幸田和生司教説教@岡田武夫名誉大司教追悼ミサ

2021年04月20日

岡田武夫名誉大司教追悼ミサ、幸田和生司教による説教です。

わたしが岡田大司教様と初めて会ったのは、1979年3月のことでした。わたしは当時、大学生で柏教会の信徒でしたが、その春大学を卒業し、4月から東京教区の神学生として、神学校に入ることが決まっていました。ちょうどその時、柏教会の主任司祭が交代になり、今度来る新しい神父さんを紹介していただきました。それが岡田神父さんでした。

ローマ留学から帰ったばかりで今計算してみると37歳ぐらいということになります。ひょろっとした体型で、まるで学生のような若い司祭という印象がありました。わたしが神学生だった6年間も出身教会の司祭として、いやそれ以上にいろいろな関わりがありました。また、結局、わたしは岡田大司教の補佐司教として、10年以上、そばで働かせていただくことになりました。その間、うまく補佐することができなくて、申し訳なく思っています。でもまあ、長いお付き合いで、腐れ縁のようなところがありました。どこかでいつも、わたしの方からは「大司教さん、幸田の思いをわかってくれていますよね」というのと、岡田大司教の方からは、「幸田さん、わたしの思いを分かってくれているよね」というので、暗黙のうちに通じ合っていたと思っています。

浦和司教、東京大司教、司教協議会会長など、たくさんの役職を引き受けられましたが、岡田大司教ご自身の考え続けたテーマは「福音宣教」ということでした。学生の時にキリスト教に出会った者として、どうしたら多くの日本人にキリストの福音を伝えることができるのか、生涯考え続けておられました。ローマ留学中に研究テーマとして選ばれたのも、パウロ6世教皇の使徒的勧告「福音宣教Evangelii Nuntiandi」でした。1987年の第一回福音宣教全国会議では、日本カトリック宣教研究所所長として、大きな役割を受け持たれました。1991年からは司教として、福音宣教の使命に生きようとされました。浦和教区の司教として、また東京大司教区の大司教として、2017年に定年のために辞任願いが受理されるまで、司教職におられた間は、本当にたくさんのご苦労を重ねられたと思います(わたしはそれを知っているつもりです)。

「主に望みを置く人」というのが岡田大司教のモットーでした。紋章には、五つのパンと二匹の魚の絵が描かれていました。わたしたちの持っているものはわずかなものであっても、主に望みを置き、みんなでそれを出し合い、分かち合えば、豊かなものになる。岡田大司教は本当にそう信じていました。そして、いつも教区の信者のために祈っておられました。大司教館の中にチャペルがあります。岡田大司教が祈る姿がいつもそこにありました。当時、大司教館の2階に住んでいたのは、大司教様とわたしだけで、その2階にチャペルがありましたので、その姿を見ていたのは、わたしだけだったのかもしれません。そこで岡田大司教様は、東京教区の人々のため、そして、自分が大司教としての使命をよりよく果たすことができるよう、いつも祈っておられました。

正直に申し上げて、組織のトップとして、管理運営に携わることは、岡田大司教の望んだことでも、得意なことでもなかったと思います。でも誠実にその職務を果たそうとつとめ、祈っておられた姿は忘れられません。

生涯の最後の2年間、本郷教会で、人々の中にいて、ミサを司式し、福音を人々に伝え、さまざまな思索を文章にして発表されていました。それは岡田大司教様にとってはとても充実した日々だったのだと思っています。

2019年の春、本郷教会の小教区管理者に就任した際に、本郷教会の皆さんに宛てて書かれた文章の一節に次の文章があります。

「主イエスの福音をどのような言葉で、どのような愛の実践によって、人々に伝え証しすることができるでしょうか。この課題を、日々皆さんとご一緒に遂行したいと念じています。」

言葉だけではなく、愛の実践によってしか、福音は伝わらない、岡田大司教はそのことを本当に痛感しておられたのだと思います。そして、この言葉は岡田大司教が私たちに残された遺言、あるいは、宿題だと思います。

今日、この追悼ミサの中で、岡田大司教様のなさってきたことに感謝し、その永遠の安息をお祈りするとともに、岡田大司教様から、わたしたち一人一人が、日本の福音宣教という大きな宿題をいただいていることを改めて、思い起こしましょう。そして、わたしたちが言葉と愛の実践によって福音を伝える者となりますよう、心からお祈りしたいと思います。

(幸田司教ブログ「毎日がクリスマス」より転載)