教区の歴史

教区の歴史

主の降誕・夜半のミサ説教

2011年12月24日

2011年12月24日 東京カテドラル関口教会にて

 

第一朗読 イザヤ9・1-3,5-6

第二朗読 テトス2・11-14

福音朗読 ルカ2・1-14

 

主イエス・キリストのご降誕を祝うクリスマスを迎えました。今読まれましたルカによる福音はキリストの誕生の次第を告げています。

クリスマスは一年中で最も多くの人が教会へ来てくださる日です。信者でない方も多数ミサに参加してくださいます。それは、クリスマスが喜びの日であり、多くの方が喜びを分かち合いたいと望んでくださるからだと思います。大変ありがたいことです。御礼申し上げます。

実は、クリスマスは救い主イエス・キリストの誕生を祝う日であるとともに、すべての人の誕生を祝う日であると思います。

今日の新聞に、11歳の少女の投書が出ていました。それは次のような文書で始まります。

「突然ですが、お母さん、私を産んでくれてありがとう。」

今日は本当にわたしたちひとり一人の誕生を喜び祝う日であります。

しかし、そうはいっても、この世界には、自分の誕生を喜べない、という現実があります。何のために生まれてきたのか、と悩む人もいます。自分のいのちに自分で終止符を打つ人もいます。人生は苦しみであります。仏教の教えでは四苦八苦と言われます。人生には様々な困難が伴います。

本年は大きな苦難の年でありました。3月11日に東日本大震災、そして福島の原子力発電所の事故が発生しました。多くの命が失われ、多くの人が行方不明となり、多くの人が苦しみ不安のなかに置かれています。現在の世界の現実にも大変厳しいものがあります。

しかし、そのような現実があってもわたしたちは自分の誕生を祝うことができるし、誕生を喜ばなければならないと思います。

そのためには、わたしたちはお互いに、それぞれがかけがえのない大切な存在であることを認め合うように努めなければなりません。わたしたちは自分が大切にされていることを知って、初めて自分自身の存在を喜んで受け入れ、また人を大切にすることを学ぶことが出来るのです。

「キリストがわたしたちのためにご自身を献げられたのは、わたしたちをあらゆる不法から贖い出し、良い行いに熱心な民を御自分のものとして清めるためだったのです。」(テトス2・14) 

今日の聖書朗読のなかの使徒パウロの言葉です。

わたしたちは皆、自己中心的で他の人のことよりも自分のことを大切にしてしまいがちです。キリストはどのようにして人を大切にするのか、ということを教えました。

きょう主キリストの誕生を祝うわたしたちが心から、自分の家族、友人、隣人を大切にすることができますよう、祈りましょう。