教区の歴史

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復活徹夜祭説教

2007年04月07日

2007年4月7日 19:00~ 東京カテドラル聖マリア大聖堂にて

 

 

 創世記1章31節は次のように告げています。「神はお造りになったすべてのものを御覧になった。見よ、それは極めて良かった」。創造された世界は極めて良かったのです。このことばは非常に大切です。特に神はわたしたち人間をご自分に似せて、ご自分の似姿としてお造りになりました。自由な意志をもち、神の呼びかけにこたえることのできる存在とされました。ここに人間の尊厳とすばらしさがあります。だからこそわたしたち人間は極めて良いのであります。 

 しかし、この世界と人間は現在、極めて良いと言えるでしょうか。明らかに大きな問題を持っている世界であり、わたしたち人類の中には悪がはびこっています。自分自身の中にも、矛盾、分裂、汚れ、ゆがみなどがあると痛感いたします。神の造った世界になぜ悪が忍び込んできたのか。創世記は最初の人間アダムとエバが自由意志を乱用し、主なる神に対して不信仰と不従順の心を抱き、神との親しさを失ってしまったことを告げます。その結果、この世界に無秩序、混乱が侵入してきたのです。しかし、神は本来極めて良かった世界をさらによいもの、美しいものにしようとされます。これが創造の歴史、救いの歴史、あがないの歴史であります。 

今日の第1朗読後の祈願で司祭は次のように唱えます。

「全能永遠の神よ、あなたは万物をみ手の業として美しく造ってくださいました。時が満ちて、キリストの過ぎ越しによって新たにされた全世界は、時の初めに造られたものよりもさらに美しいものであることを、あがなわれた民に悟らせてください。」「さらに美しい」ということばが響きます。 

聖書最後の書であるヨハネの黙示では次のように言われています。

「わたしはまた、新しい天と新しい地を見た。最初の天と最初の地は過ぎ去って行き、もはや海もなくなった。・・・すると、玉座に座っておられる方が、『見よ、わたしは万物を新たにする』と(いわれた)。(21.1,5)「見よ、わたしは万物を新たにする」ということばをしっかりと心に刻みましょう。 

神はすべての人の救いを望んでおられます。イエス・キリストの死と復活の過ぎ越しの神秘へとすべての人を招き、過ぎ越しの神秘に与るために恵みを与え、その機会を備えてくださいます。救いの歴史は神のあがない歴史、愛の歴史です。神は愛によって世界と人類をあがない救われます。あがなわれるのは人類だけではありません。被造物もキリストのあがないに与り、新しい世界として完成されます。神の愛は旧約の歴史を通して表され、御子イエスにおいて完全に示され伝えられました。この聖なる三日間の典礼は神の愛、イエスの十字架と復活において頂点となった神の愛の啓示であります。 

弟子たちは「極みまで愛された」イエスの愛を知りました。自分を裏切り、自分から離反し、逃亡する弟子たちをゆるし、信じぬいてくれたイエスによって神の愛を知りました。弟子たちは、極みまで愛されたイエスの愛、十字架の上で「成し遂げられた」といわれたイエスによって示された愛によって、神の愛、神のゆるし、あがなう愛を知りました。神の愛はわたしたちの罪をゆるし、あがなう愛です。教皇ベネディクト16世は回勅『神は愛』のなかで言われました。「人類に対する神の情熱的な愛は、同時にゆるす愛です。この愛があまりに大きいために、神は自らに逆らい、神の愛は神の義に逆らいます。」不思議な言葉です。愛のために神は人となり、十字架にかかりました。そして復活によって愛の勝利をわたしたちにもたらしてくださったのです。