教区の歴史

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聖ビアンネ没後150周年記念ミサ説教

2009年08月02日

2009年8月2日 高円寺教会にて

 

第1朗読 エゼキエルの預言3章16節―21節
第2朗読 エフェソの教会への手紙4章1節-7節、11節―13節
福音朗読 マタイによる福音9章35節ー10章1節

 

 

皆さん、2週間前に堅信式のために来たばかりですが、今日は、聖ビアンネ帰天の150周年記念ミサのために、またこの高円寺教会を訪問いたしました。 

今日、ミサのために選ばれた福音の箇所(マタイ9・35‐10・1)は、2週間前に年間第16主日として決められていた箇所と非常に似ています。2週間前の箇所、マルコ6章に「イエスは群集を見て、飼い主のいない羊のような有様を深く憐れみ、いろいろと教え始められた」とありました。今読まれた福音の中にもほぼ同じような表現があります。「群衆が飼い主のいない羊のように弱り果て、打ちひしがれているのを見て、深く憐れまれ」。「深く憐れまれ」、同じ言葉です。2週間前に申し上げましたが、「深く憐れみ」という言葉は、「はらわたする」というように訳すこともできます。ギリシャ語では、「はらわた」と、「内臓」という言葉に由来しているということが、聖書学者によって説明されています。「内臓、はらわた」ですね。そして、このギリシャ語は、ヘブライ語の翻訳に関係があるようです。旧約聖書は全部ではありませんが、ほぼヘブライ語で書かれていて、それをギリシャ語に訳した「七十人訳」というギリシャ語聖書がありますが、そのときにこのヘブライ語の「はらわた」に相当する言葉がギリシャ語の「はらわた」に訳されたということを確かめました。 

そして、旧約聖書で「はらわた」という言葉が使われていて非常に重要で有名になった箇所があります。エレミヤの預言の31章20節というところです。新共同訳では、「わたしは彼を憐れまずにはいられない」。「わたし」は、主なる神様ですね。「彼」というのは、イスラエルの民のことだと思われます。新共同訳では「憐れむ」というふうに訳されておりますが、昔の聖書、日本語訳の聖書で文語の聖書では、「我がはらわた彼のために痛む」となっています。「我がはらわた彼のために痛む」。そのものずばりの表現になっていました。そして今ではどうなっているかというと、新共同訳は先ほど申し上げたとおりですが、別な聖書では「わたしのはらわたは彼のためにわななき」。「わななき」となっていることを確かめました。そして、更に、フランシスコ会の聖書では「わたしのはらわたは彼を切望し」となっています。旧約聖書、新約聖書を通じて、神様が人々に対してはらわたが痛むと言われたというメッセージは非常に大切です。それで、有名な神学者、北森嘉蔵という方が『神の痛みの神学』というのを書かれました。イエスが「深く憐れみ」とおっしゃった、この「憐れみ」という言葉は、旧約聖書で「はらわたが痛む」という言葉に相当するということが、何人かの人によって確かめられ、あるいは主張されている。大変興味深いことだと思います。 

前回、良い牧者とは何かという話をいたしましたが、今日思い起こす聖ビアンネはまさに良い牧者の模範であります。150年前に亡くなられましたが、アルスの主任司祭として、イエス・キリストに従い、羊の群れを深く憐れみました。彼が就任したときに、もう壊滅状態の小教区で、牧者のいない羊のようであったわけですが、深く憐れみ、それを旧約聖書に忠実に訳せば、はらわたを痛めて、何十年も司祭として働かれた。彼の、聖ビアンネの心にあった思いは、この「我がはらわた痛む」という痛みであったのではないかと思われます。ビアンネといえば、ゆるしの秘跡、告解のために働いた司祭として有名な方です。一日十何時間も告解を聞いたと。ちょっと今では想像もしにくいような、そういう働きをなさいました。 

カトリック教会の秘跡の中で、ゆるしの秘跡、告解は、現代ではあまり行われていません。ゆるしの秘跡と病者の塗油の二つを合わせて癒しの秘跡というように、『カトリック教会のカテキズム』の中で分類されています。7つの秘跡の中で、ゆるしの秘跡と病者の塗油、昔の終油の秘跡は、癒しの秘跡です。癒すための秘跡。そして、人間にとって大きな癒しというのは、やはり罪の赦しを受けるということであると思います。2007年の四旬節を迎えるときに、東京教区では「神の慈しみに信頼して」という大司教教書を発表して、「どうか皆さん、今、ゆるしの秘跡というものがあまり行われていないが、もう一回神様の恵みを思い起こし、本当にこの機会に神様の恵みに近づいてください」というような励ましをお伝えしました。司祭の皆さんには、是非ゆるしの秘跡を受けるように信徒の皆さんに勧めてくださいとお願いいたしました。その際、司祭は、恐ろしい裁判官、閻魔大王のような恐ろしい裁判官ではなく、魂の医師として、人々を神のもとに導く牧者として、ゆるしの秘跡を執行しましょう、というようなことを分かち合ったのであります。司祭は魂の医師、そして神のゆるしを伝え、癒しを与える役務者であるということです。 

他方、司祭には、見張りという役目がある。先ほど読まれたエゼキエルの預言(エゼキエル3・16-21)では、「警告しなさい」というメッセージが与えられています。悪人を諭し、悪人に警告を与えるのが牧者の役目です。それを怠った場合、その悪人が自分の罪のために死ぬとしても、その悪人に対して警告しなかった者もその責任を問われるのだと。その人は自分が悪くて罰を受けるのはやむを得ないとしても、その人に警告する、さとしを与える、そういう役割があって、その役割を果たさなかった者もそのために責任を問われるということを言っています。これは恐ろしいことです。わたしたちは。あまり人に警告したり注意したりするということはしたくないですね。相手が嫌がることを言いたくない。でも、そうしないと、しなかったことで責任を問われるということです。そういう任務が司祭にある。勿論、司教にはもっとあるということで、辛いものがございます。 

今日のパウロのエフェソの教会への手紙(エフェソ4・1-7、11-13)ですが、キリストの体の建設ということを言っています。司祭、信徒はそれぞれキリストの体を建設するものであり、それぞれの役割、任務を分かち合っております。司祭の年を迎え、これから司祭と信徒はどのようにそれぞれの任務、役割を認め合い、助け合っていくのかということが重要な課題であると思います。 

先日、高松の溝部脩司教様が、『キリシタンの時代の司祭像に学ぶ』という文書を起草されました。そして、これを、わたしたち他の司教たちが拝見して、一緒に考えて司教団の文書として皆様に送り届ける予定です。その文書をわたくしが拝見して感じたことを最後にお伝えしたいと思います。 

キリシタンの時代の司祭、その中の何人かが聖人となり福者となりました。昨年列福された司祭は4人です。ペトロ岐部、ジュリアン中浦、デイエゴ結城、トマス金鍔次兵衛。この4人の方が、殉教者であり、そして昨年11月24日に列福された方たちです。この人たちの生涯を見ますと、非常に輪郭が明確・鮮明であると思います。司祭の任務に徹し、全国を、潜伏しながらあちこちの共同体を訪問し、そこでミサを捧げ、ゆるしの秘跡を授けました。今のような小教区というものはなかったと思います。司祭が一か所に定住して、そこに集まる信徒のお世話をするということはなかった、そういうことはできませんでした。なにしろ禁止されていたわけでありますから。命懸けで全国を回って、ミサをどうやって、どこでどのように捧げたのでしょうか。告解をどういうふうにさせたのでしょうか。最後は捕らえられて殉教する・・・と、そういう生涯を送った4人であります。今と全く状況が違います。司祭の使命、それは、秘跡を授ける、ミサを捧げるということに集中していました。今の司祭は、それはもちろん最も大切なことですが、いろいろなことをしなければならないですね。『司祭の年』を迎えましが、これからの司祭はどうあったらいいのでしょうか。 

司祭の年でありますので、聖ビアンネに倣って、もっとしっかりやって下さいと教皇様はお望みなのでしょうが、司祭は(もちろん司教も)大変疲れております。その司祭がどうしたら自分の使命感をもっと強く持って、喜んで働き、命を捧げることができるでしょうか。やはり、司祭職の尊さを、本人はもちろん、信徒の方ももっと認識していただいて、司祭の務めを、本当に喜びを持って果たすことができるようになりたいです。

そのためにはどうしたらいいでしょうか。頑張って疲れている時に「もっと頑張れ」って言われますと、ますます落ち込みますので、あまり「頑張れ」と言われたくないですね。じゃあ、どうしたらよいのかというと、ちょっと分からないのですが、いろいろやってみていただきたいです。司教というのは、司祭が元気に働いていただけるようにはどうしたらよいかと考える人であります。どうぞ皆さん、よろしくお願いいたします。