こどもミサ説教2016年

10月9日、年間第28主日、カテドラル

[聖書朗読箇所]

説教

今年、2016年の子どもミサのテーマは、「何回赦すべきでしょうか。七回までですか」です。わたしたちは、今、「神のいつくしみの特別聖年」を祝っています。わたしたちの神は、いつくしみ深い方です。  
神のいつくしみは、主イエス・キリストによって、完全にあらわされ、伝えられました。わたしたちは、主イエス・キリストの弟子であります。  

ですから、主イエス・キリストの教えに学び、イエス・キリストのように、いつくしみ深いものでなければなりません。 いつくしみ深いということは、まず、「兄弟を赦す」ということです。  

今回のごミサのテーマをいただいて、すぐに思い出したことがあります。「あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる」というテーマでご一緒に学び、ミサを捧げたことがあります。2009年のこどもミサのときです。  

十字架の上の主イエスは言われました。「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです。」(ルカ23・34)  
わたしたちも心から「何をしているか分からないから赦します」と言えるでしょうか。誰かが「自分で何をしているか分からない」、あるいは「これが良くないことだ、悪いことだと思っていない」としたら、「良いでしょう、赦しましょう」と言って良いのでしょうか。  

わたしたちも、確かに、「悪いことだと知りながら、悪いことをしている」場合もありますが、実は、「悪いとはあまり思わないでしてしまう」、あるいは、「しなければならないのに、そう思わなかった」ということもあります。  
誰でも、大変自分勝手なもので、自分はそれほど悪いとは思っていないことが多いです。ところが、人が自分に対してしたことについては、「とんでもない、ひどい、どうしてそんなことをするのか」と思ったりしてしまう。  

今日あらためて考えてみたい。  
わたしたちが、今まで元気に過ごせたのは、誰のおかげでしょうか。わたしたちは、いろいろな人のおかげで、生きてきました。ご両親、家族、先生、神父様、いろいろな方のおかげで、わたしたちは、今このように過ごすことができている。日頃してもらったことは、あまり考えないかもしれない。自分の気持ちに合わないことされたことの方を良く思い出したり、強く感じたりしてしまうのではないでしょうか。  

ペトロの質問は、「兄弟がわたしに対して罪を犯したなら、何回赦すべきでしょうか」でありました。この、「罪」という言葉が難しいですね。主の祈り「わたしたちの罪をおゆるし下さい。わたしたちも人をゆるします」であります。マタイ福音書に出てくる主の祈りを見ると(6・12参照)を、「わたしたちの負い目をおゆるし下さい。わたしたちも人の負い目をゆるします」となっています。罪とは(ギリシャ語の原文では)、「負い目がある、借りがある」という意味でもあります。  

分かりやすい例えは、借金ですね。借金をしていることです。主君は、家来が借金を、もう、返すことができないので借金を棒引きにしてあげました。今日の福音の朗読は、そういう話でした。  
自分の借金はなかったことにしてくれて大喜び、だけど、自分が人に貸しているお金は返せと、そういう虫のいいことはだめですよ、と言っているのです。これは、お金の話にすると、いくらか分かりやすいのですが、お金のことよりも、わたしたちの毎日の生き方をあらわしていると思う。  

わたしたちは、多くの人のおかげで生きています。わたしたちも、いろいろな人を助けたり、支えたりしています。どちらがどれだけ多いかということを計算しても、なかなか難しい。  

ここで話は神様が登場してきます。わたしたちは、神様にすべてのものをいただいているのです。払い切れない負い目を持っている。わたしがそうならば、兄弟もみな誰でもそうです。神様の前に、みな同じです。神様はわたしと一緒にいてくださる。  
そして、わたしに負い目のある人のところにもいてくださる。お互いに受け入れ合い、ゆるしあいなさい。どちらがどれくらい相手を助けているかという議論は果てしないですが、神様の前に出ると、わたしたちは、みな神様に負い目のある者であるということが分かります。  

説教に結びに、旧約の続編と言われる箇所にある「知恵の書」の言葉をお伝えします。
「全能のゆえに、あなたはすべての人を憐れみ、  
回心させようとして、人々の罪を見過ごされる。  
あなたは存在するものすべてを愛し、  
お造りになったものを何一つ嫌われない。  
憎んでおられるのなら、造られなかったはずだ。  
あなたがお望みにならないのに存続し、  
あなたが呼び出されないのに存在するものが  
果たしてあるだろうか。  
命を愛される主よ、すべてはあなたのもの、  
あなたはすべてをいとおしまれる。」(知恵11・22-26)  

神様は、わたしを、あなたを、すべての人を、かけがえのない者として、自分の子どもとして、愛おしく思ってくださる。だからと言って「悪いことをして良い」と言われるわけではありません。  
悪は悪、それでも間違いをおかすわたしたちを限りなく大切に思ってくださる方です。このように、わたしたちの父である神はいつくしみ深い方です。  
この信仰を大切にして、ご一緒に歩んでいきたいと思います。