お知らせ

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列福式 滞日外国人のためのリーフレット

2008年09月29日

 

日本の188殉教者列福式 2008年11月24日 長崎にて

 画:佐久間彪神父(東京教区)

画:佐久間彪神父(東京教区)

 

日本のキリスト教の始まり

1549年、聖フランシスコ・ザビエルによって、キリスト教は日本に伝えられました。ザビエルは2年ほど日本に滞在しました。ザビエルの後、 コスメ・デ・トーレス、ロレンソ了斎、ルイス・デ・アルメイダといったイエズス会士たちの働きにより、教会は大きく成長していきました。京都、大阪、山口や九州各地に教会や病院が作られました。キリスト教信仰は、大名や武士たちの中にも、一般の民衆の中にも広まっていきました。

1579年、イエズス会巡察師アレッサンドロ・ヴァリニャーノが来日し、日本人司祭の養成を進めることを決定し、小神学校や大神学校が作られていきました。また彼は、キリシタン大名の使者として日本人小神学生をローマに派遣することを発案しました。少年使節のうちの1人中浦ジュリアンは後に司祭になり、殉教しました。彼は今回列福されます。 

 

聖パウロ三木と同志殉教者(日本26聖人)

16世紀後半、織田信長が日本をほぼ統一しましたが、信長の死後、日本の統一を成し遂げた豊臣秀吉は、1587年、カトリックの宣教師を国外に追放する法令を出しました。これは外国から来た宗教であるキリスト教が日本の国家統一の妨げになると判断したためだったと考えられています。1597年には、秀吉の命令によって、長崎・西坂において、イエズス会司祭パウロ三木やフランシスコ会司祭ペトロ・バプチスタなど26人のカトリック司祭・信徒が処刑されました。このうち日本人は20人で、スペイン人4人、ポルトガル人1人、他にメキシコ人の フェリペ・デ・ヘススがいました。なお、この26人は、1862年、教皇ピオ9世によって列聖されました(日本における祝日は2月5日です)。 

 

江戸時代の迫害と殉教

日本でキリスト教迫害が本格化するのは、1603年、徳川家康が江戸(東京)に幕府を開いてからでした。その頃、日本には約40万人のカトリック信者がいたと考えられています。江戸時代初期に日本で殉教したキリスト信者は何万人もいました。名前も分からない人が数多くいます。日本におけるキリスト教迫害は、歴史上、他の例のないほど大規模な迫害だったのです。

これらの殉教者のうち、1867年に205人が列福されていますが、この中に1622年9月10日、長崎で同時に殉教した55人全員が含まれています。また、これとは別に、ドミニコ会のトマス西と15人の殉教者が1987年、教皇ヨハネ・パウロ2世によって列聖されています。この中には、フィリピン人 最初の聖人ロレンソ・ルイスが含まれています。 

 

ジュリアおたあと原主水

豊臣秀吉の時代に日本に連れてこられ、キリシタン大名小西行長のもとで育てられた韓国人ジュリアおたあは、この頃、徳川家康に侍女として仕えていましたが、熱心なキリスト信者として有名でした。1612年、家康が自分の家来のキリスト信者に棄教を迫った時、これを拒否して伊豆諸島に島流しになりました。このとき家康の旗本であったヨハネ原主水(もんど)も信仰を捨てずに、自分の地位を失い、処罰されました。彼は1623年に東京・品川(札の辻)で50人のキリスト信者が集団で処刑されたときに殉教し、今回列福される中の1人です。なお、原主水は千葉県佐倉市臼井に生まれています。 

 

ペトロ岐部と187殉教者の列福

2008年11月24日、長崎でペトロ岐部と187殉教者の列福式が行われます。この188人は、江戸時代初期の日本各地の殉教者です。日本の教会では1981年の教皇ヨハネ・パウロ2世の来日を契機に、殉教者たちの調査を本格化させ、ようやくこの188人の列福が実現しました。山口、広島、大阪や、九州各地の殉教者がいます。また、京都の52人は1622年、山形県米沢の53人は1629年、それぞれ同時に殉教したグループです。彼らの中には女性や子ども、障がい者も含まれています。東京(江戸)の殉教者としては、原主水のほかに、ペトロ岐部神父(イエズス会)がいます。彼が188人の中では最後、1639年に東京・浅草で殉教しました。

188人の中の多くの人は信徒です。司祭が国外に追放され、ほとんどいなくなっていく中で、教えと祈り、愛の行いを大切にした信徒の家族や共同体が人々の信仰を支えました。また、4人の司祭も含まれていますが、彼らは厳しい捜索を逃れて日本国内に潜入し、潜伏し続け、羊のために自分のすべてを差し出して奉仕した「良い羊飼い」でした。 

 

日本の教会の再出発

250年間の江戸時代を通して、長崎・五島など、九州北部の各地のカトリック信者はひそかに信仰を守り、受け継いでいきました。19世紀に日本の港が開かれると、パリ外国宣教会の神父が日本を訪れ、1864年に長崎・大浦に教会を作りました。そこに長崎・浦上の隠れていたカトリック信者の子孫が現れ、自分たちが待ち望んでいたカトリック司祭との劇的な出会いを果たします。その後もさまざまな困難がありましたが、現在の日本では信仰の自由が認められ、教会は自由に活動できるようになりました。

今回の列福にあたり、日本のカトリック教会では、400年前の信仰の先輩たちから多くのことを学びたいと願っています。それは「神に対する確固とした信仰」「どんな境遇においても神に希望を置くこと」「愛をもって生き、最後までその愛を貫くこと」です。