教区の歴史

教区の歴史

東京カテドラルの呼称「東京大司教区カテドラル関口教会聖マリア大聖堂」について

2011年04月03日

2011年4月3日

 

関口教会は1920年に東京大司教区の司教座聖堂となりました。91年前のことです。それ以前は築地教会が司教座聖堂でした。

教区の責任者である司教の座る座席を司教座といい、ギリシャ語で《カテドラ》と言います。司教座は司教が信者を教え導き典礼を執行するための司教の座席です。この司教座《カテドラ》のある教会を司教座聖堂と言い、また《カテドラル》と言います。ここからさらに《カテドラル》は教区司教の任務、使命、権威、責任などを意味するようになりました。

聖堂には通常、聖堂所在地の地名がつけられます。文京区関口にある聖堂なので関口教会といいます。また聖堂には地名とは別に固有の名称もつけられています。通常はその聖堂が奉献された聖人の名前で呼ばれます。関口教会は無原罪の聖母にささげられた聖堂です。(ちなみに四谷にある麹町教会は聖イグナチオ・ロヨラの名前にちなみ、聖イグナチオ教会と呼ばれています)

1920年以来、無原罪の聖母にささげられた関口教会は東京大司教区の司教座聖堂《カテドラル》でしたが1945年、東京大空襲により消失しました。それ以後1964年まで神田教会が仮司教座聖堂となりました。

1964年12月8日、無原罪の聖母の祭日に、現在の大聖堂が竣工し、無原罪の聖母へ奉献されました。2014年12月8日で献堂50周年を迎えます。2007年には懸案のカテドラル外装の大改修を行うことができました。

1964年以降、東京大司教区の司教座聖堂は「東京カテドラル聖マリア大聖堂」と呼ばれる場合が多く、社会的にも東京カテドラルとして知られています。その結果、いつの間にか「関口教会」の名前が後ろに隠されてしまった感を免れません。まず関口教会あり、その関口教会が司教座聖堂になったという歴史を大切にしたいと思います。

他の教区ではそのようなことはありません。たとえば、かつての浦和教区(現さいたま教区)では浦和教区司教座聖堂は浦和教会です。

そこで、《カテドラル》の本来の意味と東京教区司教座聖堂の歴史的経緯に鑑み、わたしはわたしたちの司教座聖堂の正式名称を改めて「東京大司教区カテドラル関口教会聖マリア大聖堂」としたいと思います。

これは長すぎますので略称は可能です。その場合も、「関口教会」は外さないように、省略しないようにお願いします。

ちなみに教皇ヨハネ・パウロ2世列福感謝ミサは5月14日に「東京大司教区カテドラル関口教会」で行われると発表されています。

カテドラルの維持・管理には多くの人々の協力と善意、そして経費を必要とします。関口小教区の司祭・信徒だけで維持することはできません。関口教会と教区本部、そして大司教区を挙げてその維持・管理に当たるのが至当と考えます。そのためにも現在の「カテドラル運営委員会」の改組・充実が切に望まれます。わたくしはこの機会に関口教会の司祭・信徒の皆さんがいままでより積極的・主体的にカテドラルの維持・運営を担当してくださることを期待しております。