お知らせ

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教皇フランシスコの逝去に際して

2025年04月22日

カトリック東京大司教区の皆様

教皇フランシスコの逝去に際して

わたしたちをシノドスの道へと力強く導いてくださった教皇フランシスコは、ローマ現地時間4月21日7時35分(日本時間14時35分)、88年にわたる人生の旅路を終え、御父のもとへと旅立たれました。

1936年12月にホルヘ・マリオ・ベルゴリオとしてアルゼンチンで誕生された教皇フランシスコは、イエズス会員として、1969年に司祭に叙階され、1973年から6年間は、イエズス会アルゼンチン管区長を務められました。1992年5月20日、教皇ヨハネ・パウロ二世からブエノスアイレス補佐司教に任命され、同年6月27日に司教叙階、1997年6月3日にブエノスアイレス協働大司教となり、1998年2月28日から同教区大司教となりました。2001年2月21日には教皇ヨハネ・パウロ二世から枢機卿に叙任され、2005年から2011年までの6年間は、アルゼンチン司教協議会会長も務められました。

ベネディクト16世の引退を受けて行われたコンクラーベ(教皇選挙)において第266代教皇に選出された教皇フランシスコは、七十六歳という年齢でしたが、力強く明確なリーダーシップをもって、教会が進むべき方向性と現代社会にあって教会があかしするべき姿勢を明確に示してくださいました。

わたしは2013年5月、国際カリタスの理事会の際に初めて教皇フランシスコに会いました。これまでの伝統を破り、教皇宮殿には住まないと決められた教皇様は、宿舎の聖堂にわたしたちを招き入れ、集まった理事全員と直接に話をされました。皆を集めてそれぞれの声に耳を傾ける姿勢は、その後のシノドスの道に繋がっている教皇フランシスコの基本姿勢です。その基本姿勢は、最初の使徒的勧告「福音の喜び」において明確に示され、回勅「ラウダート・シ」で具体化され、第16回世界代表司教会議(シノドス)の運営において確固たるものとなりました。教会は今、シノドスの道を、すなわち互いに耳を傾け合い、互いに支え合い、互いに祈りのうちに聖霊の導きを識別する道を当たり前の姿にしようとしています。

わたし自身も参加した二度にわたる今回のシノドス総会において、教皇フランシスコはしばしば、「聖霊が主役です」と言う言葉を繰り返されました。今教会に必要なのは、聖霊の導きに素直に耳を傾けることです。

教皇フランシスコは2019年11月、コロナの感染症ですべてが停止する直前に、日本を訪れてくださいました。わたしは東京の大司教として、東京でのプログラムで教皇様の先導役を務めましたが、特に東京ドームの中を一緒にオープンカーに乗って回ったとき、本当に心から喜びの笑顔で、集まった皆さんに手を振り、子どもたちに祝福を与えられる姿に、愛といつくしみに満ちあふれた牧者の姿を見ました。少しでもその姿に倣いたいと思いました。

2020年以降の世界的な感染症によるいのちの危機や、頻発する戦争や武力紛争は、人々から寛容さを奪い去り、排除と暴力と絶望が力を持つ世界を生み出してしまいました。その現実に対して教皇フランシスコは、2025年聖年のテーマとして「希望の巡礼者」を掲げ、ともに助け合いながら歩むことで教会が世界に対して、キリストにおける希望をあかしする存在となるように求められました。シノドス的な教会は、キリストの希望をあかしする宣教する教会です。

まさしく聖年の歩みを続けているこのときに、力強い牧者を失うことは、教会にとって大きな痛手です。

教皇フランシスコは昨年12月7日にわたしを枢機卿に叙任してくださいました。枢機卿としてどのような形で教皇様を支えることができるのか、まだそれも明確にお聞きしていないうちにこのような別れの時が来るとは予想もしていませんでした。教皇様の期待されている役割を見いだしながら、その姿勢に倣って共に歩む者であり続けたいと思います。

教皇フランシスコの逝去にあたり、これまでの長年にわたる教会への貢献と牧者としての導きに感謝し、御父の懐にあって豊かな報いをうけられますように、永遠の安息をともにお祈りいたしましょう。

カトリック東京大司教区大司教
枢機卿 菊地功