教区の歴史

教区の歴史

平和旬間 世田谷南宣教協力体 平和祈願ミサ説教

2010年08月07日

2010年8月7日 田園調布教会にて

 

第一朗読 イザヤ書58・6-8

第ニ朗読 エフェソの信徒への手紙2・14-22

福音朗読 マタイによる福音5・1-12

 

 

  田園調布教会、碑文谷教会、上野毛教会の皆さん、このミサに参加してくださったすべての皆さん。今年はわたくしの要請に応えて、世田谷南宣教協力体がこのようはすばらしい平和旬間の集い、祈り、ミサを実施して頂き、大変うれしく存じます。このプログラムを企画し主催してくださった皆さんに厚く御礼申し上げます。

 

主イエスは山上の説教で言われました。

「平和を実現する人々は幸いである、その人たちは神の子と呼ばれる。」

わたしたちも平和のために働き、神の子と呼ばれるようになりたいと心から望んでいます。どうしたら平和を実現することができるでしょうか?

聖パウロは言っています。

「実に、キリストはわたしたちの平和です。キリストは・・・十字架によって敵意を滅ぼされました。」

平和のために働くとはイエス・キリストの道を歩むことです。キリストの道は十字架の道であり、悪に対して悪をもって応えず、十字架にかかって隔ての壁を壊し、敵の憎しみ、敵意を滅ぼすという生き方であり、非暴力によって平和を実現するという道であります。

 

「非暴力による平和」という言葉は、日本の司教団が5年前の平和旬間に発表したメッセージのタイトルです。わたしたちに日本の司教は2005年に、『戦後60周年 平和メッセージ 非暴力による平和への道』を発表しました。これは、非暴力こそキリストの歩まれた道であり、キリスト者の平和への道であること。非暴力による平和は教皇ヨハネ・パウロ2世の教えであること。そして日本国憲法第9条はこの福音の精神に適っており、わたしたちのほこりに思っているということを伝えるメッセージです。

今日はこのメッセージの一部を今から朗読します。

「教皇ヨハネ・パウロ2世は、聖パウロの教えに従って、平和は悪が善によって打ち負かされるときにのみもたらされる辛抱強い闘いの成果であることを明らかにしています。軍備と武力行使によってではなく、非暴力を貫き対話によって平和を築く歩みだけが「悪に対して悪をもって報いるという悪循環から抜け出す唯一の道」なのです。これはガンディーの非暴力による抵抗運動などが示しているように、多くの人々の共感をよぶものです。この非暴力の精神は憲法第9条の中で、国際紛争を解決する手段としての戦争の放棄、および戦力の不保持という形で掲げられています。60年にわたって戦争で誰も殺さず、誰も殺されなかったという日本における歴史的事実はわたしたちの誇りとするところではないでしょうか。」

2007年、日本の司教団が一緒に教皇様から謁見を賜った折にも、わたしたちはこのメッセージをお伝えし、教皇様より励ましのお言葉をいただきました。

 

さて今日わたしたちは共同祈願の中で「平和のための祈り2010」を一緒に唱えることになっています。

 

全能の神よ、

あなたがお造りになったこの美しい世界は

多くの戦争によって汚されてきました。

あなたがお造りになった人間は、

数知れない兵器によって

いのちを奪われてきました。

神よ、わたしたち人類に、

核兵器や軍事基地に頼るのではなく、

非暴力によって平和への道を歩む

勇気と知恵を授けてください。

十字架によって、

すべての人の和解をもたらさえた

主イエス・キリストを通して

この祈りをささげます。アーメン。

 

この祈りは今年の平和旬間のサブ・テーマである「非暴力による平和」の精神と趣旨を要約する祈りです。

この祈りのなかでわたしたちは「勇気と知恵」を祈りもとめます。勇気と知恵は堅信の秘跡が授ける7つに聖霊の賜物に含まれている恵みです。

わたしは最近堅信式のときに、知恵と勇気に関して、「静けさの祈りSerenity Prayer」という祈りを紹介しております。

 

神さま、私にお与えください

変えられないものを受け入れる心の静けさを

変えられるものを変える勇気を

そしてその二つを見分ける知恵を。

 

わたしたちはこの世界を新しく造り変えて、もっと平和な世界を築きたいです。でもそれは簡単ではない。難しいです。他の人を変えることも難しい。人を変える前に自分を変えたいものです。自分を変え、自分を生まれ変わらせることができますように、どうか主よ、わたしたちの聖霊を注ぎ、知恵と勇気をお授けください、と祈りたいです。

わたしたちが日々実行する小さな努力が引き継がれ、積み重ねられて、キリストの平和が全世界に広がっていきますように。わたしたちは、キリストの世界の隅々にまで広がり、キリスト再臨の日には、全宇宙がキリストの平和で満たされると信じ希望しています。