教区の歴史

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平和旬間2009千葉地区 国際平和祈願ミサ説教

2009年08月09日

2009年8月9日 千葉寺教会にて

ヨハネ6・41-51

今読まれた福音に「マンナ」という不思議な食べ物が出てきました。紀元前13世紀のモーセの時代、イスラエルの民がエジプトの奴隷状態から解放され、荒れ野の道を旅していた時のことです。荒れ野は、食べ物や飲み水を手に入れるのが非常に難しい場所でした。そのときに神から与えられた不思議な食べ物、それがマンナという食べ物でした。「天からのパン」とも言われています。

 
聖書によれば、このマンナという食べ物には特徴がありました。1つには、「ある者は多く集め、ある者は少なく集めた。しかし、多く集めた者も余ることなく、少なく集めた者も足りないことなく、それぞれが必要な分を集めた」ということ。2つ目の特徴は、「翌朝まで残しておくと、虫がついて臭くなってしまう」ということです(出エジプト16・15-21参照)。

荒れ野での飢え渇きという厳しい状況の中で、神さまはどんな人にも例外なく、すべての人に必要なものを与え、一人ひとりが今日必要なものを与えられました。明日の分、明後日の分は与えられず、今日の分だけ。神様なしには一日も生きていけないのです。イスラエルの民にとって、マンナの体験とは、日々、神によって養われるという体験でした。そして、そこではすべての人が平等だったのです。

 
イスラエルの民は、その後、約束の地に入り、定住生活を始めます。そして農耕を始めます。すると作物を蓄えるようになるのです。「今日、神がマンナを降らせてくれなくても、自分の蓄えがあるから大丈夫」。そうやってだんだん神様のことを忘れていきます。また、たくさん蓄える人とそうでない人の差が出てきます。その差がどんどん大きくなる。そして結局、貧しい人はどんどん悲惨な状態になっていってしまうのです。

そうなった時代に、そこから荒れ野の旅を振り返ったとき、あそこには素晴らしい生き方があった、と思い返されるようになったのです。あの時、荒れ野で確かに苦しみもあったけれど、でも神は民と共にて、毎日、養っていてくれた。あの時、わたしたちは一日たりとも神様を思わずには生きていけなかった。そして、人と人との間に格差がなく、みんなぎりぎりのところで助け合い、支えあって生きていた。あの時こそが、理想の生活だったのではないか。

マンナという不思議な食べ物が示しているのは、そういう世界だったのです。すべての人が神によって生かされ、だからこそ、すべての人が愛と平和のうちにともに生きているという世界です。5つのパンの出来事をとおして示されている世界も同じです。イエスは天を仰いで賛美の祈りを唱えますね。この5つのパンと2匹の魚は神様から与えられたもの、だからみんなで感謝していただこう、って、イエスの動作はそのことを表しています。そして皆で分け合ったらすべての人が満たされたというのですよね。

わたしたちの世界はどうでしょうか? すべてのものは神が与えてくださるものだから、本当に皆で分け合いながら生きていこう。わたしたちは本当にそう思っているでしょうか?現実はあまりにも違います。自分が一所懸命お金を稼ぎ、なんでもかんでも自分が自分のお金を払って買ったもの、それがわたしたちの常識ですよね。神が与えてくださったものだ、なんてほとんど考えません。すべては自分が自分の力で手に入れたもの。もちろん、そういう面もあります。でも、本当にすべてがそうなのでしょうか? それは錯覚ではないでしょうか。地球環境の問題や地球資源の問題は、そのことをわたしたちに突きつけています。決して、人間が自分の力で生み出すものがすべてではないのです。本当は今も、神様がわたしたち人類に必要なものを与えてくださっている。だからわたしたちはそれを皆で分かち合っていかなければならない。その世界を見失ってはならないのです。



「貧困と闘い、平和を築く」というのが東京教区の今年の平和旬間のテーマです。これは2009年元旦の教皇ベネディクト16世の世界平和の日のメッセージから採られた言葉です。教皇の言葉ですからだれも文句を言わないのですが、聞きようによっては、危険な言葉ではないかと思います。下手をすると、「貧しい人をほうっておくと、その人たちは欲求不満がたまって、テロや戦争をするようになる」とも聞こえてしまうのではないか。本当はそんなことじゃないはずです。

「わたしたちがこの世界の貧しい人々のことを忘れて、自分たちさえよければ、と思い、自分たちの豊かさを守ることを優先するとき、その心が平和を壊し、戦争を引き起こすのだ」そういう意味でしょう。だからこそ、わたしたちは、いつも、荒れ野のマンナの世界。5つのパンと2匹の魚の世界に立ち戻っていかなければならないのです。本当に神が人類に必要なものを与えてくださっていることを感謝し、与えられたものをどうやってすべての人の間で分かち合っていくことができるのか。そこから、世界の平和を考え、平和のために祈り、働きたいと思います。