お知らせ
「いますぐ原発の廃止を」についてのコメント
2011年11月11日
司教団メッセージ「いますぐ原発の廃止を」についてのコメント
1. なぜ、カトリック教会が原発に関するメッセージを出すのか?
原発については、国民一人ひとり、また、様々な立場からその是非について議論されています。採算がとれるかどうかといった経済的な立場、子どもたちの健康や市民生活の安全を守る立場、国際競争力を保持しようとする立場など・・・。
しかし、カトリック教会は原発の是非に関する問題は倫理的な問題、人間の命の問題でもあると考えます。また、私たちはすべての人と連帯して、神の被造物である自然や環境、すべての生命を保護していく責任を持っています。以上の二つの立場から、宗教者として原発の是非について発言する責任を果たしたいと考えています。
2. 「司教団メッセージ」について
日本には北海道から沖縄まで16教区があります。各教区にローマ教皇によって任命された大司教、司教、補佐司教が各教区の信徒、諸施設に対する責任を持っています。現在日本の司教は17名。(引退司教は除く)
折々の問題について、これらすべての司教の合意を得たメッセージが司教団メッセージとして発表されます。今回のメッセージは11月8日に仙台で行われた特別臨時司教総会において、全員の司教の合意を得て司教団として発表するに至りました。また、日本のカトリック信徒だけではなく、日本に住むすべての人々に向けた呼びかけとしました。
3. なぜ、今、原発についてのメッセージを発表するのか?
(1) 原発事故以来、脱原発か原発存続なのか議論され始めましたが、政府はその国民的な議論を待たずに、なし崩し的に原発存続の方向に進み始めています。再稼働への道を歩み始め、原発技術の輸出交渉なども再開されています。このような時こそ、国民的な議論によって、原発の是非について考えるべきです。そのために、このメッセージを発表することになりました。
(2) カトリック教会の司教団メッセージ『いのちへのまなざし』(2001年)では、脱原発の方向を示しましたが、その存続を容認する立場でした。福島第一原発事故を目の当たりにして、司教団は原発に対するより踏み込んだ明確な姿勢を打ち出すことにしました。
4. いますぐに原発を廃止することができるのか?
2011年の夏、関東、東北では原子力発電が止まり、電力不足が予測されましたが、市民、企業、自治体などの節電努力によって、それを乗り越えることができました。いますぐに原発を止めても、節電によって、電力供給不足は乗り越えられることを証明したと言えます。国際競争力などの点でハンディを負うことになるかもしれませんが、自然エネルギーの開発を推進することで新たな国際競争力を育てるようにするべきです。日本の技術力と国民の節電などによるライフスタイルの転換に期待したいと思います。原発事故の被災地である東日本だけではなく、日本全体として脱原発、脱電気エネルギー依存への生活転換が求められます。
5. メッセージの中の言葉の説明
1頁
「人間の限界をわきまえる英知」:人間の知識・技術・努力などには限界があり、その限界を知ることが真の英知(真の知恵)です。科学技術の分野においてもこの英知を謙虚に受け入れる必要があります。人間の知識や技術力をもってしても原発は制御できないことが起こりうることは、今回の事故でも明らかになりました。
2頁
「平和利用の名のもとに」: 広島、長崎における原子爆弾の恐るべき体験から、日本人は核兵器廃絶を悲願としています。しかし、「平和利用」という名のもとに、原発という核エネルギー利用に方向を転換しました。この原発の技術は核兵器開発に容易に利用されることも指摘されています。私たちはこの点からも原発の廃止を考えるべきです。
「清貧」:物や金(欲望)に執着することのない生き方。物や金は不要と考えるのではなく、全ての神の被造物(水、自然・・・)の価値を正しく認め、それを大切に使い、ほかの国や人々と公平に分かち合う生き方。
「従順」:神の望みに従うことを意味します。
「離脱」:物や金や人に関わる利己主義から抜け出し、“所有する(to have)”満足から、“存在する(to be)”喜びへ移行することを意味します。
「自己犠牲」:個人が欲望のままに生きるのではなく、他者・神への愛をもって自らの生活を他者・神のために捧げて生きることを指しています。個人の倫理に留まらず、地球市民として限られた資源や生産物を全ての人と等しく共有し公平に分かち合って生活すること(連帯の精神)の意味も含まれます。
6. 今回のメッセージでは
「脱原発依存」だけではなく、「脱電気エネルギー依存」の生活転換を訴えるものです。それが、脱原発だけではなく地球温暖化への対策も含めた地球環境、人間の命を大切にすることになります。
2011年11月10日 仙台において