お知らせ
ケルン教区大司教ヴェルキ枢機卿の説教
2016年03月06日
2016年3月6日・四旬節第4主日
ヴェルキ枢機卿を迎えてのミサ
東京カテドラル聖マリア大聖堂において
説教
敬愛する兄弟姉妹のみなさま、
世界の各地では、今日の主日に、キリスト者たちが聖体の祭儀に集まっています。ケルン大司教区の信者たちは、このミサにあずかりながら、今日は、いつも以上に、ここパートナー教区である東京教区の兄弟・姉妹たちのことを思い起こしています。
地理的に見れば、わたくしたちの間には、地球半分ほどの距離がありますが、― 信仰においては、全く隔たりがありません、あるのは融和と絆のみです。
この融和は - 使徒パウロが、今日の朗読の中で、「キリストによって世をご自分に和解させ、かつ和解の務めをわたくしたちに授けてくださいました。(第2コリント書5章18)」と、わたくしたちに言われた様に - 神に由来します。
恐らく、この聖書の言葉、融和の務めを胸に、ケルンの当時のフリングス大司教とその司教総代理が世界に広がる教会の中でイニシャチブをとり、ケルン・東京両教区の協力・友好関係を築こうとしたのでしょう。
いずれにしても、わたしは、わたくし共の前任者たちが率先して双方の間に橋を渡し、この神の家・カテドラルを造られたことに心から感謝しています。
第二次世界大戦がもたらした残酷さの後、融和が、「いのち」に至る道に、どのような意味を持つのかを示したように、わたくしたちも、どこで、また、誰のために、今日、融和の行為を必要とするのかということについて、今、繰り返し考えるよう求められています。
ケルンで、特に崇められている聖なる三博士は、わたくしたちに、そのための道を示してくれる道標になることでしょう。
その昔、これらの博士たちが、その賢い行動によって、神の子、産まれたばかりの救い主の命を救いました。彼らは、ヘロデ王の指示にさからい、神の声に多くの信頼を置いたのです。それによって、三博士は、キリスト教の将来への橋を築くことができたわけです。三博士は、その聖遺骨がミラノからケルンに移されてから850年あまりも、ケルンで崇敬されています。
しかし、三博士が、特に崇められているのはケルンだけではありません。イタリアのブルゲリオでも、これら三博士たちのことは、身近に思われています。
この北イタリアの小さな町ブルゲリオにも、博士たちの聖遺骨があって、崇拝されていますが、これは4世紀の聖人、聖アンブロジウスが、彼の姉の聖マルチェリーナに送ったとされています。
彼女はブルゲリオの近くにある修道院のような施設に住んでいました。1618年、この施設は、ミラノに移されて修道院になりました。その際に、聖遺骨は、ブルゲリオの小教区である聖バルトロメオ教会に移され、今日に至るまでこの教会に安置されて崇められています。
ここには、毎年1月6日に、何千人という巡礼者が来てお祈りし、三博士の使命を自分たちの暮らしの中で豊かに実らせようとしています。
聖なる三博士が、異邦の地から来たということから、ブルゲリオの市当局は、数年来、地元の福祉組織カリタスと共同で、三博士に礼拝した人たちを市庁舎に招いて、皆で、お祝いをしています。
これには、地元の市民のほか、外来の人たち、避難民、貧しい人、豊かな人、孤独な人、家族等すべての人が招かれます。
ブルゲリオは、ケルンに次いで、三博士崇敬の盛んな町となっています。東方から来た三博士が、今日においても、信者たちを集め、とりわけ、キリストのもとに導いていることをわたくしは、ありがたく、また、嬉しく思うものです。そして、今日をもって、この聖マリア大聖堂も、これら三博士の生きた崇敬の場となるわけです。
また、博士たちが、キリスト教の将来に向けた橋を、ここ、東京に、東京とケルンそして北イタリアのブルゲリオをつなぐ架け橋を新たに築くことになるのです。
これらの橋は、わたくしたち皆が、唯一の神への信仰において、兄弟・姉妹であり、わたくしたち皆のために、神がイエス・キリストにおいて人間となられたことを示すものです。
ですから、わたしたちも、世界の他の地域に住む、ほかの町に住む兄弟や姉妹たちがどう暮らしているのかを、おろそかに思うことは許されません。
誰からも受け入れられることなく、飼い葉桶で生まれた子どもは、神の子だったのです。しかし、神はすべての人の神です。
神は、すべての人を、男性も女性も、大きく手を広げて抱き、赦してくださる、慈愛に満ちた父親です。それによって回心も、再出発も可能となるのです。- 新しく造られるのです。古いものは過ぎ去り、すべては新しくなるのです(コリント第二の手紙5章17)。
三博士は、その昔、生まれたばかりの救世主、永遠の神の子を求めて旅をして礼拝をしたことを、今日、わたくしたちに思い起こさせてくださり、そして、今日からは、この大聖堂にも新たな故郷を見出すことになったというわけです。
アーメン。