEL03-3351-7121
FAX03-3357-6227
戸塚先生を講師に50余人が参加
「人生を安らかに終えるために」今年度第1回一泊交流会
東京教区生涯養成委員会が主催する今年度第1回の一泊交流会が4月20、 21の両日、 多摩市の 「サンピア多摩」 で、 30代から80代まで未信者も含め50余名が参加して開かれました。
「人生を安らかに終えるために―ホスピスの現場から―をテーマにした今回の交流会は、 講師に聖ヨハネ会・桜町病院の戸塚元吉・名誉病院長をお迎えし、 ホスピス開設の経緯から、 ホスピス経営を通した体験をうかがい、 それをもとに小グループに分かれて分かち合いを行いました。
戸塚先生は講演で、 ホスピスで実際に人生の終わりを迎えた婦人の例などをもとに、 「死に直面してなお 『心に太陽を、 唇に歌を』 の心を持ち続けるのはやさしいことではない。 要は最後までよりよく生きたい、 という意欲」 などとお話になりました。
その後、 分かち合いに移り、 実際にガンで闘病をされた方、 ご主人や肉親をガンで亡くされた方などが自分の体験、 苦難を前向きに乗り越えていった過程などを語られ、 ガンの告知の問題、 患者を支援する医師、 看護婦、 家族、 ボランティアなどの助けの重要性や 「その時」 に備えて、 健康な時から夫婦や家族の間で心を通じあっておくことの必要が指摘されました。
最後に、 パウロ会の赤波江神父様の司式のミサで、 2日間の充実したお話と分かち合いに感謝を捧げて締めくくりました。
なお、 委員会では参加者を対象にアンケートを実施したが、 84%が交流会に参加して 「たいへん役に立った」 と回答。 次回以降の交流会に29%が 「参加する」、 66%が 「日程のやりくりがつけば参加したい」 との希望があった。
また、 今後取り上げてほしいテーマとしては 「今回のテーマの第2部」 「ボランティアの具体的活動」 「いじめ」 「職場での信仰者のあり方」 「信仰と日本社会」 「女性差別」 「夫婦のあり方・不和」 「核老夫婦の信徒としての過ごし方」 など多くの希望が寄せられた。
生涯養成委員会・一泊交流会チームは、 これらの意見・希望を参考にして、 今後の企画を立てていく方針である。
(南条俊二)
教区委員会紹介 その(3)
「難民定住推進委員会」
インドシナ難民の人たちが、日本に定住することを支援していく為の活動を行っているのが、難民定住推進委員会です。
1975年のベトナム戦争の終結に伴って、多くの難民の人たちが祖国を離れて世界中に散っていきました。会場を漂いながら、次々と失われていく多くの命は、戦争以上に私たちの問いかけをもたらしました。
教皇ヨハネ・パウロ2世も79年に「インドシナ難民の為の訴え」を出され、カトリック教会がこの問題に正面から取り組むよう要請されました。日本カトリック司教団は82年に「難民定住についてのアピール」を出し、定住促進を日本の教会の活動に取り入れました。
全国的にはカトリック難民定住委員会(現在は国際協力委員会の中の委員会への改組)賀設置され、東京教区では難民定住促進委員会によって、教区として難民定住を活動の大きな課題として進めることにしました。
この難民定住促進の活動は、教会・修道会が活動の中心となり、教区の委員会はこの活動を側面支援するという”現場主義”という方式をとってきました。
これはここの難民の人たちがおかれた環境が大きく異なり、画一的には対応が出来ない為です。教区の委員会は、各教会の活動を支援する為「難民にゅうす」を発行して活動のPRを行い、「難民基金」を設置して奨学金を集め、「担当者連絡会」を開催して情報交換を行っています。
教区の中の多くの教会が、それぞれ独自に活動を展開し、大きな成果をあげています。日本にきたベトナム難民の人たちの中から司祭も誕生し、多くの神学生がその後に続き、べトマム人協同も活発な活動を持つようになりました。
難民定住推進活動もすでに15年目を迎え、国際情勢の変化を受けてその環境は大きく変化してきました。
べトナムをはじめとするインドシナ諸国も経済開放を進め、既に政治は新たな難民の受け入れを停止し、全国の難民の受け入れ窓口となっていた各地の定住センターも次々と閉鎖しています。
今までのような定住を援助し支援する活動から、共に助け合う「共生」の姿勢への転換が求められています。
いま、難民定住推進活動は、新たな階段へ進もうとしています。
(矢島隆志)
シリーズ
いじめへのメッセージ(1)
女子大生の調査から
成城教会 増田陸郎 86
私は 「東京いのちの電話」 と平行して 「日本自殺予防学会」 の設立に携わった者の一人であるが、 いじめの問題はわが国の教育、 家族、 文化、 風土、 政治、 経済が総合的に働いて子供たちの心の発達を妨げた結果の表現の一部であるので、 容易に解決出来るものではない。
例えば、 昔は同胞はらからが平均5人いて、 子供が喧嘩することで異性の違い、 痛みや忍耐を知って育ち、 学校ではいじめがあっても、 兄弟が弟妹をかばって、 いじめた相手をやっつけていた。
また貧しい昔の日本では子供は薪とりや風呂炊きなどの貴重な働き手であり、 学校でいかにいじめられても家に帰れば安定した座る位置があった。
今はすべてが電気やガスで処理され、 幼い時はペット扱い、 大きくなると偏差値という化け物が誇りある個性の発達を妨げている。
私はかつて、 鮮やかに過去を客観的に想起できる年令である女子大生に、 生まれてから現在までの精神発達過程を5段階に分けて、 体験した挫折を調査したことがある。
それぞれの段階での挫折を100として、 紙面の関係でいじめだけを見ると、 幼児期にはいじめが14と少ないが、 小さい心の傷が今も残っていた。
小学校ではいじめが47と断然多くなり、 転校がその原因となっていて驚いた。
中学校ではいじめ21が最高であったが、 むしろ家庭・学校内暴力13、 自殺念慮、 拒食症17等精神問題が目立っていた。
自我が確立した高校生の段階ではいじめ2と少なくなる。 大学では皆無といってよい。 それはいじめはあるが、 いじめと受け取らないためである。
大河内清輝君のお父さんが 「もっと不まじめな子に育てていればこんなことにはならなかったかも知れない」 と話された気持ちが良く分かる。
なお私の別の調査では 「本当に死にたいと思った」 のは小学校から大学まで10%前後と同じで、 カトリック校でも差が無かった。
いじめを正確に見ている方がいます。
所沢教会 井上景子 47
日本の教育に宗教教育を入れ、 おとなも子供もすべてに行き渡るようにしても、 なお足りないけれども、 宗教なきモラルはない、 と言われるとおりである。
経済至上主義が落としてきたもの、 お金と物では埋まらない心の問題を全員が求めている。
キリストの愛・アガペの愛を日本人が実践できるよう、 少しずつ土壌を変えていかなくてはならない。
命の事、 生きる事、 人間とは、 悪と善の混在しているこの世の事、 悪を救って新しく回心できるように祈る事、 排除のないように整えていける子供ではない大人の親が、 各家庭に一人でもいることが大切である。
子供を受け入れ、 聞いてあげる人が一人いれば、 どんなにいじめられても自殺はしない。 死にたくないのだから。
だけどこのまま目的がないのなら生きていても仕様がないという精神状態。 人間の目的は神様のため、 人のために前を向いてオプティミスティックに生きる事。 そして各々の才能を思いのまま伸ばすこと。
対峙者を人間に求めても無理です。 確固たる信念がない、 神の規範を知らない、 神秘の世界を知らない。 そういう学校教育に良いことと悪いことの区別を教える、 宗教の時間を持つことを速やかに薦める。
社会問題として真剣に、 行政も民間も様々な分野の人々により、 本当の真理に基づいた生き方を追求し、 人間の根本を大切にする、 元の奥ゆかしいやさしい日本人を取り戻すことを願ってやまない。
編集部から
●周りの人々のことを考えれば、 休みたい時に、 自由には休めません。 いろいろな調整を繰り返し、 やっとのことで”貴重な”時間を創り出すことになります。 毎年のことながら、 そのためのエネルギーは、 莫大なものでしょう。 休みを創り出すために、 休みの前に、 既に莫大なエネルギーを消費してしまっている…。 何のための”休み”なんでしょうネ?
(熊1)
●同じ顔ぶれで、 しばらく一緒に仕事をしていると、 いつの間にやら、 “停滞”の2文字が漂い始めます。 そんな空気を一度に変えてくれるのが、 新人の参加です。 新しい紙面を創るためには、 浦野神父さん、 くれぐれもよろしくネ!
(熊2)
●近年、 司祭叙階の時に小教区の任地の任命と同時に教区の委員会の任命を受けることになっています。
叙階式の中では、 小教区の任地の発表だけが行われるので教区の委員会の任命については、 ほとんどの人が知らないのも当然ですが。
伊藤神父様はインターナショナルデー委員会に、 私は広報委員会に任命されてしまいました。
「えー、 どうして?」 というのが正直な気持ちです。
(浦野)
●5月12日は世界広報の日、 今年のテーマは 「女性の役割を生かすメディア」 です。
教皇ヨハネ・パウロ2世はメッセージの中で、 「コミュニケーション・メディアに携わるすべての人々が社会における真の尊敬すべき女性の役割を形成することによって、 また”女性についての完全に真理”(女性への手紙に)を明らかにすることによって、 女性の尊厳と諸権利の真の向上を促進するよう」 励まされています。
東京教区ニュースの編集に携わる私たちも、 少しでもお役に立てたらと願っています。
● 「いじめ」 へのメッセージにおたよりが寄せられはじめました。 一回かぎりの特集ではなく、 いろいろな形で少しずつ毎号でも掲載していきたいと考えています。 そこで、 募集しめ切りを延長しましたのでどしどしお寄せ下さい。
今月は一般的なご意見、 来月は主婦 (母) の立場からのメッセージをと考えています。
● 「教会巡り」、 「ずーむあっぷ」 を都合により今月もお休みさせていただきました。