お知らせ

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大司教司牧書簡 「希望の灯火を絶やすことのないように」

2026年01月01日

大司教司牧書簡
「希望の灯火を絶やすことのないように」

東京大司教
枢機卿 菊地 功

新しい年の初めにあたり、東京教区のみなさまにご挨拶申し上げます。

一昨年12月、教皇フランシスコから枢機卿への叙任を受けました。その後、昨年2025年春の教皇フランシスコの帰天、教皇選挙への参加、新しい牧者レオ14世の誕生、さらに10月9日のローマでの枢機卿名義教会への着座式と、昨年一年は普段にはない行事への対応で教区を不在にすることが続いてしまいました。その間、多くの方にお祈りと励ましを頂いたことに、心から感謝申し上げます。

着座式のためにローマを訪れた際、ジェズ教会を訪問しました。イエズス会の創立者である聖イグナチオ・デ・ロヨラが葬られているこの聖堂には、聖フランシスコ・ザビエルの右腕が安置されています。わたしはローマを訪れるたびごとにこの教会を訪れ、聖フランシスコ・ザビエルの右腕が安置された祭壇の前で、感謝の祈りを捧げることにしています。

聖なる宣教師にならって

言うまでもなく、1549年に日本に初めて福音をもたらしてくださった宣教師です。祈りながら心に浮かんだのは、この偉大な宣教師がどれほど大きな不安を抱えて異国の地に足を運ばれたのだろうかということでした。今の時代であれば、宣教師として派遣されるにしても、事前の行き先について情報を集めることが可能です。テクノロジーが進むにつれて、さらにリアルな情報を手にすることも、また行き先の方と事前に打ち合わせをすることも可能でしょう。

しかしその便利さは、逆に、命がけの冒険に歩みを進めていく勇気を現代社会から奪ってしまったような気がしています。十分な知識を持って緻密な計画を立てておかなければ、未知の歩みを始める勇気がないのです。

かつて大海原に乗り出し、遙か彼方のアジアに福音をもたらした聖なる宣教師は、未知の歩みを始める勇気をどこから得ていたのでしょう。それは聖霊の導きにすべてを任せる信仰における勇気であったのだと思います。無計画な蛮勇ではなく、信仰に基づく決断の勇気です。
シノドスの道を歩む教会は、まさしくかつての聖なる宣教師のように、未知の旅路へと歩みを進めるために、聖霊の導きに勇気を持って身を任せる教会です。どうしても緻密な計画を立て、明確な方向性がなければ先に進むことに躊躇してしまう現代社会だからこそ、聖霊に身を任せる勇気が必要です。

聖年の終わりにあたり

「希望の巡礼者」をテーマに掲げた聖年は、各地の教区で昨年末の聖家族の主日に捧げられた閉幕ミサと、ローマにおいては1月6日に聖ペトロ大聖堂の聖年の扉が教皇レオ十四世によって閉じられて閉幕します。

教皇フランシスコは、混迷を極める現代社会において神の民が旅路を歩み続けるために、二つの大切なことを提示されました。その一つは、教会とは一体どういう存在なのかを問いかけるシノドスの歩みであり、もう一つが、25年に一度の聖年の機会を捉えて、神の民が希望を掲げて歩みを続ける巡礼者であり続けようという呼びかけでした。

教皇フランシスコは聖年の開始を告げる大勅書「希望は欺かない」の冒頭に、「すべての人は希望を抱きます。明日は何が起こるか分からないとはいえ、希望はよいものへの願望と期待として、一人ひとりの心の中に宿っています」と記し、この世界を旅するわたしたちの心には、常に希望が宿っていることを指摘されています。同時に教皇フランシスコは、「希望の最初のしるしは、世界の平和と言いうるものです。世界はいままた、戦争という惨劇に沈んでいます。過去の惨事を忘れがちな人類は、おびただしい人々が暴力の蛮行によって虐げられるさまを目の当たりにする、新たな、そして困難な試練にさらされています」と指摘され、この数年間の世界の現実が、いかにその希望を奪い去り、絶望を生み出すものであるのかを強調されました。

新しい牧者として昨年5月に教皇に選出され、サンピエトロ大聖堂のバルコニーに姿を見せた教皇レオ14世の最初の言葉は、「あなた方に平和があるように」でありました。

その上でレオ十四世は、「愛する兄弟姉妹の皆さん。これが、神の民のためにいのちを与えた、よき牧者である、復活したキリストの最初の挨拶です。わたしもこう望みます。この平和の挨拶が皆さんの心に入りますように。……これが復活したキリストの平和です。謙遜で、忍耐強い、武器のない平和、武器を取り除く平和です。この平和は神から来るものです」と呼びかけ、平和の確立こそが現代社会における教会の最優先の課題であることを明確にされました。平和の確立こそが絶望の闇を打ち払い、希望を生み出します。いま世界は希望を必要としています。絶望の暗闇を打ち破る希望を必要としています。

ウクライナ、ミャンマー、ガザなど、混迷を深め絶望をもたらし続ける暴力の嵐は止まるところを知りません。神からの賜物であるいのちは、日々、危機に直面し続けています。

先行きへの不安を抱え、将来への道筋が不透明な世界は、いまや自己保身の利己主義的な価値観に席巻され、異質な存在への排除の力と同調圧力が強まっていると感じます。

いのちは神から与えられた賜物です。神の似姿としての尊厳に満ちあふれています。いのちは暗闇の中に輝く希望の源です。いのちへの暴力は、どのような形であれ許されてはなりません。いのちはその始めから終わりまで、例外なく、人間の尊厳とともに護られなくてはなりません。いのちに対する暴力こそが世界から希望を奪い去り、絶望の闇の支配を許しています。暗闇の中を孤独のうちに歩いているわたしたちには、闇を打ち破る希望と、その希望を生み出してくれる一緒に旅をする仲間の存在が必要です。それだからこそ、わたしたちはともに巡礼者として希望を掲げ、それをあかしする旅路を続けていきたいと思います。

「希望の巡礼者」は聖年の閉幕とともに終わってしまうのではありません。いのちに対する暴力が続く限り、「希望の巡礼者」たちの教会共同体にはこの世の荒波の中で希望のあかしとなる使命があるのです。希望の灯火を絶やすことのないように、それぞれの場で取り組みを続けて参りましょう。

シノドスの歩みは、希望をあかしする道です。聖霊がどこにわたしたちを導いていくのかを、事前に理解することはできません。兄弟姉妹と歩みをともにし、互いに支え合い、ともに祈り合うシノドス的な共同体のあり方は、わたしたちを絶望から解き放ち希望を生み出す道です。
聖なる宣教師が勇気を持って聖霊の導きに身を任せて、未知の冒険とも言うべき旅路に出たように、わたしたちも勇気をもって聖霊の導きに身を任せる教会でありたいと思います。その決断こそが、シノドスの歩みを進めていきます。

シノドスの道

2028年10月の教会総会に向けて、それぞれの小教区や教区で、理解と実践を深めることが求められています。シノドス第二会期の最後に出された「最終文書(シノドス流の教会)」は、教皇文書としてわたしたちに与えられた羅針盤です。

司教団のシノドス特別チームは、先日、2028年10月に向けてのロードマップを公表し、取り組みを呼びかけています。これに従って、東京教区での取り組みも深めていきたいと思います。まずは「シノドス流の教会、交わり、参加、宣教《シノドス最終文書»」をぜひともご一読ください。その上で、聖霊の導きを識別するための実践である「霊における会話」に慣れ親しんでください。「霊における会話」ができるようになることがシノドス性の確立ではありませんが、聖霊の導きを見いだすためには有用な手段です。今後、教区の中で互いに分かち合っていただくテーマなどを、教区のシノドス担当から、提示させていただきます。

「最終文書」に記されていることについて具体的にどのような選択をするのかは、それぞれの共同体が置かれている社会の現状や生きている文脈、背景によって異なっています。しかしわたしたちの教会がどこを向いて歩んでいるのか、どのような困難を抱えているのか、そういうことを共有しながら、ともに歩み、ともに祈り、ともに識別するすべを身につけることは重要であると思います。

宣教協力体の見直しについては歩みが遅くて大変申し訳ありませんが、総代理であるアンドレア・レンボ司教様のリーダーシップで、昨年一年は、第二期(2023年・2024年)宣教司牧評議会での話し合いに基づいて、教区を大きく7つのグループに分け、訪問する形で具体的なそれぞれの事情に耳を傾ける作業を進めました。歴史的な経緯があることと、具体的に運用が成功している協力体とそうではない協力体もあることから、見直し作業は簡単ではありませんが、今年中に何らかの提案ができるかと思います。それに合わせる形で、宣教協力体の存在と密接に関連する宣教司牧方針の中間見直しと宣教司牧評議会のあり方の見直しを進めて参ります。

皆でともに

社会全体の少子高齢化が激しく進み、教会にもその現実が重くのしかかっています。同時に、外国籍信徒の方々も、教区が公式に統計として出している信徒数に匹敵する数の方々が教区内にはおられると想定しています。長期に一緒に暮らす方も、短期の滞在の方もいるとはいえ、公式統計上は9万人から10万人の間の信徒数の東京教区ですが、実際にはその2倍程度には、兄弟姉妹が存在しているものと推定されます。この方々の存在は、東京教区にとって希望の光であるとともに、一緒に教会共同体を育てていく仲間であります。他人ではなく兄弟姉妹です。

そういった中で、教会は秘跡の機会を提供するだけにとどまらず、信仰を同じくする兄弟姉妹による交わりの共同体であることを、改めて意識したいと思います。教会は、司教だけでは成り立ちません。司祭だけでも成り立ちません。修道者だけでも成り立ちません。同じキリストへの信仰に招かれ、同じ洗礼を受け、同じ信仰を告白する兄弟姉妹は、司教であろうと司祭であろうと修道者であろうと信徒であろうと、どの国の出身であろうと、皆同じキリスト者として一緒に教会共同体を作り上げる神の民です。
誰かが育んですべてを準備してくれた教会で霊的サービスを受けるお客様になるのではなく、一緒になって共同体を育てる道に、どうかあなたの力を貸してください。みなさん、お一人お一人の力と助けがなければ、教会は成り立ちません。それがシノドス的教会です。互いを大切

にしてください。誰かに助けてほしいと思っているのはご自分だけでなく、教会に集うすべての兄弟姉妹が、それぞれの形で何らかの助けを必要としています。互いの尊厳を尊重し護りながら、耳を傾け合いましょう。助け合いましょう。祈りをともにしましょう。一緒に教会を育み、豊かにしていきましょう。一緒に歩みましょう。一緒に聖霊の導きに身を任せましょう。

希望の灯火を絶やすことのないように、歩みをともにしてくださるあなたの存在が必要です。一緒に歩んで参りましょう。