2016こどものミサ挨拶

2016年10月9日、カテドラル

 

ごあいさつ

「何回赦すべきでしょうか。七回までですか」(マタイ18・21)―  

-神さまのいつくしみは永遠-

フランシスコ教皇は2015年12月8日から2016年11月20日までを「いつくしみの特別聖年」と定め、「神のいつくしみ」を深く学ぶようにとわたしたちに呼びかけています。わたしたちもいつくしみ深い者でなければなりません。
人を「いつくしむ」とはまず人を「赦す」ということです。
考えてみれば、わたしたちは誰でも赦していただかなければならない者です。いつくしみ深い神はわたしたしの罪をお赦しになります。残念なことにわたしたちは自分が赦されている者であることに気づかなかったり、赦されなければならない者であることに注意していません。
実は、わたしたちは神様に対して逆立ちして返せない借金を背負っているような者なのです。どんなに頑張ってもとても返済できません。しかしなかなかそのように思えないこと自体が罪人のわたしたちの問題ではないでしょか。 ほかの人が自分に向かってひどいことをしたり、心を傷つける言葉を言ったりしたら、すぐに敏感に反応します。あるいは自分の苦労をわかってくれないと感じて腹を立てたりします。それでは、そういう自分は兄弟姉妹のことをどう思っているのでしょうか。赦してもらう必要はないのでしょうか。わたしたちは、人の欠点には敏感ですが自分の問題には鈍感です。主イエスは言われました。「兄弟の目にあるおが屑は見えるのに、なぜ自分の目にある丸太に気づかないのか。」(マタイ7・3)
実にわたしたちは自分の問題が分かっていない者です。神様はわたしたちのすべての問題をご存知です。それでも神様はわたしたちを赦し受け入れてくださいます。ダメな自分を神様が愛してくださっているなら、自分に気に入らないことをする兄弟姉妹を神様は同じように愛してくださっているのではないでしょうか。神様は自分を愛してくださっているように兄弟姉妹を愛してくださっています。
わたしには次の聖書の言葉が大きな慰めであり励ましです。
「(主よ)あなたは存在するものすべてを愛し、造られたものは何一つ忌み嫌われない」(知恵の書11・24)のです。