お知らせ

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白柳誠一枢機卿「ペトロ岐部と187殉教者列福式」ミサ説教

2014年02月17日

2008年11月24日 長崎県営野球場(ビッグN)で

白柳誠一枢機卿

皆さん、私達はいま「ペトロ岐部神父と187人日本殉教者」が列福され、大きな喜びと深い感動を味わっています。ところで私たちは“殉教者、殉教者”と、いとも簡単に呼んでいますが、一体どのような人を殉教者と呼ぶのか、まず、その言葉の意味をはっきりさせることからお話を始めたいと思います。

カトリック教会では、伝統的に、信仰の真理を証しするために、すなわち、イエス・キリストの恵み、神様の愛を忠実に証明するために命を捧げた人を指して、殉教者と呼んでいます。

これはイエス。キリストに倣う最高の生き方であり、キリストの証しと救いの業への最高の参与として捉えられています。

新約聖書の終わりの書、ヨハネによる「黙示録」は「忠実で真実な証人」(黙示録3章14)であるキリストに倣って教会と世界に血の証をした殉教者が受けた試練と栄光を讃えています。

教会の歴史をみますと、初代教会から現在に至るまで、世界の各地にキリストに倣ってこのように、血を流して神様を証しした殉教者は枚挙に暇がありません。

日本におけるキリスト教の歴史は、1549年聖フランシスコ・ザビエルの来日によって始まりました。彼らは風俗、習慣、言語などの違いにより大きな困難に遭遇しましたが、宣教師たちの熱意と日本人信徒の協力により、困難の中にあっても、一時は約30万人の信徒が数えられたといわれています。当時の日本社会は大名たちが群雄割拠していた時代であり、宣教師たちが自由に働けるか否かは、その地の権力者である大名たちによって決められていました。快く受け入れた大名、条件づきで受け入れた大名、拒絶した大名などおりました。フランシスコ・ザビエルが当時の都、京都を訪れ天皇と佛教の最高学府比叡山に敬意を表し、日本全国への宣教許可を求めるために面会を願ったところ、その面会は断られ、失望のうちに京を離れたことは、よく知られていることです。

信長の後を継いだ秀吉の時代に入ると日本社会がほぼ統一に向かい始め、キリスト教に対する態度が変わってきました。

1587年秀吉は宣教師たちの追放を命ずる「伴天蓮追放令」を出し、地域的に温度差はありましたが、各地で迫害が始まりました。まずキリスト教を述べ伝える宣教師とその身近な協力者が迫害の対象となりましたが、次第に地域も対象も広げられ、秀吉の追放令が出て、10年目の1597年にフランシスコ会のペトロ・バプチスタ神父、イエズス会のパウロ三木神父を始めとする聖職者9人と信徒17人のいわゆる26聖人の殉教がありました。

徳川の時代に入り、家康、秀忠、家光と代を重ねるに従い迫害は熾烈(しれつ)を極め、殉教者の数が増大していきました。

キリシタン研究家でもある溝部司教によりますと名前、殉教の日時、場所などが正確にわかっている殉教者だけでも5,500人をくだらないそうです。また確かに殉教したけれど、名前のはっきりのわからないものは約2万人に及ぶといわれています。(これらのことは当時の唯一の司教セルケイラを始め宣教師たちのローマ教皇、また修道会本部に送られた報告書、日本の各地に残されている歴史資料(古文書)などによって明らかにされています。因みに外国に送る手紙、報告書などは当時の状況下、確実に届くように、一度に3部作成され、異なる船で送られたため、ローマの教皇庁資料室には同じ文書が2通あるのも、あるそうです)。

これらの殉教者のうちすでに26人の聖殉教者、205殉教福者、さらに16人のドミニコ会関係者(司祭、修道者、第三会員、信徒)がローマ教皇様より公に福者として宣言されています。

今日新たにペトロ岐部神父ほか187人の殉教者が福者として宣言されました。今、ひとりずつ紹介することはできませんので、今回列福された福者に共通する特徴について、お話いたします。

  1. 今回は日本各地の殉教者で、時代を超えて各地で尊敬されてきた人たちです。北から申しますと米沢の53人、江戸2人(但しそのうちの一人、ペトロ岐部神父は大分県国東半島の出身で、江戸で殉教した人です)そのほか京都の52人、大阪、広島、山口、萩、小倉、大分、熊本、有馬,生月、島原、雲仙、長崎西坂、天草、八代、薩摩(鹿児島)で殉教した方々です。
  2. この188人殉教者は、全員日本人で、信徒183人、とその信徒たちに徹底的に仕えた代表的な4人の司祭、1人の修道者です。
  3. また性別、年齢、職業などを挙げますと、男性121人、女性67人、年齢では最高年齢者は米沢の武士、ルイス甚右衛門の80才から一才の子供まで含まれています。なんと1歳から4歳までの子供が29人もいたのです。その他の人は殆ど働き盛りの人でした。職業としては上級武士・下級武士とその家来、一般庶民、農民などとその妻、子供、奉公人のような方々で、健康人だけではなく、身体障害者2人も含まれていました。

このたびの福者の中で目立つことは、一家揃っての殉教です。主人、妻、子供たちというケースが大変多いことです。これは司祭たちによる熱心な信徒養成、また家族一体となっての信仰の実践、近辺の信徒の家庭が一緒になって小さな教会の役割を果たしたこと、特に迫害下にあっては「家庭教会」として、信徒たちが役割分担して子供たちに教理を教えたり、一緒に祈ったりして信仰を深め、神様の特別な恵みで殉教をも受け入れることができたのでした。同時に忘れることのできないのは、司祭たちが決死の覚悟で頻繁に密かに信徒の家庭を訪れ、ミサ・赦しの秘跡を授け、励まし続けたことです。一家そろって殉教した家族は、

例えば:京都のヨハネ橋本、妻テクラ、5人の子供たち。
 八代のシモン竹田、妻アグネス、4人の子供、シモン竹田の母。
 熊本の小笠原玄也、妻マリア、息子6人、娘3人奉公人4人。

もう一つの際立っていることは
日本の迫害の歴史が大変長期にわたったこと、またその残酷さ、弾圧の徹底さなど、世界に類のないものがありました。

このたび列福された殉教者は1603年の熊本、八代の殉教から、1639年江戸の殉教までの36年間に殉教した方々の一部です。しかし徹底的弾圧、キリスト教の壊滅を期して、踏み絵を踏ませて信仰を調べる絵踏み、5人組制度による信徒の詮索、懸賞金をかけての捕獲、キリシタンの禁札、役人の前で毎年自分の宗教を申告する制度=宗門改め、などによる弾圧は、大変長く続けられました。宗門改めは鎖国が始まってからも222年間、1864年まで、また禁札は明治時代まで続けられました。

このような過酷な条件の中でも代々家庭での信仰が受け継がれ、1865年3月17日、迫害下250年7代にわたって信仰を伝承した当時の長崎浦上村の信者の再発見があり世界を驚かせた事実を見るとき、私達の先輩たちの信仰の質の高さと、その深さを感じないではおられません。

 

 

さて、日本における殉教の歴史を見てきた私たちは、最期にこれらの殉教者たちが現在の私たちに何を伝えたいのか、彼らの列福にはどんなメッセージがあるのか、一緒に考えてみましょう。

1. 聖パウロはローマ人への手紙の中で述べています。

「誰がキリストの愛から私たちを引き離すことができましょうか。
艱難か、苦しみか、迫害か、飢えか、裸か、危険か、死か。然しこれらすべてのことにおいて、私たちは、私たちを愛してくださった方によって輝かしい勝利を収めています。死も、命も・・・
支配する者も私たちを主キリスト・イエスによって示された神の愛から引き離すことはできないのです」。

日本の殉教者も聖パウロと同じことを叫び、神様の恵みに信頼して信仰に生きることを怖れるなと叫び続けています。

2. 家族が全員一緒に殉教したケースが多いと申しあげましたが、家族は社会を構成する最小の基本的共同体であります。すべての家庭がしっかりしていれば、社会もしっかりしたものになります。殉教した家族は信仰、希望、愛で結ばれ、共通の価値観を持ち、何が起きても動ぜず、困難に遭遇すれば互いに助け合い、励まし合っていました。現代の社会では老若男女、また生きる環境などの影響を受け、健全な家庭、一つに結ばれた家庭を見出すのは大変難しいと良く言われます。まして死よりも強い愛で結ばれた家庭は私たちの鑑であり、その家庭には生きる喜び、生きがい、充足観が満ちております。このような家庭をつくるようにと殉教者私たちに強く呼びかけていることでしょう。そのためには殉教者に倣い、家庭で皆そろって神の言葉に親しみ、ともに祈ることが必要でしょう。

3. キリシタン時代の信徒は近辺の方々と温かい交わりを大切にしていました。例えば米沢では殉教の噂をきいた近隣の人がお上の人、責任者を訪れ、キリシタンの立派な生活を話し、迫害しないよう頼み込んだことが頻繁にありました。またお上も、それを充分知っていて、捕獲、投獄をせず、処刑の日になって致し方なく、連行したことがありました。また近所に住む処刑の役を命じられた人が、処刑の前夜、キリシタンの家を訪れ、酒を飲み交わし、赦しを願ったという話もあります。使徒言行録は初代教会について述べています(2章42-47)。「一同はひたすら使徒たちの教を守り、兄弟的交わりを大切にし、パンを手で裂き、祈りをしていた。信じる人たちは皆ひとつとなり(すべてのものを共有し、財産や持ち物を売り、それぞれの必要に応じて、みんなでそれを分配していた。)彼らはすべての民に好意をもたれた。主は救われる人々を信者の数に加えてくださった」。
私たちの教会、信仰共同体が神の愛の目に見えるしるしとなるよう、殉教者は強く訴えていいます。

4. 殉教者は呼びかけています。毎年3万人以上の自殺者が出る日本の社会に呼びかけています。生きるとはどういうことか、死ぬとはどういうことか、人間は何のために生きるのか、人生の目的、意義とは何か、苦しみに意味があるのかなどの人生の根本問題について深く考えるよう求めています。

信仰の自由を否定され、殺された殉教者は叫んでいます。神の似姿に創られた人間の尊厳性、また人間が持つ固有の精神的能力、考え、判断し表現する自由などの重要性、それに反するあらゆることを避けることを強く訴えています。なかでも人間の生きる権利が胎児のときから死にいたるまで大切にされること。武器の製造、売買、それを使っての殺人行為である戦争。極度の貧富の差により非人間的生活を余儀なくされている者たちへの配慮など、すべての人が大切にされ、尊敬され、人間らしくいきられる世界となるよう祈り、活動することを求めているに違いありません。
 
さあ、皆さん、怖れずに歩み、一緒になって進みましょう。怖れるな、怖れるなと神様がそして殉教者が呼びかけています。皆さん怖れるな。

 


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