教区の歴史

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年間第25主日徳田教会堅信式説教

2017年09月24日

2017年9月24日

[聖書朗読箇所]

今日、年間第25主日の福音は、ぶどう園で働く労働者の話です。
このミサの中で、堅信式が行われますが、今日の主イエスのみことばが、堅信を受けるかたがたのために、どのような意味を持っているのかということを、ここに集うわたしたち一同で、分かち合いたいと思います。

主イエスの教えは、しばしば、わたしたちにとっても、分かりにくいと感じることが、あるのではないでしょうか。
今日の、天の国のたとえ話も、そのようなもののひとつであると思います。
天の国、あるいは、神の国は、わたしたち人間の思いを、はるかに超えた世界であり、神様の定められる道は、わたしたち人間が、こうではないかと思う、いわば、常識とは、大変かけ離れたものであるということを、今日のミサの第一朗読、イザヤ書が言っております。

朝早く、世が明けるときから働き始めた人と、夕方5時ごろ、やっと仕事に有り付いて、1時間だけ働いた人がいた。朝9時、12時、3時、それぞれの時刻に雇われた人がいましたが、全員同じ報酬、1デナリオンを受け取った。当然、報酬を受け取った人の間には、分からないとか、変だとかという思いが生じたことでしょう。
わたしたちも、この話を読んで、これは何を言っているのだろうかと思います。
もし、わたしたちが、朝早くから働き始めた人の立場にあるとすると、1時間しか働かなかった人と、同じ報酬しかもらえなかったということに対して、大変不満を感じる。しかし、夕方5時になって、働き始めた人の立場になると、これはありがたい、嬉しいことだと思うのではないでしょうか。

考えてみれば、この社会とわたしたちの人生は、このぶどう園のようではないかと思います。
格差のある社会ということが言われて久しい。わたしたちは、自分の努力で変えることのできない、格差、あるいは、あえて言えば、差別のある社会の中に生まれ、生きなければならない。
かつては、人間、努力をすれば、それなりの成果を得られるという、希望のある時代もあったと思います。
いまの日本の社会では、人々はどのように感じているのでしょうか。
努力しても、努力しても、その実りを味わうことが難しいと感じる人が、多いのではないかと思います。

さらに、わたしたちは、すでに、この世に生を受けたときから、格差のある状態にあると言っても、良いのではないでしょうか。
自分の力ではどうにもならないこと、もちろん、自分の意志、自分の決断、努力で変えることができることはたくさんあるし、人生というものは、ひとりひとりが自分で判断し、自分で決断し、努力して築いていくものです。
しかしながら、どうしても、どんなに頑張っても、どうにもならないという現実を、否定することはできません。

それでは、そのようなわたしたちの状態を見て、神様は、どのように思っていらっしゃるのか。そして、あえて言うならば、どのようにしてくださるのか。
ナザレのイエスという人は、そのような問題に対して、鋭い切込みをした人ではないかとも思われます。

こちらに集う、わたしたち、ひとりひとりは、社会の中で、いろいろな関わりを持って生きています。
その関わりというものは、非常に大切であって、それぞれ、その社会、その環境の中で守るべき、あるいは、期待されるべき、習慣、規則、法律などがあります。
利益を追求する会社は、当然、利益を優先しますが、公益を求める、いろいろな団体、公益財団法人、あるいは、社会福祉法人、そのような法人があります。
このような法人が、自分の法人のありかたや、運営について、それぞれ、自分たちの守るべき、基本的な心構えを定めていると思います。

そして、さまざまな必要と、事情の中で、弱い立場に置かれている人々、困っている人々、あるいは、差別されている人々、病気、障がいに悩む人々のために、よかれと思って、わたしたちは努力しています。
このイエスの教えを、どのように受け止め、それぞれの場所で実行したら良いのでしょうか。わたくし自身も、しばしば、いわば、管理的な立場にありますので、悩むところです。

このようなときに、しばしば、思い出す、聖書の言葉を、今日、改めて、紹介したいと思います。
「あなたは存在するものすべてを愛し、
お造りになったものを何一つ嫌われない。
憎んでおられるのなら、造られなかったはずだ。
あなたがお望みにならないのに存続し、
あなたが呼び出されないのに存在するものが
果たしてあるだろうか。
命を愛される主よ、すべてはあなたのもの、
あなたはすべてをいとおしまれる」。
知恵の書からとられた言葉です。(知恵11・24-26)
すべてのもの、特に、わたしたち人間の存在をお望みになり、そして、すべての人を、かけがえのない、大切な存在とされ、いとおしく思ってくださる、主なる神様がいらっしゃる。
そして、神様は、そのように思うだけではなく、その思いを実現するために、わたしたちの人生を導いてくださっている。そのように、わたしたちは信じます。
そして、お互いに、そのような神様の思いを信じる者同士、互いにゆるし合い、受け入れ合い、助け合って、わたしたちが置かれている、ぶどう園の中で、一緒に働き、神様の愛を、より深く味わい、実行することができるよう、今日、特に、お祈りを献げたい。

堅信を受けられるみなさん、みなさんは、聖霊の賜物、7つの賜物を受け、そして、このような神のいつくしみを、より深く知り、伝え、そして、行うことができるように、励まされます。

どうか、この堅信の恵みを、いつも思い起こし、困難な中にも、神様の、このいつくしみ、そして、ぶどう園で働く労働者の話の中で示されている、神のいつくしみを、忘れずに思い起こし、祈るようにしていただきたいとお願いいたします。