教区の歴史

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司祭の休養・霊的生活の刷新 ―司祭年終了に際して―

2010年06月11日

東京教区の司祭、修道者、信徒の皆様

 

 

+主の平和

 アルスの聖なる主任司祭聖ビアンネ帰天150周年を記念する「司祭年」は本日6月11日のイエスの聖心の祭日をもって終了します。

 

第1朗読エゼキエルの預言において主なる神は、牧者の務めは「失われたものを尋ね求め、追われたものを連れ戻し、傷ついたものを包み、弱ったものを強くする」 (エゼ34・16) ことであることをわたしたちに思い起こさせます。さらに主なる神はエゼキエルを通して、イスラエルの牧者は「乳を飲み、羊毛を身にまとい、肥えた動物を屠るが、群れを養おうとはしない」(エゼ34・3)それどころか、「力ずくで、過酷に群れを支配した」(エゼ34・4)といって激しく非難しています。群れはちりぢりになり、野の獣の餌食になっていると、彼らはいわれました。そして「わたしは彼らのために一人の牧者を起こし、彼らを牧させる」(エゼ34・23)。今日、ルカによる福音15章で述べられる羊飼いのうちに、わたしたちはこの預言の成就を見出します。この羊飼いは100匹の中の1匹の羊が迷い出てしまうならば、99匹を置いてでも、その1匹を見つけ出すまで探し回ります。この牧者は、聖パウロが今日の朗読で教えるように、わたしたち罪人のために死んでくださったイエス・キリストご自身に他なりません。

 

皆さん、牧者である司教・司祭はこの聖書の教えに従い、神の愛に促され、群れのためには自分のいのちさえささげる、という決意をもって崇高な使命を受けました。いま司祭年を終了するに際し、わたし たち司教・司祭はまず自分の尊い使命を再度自覚するとともに、自分たちの現状や教会の状況を直視し真摯な反省を行わなければなりません。率直にいってわたしたちの教会は非常に厳しい状況に置かれており危機的状況にある、とさえ思います。昨年来、司祭による児童性的虐待の事実が公表され、教皇様は苦しんでおられます。また司祭によるセクシャル・ハラスメント、パワー・ハラスメントという問題も後を絶ちません。群れを養うどころか群れを傷つけること、群れによって自分の満足を求めるということはあってはならないことであり、恥ずべきことです。他方同時に、司祭の高齢化が進み、病気の司祭、疲労し消耗している司祭が増えていることも教会にとって大きな課題であります。司祭の任務遂行にはさまざまな困難がともないます。消費社会からの絶えざる刺激と誘惑、次々に起こるトラブル、信徒との軋轢、司教・司祭同士の理解と協力の不足・・・など大きなストレスを抱え、精神的にも身体的にも司祭は疲れています。過労とストレスが司祭の健康を損ない、健全な任務遂行を妨げています。司祭の務めを果たすには難しい状況がある、といわなければなりません。これが東京大司教としての実感であります。

 

そこで、わたしたちは「司祭の心身の休養と安息」そして「司祭の霊的生活の反省と刷新」という課題を真剣に考えなければなりません。司祭の霊的生活がまず重要であるのは論をまちません。日々のミサと祈り、黙想、霊的読書、レクチオ・ディヴィナ(lectio divina)、年の黙想、サバティカル、研修、月例集会など、見直すべき課題は多くあります。しかし種々の課題のなかで、最も基本的な課題である「司祭の心身の休養と安息」の刷新ということに焦点を絞りたいと思います。司祭としての任務の遂行は、人間としての安定した成熟と健康という土台の上に築かれなければなりません。そのためにもまず司祭には心身の休養、霊魂の安息が必要であります。わたくしは、この大切な課題を司祭評議会からの答申を受けて、本日、以下の方針を決定し、発表いたします。なお、以下の方針は直接的には現役の教区司祭、教会で働く修道会・宣教会司祭に関するものです。皆様のご理解ご協力をお願い申し上げます。

 

 

1)司祭の休暇・休養の制度を確立する

司祭の休暇の日を定め、心身の休養と祈りのときを確保する。休暇制度の確立は3段階にわたって行なう。

 

第1段階(週休の確立)

司祭は必ず1週間に1日を休養日として、その日に休養をとらなければならない。司祭は休養日を定めて信徒に公表し理解を求める。

 

第2段階(年次休暇とフォートナイト休暇)

毎年最大限1ヶ月(31日)の休暇を、継続的であれ断続的であれ、年次休暇としてとることができる(教会法533条参照)。また、毎年必ず少なくとも一つのフォートナイト休暇(一つの日曜日をはさんで2週にまたがる8日以上連続した休暇〈fortnight=2週間〉)を年次休暇としてとらなければならない。

 

第3段階(リフレッシュ休暇)

人事異動の際、また同一任地勤続3年毎に、年次休暇とは別枠に最大限1ヶ月(31日)連続した休暇(リフレッシュ休暇)をとることができる。

 

2)以上の3段階休暇・休養制度を確立するためには克服すべき諸課題があるがそれらを順次検討し、その結果を文書化する。何より、休暇・休養をどう過ごすかが、大切である。また司祭の年の黙想のあり方、司祭研修についてもさらに検討を続ける。現行のサバティカル制度の規定は当面凍結し、サバティカルを希望しあるいは必要とする司祭については個々に司教が判断することにより、サバティカルをとることができるよう計らう。

 

結びにあたり教皇パウロ6世のことばによって祈ります。

「願わくは、現代の人々が、悲しみに沈んだ元気のない福音宣教者、忍耐を欠き不安に駆られている福音宣教者からではなく、すでにキリストの喜びを受け取り、その熱意によって生活があかあかと輝いている福音宣教者、神の国が宣べ伝えられ、教会が世界の只中に建設されるために喜んで命をささげる福音宣教者から福音を受け取りますように。」(教皇パウロ6世の祈り)

 

2010年6月11日 イエスのみ心の祭日

 


 

 

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