教区の歴史

教区の歴史

浅草教会殉教者記念ミサ説教

2009年07月05日

2009年7月5日 浅草教会にて

 

先週の福音では、12年間出血症に苦しむ女性が、イエスによって癒やされたという話が告げられていました。イエスは、その女性に向かって言われました。「娘よ、あなたの信仰があなたを救った。安心して行きなさい。」(マルコ5・34) 

このように、イエスが人々の信仰を賞賛する場面は他にもあります。ところが、今日の福音、年間第14主日の福音では、むしろ逆の場面が告げられています。「人々の不信仰に驚かれた。」(マルコ6・6) この人々というのは、イエスのお育ちになった故郷(ふるさと)であるナザレの人々、家族、親戚、そしてよく知っている人々のことでしょう。イエスによって癒された出血症の女性は、どんな人だったのでしょうか。大変な思いをし、非常に苦しんで過ごしていましたが、イエスの話を聞いて本当に必死の思いでイエスの着物の房に触れ、癒していただけるのではないかと思いました。この女性と比べて、ナザレの人々には差し迫った、というか思いつめた気持ちは無かったと思います。もう子供の時から知っている、あの大工の息子イエスとしか彼らには見えませんでした。日常性と言いましょうか、日常的に知っている人のことは難しいものであります。日常性によって目がくらまされ、信仰の目がふさがれてしまったのではないかと思われます。 

さて、今日はこの浅草の教会で特別に、昨年11月23日に列福されたペトロ岐部と187殉教者を思い起こし、取次ぎを願って祈る日です。殉教者の記念日は、7月1日となりました。今年、初めて記念日を行います。7月1日になったのは、筆頭に上げられているペトロ岐部が7月に亡くなったことからです。7月の何日かまでは分かりません。記念日を決めるのは教皇庁ですので、日本の教会が7月1日にしてほしいと教皇庁に願って決めていただきました。7月31日は何の日かご存知でしょうか。これは、イエズス会の創立者のイグナチオ・ロヨラの日です。7月1日にすると覚えやすいし、イエズス会にとって、7月初めの日と終わりの日をイエズス会に関係した人を記念できるのは良かったのではないかと思います。 

188人の中で今の東京教区内で殉教した方はお二人です。ペトロ岐部司祭とヨハネ原主水です。二人ともこの浅草に深いつながりのある方々です。二人は立派にその信仰を「証」して殉教していきました。ペトロ岐部は、1639年7月この近くにありました江戸小伝馬町の牢屋敷で処刑されました。「キベヘイトロは、転び申さず候」と幕府の記録に残っております。ヨハネ原主水は1623年12月4日(こちらは日にちが分かっています)、江戸の札の辻で火あぶりの刑を受けて殉教しました。彼は浅草に居た、浅草でハンセン病者と一緒に暮らしていた、と記録が残っています。若い時、徳川家康の身辺警護をする隊長(組頭)でエリートの道を歩んでおりましたが、キリシタンであったために、そして何か事件に連座して失脚し、総てを失いました。そして、身体障がい者にもなりましたが、浅草でハンセン病者と一緒に過ごしているうちに当時の(400年前)江戸の教会の中心人物と目されるようになったそうです。かつての部下に訴えられ、捕らえられ、馬上引き回しの上、処刑されました。この原主水が言った言葉が残されています。どのような経緯で彼の言葉が残ったのは分かりませんが、多くの人がこの処刑を見ていて、もちろん教会側の人も居たと思われます。その中の誰かが、彼の言葉を記録し、きっとローマに送って、ローマのどこかに記録が残り、研究者が発見したものと思われます。その言葉は、次のように記されています。

 

『私は異教徒の誤鏐(ゴビュウ:誤り)を憎んできた。この理由で、長年前から火焙りになる今日まで、追放でも何でも甘受(カンジュ:甘んじて受ける)して参った。私が極端な責め苦にも耐えてきたのは唯一救済に導いてくれるキリシタン宗の真理を証拠だてんがためである。私の指は全部切り取られ、足の腱も切られ、而も初めから、私の行きつくところを知った。私のこの切られた手足が何よりの証拠である。私の贖い主であり、また救い主であらせられるイエズス・キリスト様の御為に苦しみを受けていま命を捨てるのである。イエズス・キリスト様は、私には永遠の報酬に在すであろう。』

 

この日本語はちょっと古い日本語で、多分戦前の翻訳であろうと思います。このように勇敢に、自分の信仰を宣言して焼き殺されたという大変壮絶な場面であるわけです。400年前の出来事です。今と大変状況が違います。今日は迫害ということは全くありません。信教の自由、思想の自由、表現の自由が憲法で保障されています。私たちは自分の信仰を言い表し、そして今日のようにミサ聖祭に参加することも全く問題がありません。400年前と比べると本当に私たちは信仰の自由、宣教活動の自由を享受しているのであります。 

400年前は信仰を持っているだけで殺されるというひどい時代でした。5,500人(名前、場所、日時の分かっている人)とも10,000人とも言われる大変な数の人たちが勇敢に、甘んじて死を選んでいきました。今の時代は、信仰を持っているとの理由で殺されることはありません。しかし、別な困難があるのではないでしょうか。400年前よりもかえって難しいことが存在しているのではないでしょうか。今、日本の社会で自死する人(自殺という言葉が不適切として最近は自死と言われる)は、年間30,000人と言われ、殉教者の数と比べても大変すごい数です。どうしてこんなに多いのでしょうか。世界中の国で自死する人の数を調べると日本は8番目で、1から7番目までは旧ソ連邦の国々、東欧の国々のリトアニアなどで、先進国と呼ばれている国では日本が1番です。異常な状態の数字です。もちろん、病気、多重債務、その他いろいろな事情があって、人が死ぬからには大変な思いがあるのだろうと思われます。しかし、なぜ死ななければならないのでしょうか。この事実を私たちは深刻に受け止めなければなりません。人々は、荒れ野のような現代社会において生きる力を削がれ、失ってしまっているのが現状です。人は家族、友人、知人とのつながりの中で毎日生きる力を見出して一所懸命生きているのですが、それが薄く、弱くなってしまっている人が多いのが今の社会ではないでしょうか。神様を信じ、神の恵みを信じ、希望を持って生きていくことだと思います。 

東京教区の優先課題は3つあります。

一、信仰の生涯養成。教会のメンバー、司教を始めとして司祭・信徒・修道者は生涯に亘って、自分の霊的成長を心がけなければなりません。お互い助け合い、教え合い、支え合っていきましょう。

二、多民族・多国籍教会として成長していきましょう。多くの方々が外国から来て、日本の教会を作ってくださっています。その子供たちもどんどん元気に育っています。そんな教会がもっと豊かになっていくように。

三番目が心の問題で、教会は来やすい場所でしょうか。この浅草教会にも「どなたも、いらっしゃって下さい。ゆっくり過ごして下さい。」と掲示されていますが、心の悩みや傷を持った人が多い時代です。そのような人々が、何かの拍子に自死を選んでしまうのではないでしょうか。現代の私たちの「証」、400年前は信仰を守って殉教することでしたが、今は違う形での「証」が非常に求められているように思われます。悩み苦しむ人、生きる理由を失いがちの人々に、私たちは希望を持って生きる道を指し示す、そういう「証」をしたいと思います。 

福者ペトロ岐部、ヨハネ原主水と186殉教者の取次ぎによって祈りましょう。

どうか主よ、現代の荒れ野を旅するわたしたち東京教区に、殉教者の信仰、愛、希望を証する恵みをお与えください。生きる喜び、希望、生きる力を失いかけている人々にとって支え、やすらぎ、助け、励ましとなって、共に歩むことが出来ますよう、わたしたちを導き照らしてください。主キリストによって。アーメン。