教区の歴史

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司祭集会解散ミサ説教

2016年10月27日

2016年10月26日、11時、カテドラル

[聖書朗読箇所]

説教

今年の司祭集会を無事に終了しますことを感謝しております。

主イエスは弟子たちに言われました「あなたがたは行ってすべての民を私の弟子にしなさい」。(マタイ28・19)

私たちが受けた命令は、すべての民をイエス・キリストの弟子にするということであります。更に洗礼を授け、イエスの命じたことを守るように教えるということであります。そうできるように、主イエスは聖霊を遣わし、私たちと共にいてくださる、「世の終わりまでいつもあなたがたと共にいる」(マタイ28・20)と言われました。

私たちは非常に微力な、そして自分の弱さ、あるいは罪深さを自覚する者でありますが、このイエスの言葉に、慰めと励ましを受けて、私たちは自分の務めを遂行してきましたし、これからもご一緒に行っていきたいと思います。

イエスの弟子を作るということは、私たち自身がまず、イエスの弟子となっていなければならないわけです。人々が「あの人はイエスの弟子である」と認めてもらえるような私たちであり、そのような生活の証しをしなければならないと思います。言葉と行動が一致するように努めたい、私たちは自分の信じていることを説き、それを実行することを司祭叙階のときに約束したのであります。なかなかそうはできていないと言わなければなりませんが、願わくは更に信仰を深め、信じたことを宣言し、自ら実行する者でありたいと心から願います。

テモテへの手紙で言われています。「神は、すべての人々が救われて真理を知るようになることを望んでおられます。」(Ⅰテモテ2・4)

救われるということはイエス・キリストを知ること、天の御父を知ることであります。イエス・キリストによらなければ誰も父のもとに行くことはできない。私はそれが真理であると告げたとイエスは言われました。他方、今なお多くの人が主イエスを知らない、あるいは信じておりません。

第2バチカン公会議は、この問題について考察を行い、すべての人に神の救いが及ぶことを強く希望するということを述べています。すべての人が救われることを望んでいる神は、神だけが知っている方法で、すべての人をイエス・キリストの過ぎ越しの神秘にあずかることができるように取り計らってくださるという意味の教えがあります。この教えに希望をおきながら、私たちはイエス・キリストの生き方を更に深く知り、それを人々に伝え、必要なら説明できるように準備しておくという、この務めを教会全員が持っている、特に私たち司祭は多くの人にイエス・キリストをのべ伝え、そして必要ならば説明することができるように信者(信徒)を助けるという大切な役割をいただいていると思います。私たち司祭は、いただいたこの使命、役割を良く果たすことができますよう、ご一緒にお祈りいたしましょう。