東京大司教区

カトリック茂原教会
※新型コロナウイルス感染症防止のため、ミサや各種行事の時間が変更になっている場合があります。教会にお越しの際は、必ず事前にお問い合わせくださるようお願いいたします。
名称
カトリック茂原教会
教会堂名
被昇天の聖母
創立年月日
1952年6月
主任司祭
ルイス 真境名 良和 (まぜきな よしかず)
信徒数
411人(2019年12月31日現在)
主日のミサ
日曜日 9:30(第4日曜日を除く)
第1日曜日 14:00(英語)
第4日曜日 11:00(国際ミサ、日本語・英語併用)
週日のミサ
火~土曜日 7:00(第1木曜日のみ、マリアの家にて。)
宣教協力体
千葉中央
教会学校
日曜日(ミサ後) 10:40-11:40 (対象:幼稚園児から小学生)
講座
聖書に親しむ会(新約)
第 1、3木曜日 9:30-11:00
日々の霊操の祈り
第 1、3木曜日 10:00-10:30
福音の分かち合い
第 2、4木曜日 10:00-11:30
聖書通読(旧約)
第 1、3金曜日 10:00-12:00
主日朗読カ所勉強会
毎週土曜日 10:00-11:00
キリストの生涯CDの分かち合い
第 1、3土曜日 18:00-19:30
福祉活動
近隣の一人暮らしのお年寄りを教会に招いて昼食会(月1回)
CTICへの援助
教会内外のお年寄りの送迎
教会に助けを求めてくる方への手助け
住所
〒297-0029 千葉県茂原市高師992 [Google地図]
電話
0475-22-2420
Fax
0475-22-2420
身障者設備
障がい者設備スロープ(または、バリア・フリー)、トイレ
交通案内
JR外房線「茂原駅」より、徒歩20分。 【JR茂原駅より】 小湊鉄道バス 大網駅行き、 喜多行き、 ちはら台駅行き、 緑ヶ丘展望台行き、 長柄中下(ながらちゅうした)行き、 アウトレットコンサート長柄行き 「武田病院前停留所」下車 徒歩3分 ※駐車場(約20台)
歴史
ビィグルース神父は1872年に来日し、千葉県最初の宣教師となった。この宣教師の弟子となり、人々を信仰に導いた人の中で、茂原教会に関係の深い人にヤコブ平田友雄という人がいる。 ヤコブ平田友雄は、1872年築地教会で受洗し、千葉、佐倉、安房、前原の各警察署長経て、1879年12月から1883年1月まで茂原警察署長として在任した。平田がビィグルース神父の訪問を受けたのは佐倉所長の時代であった。彼は伝道士にはならなかったが、牧野泰蔵、藤井治和、林久蔵、樋口勝太郎、丸万里など伝道士や信徒として活動する多くの人を信仰に導いた。これらの人々の宣教活動はめざましく、茂原周辺に信者・求道者が増え続けた。
1883年8月、千葉に続き茂原に洋風の礼拝堂が完成した。9月16日、盛大な献堂式が行われた。当日は大雨であったにもかかわらず、茂原及び近隣から、信徒を含め、6,700人が参列した。当時の茂原町の人口は2,000余りであったので、その関心の高さが伺われる。
その年のクリスマスには、初めて真夜中の祭儀に与かることができる喜びで、信徒達は聖堂内外を荘厳に飾り付けた。近辺の信徒もことごとく参列し、告解・聖体拝領の秘跡を受けた。 聖堂はささやかな建物であったようだが、その完成は伝道士や信徒に大きな励ましとなった。その年の終りから翌年1月までに鶴舞で15名、茂原とその周辺で19名の受洗者を出している。しかし1886年頃から、教勢は次第に衰えていった。欧化主義反対の気運と、国粋主義の台頭は、宣教に大きな影響を与えた。特に佐倉出身の教育家、西村茂樹(1828-1902)の思想は、1890年10月に配布された『教育勅語』の趣旨と結びつき、一層この気運に拍車をかけた。1883年に建てられた教会は明治の末期まであったが、その後は日本家屋の仮聖堂で集会が行われていた。しかしいつしか教会は無くなり、伝道士もいなくなった。それでも信仰に忠実に踏み止まった何人かの信徒は秘跡に与かるため、千葉の教会まで出掛けて行った。
また、ローマからの指示で開かれた地方会議の方針は、従来の日本の宣教方針を大きく変えた。自由な雰節気は無くなり、信仰生活に関する細かい規定の遵守へと指導が変わっていった。だが、日本の習慣・風土、また宣教地という条件を全く無視した新しい規定に、多くの信者はついていくことができなかった。
現状
長年にわたる巡回教会の時代を経て、1952年6月、初代主任司祭として聖コロンバン会のチャールズ・ロディー師が着任。1953年、コロンバン会の宣教師が現在の地に教会を建て、再び熱心な司牧が開始された。その後 、2009年まで聖コロンバン会、2010年から2014年までグアダルペ宣教会司祭が司牧にあたっていた。 1982年に聖堂、1994年に司祭館・ホールが完成し、現在に至る。